#7「絆と共に踏み込んで」
名津稀の"裏世界"滞在、三日目の夕暮れ。
「はい、カンナさん」
名津稀はキッチンから身を乗り出すようにして、料理を乗せた皿を前に突き出した。
「お任せくださいっ!」
流し台を挟んだ向こう側から、差し出した皿をカンナが受け取って奥のテーブルへ運んでいく。ここは基地2階のダイニングキッチン。元の世界でもよくあった部屋構造で、名津稀はなんとなく懐かしさを感じていた。今日の夕食は名津稀が担当したのだ。
ちなみに、今日の名津稀はジャージ卒業。昼間にトモコと服を買いに行って、着替えたのだ。物資が足りていないので古着しか売られていなかったが、黒の着心地がいいパーカーとズボンを手に入れて今も着ている。
「基地のキッチン、ガスまでちゃんと通ってるなんて驚きですね……」
「なっちゃんさん? 今のダジャレですか?」
「え……あ、い、今の基地とキッチンはべ、別にわざとじゃ……!」
わざわざ立ち止まって言ったカンナの指摘で今更気づき、名津稀は慌てて否定した。
「揚げ足を取るな、カンナ」
「えへへ……」
味噌汁を運ぶトモコに鋭く指摘されると、カンナは大人しく引き下がって配膳に戻るのだった。
「しかし、楽しみだな。なっちゃんが豚料理作れるなんて」
「私の世界では、豚肉って結構メジャーだったので。肉料理は大体豚か牛なので、慣れてるんです」
名津稀は言う。聞いてみると生姜焼きを知らないとのことなので、今日は豚肉を仕入れてもらって作ってみた。
「いやあ、羨ましいです。こっちだと畜産業が難しくて、豚や牛なんてなかなか手に入りませんから……じゅるり」
早くも楽しみなのか、カンナは皿を運びながら垂れかけたよだれをすすった。
「なっちゃんの歓迎のために高い金で買った豚肉だ。カンナは食べさせてもらえることに感謝しろよ?」
「まあ、そのなっちゃんさんに作らせちゃってますけどね?」
「それは……まあ、仕方ないだろ」
「仕方ないですけどー」
「あはは……全然大丈夫ですから」
そう言えば……ご飯をよそった茶碗をテーブルに並べながら、名津稀は聞きたかったことを思い出した。
「昨日はトモコさんがご飯作ってくれましたけど……あの時のお肉って何だったんですか? 豚とか牛じゃないんですよね?」
「ああ……知らないならそのままでいい」
「え……な、何ですか? どういうことなんですか……?」
「なっちゃんさん、あれはカゲクイの肉を剥い──」
「あー知らなくていい! 知らなくていいこともあるさ!」
「むー! むー!」
何かを語ろうとしたカンナの口を慌てて押さえるトモコの姿に、名津稀は困惑を隠せずにいた。
「ほら! 運び終わったし食べるぞ! 食べよう!」
「は、はあ……」
とりあえずトモコの言葉に従って、名津稀は席につく。片側に2つ、もう片側に3つの椅子。2つ側にカンナが座り、3つ側には隣り合って名津稀とトモコが座った。
「おーい、ナツキ。夕飯できたぞ」
トモコはリビングの奥の窓の方に向かって声をかけた。
窓に手を当てて立つナツキは、立ち止まってただじっと外の景色を眺めていた。何も言わず、じっとして。あるいはぼーっとして。
「…………あ。はーい」
声をかけられたのに気づくのが遅れたようで、若干のタイムラグのあとで返事をしてテーブルへ歩み寄る。
「どうしたんです? ナツキさん」
「ん? やー、別に。でもミステリアスな美少女感出てたでしょ」
「あー、出てた出てた。2%ぐらい」
トモコが軽く流して、早く座れ、と促した。
「…………」
そそくさと座るナツキの姿を、名津稀はじっと眺めていた。
(……やっぱり、一昨日の夜から何か…………)
何か、胸の内に抱えていないだろうか? そうは思っても口には出せず、
「……いただきます」
