【連載版始めました!】無自覚な天才令嬢はのんびり暮らしたい ~ノロマすぎて無能だと罵られた魔導具師、呪いにかかった第二王子を助けたら溺愛されるようになりました~
連載版始めました!
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「こっちの発注書、明日までに片づけておいて」
「え……」
テーブルの上にどさっと乱雑に置かれた紙の山。
他にも終わっていない山が並んでいて、思わず絶句する。
「それじゃよろしく」
「ま、待ってください所長! こんな量、一人で明日までに仕上げるなんてとても」
「何を言っているの? それが貴女の仕事でしょ?」
「い、いえ、その……」
所長だって同じ魔導具師なんだから、これは所長の仕事でもあるはずなんだけど……。
とか、言いたくても言えない立場だった。
「わかったら早く終わらせなさい。じゃないと次の仕事が来るわよ」
「……」
「まっ、貴女ならこのくらい余裕でしょ? 期待しているのよ? 元、最年少宮廷魔導具師、フレア・ロースターさん」
「……が、頑張ります」
褒めているわけじゃない。
ただの嫌味だ。
表情がそうだった。
所長は私の研究室から出ていく。
ばたんと閉まった扉の音が響き、静かになった部屋でポツリと立ち尽くす。
「はぁ……」
最初に出たのは盛大な溜息だった。
所長に聞かれたら、また嫌味を言われてしまうのだろう。
でも……。
「溜息だってつきたくなるよ。なんなの? この量……五人分くらいある」
同じ魔導具師がこなす仕事量の五倍。
時には十倍近い仕事量を押し付けられ、納期は通常通りという鬼のような設定。
当然通常業務の時間だけじゃ終わるはずもなく、毎日のように残業して、休日の半分は出勤しないといけない。
「これ……明日も出勤だなぁ」
本来なら休みでのんびりできる日も、激務に追われて休む暇もない。
幼いころから憧れていたモノづくりの最先端。
宮廷魔導具師になった私は、理不尽極まりない社会の波に吞まれていた。
「次のお休みはいつになるんだろ……」
そんなことを考えながら残業する。
やっと終わるころには日付が変わっているだろう。
みんなが帰宅する中、一人宮廷に残って仕事に勤しむ。
トントントン――
ドアをノックする音が響く。
珍しいこともあるみたいだ。
この時間に誰かが訪ねてくるなんて。
まさか所長が戻ってきて、さらに無茶な仕事を押し付けられるんじゃないか。
私はびくびくしながら扉の向こうに尋ねる。
「はい。どなたでしょうか」
「――僕だ。フレア」
「カイン様!」
私は慌てて扉の前に駆けより、勢いよく扉を開ける。
そこには金髪で青い瞳の男性が立っていた。
彼の名はカイン・バルムスト。
バルムスト侯爵家の嫡男であり、私の婚約者でもある。
「こんばんは、フレア」
「こんばんは! カイン様がどうしてこちらに?」
「ちょっと君の様子を見に来たんだ。話したいこともあったしね」
私に会うためにわざわざ宮廷へ?
こんな夜遅くに。
カイン様は相変わらずお優しい。
容姿も性格も立ち振る舞いも、何もかも優れている方だ。
私なんかの婚約者にはもったいない。
けど、その優しさが今の私には必要だった。
独りぼっちだった研究室に彼が来てくれたことで、まだまだ頑張れそうな気力が湧いてくる。
「ありがとうございます。カイン様」
「ああ。それで……」
彼はきょろきょろと研究室の中を見渡す。
なんども来ているし、今さら目新しいものはないけど何か気になる様子。
「カイン様?」
「……フレア、君は今日も遅くまで残って仕事をしていたんだね」
「あ、はい。まだ終わらなくて……」
「そうか」
慰めてもらえるかと期待した。
