#8「屍の銃士」
同日、午前4時半。
「今日は平和だねぇ。カゲクイ全然出てこないじゃん」
ナツキが名津稀に言う。一昨日と同じように二人組でのパトロールだが、今日は2時から見回っても一匹もカゲクイに出くわしていなかった。さっきまで外に出ていたカンナも、ほとんどカゲクイに会わなかったという。このまま夜明けまで平和に終わって欲しいと、名津稀も思っていた。
「うん……そういう日もあるんだね?」
『時々な。出現の条件やサイクルはまだよく分かってないが……まあ、カゲクイが出てこなくて損する人間はいないだろ。良いことだ』
「そうだねー」
通信機越しに語るトモコに、ナツキが返答した。
名津稀はやることもなく、ふと空を見上げた。今夜も月が照っている。形が変わっているかは3日間の微細な変化ではよく分からないが、昨日も一昨日も、最初の夜もこうして月光は煌めいていた。
「月、毎日出てるね」
「曇りの日も雨の日も出てるもんだからね。毎日光ってる。それがこっちの世界の"当たり前"」
「そっか。しっかり覚えなきゃ、こっちの"当たり前"……」
違う。そんな話はどうでもいい。自分の心にそう言われた気がして、名津稀は一呼吸おいてまた口を開いた。
「……本当に、悩みとかない……?」
名津稀は通信機のマイクを切って、ナツキにそう聞いてみた。
「もう。今日それ聞くの3回目じゃん」
「あ、え……3回も聞いたっけ……?」
「聞いた聞いた。聞かれるたびに"何にもないよ"って言ってんのに」
ナツキは困ったような、あるいは呆れたような顔で言う。
「全然大丈夫だから」
「そ……そっか。ごめんね、何度も」
何か引っかかるが、単に自分の気のせいなのかもしれない。名津稀はそう思って、一旦引き下がることにした。
(うん……そうだ、しばらく様子をみよう。"ナツキさんのことをよく知らなくたって大丈夫"ってカンナさん言ってたけど、流石にまだ知らなすぎるのかもしれないし)
ナツキと話す時間も、常にたっぷりとある。彼女が悩んでいるとしても勘違いだとしても、結論を急ぐ必要はない。名津稀は自分にそう言い聞かせるのだった。
「でも、何か困ったことが出来たら言ってね? 力になりたいから」
「分かった。頼りにしてます、自分自身だから頼りにしますとも」
ナツキは茶化すように明るく言って、てくてくと歩き出すのだった。
「…………頼りにできたら良かったんだけど」
誰にも聞こえぬ声で呟いて。
『……! 2人とも、カゲクイの反応だ!』
トモコが突如、真剣な声色で言った。
「どこ!?」
『君たちの付近に一体……いや、東の方にもう一体現れた! 向こうのほうが反応が小さいな……なっちゃんが向こうへ向かってくれ』
「はいっ!」
「なっちゃん! 無理しないで、食い止めるだけでもいいから!」
「大丈夫。行ってくる!」
心配するナツキに名津稀は告げて、走り出した。
走ること数十秒。瓦礫に囲まれた場所にたどり着く。周りには錆びた鉄柱が何本か立っていて、多少だが視界を遮っている。
(……やばい、怖い……大丈夫とか言っちゃったけど……)
今更怖気付いて、名津稀の肩はプルプルと震え出す。彼女は変わった。だが、それでカゲクイが全く怖くなくなったというわけでは断じてない。1対1の状況は心細くて不安で、正直怖い_というのが本心だった。
体を叩いて自分を鼓舞し、不安げにあたりを見回した。
「トモコさん、どこに──」
「敵はいない。俺が処理した」
トモコへ向けた言葉が、何者かの発言にかき消された。
「!?」
名津稀は驚きながらも、これまでより遙かに早い動作で右手を掲げ、"ウツシミ"たる銀の銃をその手に握った。左手を添えて射撃準備をしつつ、辺りを急いで見回す。
「驚かせてすまない、だが銃を下ろしてくれ。敵はいない」
正面からこちらへ、男が歩いてくる。金髪青眼、黒いローブを纏った、顔立ちの整った男だ。青年というには歳を重ね過ぎているが、中年というにはまだまだ若い。そんな曖昧な容姿の男であった。
「……あなたは?」
名津稀は銃を下さぬまま、その男に問うた。
「まあ、警戒するのも無理はないか。だがそのままでいいから、話を聞いてほしい」
「…………」
『なっちゃん、倒したのか? カゲクイの反応が急に消えたが……』
「と、トモコさん……えっと」
