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犬坂毛野(オリジナル落語)

作者: nora

落語脚本調です。

登場人物:()内は発言者名表示時


絵草子版元手代、文吉(文吉)

絵草子版元旦那(旦那)

絵師、綾初寛治(綾初)

文吉の妻(女房)

 最近の本屋を見ますと、漫画本が大変多くありますな。小説などにも漫画の絵がついていたりもして、それをあまり愉快に思わない方もいらっしゃるのではないかと思いますが、落語でよく舞台となる江戸時代。江戸時代でも草双紙、絵草紙などとよばれ大衆によく読まれておりまして、その多くは挿絵が付いたものだったそうですな。子供向けの童話から大人向けの物語まであったそうで、今の私たちが見ましても、字は読めなくとも絵は目を楽しませてくれます。

 江戸時代の大人向けの物語と言うと、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」が有名ですな。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌、八つの玉の犬士たちと言えば、どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか?

妖怪や怨霊も現れ、運命に導かれた若者たちが集う、こういったファンタジー的なものを楽しむ素養が日本人にはあったのでしょうな。

 さて、このおはなしは、このような本を扱う絵草子屋、その版元から始まります。



旦那「文吉、おい、文吉はいるか?」

文吉「はい、旦那様お呼びですか」

旦那「おお文吉、いたか。この間のな、絵師の卯三九斎(うさんくさい)先生の絵だがな、あれは彫師に届けたかな?ん、もう届けました?そうか、じゃあな作家の雨荘八百(うそはっぴゃく)先生の脚本は受け取ったか?それもいただきました。そうか、じゃあほかには…うむ」

文吉「あの、あたしはもういいですか?奥の掃除でもしていましょうか?」

旦那「いや、仕事が早くていいが掃除なんかさせてるわけにもなぁ。…あぁ、そうだ。お前、絵師の綾初寛治(あやういかんじ)先生に会ったことはなかったよな。大変に、絵もお人柄も面白い方だ。たぶん洒落者のお前とは気が合うんじゃないかな?この間お会いしたときにね、お前のことを話したら興味深そうにしていたよ。それでその先生だがね、この間ちょっと臥せっていたんだが、またよくなったそうでね。その快気祝いだ。お前持って行ってくれないか?」

文吉「はい。それでこれは、お菓子でしょうか?」

旦那「あぁ、先生は酒煙草はやらないが、甘いものが好きでね。それをお渡しして、上がって絵を見せてもらったり、茶飲み話でもしてきなさい。先生の気晴らしにもなるだろう。それがすんだら、そのまま帰ってもいいからね。頼んだよ」

文吉「はい、それでは行ってまいります」


 先生宅への道も教えてもらって、文吉が店を出ていきます。


文吉「ごめんくださいまし、綾初寛治先生いらっしゃいますか?ごめんくださいまし」

綾初「おお、はいはい、今開けます。おや、どうも…ふむ、むむむ、もしかしてお前さんは版元のところの文吉さんかい?」

文吉「すみません、名乗りがおくれまして。文吉と申します」

綾初「いや、こちらが先に尋ねて名乗りをつぶしたようなもんだ、こちらこそすまない。なんでわかったって?私のことを筆名で呼んだだろ、それにお前さんの様子が…」


 綾初先生は、文吉を頭の上から足の先まで値踏みするように見ますと


綾初「うん、版元の旦那さんの言ったとおりだ。これは愉快だな。いや、愉快と言ったら失礼か。絵描きはな、美形を見るとどうしても絵にしたくなる。おっと、立ち話もいけないな、さ、おあがりなさい」

文吉「はい、失礼します。あ、こちらお預かりしてきました快気祝いで」

綾初「お、私の好きな菓子ではないかな?これはありがたい。ささ、どうぞ」


 先生のお宅に上がり、文吉はちょこんと座りあたりを見回します。先日まで臥せっていたというのにどこに布団を敷いていたのか、紙や本やらが乱雑に散らばっている。その中にひとつ、場違いに立派な屏風が一帖。それが何なのか、と気になるところですが、自分から聞くのもはばかられる。


綾初「そういえば文吉さん」

文吉「はい?」

綾初「文吉さんはお店でもどこでも、私の絵を見たことはあったかね?」

文吉「いえ、存じておりません。旦那様は面白い絵を描かれると、私と気も合うんじゃないかとおっしゃってましたが」

綾初「うぅむ、面白い絵ではあると自分でも思うがな、気が合うかは…うん、人それぞれなんだが…。私の描いているのはあれだ、春画だ。私は官能派の絵師でな」

文吉「狩野派みたいに言わないでください。それで、あぁ、春画ですか。面白い春画、っていいますと?」

綾初「いやぁ、注文のものも描くが、自分の好き勝手にしたもので旦那さんに表に出せない、と言われたものがいくつもあってな。旦那さんは面白いと気に入ってくれたようだけどね。どうだろう肉筆のお蔵入りのものだが、ひとつ見ていかないか?いや、ご禁制とまでいかないものだ…たぶん」

