第1話 第二の人生の幕開けは
…ここ、どこだろう。暗く、冷たい場所だった。どこからともなく水が流れて、それが足元を満たし、足場を作って、ボクを中心に波紋が広がっている。
「…あれ?ボク、何してたんだっけ…」
ボクは、ここに来るまでのことをさっぱり覚えていなかった。ただわかるのは、ここが清閑で、神秘的な場所ということだけだ。目を閉じて、水がせせらぐ音を聞くだけで、心が洗われる気がした。無意識に、右手首に視線を落とした。プラチナ製で、花の透かしが入っている少し大ぶりの腕輪が目に入る。ああ、これは姉さんからの大事な…。ぼんやりと、一番大事なことを思い出しかけた時だった。
「…おや、また人かナ?今日は忙しいナァ」
陽気で野太い声が聞こえてきて、細い目の背がひくい中年ほどの男がニコニコ笑いながらこちらに歩いてきた。頭にはボロボロのベレー帽をかぶっており、胡散臭さを漂わせる細縁のサングラスをかけている。見事なちょび髭をはやし、おろしたてのようなスーツを着ているのにジャラジャラしたネックレスを首にかけている。見るからに胡散臭い。そしてそのあからさまなまでの胡散臭さがさらに滑稽な感じをかもし出していた。だが、何か男から滲み出る不思議な雰囲気のせいで笑えない。その胡散臭い男がどこから出現したのか、ボクには全くわからなかった。ただわかるのは、男が歩くたびに足元に波紋が広がっているということだけだ。ゆったりと、しかし朗らかにこちらに歩み寄ってきた。
「…あなたは?」
「うーん…言うなれば、僕は世界の分岐点を見守っている存在だヨ」
見た目に違わず胡散臭いことを言う。
「つまり神様?」
男は少し考えた。
「うーん…まあ、人から見たらそうだろうネ」
ボクは言った。
「それで、なんでボクは神様みたいなあなたがいる場所にいるの?」
「もしかして、記憶がないのかナ?」
ボクが頷くと、男は胡散臭いサングラスの縁をクイッと親指で押し上げながら、男は神妙な面持ちで言った。
「非常に伝えづらい事実なんだけどね…君は、死んだんダ」
「…えっ?」
「……」
死んだ?ボクが?
「…嘘、だよね?」
「こんな胡散臭い見た目だけど、僕はこれまでに一つしか嘘をついてないし、これから嘘はつかないつもりだヨ」
一つはついたことあるんだ。ボクは疑問を投げかけた。
「じゃあ今、あなたと話しているボクは…?」
「君の魂…いわゆる純粋な心そのものサ。まあもっとも、君がいた世界の肉体と同じ見た目にしようと思っても原型がないぐらいにぐちゃぐちゃになっててネ…男か女かもよくわからなかったけど、神通力で読み取った君の潜在意識から考えて肉体がこうだったかなー、みたいな想像から、適当に体を再構築させてもらった、いわゆる新しい体なんだけどネ。君という人間に少し興味が出ててネェ。こうして招かせてもらったヨ」
ボクは男と話しているうちに、頭痛がしてきた。生々しい記憶が、頭の中に流れ込んでくる。眼下に広がる黒い砂、迫りくる尖った岩、耳元で唸る風、そして体を貫かれた時の虚脱感を伴う痛み…それが、ボクが死んだ理由の全てだった。そうだ、確か崖で足を滑らせて…でも、なんで崖なんかに………?これ以上思い出そうとすると頭痛がひどくなりそうだったので、やめた。
「…思い出してくれたかナ?顔色が悪いが、大丈夫かイ?」
「う、うん…」
ボクは死んだという事実がまだ信じられなかったが、この男の言うことは信用できそうだった。姉さんも、『とにかく行動しないと先の見通しはつかない』と言っていたし、とにかく信じる方針で行動することにした。
「ちなみにここで生き返るって言うこともできないことはないけど、さっきも言った通り前世の君の肉体は原型がわからないぐらいぐちゃぐちゃになってて使い物にならないから、その選択肢はないと思った方がいいと思うヨ。…ところで君、生きることに未練はあるかイ?」
「…未練?」
…生きることに未練はある。それこそ果たしきれないほどに。
「…ある」
ボクは詰まりそうになる息をなんとか喉から送り出し、かろうじて口を開いた。男はすぐさま、返事をした。
「そこで君に相談なんだが、君に僕の作った世界を体験して欲しいんダ」
「あなたが…作った世界?」
「そう、つまりは異世界サ」
胡散臭い男は、両腕を広げる。まるでそれは、世界の全てを受け止める彫像のようだった。一挙一動胡散臭い。
「…うん、行ってみたい…かも」
幸か不幸か、ボクは生前の記憶をほとんど取り戻していた。…悲しきかな、引きこもりでフレンドレスだったことも。
「そうカァ、嬉しいヨ」