カイン様に相談すれば、この状況も変わるかもしれない。
今までは迷惑をかけたくないからと黙っていた。
でも、そろそろ限界だ。
このままじゃ過労でいつか倒れる。
こうして私のことを気にして来てくださったんだ。
今こそ相談するべきだろう。
「あの――」
「フレア、君に大事な話がある」
私の言葉をさえぎって、カイン様は真剣な表情でそう言った。
思わず口を噤む。
そういえば話があると言っていた。
私の相談はそれが終わった後でもいい。
気持ちを切り替えて、にこりと微笑みカイン様に言う。
「はい。なんでしょう」
「――君との婚約を破棄したい」
「……え?」
時間が止まってしまったような感覚に襲われる。
聞き間違いだと思った。
思いたかった。
それでも私の耳にはハッキリと残っている。
婚約を破棄したい。
私と。
カイン様はそうおっしゃった。
真剣な、およそ嘘なんてついていないとわかる表情で。
「ど、どうして……ですか?」
私は震えながら尋ねた。
するとカイン様は小さくため息をこぼし、私から視線を外す。
彼が見ているのはテーブルに並んだ書類の山だ。
「理由はいくつかある。一つはこの、今の状況だ」
「今の……」
「君が宮廷に入ってから毎日、こんな遅い時間まで仕事をしている。最初は仕事熱心で素晴らしいと思っていた。が、最近気づかされた。単に仕事が遅く、怠けているだけなのだと」
「そ、そんなことありません!」
私は咄嗟に否定した。
カイン様は勘違いされている。
私は今日まで一度もさぼったことはないし、手は抜いていない。
毎日まじめに働いている。
それでも終わらないのは、所長が無理な仕事量を私に押し付けるから。
「私はちゃんと休まず働いています。今日だって本当は――」
「もういい。言い訳しなくても」
冷たい声が耳に響く。
初めて聞く声に、背筋がぞっとする。
「カイン……様?」
「僕がなんの根拠もなくこんな話をすると思うかい? 先に所長に確認したんだ。君がここでまじめに働いているのか」
「所長に?」
「そうだ。答えを聞いて落胆したよ。まじめに働いていたと思っていたのは、僕の勘違いだったみたいだね」
所長がなんと答えたのか私は知らない。
それでも、いい返答をしなかったことくらいわかる。
あの人は、私のことが嫌いだから。
私の現状を作り上げたのは、まさにあの人だから。
「ち、違います! それは所長が――」
「嘘をついているとでも? 発言には気を付けたほうがいい。所長は宮廷魔導具師を束ねる方だ。つまり、この国でもっともすぐれた魔導具師ということ。君の発言と彼女の発言、どちらを信じると思う?」
「そ、それは……」
「所長からの話では、君は与えられた仕事を予定通り終わらせるので精一杯。いつも残業しているのも、効率が悪いからだ」
違う。
それも全部、無茶な量を……。
「確かに仕事量は他の魔導具師より多いと聞く。しかしそれも、君の能力を見込んでのもの。最年少宮廷魔導具師になった君なら、この程度の仕事はなんなくこなせると……が、期待外れだったと嘆いていたよ。本当に申し訳ない気分になった」
全部だ。
どれもこれも、すべて所長のいいように解釈してカイン様に伝えている。
ねじ曲がった事実を修正することは、私にはできない。
ここでいくら否定しても、カイン様は信じてくれないだろう。
婚約破棄を口にした時点で、カイン様は私を信じるつもりは一切ない。
だから私は……。
「申し訳ありません」
ただただ、謝るしかなかった。
自分が悪かったのか?
期待に応えられなかったことがダメだったのか?
いやがらせと期待の境界線はどこなんだろう。
私に対して行われていたことは、嫌がらせじゃなかったの?
