九
膵臓癌を宣告されたポスクは、六十九歳にして自分の人生が急激に色あせていくのを感じながら病院から自宅へと戻った。趣味の庭いじりも体調を崩してから一切していない。庭を通る時に目に入った枯れ出した花達がまるで自分を表しているようで、ポスクはフンと鼻を鳴らし、そのまま放置して家に入った。溜まっていた郵便物を左手でつかみチェックする。電気代や水道代の請求書が来ていた。
「病気だろうがなんだろうが金は取られるんじゃな」
期限は今週までだ。少し面倒だが家で落ち着く前にもう一度外に出て払いに行こうと思った。もうすぐ死ぬかもしれないのに几帳面に料金を払いに行く自分がおかしくなった。
請求書を郵便物の束の後ろに送ると1枚の手紙があった。弟子からの手紙だった。封を開けると、もうすぐ七十歳になるポスクのお祝いを企画している、ついては都合のいい日を教えてくれとのことだった。
北京で中国武術の達人として名を馳せたポスクは、もともとチェンという名で何十人もの弟子を持つ人気の武人だったが、裏社会の武術大会で優勝した帰り、賭博で損した男達の仕返しを受けた。八人の武器を持った男達に囲まれ襲撃されたが、八人全員を素手で殺害したポスクはそのまま海外へ逃亡。元の名前を捨て途中でポスクという偽名に変え、やがてイギリスの田舎町に落ち着いた。
それから三十数年後、今でも弟子達とは連絡を取っている。イギリスまで会いに来るのはさすがに十人くらいだが、自分を警察に売らなかった弟子達をポスクは愛していた。庭での稽古中に妙に疲れを感じるようになったポスクは、弟子に勧められ健康診断を受け、ついに自分を蝕み始めた病魔に気付いたのだった。帰ってきたら手紙の返事を書こう。しかし扉を施錠して外に出たポスクはそこでひとり、気を失ってしまった。
ドアをノックする音でポスクは目を覚ました。
「起きとるよ」
「ポスク様、ルインスキー様の部屋にいらしてください。ルインスキー様が呼んでます。なんでもアルサミン一家の所から客人が来ているとかで」
「アルサミン? あ~あのタコ坊主君か。分かった、すぐ行くよ」
ポスクはゆっくりと体を起こした。クリーム色の壁、木でできた茶色の格子でできた部屋で首を回して立ち上がる。あの日この島で目を覚ましてからもう七年程になるだろうか。この島では毎日が過ぎていても生物の時が止まっている。何年経ってもポスクの体は老いることもなく、癌による体調の変化などもまったくない。ポスクはこの島で二度目の人生を手に入れた。さらに召喚能力まで手に入れたポスクはすぐさま二人の従者を使いこなし、圧倒的な戦闘力でナイブズ一家の客人として迎えられたのだった。最近お気に入りの持ち手に龍の装飾があしらってある杖を持ってポスクは部屋を出た。
ルインスキーの部屋には当主のルインスキー・ナイブズ、部下二人、そしてアルサミン一家の人間と分かる赤いスカーフを首に巻いた若者がポスクを待っていた。椅子に座っているのはアルサミンの若者だけで、ルインスキーも立っていた。アルサミンの若者はポスクに少し怯えたがポスクは意に介さず、ルインスキーに近付いて挨拶した。
「待たせたの。さて、これはどういう状況かな? この小僧の所とはたしか抗争中だったはずだが?」
ポスクはサングラスのせいでルインスキーの表情がうまく読み取れなかったが、顎鬚を指でつまんでいたルインスキーは歯切れの悪い返事をした。
「どうもよろしくない。アルサミン一家が全滅したようだ」
「なに?」
「ポスク殿にもう一度説明してくれるかな?」
「はっはい……」
ポスクは部屋のソファに座った。コップで一口水を飲むと若者は口を開いた。
「俺はアルサミン一家の下っ端です。偵察とか酒の手配とか、十年くらい前から仕事はせいぜいそんなものです。二日前。俺は腹の調子が悪くて、たまたまトイレにいた時にライン家の連中が来たんです。館には東の町で死んだ仲間についてライン家を問いただすためにみんなが武装して集まってました。俺はもともと戦いには参加しないんで別にいなくてもよかったんですが、俺のいた所に声が少し聞こえてました。やがて悲鳴と銃声が聞こえるようになって。奴らと戦闘になったみたいです。三分くらいで静かになりました。俺はそっとトイレから広間を覗こうと思ったんですが、二階から降りてくる足音や話し声が聞こえたのでドアを開けることができませんでした。ビビっちまったんです。あいつらが出て行ったから俺はトイレを出て広間へ行ったんです。そしたら死体が無かった」
ポスクはチョコレートをつまんで聞いた。
「死体が無かった?」
「え、ええ。血とか、弾痕とか銃はいくらか散乱してました。でも死体が無かった。みんなが消えちまったんです。俺は何が起きたか分からなくて、館の左の部屋に行って窓からこっそり外を見ました。そしたらエレーネとライン家の連中、四人くらいだった。そいつらが話し始めました」
「エレーネってのは召喚士の女だったかの?」
「あ、そ、そうです。ガイルさんと一緒に行動してた女なんですがその時の戦いは生き延びたみたいで。で、あいつら、生き残ったエレーネと戦い始めたんです。俺には何をしているかよくわからなかった。人間や馬に乗った怪物が出たり消えたりして。エレーネは空を飛んでました。俺は奴らが戦っている隙に館の後ろから逃げ出してここに来たって訳です」
ルインスキーはそこで眉毛のあたりをポリポリと掻いて話を遮った。
「ありがとう。そのへんでいいよ。ここまで道中大変だったろう。少し休みたまえ。部屋を用意するから」
若者は部下に連れられ部屋を出ていった。ドアが閉まるとルインスキーは振り返って若者が座っていた椅子に座り、ポスクと向かい合った。
「空だの何だのは今更驚くことでもない。魔女なら空くらい飛ぶだろう。ほうきがないのが残念だよ。それより問題はだ、どうやらアルサミン一家が全滅し、いつの間にやらライン家に召喚士がいるという事実だ」
「ふうむ?」
「私の部下の報告によると小競り合いの後、エレーネが他に出入りしている所を見ていない。今現在どこにいるかはわからない。しかしライン家にはあのエレーネと渡り合った召喚士がいる。一家をまるごと消してしまうような強力な召喚士だ。もしエレーネとの戦いに勝っていたとしたら、いくらポスク殿が達人でもガンホーケンと召喚士の二人を相手に渡り合うのは難しいでしょうな」
「この館は森の中にある。よりによってガンホーケンが最も得意とする戦場になるな」
ルインスキーもチョコレートを口に放り込んだ。
「一度彼らに会ってみる必要がありそうですな」