神通力で意識を読み取るなんてことをさらっと言って退けた割にこちらの心境を全く察する気配もなく、男はサングラスの下で、ただでさえ糸のように細い目をもっと細めた。もはや一本のシワにしか見えない。
「それじゃあ、そうだナ、私が五十番目に作った世界がちょうどいいだろうネ。他にも君と同じように未練を果たすべく異世界転生してきた旅人たちが集う世界サ。ただ、この世界は割と命懸けで…」
「そこがいい」
男は少し顔をしかめた。
「人の話は最後まで聞こうって教わらなかったのカ?本当に命懸けだゾ?ヘタしたら秒で死んじゃうヨ?」
「聞いてるよ。でも、そこがいい。人って切羽詰ってる状態の方が素が出るから。嫌でも本質が見える世界の人の方が、やっぱり信用できると思うんだ」
男はちょび髭を触りながら、にっと笑った。
「…了解、君の行き先は僕が五十番目に作った世界…『エンフィニ』だネ。それじゃ、先にディバインパネルを作ってもらおウ」
「何、そのすごい中二病な響き」
「なーニ、大したものじゃないヨ。君たちのいた世界でいうスマホやパスポートみたいなものさ」
「…なるほど…?」
「先に、君は異世界でどんな名前で過ごしたいか、決めてくれないカ?」
「うーん…」
ボクはちょっと考えた。そして、やがて言う。
「…リンネ、かな?」
「ふーん…なんでそんな名前にしたんだイ?」
男は少し気になったように言った。
「一回死んで異世界に行くってことは、輪廻転生だって思って。…おかしかったかな?」
なんとなく、この名前がしっくりきたわけだ。
「いや、別にその名前が珍しいってだけで全然大丈夫だヨ。それじゃあ、ディバインパネルの色は何色がいイ?」
「やっぱり、赤かな」
「いかにも言いそうだネ」
「えっ?」
男は人差し指をピンと立てた。
「スポーツ万能で人とも積極的に関わり、男勝りで、友達も多かった前世の君なら、そう言うと思ったからネ」
「すごい、ことごとく事実と逆のことをしゃべっている」
あとなんだよ、男に対して男勝りって。
「あてずっぽうって当たらないナァ…まあ冗談はともかく、ディバインパネルを生成するから、ちょっと待っててくレ」
それは、一瞬の出来事だった。男が目を瞑ったかと思うとボクと男の周りに水の柱が無数に立ち、それらが空中で巨大な一つの水の玉になる。それは圧縮したように掌サイズになり、男の手に収まった。
「えっ?えっ…?」
ボクが困惑していると、男は圧縮した水の玉を両手で引き伸ばしたりしてスマートフォンのような薄さ、形、大きさにし、それを右手で持つともう反対側の手をあてがった。すると、それまでただの水の板だったものが唐突に光を帯びた。色はバラのような赤で、ボクが一番好む色だった。しばらくして光が四散すると、そこには真っ赤なスマートフォンぐらいの大きさと薄さの白い魔法陣のような模様が入った石板があった。最後に男の手から親指の爪ほどの大きな宝石が飛び出し、ディバインパネルの裏側に散りばめられるように入った。ちょうど、魔法陣のような模様の中心だ。
「はい、完成したヨ。これは自分のステータスを見たり、スキルを取得したり、仲間とやりとりをしたり、その他諸々の機能は自分で確認してもらうとしテ…。何よりこの世界で生活するのに絶対必要なアイテムだから、何を間違っても絶対になくしちゃダメだゾ」
「うん、わかった。適当にポケットにぶち込んでおくから安心してよ」
「たまらなく不安な回答ダ。…じゃ、最後に僕から神からの贈り物…ユニークスキルとギフトを授けるとしよウ。強力な武器だネ」
「ユニークスキルに武器!?」
異世界ファンタジーっぽい響きに心が躍った。と、思うと、唐突に何かが空から降ってきたのである。明るいカラーで塗られた鉄製の箱にガラスカバーがついており、その中には無数のカプセルが入っている。…え?これって…
男がおどけた調子で言う。
「一回100円だヨーン」
「…ふざけてるの?」
さっきのディバインパネル授与が神秘的だっただけに、余計にこれがジョークか何かに見えてしまう。
「神様のジョークだって、そんな怖い目で見ないでくれヨ。スキルガチャは無料だかラ!」
「無料でも結局ガチャから出てくる仕様なの!?」
神から授けられる、その人しか持ち得ないユニークスキルがガチャから出てくると言うのは些かロマンが足りない気がする。運任せでその人を象徴するスキルが出てくるっていうのもどうなんだ…。
「いいから、回して回しテ」
男が急かしてくる。
「うーん…わかった」
いまいち納得いかないけど、ユニークスキルがもらえるのはありがたい。
「ハズレスキルもあるから気をつけてネ」
やっぱりいけず神様だった。こうなったら、激レアを引き当ててやる!
