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藍色の花

作者: 南野 暦

幼少期から都内で生活をしてきた俊は本日、成人式を迎えた。時は成人式後の夕刻、これから俊が通っていた「都立北西高等学校」の同窓会が開かれる。初めての同窓会というイベントに周りの同級生がハイテンションになる中、俊はある理由により、同窓会を少し恐れていた。人生に一度しかない「成人の日」を通し、高校時代の後悔と向きあう一人の若者の物語。

1章「鏡に映る僕」


「ごめん、別れよう。」


 数年前、僕が彼女に放った「たったそれだけの最後の言葉」は、「もう会わないつもりだったから言えた」そんな言葉だったと今になって感じる。その当時高校3年生だった僕は、一人の女性を自分の世界から1行で切り捨てた。まるで機械のように、少しの優しさも持ちあわせずに。


『ジャー』

「おいおい、俊。大丈夫か?」


 ふと、その声で現実へ戻される。目の前の蛇口からは、勢いよく水が流れ出ていた。不必要なほどに明るい暖色光と、わかりやすい美しさで取り繕われたトイレの洗面台。目の前の大きな鏡に映る僕は、まだ見慣れないスーツに身を包んでいて、そこに映る自分はまるで、全くの別人であるような気さえした。

 僕に声をかけてくれた蓮は、隣でネクタイを結び直している。彼は高校のときからの知り合いだが、当時からネクタイがうまく結べない。自分のことで精一杯のはずなのに、人のことを心配できるこいつはやっぱり優しいなあと思った。


「ああ、ごめんごめん、大丈夫。ちょっと疲れちゃって。今日、式典午前中からあってさ、長くって。」

「そうだよな。俊、お前の地元も成人式、10時くらいからだった?」

「あー、そんくらいだね。中学んときの先生とかに会って楽しかったよ。」

「わかる、懐かしいよね。それで、どう?中学のときの仲間、可愛くなってた?」


 蓮のその無邪気さに僕は少し笑った。まるで嬉しい時に尻尾を振って舌を出す犬みたいに、テンションの高ぶりがとてもよくわかる表情を彼はしている。

 なおネクタイは一度結べたようだったが、長さがへんてこりんで、彼はまた結び直していた。それに加えて、僕の中学のときの同級生が可愛くなっていたか否かが気になりすぎて、今度はネクタイにさえ集中できていないようだった。絶対次も失敗する。いや、なんか、可愛すぎるなこいつ。


「蓮。おまえってほんと、中学生みたいだよな。」

「うるせーよ、そんなもんだろ、普通気になるだろ笑」

「まあでも、結構みんな垢抜けてて、化粧とかうまくなってて、可愛くなってたよ。」


 僕のその発言に蓮は、大きく口を開けて笑った。


「なんだよそれ笑…分析かよ。」

「分析?」

「感想がロボットみたいだっつってんの。よし!結べた!!行こ!俊!」


 僕はその言葉を聞いた瞬間、目の前の蛇口から流れる水を、どうやって止めれば良いのかが一瞬だけわからなくなった。


(ロボットみたいか…)

 ちょっとわかる。そんな自分が少し嫌いだったりもする。


 僕はもう一度、鏡に映った自分を見る。僕はたまに、鏡に映る自分が実は他人で、もし僕の知り合いだったとしたら、僕という人間はその鏡に映る人物をどんな人だと認識するのか、考えてしまうことがある。

 あまり感情的なことを言わない、ゲラゲラ笑ったりもしない。そこそこ勉強はできる。特別かっこいいわけではないし、特別運動ができるようなやつでもない。

(よくわかんないよな、そんなやつ。)

 結局、いつもたどり着く結論はだいたいそんな感じになる。なのになぜか、仲良くしてくれる友人が数名いる。蓮もその一人だった。僕には不思議で仕方がなかった。だからこそ、そんな僕に親しくしてくれる友人たちは”本当に優しい”人たちなのだと、いつも思う。

