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#2「名津稀、リバース」

「裏の世界……異世界なんだね。本当に」


 ナツキから本を借りて読み、写真を見せてもらい、自分でも景色を眺めて、名津稀はよく理解した。自分は本当に、異世界に迷い込んだのだと。


「……だけど、どうして私が急に……」


「それなんだけどねー。ものすごく不運だったね、なっちゃん」


「え……なっちゃん?」


「あー、なっちゃん呼び嫌だった? 普通にナツキって呼ぶの、なんか変な感じしてさ」


「ああ……全然大丈夫。あの、それで……不運って……?」


 名津稀はか細い声で尋ねる。心はいまだに困惑と緊張を隠せない。さっきの化け物を思い出すと、さらに心音が高まってしまう。加えて根っこから内気な性格で会話が苦手ともあれば、か細い声にもなるだろう。


「ここに来る直前、小さい穴とか、狭い隙間とかに近付かなかった?」


「えっと……マンホールを覗いた……かな」


「やっぱりかー。それだよ、原因は」


「え……?」


「君の世界とこの裏世界は、裏返しと言っても本来は交わることのない世界。時間の流れも日付も毎日の気温も違う。だけど、偶然の一致っていうか? その二つの世界がつながって出入り口ができちゃう瞬間があるんだってさ。一年に一度、一瞬だけ」


 その一瞬に、君が直面しちゃったわけ! 名津稀を指差して、ナツキはそう言った。


「…………はぁ」


「あれ? あんま驚いてないかな?」


 拍子抜けだと言いたげな表情で、ナツキはそう聞いた。


「えっと……なんか、突拍子もなさすぎて逆に反応できない、というか……」


 下を向いて、呟くように名津稀は話す。


「え、じゃ、じゃあ! さっきの、あの化け物は……?」


「そこはグイグイ来るんだね?」


「うん……まあ、実際に襲われて怖かったし……」


「んー……あんなの、この世界じゃ珍しくないよ」


「え……?」


「いつからだったかなー……でも、だいぶ昔から。少なくとも、あたしが生まれるより前からね」


 あの化け物が。見たこともない、脳が理解を拒むほどに狂ったあの異形が。珍しくない?


「いるもんはいる。だから倒す。殺されちゃう人も多いんだけどね」


「そんな……そんなの、おかしいよ。この世界はおかしいよ……!」


「おかしいって、何が?」


「え……いや、だって、あ、あんなのどう考えても……」


「……おかしくないんだよ。あたし達からしたら」


「え……?」


 静かにそう言った彼女の顔から、急に笑みが消えた。"殺されてしまう人もいる"と、そう言ったときすら笑顔だった彼女が急に深刻な顔をし、名津稀は思わず小さな声を漏らしてしまった。


「化け物がいることがおかしいっていうのは、うん。なっちゃんの世界ではそうなんだろうね。でもあたしに言わせれば……」


 月を見上げていたナツキの視線が、名津稀の目に向けられた。


「化け物がいないなんて、なっちゃんの世界おかしいね?」


「…………!?」


「なーんて! びっくりでしょ? そういうこと。そっちにはそっちの当たり前があって、こっちにはこっちの当たり前がある。違った当たり前なんだよ。世界が違うんだから当然。だから、こっちの世界は化け物がいて不幸せとか思わないでね? これがこの世界の"当たり前"なんだから」