名津稀が返事をするため、通信機のボタンを押そうとした。反応が消えたということは、男の言うことはひとまず本当、ということだろう。
「待ってくれ。俺のことはひとまず黙っていてくれるか?」
「ど……どうして」
「頼む」
強引な男の言葉に困惑しながら、名津稀は通信機のボタンを押した。
「…………はい、倒せました。ナツキさんに少ししたら戻るって伝えてください」
『分かった。周囲に反応は無いが、気をつけてな』
「はい」
返事をすると、通信は一旦切れた。
銃を下ろさない名津稀と、自分に向けられた銃口を恐れる様子もなく彼女を見据える男。2人の間に数秒の静寂があった。
「……やはりそっくりだな。ナツキに」
「……え?」
静寂を破ったその一言に、名津稀は驚かされた。
「今、"なつき"って……」
「ササナエ・ナツキ。君も知っている少女だ」
落ち着いた口調で男が言う。さも当然かのように仲間の名を口にするその様相に、ますます名津稀は困惑を隠せなかった。
「……あなたは、何者なんですか……?」
「何者、か。分からないよ。腐った血肉とともに地を這う俺が、あの名を今も名乗っていいものか」
「…………?」
「すまない、こっちの話だ。そうだな……まあいい。"アラミス"、そういう名だ」
「……私は、笹苗名津稀。です」
戸惑いながらも、名津稀も名乗った。眼鏡越しの視界に、驚きに口を開く男──もとい、アラミスの姿があった。
「それは、彼女の……そうか。噂に聞く"裏世界から来る人間"か。どうりで顔が似ている……というより、同じなわけだ」
「そう、みたいです」
「作り話とばかり思っていたが……そんな来訪者が実在するとはな。屍にもなってみるものだ」
「屍……?」
アラミスの言葉に疑問を覚え、名津稀は思わず言葉を繰り返す。
「ああ……死んでいるのさ。彼女を見守るためだけに、未練がましくこの世に居座り続ける腐れ人なんだよ。その目的すら、もうすぐ果たせなくなる。足掻きようもなくこの世から消える」
「あなた、何を──」
意味がわからない。突然現れておいて何を言っているんだ。そう思う他なくて、名津稀は一歩彼の方へ足を踏み込んだ。
「おーい。なっちゃん」
そしてその口から発した言葉は、そんな呼び声に妨げられた。ナツキの声だ。姿は見当たらないが、遠くから聞こえてくる。
「…………!」
「アラミスさん……?」
焦り顔になったアラミスは、次の瞬間、かがんでその身を縮めた。
「!?」
一瞬。名津稀が瞬きをした一瞬の間に、気がつくとかがんだアラミスの姿は消えていた。
「どこに……!?」
「あー、いたいた。大丈夫? 怪我してない?」
「ナツキさん……」
「?」
困惑したような顔で自分を見る名津稀に、ナツキはきょとんとしている。
「え? ああ、ごめん。大丈夫だよ」
「そっか。良かった良かった」
向こう戻ろ? と言って、ナツキは今きた道を帰ろうと体を翻した。名津稀もそれについて行く。
「こっち大変だったんだよー。怪物倒したと思ったら幻でさぁ。二回倒す羽目になって」
「…………ああ、幻か……私、疲れてるのかも」
「え、何?」
通信機を手でいじくりながら、ナツキは聞き返した。
「あっ……ううん。さっき人と話をしてたの。金髪の男の人……でも突然姿を消しちゃって。今思うと、幻か何かだったのかな……って」
「いや幻だったのかなって……大丈夫? 先帰ったらら?」
「う、ううん、平気」
名津稀は言い返す。さっきまでナツキを心配していたはずが、いつのまにか自分が心配されていて、何故か気恥ずかしいような気持ちになった。
『大丈夫なら早く戻れ。あと20分だ、リラックスしてていいが気を抜くなよ』
「は、はい」
「あいよー」
いつのまにか足を止めてしまっていた2人は、またてくてくと歩き出した。
「…………金髪男かあ」
ふと、ナツキが呟く。
「ナツキさん、タイプなの?」
「え!? い、いや……別になんでもないし。昔、金髪の知り合いがいたってだけで……」
「……ふふ」
ナツキは慌てたように言い返した。初めて見る彼女の表情に、名津稀の口元が自然と緩む。
「でも、なんだったんだろうあの人…………名前は"アラミス"って」
「──え?」
ナツキが漏れ出るような声を出した。カタッという音とともに、彼女の手元の通信機が滑り落ちて地面に倒れる。
「……ナツキさん?」
「今。アラミスって言った?」