「先に言っておくけど、ボクはその場にいる人が多ければ多いほど運が良くなると言うナゾの体質を持っている。ボクは実質、すでにユニークスキルを一つ持っているんだ」
「…つまり、これで二つ目のユニークスキルが手に入ると言いたいのかナ?」
「そう、最悪ハズレスキルが来てもすでに持っているこのスキルでなんとかやっていけるはずなんだ」
ボクは絶対的な確信を持ちながら、ガチャのハンドルに手をかけた。黙って、目を瞑ってみる。…世界中の運気がボクに流れ込んでくる気がする。ボクの体が金色の運気で重くなり、何をどう回せば当たりを引けるかが見えてきた。ボクは、目をゆっくりと開いた。目の前の景色が運の色の金色に輝いている気がする。絶対に、当たりを引ける自信があった。
「よーし!」
ボクはガチャのハンドルを全力で回した。
「ああっ、そんなに力強く回しチャ…!」
男が焦った声を出す。ハンドルが弾け飛ぶのと、コロンと一つのカプセルが落ちてくるのとが同時だった。やばい、つい剣を振り抜く感覚で…
「あ…ごめんなさい」
「いや、いいんだヨ。創造魔法使えばすぐに復元できるかラ。
…気を取り直して、そのカプセルを開けたら、スキルが取得できるヨ」
「うん、わかった!」
ボクはカプセルを少し捻って開けた。途端に眩しい桃色の光がボクを包み込み、どこからともなく声が聞こえてきた。
『ユニークスキル、〈ヒロイン〉を取得しました』
「……………はい?」
信じられない文言が聞こえた気がする……。ボクは本気で、自分の耳を疑った。
「うーん…正直君ならこのスキル、素質は十分そうだしいらない気もするけどネ。まあひとまず、君の異世界でのスキルはこれだから、よろしク」
「いやちょっと待って、これ絶対に取得させる人間違えてるから!」
ボクは思わずツッコミ調で返す。…っていうか何だよ、ボクにあるヒロインの素質って!ボクは男だ!ヒロインだなんて断じて認めない!
「で、スキルがこれで、ギフトの武器がまだ渡せていないだロ?」
「無視するな!」
「ん?むしろ嬉しくないかイ?」
嬉しくないし衝撃が大きすぎて何も考えられない。
「ユニークスキル〈ヒロイン〉は常時発動スキルの中でもかなり上位に位置する、本当にヒロインとしての魅力が身につくというものダ。戦闘での補正が大きくなるし、世の男を夢中にすることだってできル。ちょっとした動作でも可愛く見せることができるんだゾ? それに、条件によってはレベル三桁分のステータスを覆すほどのパワーも発揮できる反則級の性能だってあル」
…まあ、話を聞く限り損なスキルではなさそうだ。だとしても男に取得させるユニークスキルではないだろ…
「…なるほどね。で、ギフトっていうと?」
「そうだなあ…立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花の君にはこれとかかなァ?」
それは可憐な女性に対する褒め言葉なんだよ。ボクの思考をよそに、男は手から赤い炎を呼び出した。…見た目が胡散臭くなかったら、かなり格好がついたと思う。三段の白い魔法陣が浮かび上がるとともに、炎が剣の形を形成し始めた。銀に煌めく星のような光が集まり、魔法陣は太陽に等しいほどの輝きを纏った。ボクが眩しさに目を細めたその時、刃の刃渡りが拳一つ分ぐらい、長さはボクの身長と同じぐらいの剣が完成した。…バスタードソードだ。刃は太陽のコロナのように白く眩しく、でも水鳥の羽のように軽やかな光を放ち、剣身は真っ赤な溶岩のようにギラギラと光る剣だった。炎からさらに鞘が形成され、剣を収めるとボクに向かってゆっくりと飛んできた。ボクはそれを両手でそっと受け止めた。まだ少し暖かい感触で、金属質な触り心地とは裏腹に少し安心感を与えてくれる感じだった。と、不意に剣を支えていた無重力感が糸を切るようになくなった。瞬間、モロにその重量がボクの手にのしかかってきて、ボクはバランスを崩した。
「おっ……も…!」
「綺麗な花にはトゲがあるというからネ。威力重視の剣にさせてもらったヨ。ストレージの使い方を教えてあげるから、レベルアップしてから軽々持てるようになるまではひとまずはそれにしまっておいたらいいと思うヨ」