文吉「どうも言い方が怖いですが…では拝見させていただきます」

綾初「拝見か、うれしいね。うん。この巻物、この絵だがね。ちょっと曰くがある。いや、なに幽霊話とかじゃない。これは、私の十二、三のころかな?ひどい熱にうなされたときに見た夢をもとにしたものだ。その夢を見てスッと熱が引いた気がしたんだな。それで、その、うん、淫靡な夢の光景、その体験をなんとか絵にしたいと、それが私が絵描きを志したきっかけだな。そういう曰くの絵なんだ。いいか?よし、開くぞ」


 巻物をすすすと広げます。


文吉「はあ、これは…三人ですね。三人が並んで…つながって…電車ごっこですか?」

綾初「電車が何かはしらんが、そうじゃない。これはな、一番左のものは陰の気を、一番右のものが陽の気を、真ん中のものが陰陽両方の気を持つ、とそういう図だな」

文吉「はぁなるほど、それで真ん中の人は女の髪形に男の服で、あれがこうなって、これをそうしていると…ところで先生の見た夢とのことですが、先生はどれなんですか?やはりこの右の男でしょうか」

綾初「うん、まぁお前だからいいか、私はな、この真ん中のものだ。無論自分の顔をもとに描いたわけではないぞ」

文吉「えぇそれはわかります。先生は真ん中の、ですか。はぁこの夢の体験、たしかになんでしょう妙な力を感じさせますね。いやいや感服しました」

綾初「わかってもらえてうれしいな。と、そうだ、すまない茶も入れてなかったな。ちょっとそれを見ながら待っててくれ」

文吉「はい、すみませんそうさせてもらいます。しかしこれは、この夢を十二、三で見てしまうとはなかなかに…あ、先生、いえわざわざ、ありがとうございます。(茶をすする)…あの先生、失礼ですがご結婚はされているのでしょうか?」

綾初「このありさま、この仕事ぶり、このお茶出しでわからぬか?…いや、いや、自分でも嫁の来手がないのはわかってる。わかってるが…ふふふ、実はな、最近嫁ができたのだ」

文吉「え、そうなのですか?!それはおめでとうございます。あぁ、病の看病に来てくれた方が?」

綾初「いや、ひどい熱にうなされたその時」

文吉「あれ?」

綾初「わが夢枕に現れた」

文吉「あの…」

綾初「美麗なる女人が」

文吉「はぁ、また夢ですか」

綾初「この女人が夢に現れて、不思議に熱が下がったのだから、きっとこれはまたなにかの導き、この者は私の嫁ではないかと」

文吉「旦那が面白い人と言うわけだ」

綾初「その絵もあるが、見るか?」

文吉「ええ、()()()興味があります」

綾初「そうか。絵はな、それ、そこの屏風だ」

文吉「そこの屏風、なるほどなぁ」


 不釣り合いな立派な屏風を裏返します。


綾初「どうだ、この絵がわかるか?」

文吉「これは…黄色い髪の女ですね、目が大きな、異人ですか?服は破れて、鎖につながれて、苦悶の表情だ…なんですか、地獄の鬼に折檻されてるんでしょうか?あの、これをこの後先生が助けた、とそういう夢の場面でしょうか?」

綾初「いや、違うな」

文吉「ではこの、責めている鬼が先生ですか?」

綾初「それも違う。私はな、その女だ」

文吉「ん、ん~…」

綾初「夢は不思議なものだぞ。私はこの女であったが、ちょうど今と同じように外側からも女を見ていた。これは自分の秘めたる芯の一部と言えるのではないだろうかな。ありていに言えば、どこか知らない場所で、自分でも知らない自分になり、知らない経験をしてみたいと、それが夢として出てきたのだと、私はそう思ったな。目が覚め、屏風を拵えて人と同じ大きさに描いてさらに理解した、真に描きたいもの最高傑作ができたのだと。これこそ、この女人こそ『俺の嫁』であると」

文吉「先生がこの女であり、この女が先生の嫁であるのですか?」

綾初「そうだ、さらに熱の苦しみから産んだ『うちの子』でもある。『うちの子』は最高にかわいくて『俺の嫁』で『自分の一部』なのだ」

文吉「子で嫁で自分、これは複雑なことになってきましたね」

綾初「梵語でな、『あばたーら』を言うものがある。神や仏の化身という意味だな。私はこれが私の化身、『あばたーら』だと思っている。文吉よ、そのうちな、私のように男が女の、そのまた逆の女が男の『あばたーら』を世間に大っぴらに出せる、そんな時代が来るぞ」