私は……嫌だった。
それは思っちゃいけないことだったのかな。
「で、ですが、婚約の話は私たちだけの問題でありません。ロースター家とバルムスト家、双方の同意が必要です」
両家は古くから親交が深く、代々お互いに異性の跡取りが誕生した際、婚約者とする決まりがある。
より関係を深く、未来永劫共にあることを約束するために。
いわゆる政略結婚というやつだ。
それに、長女である私が選ばれた。
私たちの婚約は両家の伝統によって決められたもの。
それを一存で覆すことは難しい。
「心配はいらない。その点についてはすでに解決している」
「え、解決って……」
「僕は君ではなく、君の妹のアリアと改めて婚約することにした」
「アリアと?」
私より三つ歳の離れた妹、アリア。
彼女はちょうど今年成人する。
婚約者とするには、なんの問題もない相手ではあった。
「彼女はとても素敵な子だ。僕の前で、決して嘘をつかない。なんでも包み隠さず、真摯に答えてくれる。まだ垢抜けないところもあるが、そこも魅力的だ」
「カイン様は……アリアと親しかったのですか?」
「当然だろう? 君の妹だ。交流する機会はいくらでもあった。君は毎日宮廷にいたから知らなかっただろうけど、これまで何度も会っているよ」
「……」
言葉が出なかった。
まさか、こんなにも堂々と本人の目の前で、妹と浮気していたことを告白されるなんて。
私が必死に仕事をしている間に、二人が仲良くしていた。
想像すると……ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
だけど言葉には出せない。
出したところで意味はない。
「アリアは……なんと言っているんですか」
「もちろん彼女も了承済みだよ」
「そう……ですか」
もう、これ以上話すことはなさそうだ。
結論はとっくに出ている。
カイン様から言われるより先に、せめて自分から言おうと思う。
私は背筋を伸ばし、ゆっくりと頭を下げた。
「今までありがとうございました。カイン様」
「ああ、僕としても、いい経験にはなったよ」
こうして、私とカイン様は他人に戻った。
あっさりと、感慨深くもなく。
人と人との繋がりなんて、こうもあっさり切れてしまうんだと知った。
しばらく、一人で研究室に籠った。
カイン様が去った後も、ショックが大きくて何も考えられない。
それでも皮肉なことに、仕事の手だけは勝手に動く。
身体にしみついてしまっているんだ。
これを終らせないと帰れない。
帰って……休みたい。
「はぁ……なんでこうなっちゃうのかな」
思えば私の人生は、思い通りにならないことの連続だった。
私は、本来ロースター家の人間じゃない。
母は一般人で、父とは一夜の関係だったという。
そうして私が生まれ、父はその関係を隠すために私を長女として迎え入れた。
けど、そのころにはアリアが生まれていて、私のロースター家での扱いはひどいものだった。
父は私と目も合わせない。
義母は私のことを目の敵にする。
そんな私を、使用人たちは憐れむように見る。
妹のアリアも、私のことを馬鹿にしてくる。
ロースター家に、私の居場所はなかった。
それでも、唯一の生きがいを見つけた。
魔導具作りをしている時だけは、他のすべてのしがらみから解放される気分になった。
物作りは楽しい。
誰もが驚くような発明をしてみたい。
そうして一人、魔導具作りの勉強をしているうちに、気づけば宮廷魔導具師になっていた。
今から四年前、十四歳の頃で史上最年少だったという。
周囲から注目を浴びたのも生まれて初めてだった。
私のことを知って、多くの人が見る目を変えた。
友好の深いバルムスト家から、カイン様との婚約の話が持ち掛けられたのもこの頃だった。
成人になり婚約し、宮廷という最高の環境で物作りができる。
この時の私は、何者でもなかった自分が、周囲に認められたことが嬉しかった。
私の人生で、何かが変わると思えた。
でも、結局うまくはいかなかった。
期待されるとは同時に、恨まれることでもある。
私のことが気に入らない先輩、所長にいじめられて、無茶な仕事を押し付けられる。
なんとか頑張って終わらせても、今度はもっと多い量の仕事が飛んでくる。
疲れきった私の唯一の救いが、優しいカイン様だったけど……それも失ってしまった。
私は、本当の意味での孤独を体験している……のかもしれない。
「いっそ辞めて……」
これまで何度思っただろうか?
逃げ出したい。
宮廷なんて辞めて、どこかでのんびり暮らしたい。
「……無理だよね」
ただの希望でしかない。
仮に逃げ出したところで、その先どうやって生きていく?
仕事を探すのだって大変だ。
身元が不確かな人間なんて、まともな職場は絶対に雇ってくれない。
下手をすれば、今よりひどい生活に……も、あまり考えられないけど。
「はぁ……」
もうすぐ今日の分の仕事は終わる。
日付がそろそろ変わって明日になる時間。
明日になっても、今日のように慌ただしい日々が続く。
違いがあるとすれば、わずかな救いもなくなったことだろう。
もう、虚無で仕事に打ち込むしかなさそうだ。
溜息しか出ない。
◇◇◇
仕事を終わらせた私は、トボトボと研究室を出ていく。
やっと帰宅してベッドで眠れる。
嬉しいはずが、今日はいつもより足取りが重い。
さすがにみんな寝ている時間だろうけど、万が一起きていて、ばったり出くわしたらどうしよう。
お父様、お母様、アリア……使用人も、婚約破棄のことは知っているに違いない。
会えば必ず嫌味なことを言われる。
そして、明日ここへ出勤したら、所長に馬鹿にされるんじゃないかと予想する。
何もかもが億劫で、歩くことすら気だるい。
今夜は研究室に泊まったほうがいいかもしれない。
何度か経験はあるし、初めてじゃない。
私は立ち止まる。
「戻ろっかな」
そして踵を返す。
ちょうど中庭を通り過ぎるところだった。
ガサガサガサ!
