#5「闘志を燃やせ」
『………………確認した。敵は……十体だ』
「十体……!?」
「……マジで?」
黒い穴から次々と腕が、足が、頭が這い出てきた。
よだれを垂らし、爪を立て、目まぐるしく瞳をぐるぐると回して。
その数、十体。次々と地面に降り立ち。
「「6○3_##……」」「「#*°°カmd__!!」」
聞き取れない鳴き声を上げて、既にこちらを敵視の眼差しで睨み付けている。黒い毛に赤い瞳。集団で現れるとこうも不気味なのかと、名津稀は思わず息を呑んだ。
「んー……やー……さて、まずいなぁ」
「…………」
頭をかきながら、困り顔でナツキが言った。それを横から見る名津稀の手は震えていた。怖い。それが正直な気持ちだった。
『さて……どうする、ナツキ?』
トモコは真っ先に、ナツキにそう聞いた。現場での行動は基本的にナツキたち自身の意志で決めさせていると、出撃前にトモコ自身が言っていた通りに。それは彼女なりに自分たちの命を優先してくれているが故なのだろうと、ナツキが語っているのも、名津稀は聞いていた。
『カンナをそっちに向かわせるか?』
「待って、カンナさんは最終手段。本部に何かあった時に一人はいなきゃでしょ?」
『じゃあ、どうする? 流石にお前だけで十体の相手は……』
「あたしだけじゃないでしょ、今日は?」
『…………なっちゃん』
「は、はい……!」
『すまない……ここまで危険なイレギュラーは予測していなかった。ナツキは戦う気満々だが、もちろん君がどうするかは君が──」
「戦います」
『……即答だな』
「正直に言うと、ちょっと怖いんです……でも、ここで逃げたら、戦えない街のみんなが犠牲になります。抵抗も許されずに、一方的に……その痛みを、私は知ってる。だから、絶対にそうさせたくありません。そうはさせません」
"あの頃"、名津稀は怖かった。絶望していた。抗いようのない暴力の中で。助けてくれる者のいない暗闇の中で。
強い力で、弱き者を助けてくれる──そんな存在がいたら良かったのにと、名津稀は思っていた。そして、そんな存在はついに現れなかった。
だから、自分が"それ"になれたら。
「ふふっ。頼もしいこと言うじゃん」
『戦って、自分がどれだけ傷ついても……そう言えるのか?』
「それは分かりません……でも、今この瞬間は"はい"って自信を持って言えます。それだけでいいって……そう思います」
「マスター。なっちゃん傷付いたりしないよ。あたしがいるんだから」
ナツキはそう言って、名津稀に微笑みかけた。それだけで何より頼もしかった。名津稀の心の中の最後の不安をかき消してくれたように感じて、嬉しかった。
「……ナツキさん」
『分かった、スパルタ教育だと思って君たちに任せる。だが無茶はするな。最悪逃げても構わない』
「はいよ。ま、お茶飲んで落ち着いて見てなよ」
『……全く、お前は』
トモコの最後の一言を聞き流しながら、ナツキは通信機を腰に戻した。名津稀もそれに倣って腰に通信機を差す。
「さて。相談が長すぎて囲まれちった」
「あの……突っ込む暇なくて何も言えなかったんだけど、まずいんじゃ……」
既に二人の周囲を、狼型のカゲクイたちはぐるりと取り囲むようにして立ち回っていた。とりあえず、背中合わせね_そう言い、ナツキは素早く名津稀に背を向け、お互いの背中をくっつける。
『いや……問題ないな』
腰の通信機が再び、声を再生した。
「トモコさん……!」
『返答しなくていいから聞いてくれ。そいつら、さっきの個体より出来る奴らのようだ。さっきナツキがやったように、カウンターの機を待って受け身に徹している』
「じゃ、不意打ちしちゃう?」
『不意打ち……それがいいだろう。名津稀のその銃ならそれができる』
カンが働いたのか、ナツキとトモコの考えは一致していた。
「私が……」
名津稀は右手に握った銃を見つめた。赤い光を放ち、銀の重心が月の光を反射して照っている。まるで、鋭い瞳でこちらを見ているかのようだった。
「なっちゃん、まだ銃を構えないで。構えた瞬間に警戒されるだろうから」
「それじゃあ……早撃ち、ってこと……?」
素早く銃を構え、照準を合わせて引き金を引く。それを求められているのだと悟った。
「そうなるね。初撃当ててくれれば……まあ楽にはなるかな」