そう言って、食事に集中するほか無いのだった。
「〜〜〜♪」
「………………」
食べ終えてから、名津稀とカンナとで洗い物をしていた。カンナが口笛を吹きながらスポンジを走らせる中、名津稀は黙って皿を磨く。
「……カンナさん」
「っと、すみません。うるさかったですか?」
「あー、いえ、そうじゃないんですけど……」
「?」
名津稀は一瞬躊躇いながらも、すぐに口を開いた。
「ちょっと、相談があって──」
「相談!?」
「ひゃっ!?」
"相談"に反応して突然一歩寄ってきたカンナに驚き、名津稀は思わず逆に身を引いた。
「おぉー……なっちゃんさん、相談をしてくれるぐらい拙者たちを信頼してくれてるんですね、早くも!」
「は、はい。皆さんいい人なので」
「そっかぁ……それで、どうしたんですか?」
「えっと……ナツキさんって、悩んでたことってありますか?」
突拍子もないじゃん──自分で言ってから、名津稀は思った。
「ナツキさん……んー、あんまり悩んでるとこは見てないですねぇ。2年ぐらい一緒にいますけど」
「そうですか……その、なにか悩み事を抱えてないかなって……今のナツキさん」
「何かあったんです?」
数センチ上の目線から名津稀を見下ろして、カンナは尋ねる。
「分かりません……私、まだナツキさんのこと全然知らなくて……でも、なんか心配なんです。ナツキさん、最近変な気がして……あっ、最近って言っても出会ったのついこの前なんですけど……でも、その……」
「ふふっ」
「か、カンナさん……?」
「あっ、ごめんなさい。んー……なっちゃんさんは、ナツキさんの力になりたいって思ってますか?」
「私は……うん。力になりたい……んだと、思います」
「良かった。それなら、悩みがあってもいずれいい方へ向かいますよ」
「え……?」
「なっちゃんさんは、凄くナツキさんのこと信じてるし、助けたいとも思ってる。だから、拙者たちでも気付かなかったナツキさんの悩みに気づいたんです。ナツキさんもあなたを信じてると思います。それならきっと力になれるはずです」
「でも……私、まだナツキさんのこと全然知らなくて……ずかずか踏み入るようなことして良いのかなって」
「いいんですよ。どのくらいお互いを知ってるかも、出会ってどれくらい経つかも関係ない。大事なのはどれくらい想い合えているか、です。なっちゃんさんの気持ちが本物なら、そこには本物の絆がありますから」
拙者は──と、カンナは続ける。
「ワルキューレに入る前、別の組織にいたんですけど……ほら、変わり者ですから、あんまり仲間とうまくやれなくって。変わり者の自分を隠してどうにか溶け込もうとしてたんです。それが正しいと思ってました」
「カンナさん……」
「そうしたらもっと溶け込めなくなった。結局組織を離れて、流れ着くような形でワルキューレに来ました。だけど、それで良かったんです」
カンナは過去に帰るような気持ちで目を閉じた。自然とスポンジを動かす手も止まり、一瞬の静寂が訪れる。
「トモコさんやナツキさんたちとは、驚くほど気が合って。自分をさらけ出して楽しく過ごせて。拙者、ここがかけがえのない居場所だって思えました。皆がくれたこの場所だけは何があっても守りたい、絶対譲れない居場所だって今でも思えます。そう思えるのは、本物の絆がここにあるからです」
「本物の絆……」
「なっちゃんさんとの絆も、もう胸の中にあるって思います。だから、ぶつかってみましょうよ。ナツキさんと」
「……私は……」
助けたいと思いながらも、迷っていた。また、待つだけの笹苗名津稀に戻りかけていた。
「はい。やってみます」
もう迷わない。踏み込む。ずかずかと心に入り込んでやる。
彼女はそれを笑って許してくれる人だ。それだけは名津稀も知っているから。