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壱之章 『出立の日』

記紀やその他の一次資料を参考にはしていますが、フィクションや創作、独自の解釈が多分に含まれます! ご注意ください!

 

よろしくお願いします!

   ☽



 我はもよ ()にしあれば ()()て ()は無し ()()て (つま)は無し

 (古事記上巻・神語(かむがたり)五番より抜粋)



   ☽



 綾錦(あやにしき)の山の(ふもと)に茅葺き屋根がある。大倭(おおやまと)豊秋津島(とよあきつしま)を一望できるその家の主人、建速波限彦(たけはやなぎさひこ)(みこと)倭建命(やまとたけるのみこと))に次いでこの葦原に名を馳せる副将軍(いくさのかみのすけ)である。凡夫を寄せつけぬ精悍な双眸が望む大地は霞靄靄(あいあい)として日影を運び、(くさむら)の濡色を強めていた。


 払暁、家の戸口に立つナギサヒコの嫡妻(こなみ)豊和加郎(とよわかいらつ)孁媛(めのひめ)は出自を襲国(そのくに)に持ち、熊襲(くまそ)首長の娘として襲国平定のためにナギサヒコに娶られた経緯があった。

 婀娜(あだ)なる(かたち)の誉れ高く、柳眉はしなやかで、唇は紅色に潤っていた。英姿を映した伏し目は春の湖のように澄み、艶やかな黒髪にかかる玉鬘(たまかずら)は、ナギサヒコから贈られた装飾品であった。白く滑らかな真玉手でそれを撫でるイラツメは、暁光を受けて常よりいっそう逞しく、大きく映った夫の背を陶然として見つめた。


 戦場では勇猛果敢に剣を振るうナギサヒコはまた、後妻(うわなり)をつくらない気質でも知られていた。

 いうではないが、この一夫多妻制下、豪族の娘を娶ることで自らの権威を示し、その版図を広げるのが常道である豊葦原にあって、男が、なかんずく副将軍ともあろう丈夫(ますらお)が一夫一妻を貫くという姿勢は中々に奇異な信条であった。唯一の妻を大切に思うナギサヒコとの牧歌的な日々が、イラツメにそれが政略婚であることを忘れさせたのである。


 朝日を浴びていたナギサヒコは、邪な念を感じさせない、イラツメのひかえめな秋波に気づいて振り返った。


「どうした?」


 快活な声音でイラツメに問う。


「ナギサヒコ。ナギサヒコ……」


 譫言(うわごと)のように呟いて、楚々とした足取りでナギサヒコの元へ寄ったイラツメは、しかし夫との(あわい)を埋める最後の一歩を躊躇し、立ち止まった。イラツメの恥じらいを理解したナギサヒコは、爽然(そうぜん)たる微笑を湛えてその(かいな)をイラツメの華奢な肩へと伸ばし、自らの懐へ抱き寄せた。突然の抱擁によりイラツメを襲った当惑と含羞は、ナギサヒコの厚い胸の鼓動を感じるうちに安らいだ。目を瞑ったイラツメの後に残るのは、女としての幸福だけであった。


「心配するな。すぐに帰る」

 

 この日、ナギサヒコはミコトの征軍として出立を迫られていた。しばしの別れを余儀なくされたイラツメは、離別の時を急くような(あけぼの)の空を前に、その心に暗澹(あんたん)たるものを忍ばせたのである。特別な道行きもなくナギサヒコに抱擁を求めたのには、こういう妻としての不安があった。


「はい。私はここで、いつまでも待っておりますからね」



   ☽



 伊勢を出て相模なる森へ入った東征軍は、夜明けと共に(とき)の声を上げると、機先を制して敵軍を圧倒していた。

 ナギサヒコは大量(おおはかり)(剣)を手に獅子奮迅、荒ぶる神のごとき気迫で道を切り開き、進軍を促した。副将の進撃に士気を高めた国造軍は今一度吶喊(とつかん)し、それぞれが矢を引き、剣を掲げ、戦は優勢を示していた。


 天に轟くその猛将ぶりを遺憾なく発揮したナギサヒコは、戦状の上々なことを認めると一度前線を退き、今度は後陣に混じってその進軍を助けた。


 するとナギサヒコの耳が、森のどこからか、甲高い女の悲鳴が響くのを聞いた。


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