「……わかった」
自信はない。だけど、やるしかないのだと、名津稀自身分かっている。
深呼吸を一回。そして、右手の人差し指を、そっと引き金に引っ掛ける。
「………………当てる!」
そこからは刹那の世界。カゲクイを見据える。銃を一瞬で正面に構える。照準合わせ。いや、そんなことしている暇はない。多分合っている、だからもう撃つしかない。そこまでの行動を、頭ではなく感覚と本能でこなし。
バァン! 名津稀は、引き金を引いた。弾丸は赤く光っていた。その光に一瞬目を奪われかけた名津稀だったが、すぐに視線を射撃した先のカゲクイへ移す。
「……☆69・$wッ!」
カゲクイは唸る。だが、動かなかった。動く必要はなかった。
赤い弾丸は、怪物から逸れて宙を切り裂き、瓦礫の中へ消えてしまったから。
「…………ごめん、外したっ!」
「や、しゃあない。じゃ、こっからは行き当たりばったりかな!」
「「ロ>×[mq_2=ァァァ!!!」」
カゲクイたちのスイッチが切り替わった_そんな感覚を、ナツキは直感で感じ取った。一匹二匹と、次々にスタートを切り、十数メートルの距離を一気に詰めようと走ってくる。
「こっち!!」
「うわっ……!」
ナツキは左腕で名津稀の服を掴むと、彼女を無理やり引っ張って走り出した。カゲクイの一匹と距離がどんどん詰まり、ぶつかろうという瞬間。
「______!!!」
カゲクイは吠え、ナツキの首目掛けて飛び込む。それを読んでいたように、ナツキは自由な右腕を使って剣を振り、先ほどと同じようにカゲクイの首元を鮮やかな剣筋で切り裂き、鮮血を飛び散らせた。
そのまま二人は走り、なんとか包囲から抜け出して、残る九体を視界に捉えることができた。今度は肩を並べて名津稀は右を、ナツキは左を見据える。カゲクイ達は仲間の即死に一瞬たじろいだが、再び牙を剥き出しにして敵意と殺意をあらわにしている。
「よし、一匹っ……!」
「ナツキさん……!」
「何してんの! 次撃って!」
「う、うんっ……ごめんっ!」
言われるまま、名津稀は焦りながらも再び銃を構える。そして右から迫る怪物目掛けて引き金を引く。1発。2発。3発。スライドをいちいち引く必要は無いらしい。
虚空へ消える3発。
「くっ……」
「──!!」
その隙に、カゲクイは一気に迫ってくる。血の匂いがする。死の気配が迫る。
「…………負けない!!」
恐怖をかき消すために、名津稀は叫ぶ。必死だった。必死に叫んで、必死に4発目を撃ち放った。
──ザシュ! ジュッ!
「>○°7#!?」
「やった……当たった!」
ついに、確かに、当てた。弾丸はカゲクイの首に突き刺さるように命中し、そのまま背中から抜けていった。そして背から鮮血を噴き出したカゲクイは、その牙を名津稀に届かせることなく地に倒れた。
「たああっ!!」
「──!!!」「×○>3!?」
その隣で、ナツキもまたカゲクイを狩っていた。腹に強く剣を突き刺し、そのまま死骸を放り投げるようにして捨てる。さらに迫ってきた2体目も、たやすく首を切り裂いてねじ伏せた。
「なっちゃんナイス! まだ終わってないけどね!」
(そうだ、まだだ……あと、6体!)
気を抜きかけた名津稀は、一度呼吸を整えて再び気合を入れ直す。緊張してはいけない。だけど、気を抜くのも命取り。そんな絶妙なメンタルを保って戦うのは、まだ名津稀には無理。それならせめて常に必死にやらなければ。彼女はそう思った。
「#○92=〜]ルォォォ!!」
「大丈夫、出来る……当てられる!」
さっきの一殺で、自信はついた。名津稀は再び引き金を引く。6度目だ。
バァン! シュッ……
「──!!」
今度も当てた。だが前足の膝をかすめただけだ。カゲクイを仕留めるには至っていない。
「ダメ……でも、まだ……!」
次、7発目! 名津稀は再び構え、2メートルのところまで距離が詰まったカゲクイの頭目掛けて、冷たい鉄の引き金を強く引く。
「…………え?」
玉が、出ない。そう認識するのが遅れた。
(玉切れ……!?)
遅すぎた。次の行動も当然遅れる。カゲクイの攻撃を避けることも、逃げることも間に合わない。カゲクイは既にこちらに飛び込んできている。首に入ってくる。噛まれる。食いちぎられる。
(…………死ぬ?)