「え?」
中庭に私以外の誰かがいる。
こんな夜遅い時間に、宮廷に一人いること自体が不自然だ。
今まで一度も、ここで誰かと遭遇したことはない。
かすかに呼吸音が聞こえる。
誰かいるのは明白だ。
絶対にまともな人間じゃない。
まさか盗人……暗殺者とか?
急に怖くなって、その場から走って逃げだそうとした。
「はぁ、っ、ぅ……」
庭の木の裏から聞こえてきた声は、明らかに苦しんでいた。
気づいた私は逃げるのを辞める。
静かな夜に耳を澄ませば、誰かの呼吸音がより大きく聞こえてくる。
明らかに乱れているのがわかった。
それもかなり弱っている。
恐怖がないと言ったら嘘になる。
だけど、気づけば私の身体は勝手に動き出していて、音がするほうへと駆け寄っていた。
「だ、大丈夫……ですか?」
恐る恐る木の裏を覗き込む。
そこには一人の男性が座り込んでいた。
私は一目で、彼が誰なのか理解する。
「ユ、ユリウス殿下!?」
ユリウス・ユークリス。
この国の第二王子様の顔を見間違えるはずもない。
ただ、私が見たことのある彼とはいささか違う。
半身に見たことのない黒い模様が広がっていた。
「お、お前は……」
「わ、私はフレア、宮廷魔導具師です!」
「魔導具師……こんな時間まで宮廷に残っていたのか……誤算だったな」
「何があったんですか! この模様は……」
殿下は苦しそうに胸を押さえている。
心臓が苦しいのか、呼吸が苦しいのか。
もしくはどちらも、か。
一目で深刻な状況であることは察しがつく。
「い、今人を呼んできます!」
「やめろ!」
殿下が私の腕をがしっと掴む。
その手から尋常ではない高熱が伝わってくる。
「余計なことをするな。このことは……誰にも言うんじゃない」
「ど、どうしてですか? すごい熱です。明らかに何かの病気にかかっているのに」
「病気じゃ……ない。これは……呪いだ」
「呪い?」
「そう……だ。ぐっ……」
「殿下!」
痛みがひどくなったのだろう。
殿下が掴んでいた私の手を放す。
私は咄嗟に、落ちる殿下の手を握った。
指先から感じる高熱は、およそ人間が耐えられる体温の限界に近い。
このままだと命にかかわる。
「俺のことは……いい。忘れて、もう帰るんだ」
「……できません」
「なにを……」
「こんなに辛そうな人を……放っておけるわけないじゃないですか!」
私は殿下の手を引き、肩に腕を回す。
非力な私にとって、成人男性一人を支えるのはギリギリだ。
それでも無理やり起こす。
「失礼します。無礼をお許しください」
「な、なにをするつもりだ」
「私の研究室に行きます」
この症状が本当に呪いなら、あの魔導具が役立つはずだ。
研究室まで到着すればきっと元気になる。
だから――
「もう少し我慢してくださいね」
「……ああ」
少し軽くなった気がする。
殿下の両足が、私の動きに合わせて動いてくれる。
歩くスピードを増して、私と殿下は研究室に向かった。
明かりの消えた研究室に入り、殿下を簡易ベッドの上におろす。
硬いベッドで寝心地は悪いけど、今は我慢してもらおう。
部屋の明かりをつけてから、棚から魔導具を探す。
「えっと、あった!」
見つけたのは銀色の腕輪。
それを殿下の右上に、模様が広がっている側に装着する。
「これで……」
魔導具が効果を発揮する。
半身に広がっていた黒い模様が、徐々に薄れて消えていく。
代わりに腕輪が黒く変色していった。
まるで、殿下の呪いを腕輪が吸収するように。
「……っ、はぁ……」
「殿下」
「痛みが……薄れてきた」
「よかったぁ」
予想通り、ちゃんと効いてくれたみたいだ。
ホッとした私は近くの椅子に腰をおろす。
反対に殿下がベッドから起き上がり、模様が消えた右手をグーパーして確認する。
「この腕輪のおかげ……なのか?」
「はい。それは呪いを和らげる効果を持った魔導具なんです」
「魔導具? そんなものがあるのか」
「はい。呪いは特殊ですが、大元は同じ魔法ですから」
呪いには種類がある。
殿下の受けていた呪いは、身体を対象に広がるタイプだろう。
この手の呪いは、呪いをかけた相手をどうにかしない限り収まらない。
だけど、呪いの進行を抑えることはできる。
「その腕輪は、呪いの対象を広げてくれるんです。今の殿下の身体を、呪いは腕輪が九、体が一という割合で認識しています。対象が広まった分、呪いの効果が薄まったんです」
「よくわからないが、完全に呪いが解けたわけじゃないんだな?」
「はい。呪いの解呪は発動者にしかできないので……申し訳ありません」
「いや十分だ。おかげで身体が軽い。痛みのない夜を過ごせるなんて久しぶりだよ。この呪いは、夜に進行するみたいだからな」
