一
パーン……パパーン……。
ああ、喉が渇いた……。
本沢慎二は砂浜に打ち上げられ、仰向けの状態で意識を取り戻した。目に映るのは抜けるような青い空、白い砂浜、そして足にふれる小さな波、どこまでも広がる宝石のような青い色の海だった。右手に木片のゴミとワカメが絡みついている。
「なんだこりゃ」
ワカメを振り払い、慎二はゆっくりと上半身を起こした。長い間波と風にさらされたワイシャツとズボンは、生乾きで体にまとわりついていた。
(どこなんだここは? 俺は確か大洗から船に乗っててそれで……?)
どうしてここにいるかわからない。パーン、パーンという音がさっきからひっきりなしに聞こえてくる。爆竹のような音だ。音の出所を探そうと右を見ると、向こうに人が立っていることに気付いた。白のドレスを着た女性が白い日傘を差して海を見ている。被っているドレスハットも白い。女性は風で顔にまとわりついた黒髪を指で解くと、一筋流れた涙を拭った。
「お、おいあんた」
砂が口に入っていたせいで上手く声が出なかった。女性は慎二に目もくれず歩き出した。女性が歩いて行く先にレンガ造りのアパートや商店のような、カラフルな二階建ての建物が建ち並んでいる。
(ノルウェーだかそのあたりの建物みたいだな)
どうやら先程の音もそちらの方から聞こえてきたようだ。
「おい! お前そこで何してる?」
慎二は振り返った。白い胸元が開いたシャツを着た男が近付いてきた。手には酒瓶を持っているが、腰に銃を差している。
「見ない顔だなあんた、ビショビショじゃねえか」
「ああ……どうやら記憶に無いくらい夢中で海水浴を楽しんでいたらしい。それ酒か? 少し分けてくれないか?」
男は笑いながら酒瓶を慎二に渡した。オールバックにした茶髪が日射しを浴びて輝いている。瞳は黒い。慎二は一口目でうがいをして口の中の砂を吐き出し、二口目でグイッと酒を飲んだ。
「ありがとう。俺は本沢慎二」
「日本人か。どこかから流れ着いたんだな。あんた、きっとオーディンに招待されたんだよ」
「オーディン?」
「ああ。見たところ大したケガも無さそうだし、あんたは貴重な戦力になりそうだ。行く所が無いならついて来てくれ。歩きながら説明する」
「戦力って言ったって……客はいないみたいだが」
慎二は立ち上がると木の板でできた階段を昇りウッドデッキを歩き出した。カフェテラスだったようで、白いテーブルや椅子がパラソルの下にいくつか置いてある。歩くとゴトッゴトッという木の床を踏む音がした。
「いや、この店の人手の事じゃねえよ」
男が食料を買い込んだ袋から飲み水の入った瓶を慎二に渡した。慎二は礼を言って少し飲み、男が準備をしている所を見ながら聞いた。
「あ、そうなのか。ちなみにさっきの爆竹みたいな音は何なんだ?」
「銃声だろ。ここからは少し離れた所で戦闘が起きてる。さっさとずらかるぞ。召喚士に会ったらまずい」
男は銃声に対してずいぶん慣れているように見えた。
「召喚士?」
「あそこの馬に乗る。後ろに乗れよ。アジトに案内する」
男はカフェの横に停めてあった馬の手綱を解き始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そういえばさっき白いドレスを着た女がいたんだ。彼女も連れて行った方がいいんじゃ?」
馬の手綱を取った男がピタッと動きを止めてこちらを見た。
「確かか?」
「ああ。銃声の方に歩いて行ったんだ。このままじゃ巻き込まれちまう」
「いや、その女が召喚士だ。さっきの銃声は奴が呼んだ騎士と戦闘してたんだ。急ぐぞ。巻き込まれたらやべえ」
慎二には訳がわからない。召喚士? 漫画や最近発売されたテレビゲームでしか聞いたことがない存在だが、どうやらこの島にはなにか普通じゃないことが起きているようだ。聞こえてくる銃声が一層激しくなった。続いて馬の駆ける音と破壊音が聞こえてきた。
「乗れ! 行くぞ!」
慎二は男の後ろに乗り、馬が走り出した。後ろで再び馬の駆ける音と破壊音が聞こえた。慎二が振り返るとレンガ造りの建物から冗談みたいな大きさの馬が壁を蹴破って飛び出してきた。煉瓦が飛び散り埃が舞い上がった。鎧を着けたその馬は頭が二階に届くほどの大きさで、胴体も生き物というより丸太のようだ。普通自動車くらいの大きさの胴体を持つその馬は尾に紫の炎を纏っていて、明らかに現実の馬ではなかった。
馬に跨っている騎士も大きく、吹き飛ばされてきた赤いスカーフを首に巻いた二人組を、右手に持ったハルバードで斬り殺した。建物の一階部分は今の騒ぎで大部分が崩壊した。
先程の女が建物の前の通路に立っている。女の後ろの空間が歪み、先程と同じ騎士が次々と飛び出して女の横を駆け抜け、建物の中に突っ込んでいく。凄まじい破壊音が響き、中から銃声も聞こえるが、とても銃で何とかできる事態ではなさそうだ。破壊音の中で一階の残っていた窓ガラスに血が派手に飛び散った。白い女は目の前で起きている戦いを涼しい顔で眺めている。
「くそっすぐそこじゃねえか。見たか? あれが召喚士だ。あんな馬鹿げたもん人間にかなう相手じゃねえ。まともにやり合う方がどうかしてる」
「な、なんだありゃ! どうなってんだこの島は!?」
「今三つのファミリーで絶賛抗争中だ」
馬で北にひた走り、無人の町の様相はすっかり草原に変わった。どうやらうまく逃げられたようだ。
「まいったな。何でこんな島に来ちまったんだ」
「まあそう言うなよ、とりあえず生きてただけ良かったんじゃねえか? 俺はマックス。ライン家の一員だ。この島の四つ目のファミリーで、もちろんうちが最弱の一家だ」
「あの戦いは縄張り争いってところか?」
「ああ。他のファミリーはそれぞれ一人ずつ召喚士がいて、出会うたびにドンパチやってるようだがな。俺達にそんな力は無い。かと言って町で働いて暮らすほど真面目じゃねえ。俺達はこの島にある宝を探しながら暮らしてるのさ」
「宝?」
「後で説明する。ペースを上げるから喋るなよ。舌噛むぞ」
慎二はどうしてここにいるのかぼんやりと思い出した。慎二は嵐の夜、勤めていた店で殺人犯と間違われ、逃げた先で大洗で乗った船が転覆し、意識を失いここに漂着したのだ。
「やれやれ、どうやらすぐ捕まるって状況からは脱したようだが。警察に追われた先に抗争中のろくでなし共がいるなんて、運がいいんだか悪いんだか」
「喋るなって。あんたお尋ね者か。何やったんだ?」
慎二は肩をすくめてそれには答えず、馬の上で流れていく景色を眺めていた。