 その時、ふと一人の女性が頭をよぎった。そんな僕を心から愛してくれた人だった。緊張すると顔が赤くなって、嬉しい時は誰よりも笑って、愛を抱いた時はその愛をちゃんと表現できる人。

 そうそれは、今日これから会ってしまうかもしれない人だった。


蓮が、鏡ごしに僕を見ている。


「どーしたお前、今日ちょっと変だぞ。」

「ううん、なんでもない。よし!蓮、可愛くなった子探しに行くぞ!」

「おう!いいね、しゅーんちゃんっ!」


 はしゃぐ蓮に肩をポンッと叩かれ、僕は彼に続いて同窓会会場のトイレを出る。革靴の足音が、大理石の床に響く。ホテルのロビーには、着々と人が集まってきていた。蓮の後ろ姿からは高ぶるテンションが溢れ出ているように見えた。人生で一度しかない成人を祝う今日、はしゃぎたくなる気持ちもわかる。そしてさらに、高校卒業のタイミングから会っていない多くの友人たちと久しぶりに話せる機会でもある。それはきっと彼にとって、この上なくハッピーな時間なのだろうと感じた。

 もちろん僕も、楽しみだった。しかし頭の中には、一抹の不安と緊張があった。




2章「記憶の中の君」


『令和2年度 都立北西高等学校 同窓会』

 正面の壁に掲げられたその文字と、天井の高い大きな一室。煌々と降り注ぐシャンデリアの光と、足元に広がる西洋的な模様が施された絨毯。丸テーブルには高校時代の思い出とは似ても似つかないシャンパングラスと、寿司やステーキ、スパゲッティなどの和洋折衷な食事が広がっている。タキシードを着たホテルマンに、スラスラとお酒を頼む同級生もいた。そんな環境でざっと300人ほどの若者がスーツやドレスに身を包み、立食をしているその風景は、僕にとって想像通りの同窓会そのものだった。

 僕がいるこのテーブルには、蓮を含め高校時代の同級生が6名ほどいた。数回誰かが誰かを呼びに来たり、偶然目があった子が来たりして人が入れ替わりはしたものの、基本的には「久しぶり!」から始まって、大学では何を勉強しているのかとか、誰々と誰々は別れたのかとか、サークルがどうとか、そんな話をしていた。蓮は終始楽しそうで色々なところを行ったり来たりしていたが、僕は基本的にこのテーブルから動かなかった。

 何か特別な意図があった訳ではないが、純粋に動いてしまったら最後、自分の知り合いにたどり着けるまでの孤独な時間が少し怖かった。みんなが僕を見ている訳ではないのに、いや、きっと誰も僕を見ていないのに、そういう恐怖って意外と大きかったりする。

 そしてなんとなく、気付くと彼女を探してしまっている自分がいた。無意識に色々な場所へ視線を走らせてしまう。彼女は来ているのか。来ていた場合、僕がここにいることに気付いているのだろうか。万が一目があってしまったら、それはそれで最後だと言うのに。

 周りには高校卒業から数年の間で、大きく容姿の変わった人たちがたくさんいた。ドレスやスーツを着ていることも関係しているとは思うけれど、やはりその立ち居振る舞いや表情が、大人に近づいている印象を受ける。

 ふと思う。彼女は変わっているのだろうか。別れてからと言うものの、SNSもLINEも絶ってしまった彼女が一体どんな姿をしているのか、考えてみれば僕には見当も付かなかった。

 少しあの頃を思い出す。


___


 付き合いだしたのは、高校2年の冬だったと思う。そう、今からちょうど3年前。同じ体育祭の実行委員をしたことをきっかけに、僕らは親しくなった。告白されたのは人生で初めてだった。その時の会話は良く覚えている。


