五
慎二とガンホーケンは野営地の南にある森に入っていた。
「きれいな森だな。この島には観光で来たかったぜ」
「ははっ。まあ似たようなもんだろ。おっと、ここに足跡がある。少し追ってみるか」
ガンホーケンはめざとく足跡を見つけ追跡を開始した。
「どうやってシカを見つけるんだ?」
「足跡を追っていけば新鮮な糞だったり、草が倒れたねぐらにしている場所があるんだ。水場とかな。その近くで道具でおびき寄せる。これだ」
ガンホーケンの手にはテニスボールの空気入れの様な物が握られている。ゴムでできているようだ。
「こいつを握るとメスの鳴き声に似た音が出る。それに誘われて寄ってくるって寸法よ。そこを撃つ」
「なるほど。闇雲に追う訳じゃないんだな」
「まあそれでもなかなかシカには会えないもんだ。俺たちの立てる音や匂いなんかにも敏感だ。五十メートルくらいじゃすぐばれるからなるべく静かに歩け。踵からドスドス歩くなよ」
「ああ」
森からは鳥や虫の音も聞こえてくる。綺麗な景色だった。緑やすこし黄色になった葉が光に当たってまるで水彩画のようだ。慎二は言われたように足音に気を遣って歩くようになった。
「いいぞ。つま先から歩いたほうが静かに歩ける。あんたの靴も隠密向きのようだな。この島じゃ見たことないが日本の靴なのか?」
「いや、これは世界中で流通しているごく普通の靴だよ。スニーカーっていうんだ。靴底がゴムでできてる」
「ほう。スニーク(隠密)の靴ってわけか。いいなそれ」
「でも枝が当たったりすると少し痛いな。森を歩くには少し微妙かもしれねえ」
ガンホーケンは狩りが素人の俺に気を遣って歩きやすい道を選んでくれているようだ。やがて動物の糞を発見ししゃがみこんだ。
「ふむ。まだ新鮮だな。近くにいそうだ。ここからは中腰で行こう。笛も使う」
ガンホーケンが呼び笛を握るとピューイ!と音がした。慎二も止まって音を立てないよう静止した。三十秒ほど経ったが動物の足音などは聞こえない。
「少し進もう。こっちだ」
先ほどと同じ要領で少し歩き、また呼び笛を鳴らした。
「慎二、まずお前が撃て。何事も慣れだ。葉で体を隠しておけ。シカが来るかもしれない。撃つときは息を止めて安定させて撃て。銃も相手に見えないようにできれば葉の間から撃つんだ」
「銃も見えるのか?」
「動物が見ているかは分からんがな。銃身てのは自然の中では目立つんだ、目がいい動物に気付かれる。普段から見せないように撃つ練習をしておけ」
「分かった」
「それから撃つ場所は頭じゃない。首か、難しそうだったら肺を狙って撃て。頭蓋骨が硬いし流線形の頭の動物だと弾がうまく入っていかない可能性がある」
慎二は昔見た映画でヤクザが敵ヤクザの頭を撃ってるシーンを思い出した。
「人間相手とは勝手が違うってことか」
ガンホーケンは驚いたようだ。
「なんだ、経験済みか」
「違うよ。映画で見たんだ。あー、お芝居みたいなもんだ」
「ほー。日本てのはそんな過激な芝居やるんだな」
その時遠くで何者かがガサガサと足音を立てた。慎二とガンホーケンは目を合わせてうなずいた。お互い葉に体を隠し、銃を持って足音の主を待ち伏せた。自然の中で息を潜めて獲物を待つと、慎二はなぜか気持ちが落ち着いていくのを感じた。
やがてシカが木々の間に姿を現した。首がよく見えている。慎二は静かに銃を構えた。
タイミングは今だ。ガンホーケンもシカを見ている。
慎二は引き金を引いた。鳥や近くにいたと思われる獣が一斉に逃げ出す音がした。シカは少し走って逃げてから立ち止まり、その場に倒れた。
「やったようだな。確認しよう、来い慎二」
「ああ……?」
その時慎二は突如理解した。まるで呼吸の仕方が分かるように、慎二はどんな生き物を召喚できるのか感覚で理解した。呆けている慎二に歩き出したガンホーケンは振り返って声をかけた。
「どうした?」
「あ? ああ、分かったんだ。シカを殺した時に理解した」
「一体何の話……あれ? おい慎二、来てみろ。これ」
「ん?」
ガンホーケンがいる場所のすぐ近くの木の根元に、白骨死体があった。かなり前の死体のようで、服もビリビリに破けていた。
「こりゃあ最近のじゃないよな」
「ああ、もしかしたら以前の戦争の時のものかもしれん」
「七年前のファミリー同士の戦いってことか?」
「ああ。マックスがガキの時に激しい戦闘があったって言ってたろ? その時の連中がこいつらなんじゃないか?」
「いやその森はもっと西の話だろ……ん? これは?」
死体の服の腰のあたりに手帳が落ちていた。慎二は死体に触れないように手帳を拾ってページをめくってみた。
「手帳か。何が書いてある?」
「えーっと。え? これ……日本語だぞ」
「え? ってことは日本人なのかこいつも」
「かもしれねえ」
『三月十四日
