ある男の出会い
俺の名前は・・・まぁ、何でもいいだろう。
この世界に沢山いるその他大勢の1人さ。
俺は最近流行りの異世界転生系の話が好きだった。
この世界では目立たないその他大勢が異世界に行ってチートパワーで成り上がる。
現代知識を駆使して様々な物を開発し皆から褒め称えられる。
もちろん良い女も沢山寄ってきて選びたい放題。
ハーレムを作っても許されるって言うんだからたまらない。
毎日同じ暮らしの中で溜まり続ける鬱憤に対して、異世界転生者に自分を投影して鬱憤を晴らすのが日課だった。
ある日、有名な動画投稿サイトを見ているとおススメにVが出てきた。
バーチャルのキャラクターの皮を被り、それに成り切って配信するというこれまた最近流行りのジャンルだ。
俺も人気のVを見ることはあるが大抵はそのキャラクターを維持できない。
しかし、中の人の素とキャラクターのギャップが大きいほどに人気が出ることもある。
そんな中でオススメに出てきたのは、最近異世界からこちらの世界にやってきたという勇者と魔王という設定の2人だった。
なるほど、異世界転生が流行ってる中で逆にこちら側に転移したという設定で攻めた訳か。
異世界好きだった俺は何となくこの2人の配信を追いかけることにした。
最初の頃はパソコン操作・・・というより電子機器に慣れていないのがモロ分かりだった。
そんな中で前の世界ではという話をよくしていて、焦っていても設定を忘れないのは素晴らしいと感じた。
この2人はリアルに一緒に暮らしているらしく、よく2人で配信を行っている。
元々中の人は知り合い同士だったのだろう。
初期から2人はとても仲が良く、てぇてえというコメントがよく流れていた。
敵対すべき勇者と魔王が仲が良いのはどうだろうと思ったが、彼女たちがこちらに来てしまった理由。
それまでの過ごした途方も無い時間。
どちらかが居なくなれば1人取り残されたしまう環境で共依存状態になってしまった事。
全ての話がよく出来ていると思った。
この2人は想像以上に自分のキャラに成り切っているのだなと思い、その頃から2人のファンになっていた。
2人が話す元の世界の話はとても面白かった。
人間の汚さ、文明のレベルの低さ、食事の醜さ。
果てはトイレの事情まで、まるで見てきた・・・いや、実際に過ごしてきたように2人は語る。
そして最後にはこの平和な世界に来れて良かったと言うのだ。
食べたい時に迷うほどに沢山の種類の美味しいものが食べられる状況。
自動的に流し、水洗してくれて柔らかい紙で処理できるトイレ。
毎日お風呂に入り清潔さを保てる環境。
事故などはありはするがある日唐突に命を奪われる事が極端に少ない世界。
こんなに素晴らしい世界なのにわざわざ殺伐とした異世界には二度と戻りたくないという。
その言葉はまるで画面の中の2人が本物の勇者と魔王だと錯覚させた。
この頃から俺たち勇者の仲間、もしくは魔王の配下達は彼女達の話を本当の事であるというスタンスを取り始めた。
もちろん信じた訳ではない。
しかし、そう扱う事で彼女達の語る世界がより近くに感じられたのだ。
ある日の事、彼女達がいつものように異世界の話を語っていた時のことだった。
向こうの世界に繋がっているかもとメッセージを送り出した。
それは心から前の世界の平和を祈るメッセージだと感じた。
気付いた時には俺も真剣に祈りを捧げていた。
あるはずもない異世界のことを祈る自分を滑稽だと思う自分もいる。
それでも祈らずにはいられない何かを感じた。
こうして彼女達の話を信じながらも心の何処かで否定していたある日、決定的なことが起こった。
その日は偶々見たい映画がありお台場まで来ていたのだ。
そこで2人にそっくりな人物を見かけたのだ。
いや、そっくりなどという生易しいものではない。
画面の中から飛び出してきたような2人組みだった。
2人はテーブルに座ってたこ焼きを食べていた。
そこで俺も同じようにたこ焼きを買い近くの席に座る。
そこで改めてマオちゃんを見たのだが、席に座り帽子を脱いだ彼女の頭には二本の角が生えていた。
更にたこ焼きを口に入れるたびに嬉しそうに尻尾が揺れていた。
聞こえてくる会話からは前の世界ではこんな食べ物は無かったとか、こっちの世界に来て良かったといういつもの会話も聞こえてきた。
その時に俺は遂に確信した。
彼女達は本物の勇者と魔王で異世界は本当にあったんだと。
それから俺は異世界物の小説をあまり読まなくなった。
何を読んでも現実味が無くなってしまったからだ。
彼女達の話を聞き、リアルの異世界事情を聞いてしまった以上、向こうに行きたいなどという妄想もしなくなった。
そのかわりにこの世界で真面目に行きてみようともう少し頑張ることにした。
今までチャレンジしなかったものに挑戦しよう。
この世界の素晴らしいものを見つけよう。
そして彼女達に教えてあげるんだ。
この世界には他にもこんなに良いものがあるんですよと。
俺は彼女達のファンのその他大勢の1人だ。
でも、今はその人生を全力で楽しんでいる。