「俊ってさ、本当は、人と話すの嫌いでしょ。」

「え?」

「友達はいるし、体育祭の実行委員みたいなリーダーっぽいこともできる。でもなんとなく俊って、周りを傷つけないように言葉を発してるよね、いつも。」

「わかんない、そうなのかな。」

「うん。でもね、その優しさがさ、たまにつらい時ってあるんだよ。」

「なんで?」

「心を開いてくれていない気がするから。」


 彼女は12月の放課後の教室で、一緒にテスト勉強をしているさなか、僕にそう言った。その日は息がはっきりと白く色付く、とても寒い日だった。この20年間で、内向的な僕に内向的だと言ってきたのは彼女が最初で最後だった。


「そう言う風に見えるんだな、おれって。」

「うん、壁を感じるの。すごく厚い壁。俊が自分で自分だけを収容してる厚い壁。その中にきっとほんとの俊はいる。でも私たちは、その厚い壁の外にいるから、ずっと俊に会えていないの。」

 彼女はすらすらと、そう告げた。まるでずっと考え続けて、その上でなんども練習してきたような、そんな言い方だった。彼女は続ける。


「体育祭実行委員、一緒にやってさあ、俊と。ちょっと私、惹かれたのあなたに。なんでだろう、わかんない。でも、もっと君のこと知りたくなったの。それって、好きってことなのかな。私、壁の中にいる俊に会いたい。」


 誰もいない教室だった。隣の机にいる彼女を見ると、彼女は顔を真っ赤にしながらカリカリとシャーペンを動かしていた。目は合わなかった。彼女は勉強するフリをしながら、僕に告白をしてくれた。決して一方的ではない、暖かい告白だった。

 そんな彼女を見て僕は、感じたことのない人の温かみを受け取った。純粋に可愛いと思った。だけどその当時、明確に僕の心の中で彼女を好きだと思う気持ちには至っていなかったことを覚えている。きっとそれは変化すると思って、僕は告白を引き受けた。

 その放課後の帰り道、僕は初めて彼女と手を繋ぐ。

 寒かったのか緊張でなのかはわからないけれど、彼女は少し手が震えていて、嬉しそうに、そして恥ずかしそうに下を向いてしまった。だから表情はうまく思い出せない。だけどその瞬間は僕の中で、彼女の印象が大きく変わった一瞬だった。クラスでは天真爛漫で、僕が夜なら君は太陽みたいな人だった。だからびっくりしたんだ、あまりにもその反応が、冬の月のように繊細だったから。

 そう彼女は、僕を好きでいてくれた。きっと最初から、たぶん最後の最後まで。


 全ての問題は僕の心だった。僕に惚れている彼女と、最初から君に惚れていなかった僕で、愛の天秤には大きな差があった。そしてそれはどんなに気持ちに整理をつけても、好きな理由を探しても、僕には補うことができなかった。


 抜け落ちてしまったピースのように、どこを探しても見つからない愛の理由。

 無くしたパーツがあるように、いつまで経っても完成しない恋人としての僕。

 そしてそれをたぶん彼女は気付いていた。彼女は僕に聞く。


「私のこと、好きになった?私は大好きだよ。」

「うん、好きだよ、もちろん。」


 理由など探す必要もないほどに完璧に僕を愛す君がいる。

 彼女の大好きという言葉を聞いて、同じだけの愛の結晶を天秤にかけられない僕がいる。

 天秤が釣り合っていなければ愛は綺麗な造形を作らないことを、その時に初めて僕は知った。

 彼女が純粋にその愛を育める人で、それを表現できる人で、嬉しい時には顔を赤くする、そんな素敵な人だったからこそ僕は「相手を傷つけてはいけない」という気持ちで「好き」という言葉を語るようになってしまった。


 そして僕は崩れた。僕の壁ではなくて、僕自身が。

 耐えきれなくなったんだ。その愛の重さに。

 最終的に僕は、あえて彼女を傷つけるという選択を取ってしまった。


 僕への幻想が壊れるように、


 もう僕を求めなくなるように。


「あんな奴を好きになるなんて、間違ってた。」

そう思ってもらえるように。


その優しさとは無縁の冷たさで、彼女を切る決意をした。

今思えばそれは”履き違えた優しさ”だったんだと思う。


「ごめん、別れよう。」

「うん、わかった。今までありがとう、楽しかったよ。」

___


 「すみません、シャンパン頂けますか。」

 僕は、ホテルマンにシャンパンを頼む。少し経って運ばれてきた軽いグラス。僕はグッと一口で飲み干した。安くて軽い口当たりだった。周りは「おー俊、飲むじゃん!」とか「いいね!いいね!どんどん飲も!」とか言っている。僕は「いぇーい!」と言って周りに応対する。