俺はグングニルの槍をどうやって手に入れるかついに分かった。』
二人は顔を見合わせた。
「マジかよ?」
「続きを読んでくれ」
『おかしいとは思ってたんだ。みんなで何年も探しているのに一向に見つからねえ。きっと何かきっかけが必要なんだって考えるようになったらすぐにピンと来た。あの湖の岸にある三角の祭壇の光だ。最初はあんな光は無かった。祭壇の一角が光るようになったのはジャックが死んでからだ。』
慎二は顔を上げた。
「ジャック?」
「マックスに昔ジャックって召喚士がいたって聞いたことがある。そいつのことかもしれねえ」
『誰も祭壇が光り始めてるのに気付いている様子はなかった。あんなもん祭壇なんて呼べる程のもんじゃねえし気付かないのも無理はない。二人目の召喚士が死んだ時、もう一つの角も光り始めた。間違いねえ。三人目が死んだら最後の角も光って槍が現れるんだ。こっちから仕掛けて俺が槍を手に入れるんだ。』
話を聞いていたガンホーケンが首をかしげている。
「この話が本当だとするとだ」
「ああ」
「召喚士が三人死ぬと祭壇から槍が現れるというわけだ」
「やったじゃねえか」
「問題が二つある。一つはこいつらの戦いの時、つまり七年前だ。確かマックスの話では槍を手に入れたのは知り合いの日本人だったな?」
「そうらしいな」
「手帳は日本語で書かれてる。ということはこいつはその日本人の可能性がある。で、こいつはここで死んでる。こりゃ一体どういうわけだ? たしか消えたのは島の西の森だったよな。槍を持ってきたこいつはここまでわざわざやってきてここで死んだってのか?」
「おいおい。てことは槍はこのへんにあるってことなんじゃねえのか?」
「いや、もし殺されたんなら奪われちまった可能性もあるよな。となると槍がこのへんにあるとは限らねえ。それにここには俺達がけっこうな頻度で狩りに来てるんだ。それらしき物が見つかったこともない」
慎二は考えてみた。
「いや待て。槍のありかを知っている日本人だからこいつがそのマックスの知り合いだって仮定で話を進めたが、決めつけるのは早いんじゃねえか?」
「ん?」
「その時いた日本人が一人とは限らねえし、知り合い君はたまたまいいタイミングで槍を見つけちまっただけの可能性があるだろ。どこかでたまたま三人目の召喚士が死んで、その時ちょうど知り合い君は見つけた槍を持って消えちまった。結果こいつを出し抜いた形になった」
「うーん、ちょっとご都合主義な気もするが。とにかくこいつは別人てことだな」
「もう一つの問題はなんだ?」
「うむ……問題は俺達が槍を手に入れるためには今この島にいるあの召喚士共を全員殺らなきゃいけねえってことだ。俺達にとてもそんな戦力はねえんだよな」
慎二は笑い出した。
「ははっ! そりゃそうだ! 弾をいっぱい用意しなきゃな! それから兵隊も必要だ」
「兵隊なんていねえよ。戦えるのは俺とマックスと若い奴らが数人、あと柴犬が一匹いるくらいだ」
「俺が兵隊を作るよ」
ガンホーケンはポカンとした。
「俺が兵隊を作る。最初さえ乗り切れば後は作業だ。俺の召喚術なら可能だ」
「お前……もしかして自分の能力が分かったのか?」
「ああ。シカを確認しよう。来てくれ」
慎二は仕留めたシカの所に歩いて行った。ガンホーケンも慌ててついていった。
「でけえシカだな」
「ああ。これならマックスも喜ぶだろう……!?」
ガサッと音がして前を見たガンホーケンは面食らった。二メートルほど前方に先ほど慎二が仕留めたシカが立っている。
「あれ?」
ガンホーケンは再度下を見た。慎二が仕留めたシカはここに倒れている。
「こ、これはまさかお前か慎二?」
「ああ。俺はどうやら死んだ者の魂を呼び出すことができるようだ。自分で操れる」
慎二は呼び出したシカの首をブンブンとリズミカルに三回振らせてみた。よく見るとシカの後ろのほうが少し紫色に燃えている。
「へえ~。こいつはすげえな。同じ奴が二体いるようにしか見えねえ」
慎二は振り返ると先ほどの白骨死体に向けて左手をかざし、マリオネットを操るように指を動かした。ナイフを持った十代の黒髪の美少年が姿を現した。
「こいつがその白骨死体の生前の姿のようだな。白骨じゃなくて安心した。が、残念ながら俺が呼んだやつは喋れねえ。こいつから情報を聞き出したりとかはできねえようだ。ただ操れるだけだ」
慎二が拳を握ると美少年は煙になって消えた。慎二のシカが死体のシカを角で持ち上げ、自分の背中に死体を乗せた。ガンホーケンは顔をしかめた。
「魂でもこんな風に実際の物に触ることもできるようだ」
「う、ううん……自分に自分の死体を担がせるのはちょっとかわいそうだな……」
「自我は無いんだしいいだろ別に。アジトに戻ろうぜ」
慎二はさっさと歩き出した。ガンホーケンは白骨死体を見た後、肩をすくめて慎二の後に続いた。