時間帯を指定した呪いの進行。
殿下の話から推測するに、毎晩呪いが進行し、いずれ全身をあの模様が覆ったとき……完全に発動して死ぬ。
そういう呪いなのだろうと考える。
「助かったよ。フレア、だったか? 君は命の恩人だ」
「い、いえそんな。私は偶然居合わせただけですので……その、無礼なことをしてしまい申し訳ありません」
「無礼なんてとんでもない。君の人を助けようという行動は、この国の王子として誇らしいよ。こうしてすぐ対処もしてくれたし、君は優秀な人材だね」
「優秀……」
なんだか久しぶりに言われた気がする。
「俺のほうこそすまなかった。強い言葉を使ってしまって……ただ、このことは誰にも言わないでほしい。それだけは約束してくれないか?」
「ど、どうしてですか?」
「ふっ、一国の王子が誰かに呪われた……なんて、知られたら大事だろう? 父上たちも心配する。俺は……誰にも心配をかけたくないんだ」
「だから中庭に……」
苦しんでいる姿を、他の誰にも見られないように。
この人は……。
「どうして、呪いなんて」
「さぁな。まぁ、俺を恨んでる人間はたくさんいるだろ。王子なんて立場は嫌でも注目されるし、悪人たちからは敵視される。できるだけ早く呪った相手を……ところで、君はどうしてあそこにいたんだ?」
「え、あ……それは、仕事で」
「仕事? もうっとっくに終わっている時間だろう?」
それはそうなのだけど、私にも事情がある。
特に今日は、いや昨日はいろいろとあったから。
「はぁ……あ、すみません!」
殿下の前で溜息をつくなんて。
自分で抑えきれないほど弱っていることを自覚する。
そんな私を見て、殿下は優しく微笑む。
「フレア、俺にできることはないか?」
「え?」
「君は命の恩人だ。何かしてほしいことがあれば言ってほしい。俺にできることなら叶えたい」
「そ、そんな、私は……」
「いいから。遠慮なんてしないでくれ。素直に、思ったことを言ってほしい」
素直に……。
私の望みはなんだろう?
カイン様ともう一度婚約者に戻りたい?
ううん、違う。
一度でも不倫していた人なんて、今さら婚約者になりたいとは思わない。
仕事量を減らしてほしい?
嬉しいけど、その後が怖い。
きっと私に対する風当たりは一層厳しくなるだろう。
いろいろと思い浮かんでは消えていく。
畢竟、私がほしかったのは――
「お休みがほしいです!」
「……休み?」
「はい」
ただ、心と身体を休める時間がほしかった。
それだけでよかった。
「休みならあるんじゃないのか?」
「一応……ありはします」
「……まさか、休みの日も働かされてるんじゃないのか?」
「あ、あはははは……」
私は笑ってごまかした。
すると殿下は怖い顔をする。
「笑い事じゃないぞ」
「す、すみません」
「いや、君に怒っているわけじゃない。魔導具師だと言ったな? 他の者は? 君だけ残っているのは?」
「あ、えっと……」
殿下はぐいぐい質問してくる。
どう答えればいいのかわかわらず、私はオドオドする。
「何かあるんだな?」
「いえ、そんな」
「いいから、本当のことを教えてくれ」
「……はい」
結局、殿下の圧に負けてすべて話すことにした。
今日起こったこと。
それ以前から続いていることを。
話すつもりはなかったけど、話してしまえば止まらない。
思うところしかないから、次々に愚痴が出てくる。
「なんだそれ! 思いっきりパワハラじゃないか」
「あ、やっぱりそうなんですね……」
「自覚なかったのか?」
「……多少は思ってました。でも、期待してるからって」
殿下は大きくため息をこぼす。
「あのな、無茶な仕事を与えられることは期待って呼ばない。どう考えても君への嫌がらせだ。よく四年も耐えたな」
「あははは……そうするしかなかったので」
「婚約破棄の件もだ。怒ってよかったんだぞ?」
「怒れない……ですよ」
失望させてしまったことは事実だ。
カイン様も、最初から冷たかったわけじゃない。
そうさせたのは私だ。
もっと早く相談していれば……とか、もう手遅れなことを考えている。
「そうか? 俺は、君のことをちゃんと見ていなかっただけな気もするけどな」
「そう……でしょうか」
「まぁ、君がどう思うかは君の自由だ。ただ少なくとも、君が今置かれている環境は普通じゃない。それだけは事実だ」
「……はい」
わかっている。
私が、多くの人から嫌われていることは。
嫌というほど思い知らされた。
またあふれそうになった溜息を、ぐっと堪える。
「……よし、決めた。フレア、明日荷物をまとめておけ」
「え……? 荷物って、まさかクビですか!?」
本音を話したから、王国に反感を持っていると思われた?