文吉「それは興味深いのですが…あの、ところでこの絵はいったいどういった場面なのでしょうか?それも気になります」

綾初「む、そうだな。では今からひとつ演じて見せようか。そんなことができるのかって?できるとも、私自身の『あばたーら』だからな」


 そう言って綾初先生が屏風の裏に隠れる。


綾初「いいか、やるぞ、あーあー、勇敢にして美麗なる姫侍(ひめさむらい)が、邪悪にして醜悪なる鬼小鬼めらに捕まった!正々堂々と戦ってのことか?いやそうではない、そうであったらこの程度の下郎に負けるはずもない、卑怯の数々さばききれずに哀れ捕らわれの身となったのだ!鎖でつながれたその目前に、裏で手を引く悪党が不気味に笑い現れる!」


『や、姫侍、実にいい形じゃあないか、そのまま鬼めらのおもちゃとなれい!』

『おのれ(わらわ)を鎖で縛るとは、何たる屈辱。鬼小鬼めらの慰み者になどなるものか!ええい、いっそ殺してしまえ殺してしまええええええええ…』

『グブブブブブ…ブヒィブヒィ』


文吉「先生すごいですね、落語家になれますよ。あの、ところで姫侍ってなんですか?姫なんですか?侍なんですか?」

綾初「ん、そこに落ちてる胴鎧、南蛮胴だ。それが描かれているだろう?向こうでいう騎士は、わが国では侍ではないか?それに勇敢にして美麗と言ったろう?この娘は身分の高い姫であるが、その一方自ら悪鬼を払い戦いに出る侍である。すなわち姫侍と、そういうことだ。例えるならなんだろうな、うむ。南総里見八犬伝の犬坂毛野ではどうだろうか?あの絵は本当に美しいな」

文吉「里見八犬伝の毛野ですか、なるほど…いや、ですがね、毛野は女装した男ですから逆さまじゃないでしょうかね?女で侍みたいに戦うのは他にあるんじゃないですか?…そうだ、巴御前、巴御前ならぴったりじゃないでしょうか」

綾初「ああ巴御前か、それは失念していた。そうだな、毛野じゃなかったな。…うん、時に文吉さん、里見八犬伝はお読みになっているんだね」

文吉「はい、好きですね」

綾初「おお、そうだろうそうだろう。ひょっとすると好きな犬士はその犬坂毛野かい?」

文吉「そうです、先生よくわかりましたね」

綾初「ん、いや、なにお前さんはきれいな顔立ちだ。それに洒落者だ、そんな気がしたんだよ」

文吉「あ、そうですか、わかります?うれしいなあ。もうちょっと八犬伝の話でもしましょう」


 てなもんで、二人はその後しばらく本の話などをしまして、日も暮れてきたあたりでそろそろと、文吉さんは家に帰ることにしました。


文吉「おっかあ、今帰ったよ。いやあ今日は面白かった」

女房「あらおかえりなさい。何があったの?」

文吉「うん、まぁ詳しくは言えないんだけどな、絵師の先生が店の旦那に聞いた通り面白い人でね、陰で陽の嫁さんで子供で自分の巴御前だってんだ。変わった人間もいるもんだと思ったよ」

女房「変わった人間ねえ…そういうのはあたしは珍しくもないと思うけど」

文吉「そうかい?屏風に隠れて一人芸で男女化け物三役を演じ分ける、落語家のようなこともできる珍しい芸達者だったよ」

女房「うん…ねぇお前さん、とりあえず家に帰ったらそのカツラを外したらどうだい?」

文吉「あぁそうだな」


 と、文吉さん今までつけていた()()()カツラを外します。


女房「あとね、あたしの娘時分の振袖、ちょくちょく着て外に出るのはやめておくれよ。ほらそれも脱いで」

文吉「お前がもう着ないんだからいいじゃないか、お洒落だ」

女房「お前さんは昔っから顔は女の子みたいにきれいだったからね、そりゃかわいがられてたさ。でもね今になって女装をするのはいったいどういうことだい?」

文吉「なんてこたない、趣味だよ…ただの趣味だ。店の旦那も認めてくれてるんだよ、いいじゃないか」

女房「あそこの旦那も随分変わってるよ。…お前さんは絵師の先生を落語家みたいだって言ってたけどね、お前さんはなんだい、まるっきり歌舞伎の女形(おやま)じゃないか」

文吉「お山だって?山は違うな。犬山は道節忠与(どうせつただとも)だろ。あたしは犬坂の毛野胤智(けのたねとも)だ」



「犬坂毛野」というおはなしでした



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