そして男は、ディバインパネルを3秒間かざすとそのアイテムをディバインパネル内にあるストレージにしまえるということを教えてもらった。
「ストレージの最大容量は50個まデ。レベルアップでもらえる特典に、ストレージ容量増量なんかもあるから向こうに行ったら確認するといいヨ。ディバインパネルの画像をタップしたら、すぐに取り出せるからネ」
「ありがとう…って、ストレージにしまったはいいけど、出てくるのは見た目だけで名前が出てこないよ?」
ボクが言うと、男は横からディバインパネルを覗き込んだ。
「ああ、そう言うことカ。ちょっと待っててくレ。さっき作った新武器だから、登録がまだだったんダ。そうだなあ…何かアイデアでもあるかイ?」
急に話題を振られて、ボクは戸惑った。
「えーっと…火から出てきたし、インフェルノとかどうかな?」
「地獄の業火ってヤツだネ。オーケー、登録しといたヨ。ついでに、君が最初から持っていたって言うユニークスキルも〈ハンドレッドアイズ・ラッカー〉として登録したからネ」
なんの神秘的な展開もなく、ボクの思いつきでインフェルノという名前を付けられた剣であった。そしてなぜか、ボクのユニークスキルが登録されたらしい。
「それでこの剣、戦闘で使えるの?」
「ああ。鞘抜けるならネ」
男が意味深なことを言う。
「…そりゃあ、抜けないと使えないよね?刃物だし」
「違う違ウ。そもそもレベルあるいは魔力と筋力が一定以下だと抜けないんだヨ。最悪ギフトを使えずに戦闘する羽目になるかもネ。まあ武器タイプのギフトは正直チートすぎるところはあるし、それぐらいの基準は設けなきゃいけないんだヨ」
男は苦笑しながらそう言う。
「ねえ、試しに抜いてみていい?」
「いいヨ。そもそも持つこともままならなかった君がその剣を抜けるかどうかと言う話だけどネ」
なんかそう言われると腹が立つなあ。よし、抜いてやる!ボクはストレージに入っているインフェルノをタップした。瞬間、ボクの目の前に結構大きい赤色の魔法陣が出てきて、そこからインフェルノが出現した。ボクは慌てて護拳があるその柄を握る。魔法陣はそれで消えて、ボクの手に強力な剣を残した。インフェルノはずっしりしていたけど、耐えられないほどじゃない。ボクはインフェルノの鞘に手をかけると、力を込めてみた。相変わらずあったかい感触。でも、どれだけ力を入れても鞘からインフェルノが抜けることはなかった。
「…やっぱり今は無理そうだネ」
「…………」
がくり。ボクは落胆した。
「…大丈夫、レベルアップしていけばステータスも変わるし、それでいつかは抜けるようになるヨ」
ポンとボクの背中を叩いた。
「まあ、頑張ってくレ!乙女は青春を謳歌するんダ!」
「……えっ、乙女?」
ボクはぽかんとしてしまった。…いや、ボク男だし。今まではっきり明言されていなかったからからかっているだけかと思っていたけど、今はっきりとボクのことを女の子だと思っていると思える発言をされた。
「えっ………?」
男の方もぽかんとしている。
「いや、今まで女の子と話しているつもりで話を進めていたんだけド…。…転生前の遺体からもなんかそういう…オーラ?みたいなのが感じられたかラ…」
うん?確かにボクは、前世の高校生時代は年齢の割に高くて可愛い声で(親からそう言われた)、同級生からは女子みたいだとからかわれた。声帯がいじられた雰囲気はなく、ボクは普通に喋っても違和感はなかった。声だけで女の子と間違われたか?もちろん、それは考えにくい。…なんだろう、すごく嫌な予感がする。
「……その、ごめんネ?」
微妙な間の末に、男が不穏な一言を発する。
「ちょっ、どういう意味ですか!?」
「………もう時間だ、詳しいことは現地で聞いテ!うまく素性を隠して、生き延びてくレ!」
「だーかーら!どういう意味なんですかああああああ!?」
ボクの絶叫も虚しく、光のトンネルが現れて、ボクをストローで吸い上げるように持ち上げていく。ボクの意識は、白い光の中に消えた。