急にクビになったらどうやって生きていけばいいの?
「違う違う。むしろ昇格だ」
「しょ、昇格?」
「ああ、たっぷり休みもとれるぞ? 期待していい」
私は首をかしげる。
その意味を知ったのは翌日のことだった。
◇◇◇
「本日を以て、フレア・ロースターを第二王子付き特別宮廷魔導具師に任命する……」
「とのことです」
朝、私のもとには一通の任命書が届いた。
そこに記されていた内容を、所長が読んでいる。
第二王子付き、つまりユリウス殿下直轄の魔導具師になるということだ。
「そういうことなので、今度私への仕事がある際は殿下に一度通してください。この研究室もお返しします。殿下が新しく用意してくださるそうなので」
「な、なんなのこれは? 一体どういうこと?」
「それは私にもわかりません」
殿下から私へのプレゼントだ。
本当は知っているけど、殿下から呪いの件も含めて口留めされている。
何より、この人はもう私の上司じゃなくなった。
話す必要はない。
「今までお世話になりました」
私は深々と頭を下げて挨拶をする。
「ま、待ちなさい! まだ仕事が残っているでしょう!」
「昨日までの仕事は終わらせました。今日からの分は、先に殿下を通してください」
「通常業務もあるのよ!」
「それも、殿下が今度は判断してくださいます。その任命書にも記載されているはずです」
これまでの業務は他の宮廷魔導具師へ引き継ぐこと。
本日より実行する、と。
ちなみに代わりとなる魔導具師には、所長の名前が記されていた。
もちろん、殿下からの指示だ。
断ることはできない。
立ち去ろうとする私を所長は必死で引き留める。
よほど私の仕事を代わりにやりたくないんだ。
「待ちなさい! 自分の仕事を押し付けるなんて無責任だと思わないの?」
「それは申し訳ないと思っています。ただ……」
これを言うのは、少々意地悪だろうか。
でも、せっかくの機会だ。
言ってしまおうと思う。
今日まで耐えた分を一気に、うっぷんを晴らすように。
「私一人の仕事程度、所長なら難なくこなせてしまいますよね? だって所長は、この国で一番優れた魔導具師なんでしょう?」
「っ……フレア……」
「お疲れさまでした。何かあれば、殿下にお伝えください」
そう言って扉を閉める。
四年間お世話になった研究室に別れを告げ、宮廷から王城へと足を運ぶ。
先に教えてもらった部屋に向かい、深呼吸をしてから扉を開ける。
「ようこそ、新しい研究室へ」
部屋の中で、ユリウス殿下が待ってくれていた。
新品の研究道具に、きれいに掃除された部屋。
宮廷の研究室よりも一回り広くて、隣には私が暮らすための部屋も用意されている。
もう、ロースター家の屋敷に帰る必要はない。
宮廷で頭が痛くなるような激務に追われる心配もない。
ここで、彼のもとで働ける。
朝起きて、仕事をして、定時には終わってゆっくり休む。
休日だって定期的にある。
そんな普通な生活が送れるようになる。
「どうだ? 気に入ってくれたか?」
「はい! 最高の気分です!」
この日を境に、私を取り巻く環境は大きく変化する。
これは一人の天才魔導具師が、無自覚に人を、国を救う物語。
その始まりである。
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