 心に空いた小さな空洞に差し込んでくる、儚く冷たい風。

いつも何かを思い出すと、その風がどこからともなく吹いてくる。

僕の神経は無意識に、それに耐え続けることへ集中していた。

なぜだろう、僕が悪いのに、なんで僕が苦しいんだろう。

君はきっと、もっと苦しかったはずなのに。


 そのとき館内アナウンスがなった。そのアナウンスは老人のような細くて柔らかい声だった。

もうあと10分ほどで、同窓会が終了することが告げられる。ざわざわと、人が急に慌ただしくなった。会場にいる全員が、周りを見ることよりも自分の身支度や次の2次会をどうするかなどに意識を集中させ始める。そういう時間はいつも、誰も僕を見ていない気がして、気持ちが楽になる。

 僕はグラスをテーブルに置いて、一緒に帰ろうと思っていた蓮を探す。


 その瞬間だった。

 はるか視線の先、記憶の中の君が、そこにはいた。



 最終章「ごめんね」


 たった一瞬、騒がしく行き交う人々の喧騒の中で、たった一瞬だけ見えた彼女の姿。藍色の美しいドレスに身を包んで、上品な一人の女性へと変わっていた君が、誰かと笑いあっていた。ずっと思い出せずにいた君の表情が、鮮明に再生される。僕に見えたその姿は、クラスで明るく振る舞う方の君だった。美しくなっていく人は生き方が良いと言われるように、その生き方が魅力を生んでいるような、そんな印象を受けた。

 彼女がいたという事実が、僕を変化させる。心に空いた小さな空洞に差し込んでくる儚く冷たい風を押しのけるように、その心の内側から「彼女に会わないといけない」というエネルギーが湧き上がってくる。

 僕は走り出した。その情動には自分でも驚いた。たくさんの人の間をすり抜けて、さまざまな色が咲き誇るその花たちに見向きもせずに。藍色をした、たった一本の花に会うために。


 走りながら、思う。君が気づかせてくれたように、自らを壁の中に収容しそこにいつまでもいる僕と、誰かに心を開き愛の言葉を伝えられる君で、そこには大きな人間的な差があったことを自覚する。幾多ものの幸せを自分で手繰り寄せ、幾多もの苦しみを乗り越えて、君は僕より先にいる。


 君がいたはずの場所に、君はいなかった。その時、会場の出口を出て行く君を見つけた。僕はもう一度走り出す。会ってどうするというのだろう、わからない。

 でもただ一言、もう一度だけ、ちゃんと謝りたかった。


 会場の外、

 僕は君に追いつく。

 冬の夜、月は繊細な光を届け、空気は冷たい感情を持ち合わせていた。


  僕は彼女の名前を呼んだ。

 2年以上、口にすることのなかった、その名を。

 彼女は振り向く。一瞬、たった一瞬だけ君は、驚いた表情を見せた。

 2年越しに見た君の姿は美しかった。

 人として咲き誇る魅力が、そこにはあった。

 藍色のドレスはよく似合っていた。

 何から話して良いか、瞬間的に僕はわからなくなる。

 たった一言だけ、君に伝えたかった「その言葉」を思い出す。


 しかし、先に口を開いたのは、君の方だった。


「ごめんね、俊。」


 そこに響いた波形は、君から僕へのものだった。


 そして君は、満面の笑みで微笑んだ。


 君はそれだけを残して、消えてしまった。


 彼女の最後の笑顔が、僕の脳裏に咲き誇る。

 

 君がいったい、何に謝ったのか。

僕にはそれが、すぐにはわからなかった。



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