死。聡明な彼女は、そこまで思考がすぐにたどり着いてしまった。恐怖に目を伏せることしかできなかった。
「…………あっぶない」
「え……?」
伏せた目を再び前に向けたとき、今度はカゲクイではない、人間の温かい血が流れていた。
「な……ナツキさん!!」
ナツキだ。名津稀の目の前に立って、彼女を庇っていた。襲い掛かったカゲクイは2体。1体は剣で切り裂いた。けれどももう一体の牙は、彼女の右足に突き刺さっていた。
「……ッこの!!」
ナツキは剣を振るって受け止めていた怪物を振り払い、足を噛むもう一体に素早く剣を突き刺した。頭を貫かれ、カゲクイは即死した。同時に足に突き刺さっていた牙も、カゲクイが脱力したことで簡単に抜けた。
「っ……痛った……」
「な、ナツキさん……私のせいで」
「いいの、死ななきゃ安いもん。慣れてるから」
守れてよかったと、ナツキはそう付け足した。
「ごめんなさい……」
「あーもう! 昨日も言ったでしょ? ごめんよりありがとうが聞きたい派なの、あたし!」
「ああ……そっか。うん、ありがとう」
「うむ、よろしい」
名津稀の感謝に、ナツキは微笑みで返すのだった。
「さて、ようやく半分かあ……って、ん?」
周りを見回したナツキは、声を漏らした。
五体のカゲクイたちが、一箇所に集まっている。そして。
「なっ……」
「え……!?」
お互いを、喰らい出した。
「と、トモコさん!」
通信機を取り出し、名津稀がトモコを呼んだ。
『ああ……見ている。通信機にミニカメラも付いているからな』
「あれさあ……もしかして」
お互いを喰らい合って、最後の一匹になった怪物から、黒いオーラが放たれた。死骸となった周囲のカゲクイを飲み込み、生き残った個体そのものまでも飲み込んで、黒いオーラは増幅していく。
「…………☆=(>W.スmh'ァァァァァァァー!!!」
そして轟咆と共に、オーラが弾け飛んだ。中から出てきたものは、先ほどよりも数倍巨大化したカゲクイであった。
「げ、やっぱ合体……」
『まずい、逃げろ!』
「逃げられるわけないでしょ! マークされてんの、もう!」
「──!!!」
巨大になっても、そのスピードは変わらない。十数メートル先から、轟音の如き足音を立てながら、絶望と共にカゲクイが走ってきた。
「来たっ……!」
名津稀は銃からマガジンを引き抜く。中は空っぽであった。
(やっぱり、玉切れ……え?)
空のマガジンに突然、赤い光_否、赤い液体が周囲から集まってきて、その中身を満たした。
鉄の匂い。血だ。
(血を、弾丸に……? と、とにかく撃たなきゃ!)
「なっちゃん、撃てそう!?」
「うん……任せて!」
困惑しながらも、名津稀はマガジンを再び銃にセットし、構えて引き金を引く。
バァン!
(よし、撃てた……当たって!)
ズシャッ! 赤い銃弾は、カゲクイの頭を捉えた。
だが、カゲクイはスピードを落とさずに向かってくる。弾丸は、その表皮で止まっていた。
「玉が刺さらない……!?」
「あちゃー……剣も刺さらないかも、あれじゃ」
『二人とも!! 一旦避けて……』
トモコが焦りながらも指示を出そうとした、その瞬間。
「…………○>83々0!?ロfqwユm☆/dq__ou.\°!!!!!」
肉が裂ける音。血が飛び散る音。鉄の匂いと断末魔。
「…………?」
「…………死ん、だ……?」
何が起きたのか、二人ともわからなかった。分かったのは、目の前の巨大なカゲクイが、全身から血を噴き出して突然死んだ。ただ、それだけ。
カゲクイは力なく倒れる。
「…………!!」
その時。ナツキは視線の先、倒れるカゲクイの向こうに、見た。
「先生!!!」
ナツキは、気がつくとそう叫んでしまっていた。
確かに見た。カゲクイの向こうに、"彼"の姿を。"彼"が、確かに居た。だが、一瞬の瞬きの後、もうその姿は消えたいた。
「…………そんな」
「な、ナツキさん…………?」
その姿を、名津稀は捉えていなかった。だから困惑したのだ。突然の叫びに。
「そんな……そんなわけない……だってあの日、先生は死んで……先生……?」
彼女を心配した名津稀の声さえ、彼女には届いていなかった。
先生……生きてるの?
今、そこに居たの?