「は、はあ……」


 そう語る彼女の顔は、いつのまにかまた笑みを浮かべていた。真剣な表情を見てついこわばってしまっていた名津稀の緊張の糸が、その笑みを見て崩れる。


 気を引き締めれば良いのか、怖がって緊張すれば良いのか、笑っちゃって良いのか、良くわからなくなってくる。


「……正しいことがおかしくて、おかしいことがただしい、二つの世界……」


「そういうことー」


「……ねえ、ナツキさん」


「?」


「……ナツキさんから見たら、私はおかしいのかな?」


 自分を助けてくれた、陽気で楽天的で話しやすいササナエ・ナツキ。彼女は自分と同じなのに、自分とは正反対の明るい少女。


 彼女はこんな自分を、笹苗名津稀を見て、嫌気が差しているんじゃないだろうか──彼女は自己嫌悪気味に、そう思っていた。


「だーかーら。おかしいとか変とかじゃないって。あたしの裏返しが君。君の裏返しがあたし。でも結局別の人間。それ以上何にもないでしょ」


「は、はあ……あの、嫌じゃないんですか?」


「何が?」


「こんな……もう1人の自分がこんな、家にも学校にも居場所がないような陰気な奴で……」


「嫌じゃないよ? 同一人物って言っても、あたしはあたしで君は君なんだってば」


 散々言い飽きたといった口調でナツキは言い、またガレキの上に座る。


「……居場所無いんだ?」


「え……」


 頬杖しながらナツキに聞かれ、名津稀は一瞬言葉に詰まった。


「……うん。昔からお父さんに色々されてて……」


「こういうの?」


 そう聞くナツキに、名津稀はいつの間にか右手の掌を掴まれていた。彼女は掌の火傷跡を見つめていた。


「……うん」


「お母さんは?」


「……分からない。小さい頃にどこかへ消えたから。それと、学校でもよくいじめられてる……って感じ」


 自虐気味に笑って、名津稀は付け足した。


「そっかー。そっちもしんどいねえ。こっちは学校でいじめなんかやってる場合じゃないからよくわかんないや……」


 少しの沈黙の後、辛くないの? とナツキ。


「辛い。辛いよ。でも私は待つしかないの。何かが変わるまで、待つ。じっと待つ。ずーっと待つ。そうするしかないから」


「そっか」


 ──変わらないと思うけど、それじゃ。


「え?」


「んー?いや、何でもないよ」


 ナツキが小声で何か言った気がしたのは、名津稀の気のせいだろうか。


「ま、とりあえずなっちゃんは──」


 ガタッ……ナツキが喋り出した時、ガレキの動く音がした。


「げっ……ゆっくりしすぎたか」


「ナツキさん……?」


「あそこ。気をつけて」


 ナツキが指差す方を振り返ると、ガレキの中から黒い何かが飛び出しているのが見えた。ガタガタと音を立てながら周りのガレキを押しのけ、少しずつ地下から上へと上がってくる。


「あれ……!」


 名津稀が声を上げようとした途端、何かが彼女の方へ飛び出してきた。


「……あっぶな」


 とっさに目を閉じた名津稀が次に見たのは、飛んできた何かを輝く剣で受け止めるナツキだった。


「結構硬いなあ」


 青白く光る剣と鍔迫り合いになる黒い触手もまた、その光を受けて青く照っている。その根本では、ガレキがどんどん押しのけられて大きな影が姿を現さんとしていた。


「……いやっ……!!」


 ナツキの背後からその姿を見て、名津稀は驚きと嫌悪の声を上げた。


 さっきと同じ、いやそれ以上の異形。ダルマのような丸く黒い巨大の隅々から、数十もの触手が伸びて蠢いている。体の真ん中には巨大な一つ目と牙剥き出しの口が備わっており、血走った瞳がぐるぐると目の中を動き回る。体液のような気持ちの悪い液が全身を覆い、月とナツキの青い剣に照らされてボディを不気味に黒光りさせる。


「なっちゃん、悪いニュース。こいつちょっと強いかも」


「え……?」


「死ぬ気は無いけど、ヘマしたらあたし死ぬかも」


 触手を受け止めながら、ナツキは言う。異形はいったん仕留めるのを諦めたのか、触手を手元に引っ込めた。


「だから、今のうち逃げといて。あたしがアイツの相手してられるうちに」


「え……で、でもナツキさん、死んじゃうかもって……」


「けど、どっちかがアイツを引きつけなきゃでしょ」


「で……でも!」


「……でも何? 君が代わりに戦えんの?」


「それは……」


 無理だ。絶対に無理だ。あんな強い剣も無いし、立ち向かう勇気もない。だけど、ナツキにも死んで欲しくなかった。だから、彼女が戦うのを止める以外、出来ることがなかった。


「それに、アイツほっとくわけにはいかないしね」


「だ……だけど!とりあえず逃げれば、誰か他の人がきっと──」


「…………またそうやって、何かを待つの?」


「え?」


「mgdu@3¥sn@@@8!!」


「ぐっ……」


 名津稀が聞き返した直後、異形が今度は二本の触手で2人を襲った。ナツキはすぐさま、名津稀を庇うように前に立ち、右手の剣で一方を受け止め、もう一方を左手で掴み取って抑えた。


「mqd/#!!!!」


「うあっ……!?」


 ナツキに掴まれた触手を、異形はそのまま無理やり回転させた。工場の機械に巻き込まれるように、高速回転の内側にねじ込まれたナツキの左腕は、


「……!!!!」


 彼女の胴体から断たれ、宙に飛び上がった。あまりに衝撃的な光景に、当事者ではない名津稀でさえも、その心臓を凍らせる。


「……?」


 だが、異形はその腕を見て困惑したように二つの触手をまた引っ込めた。


「ふふん」


 そして、ナツキは顔色ひとつ変えていなかった。


 断面から出血していないのだ。一滴たりとも。宙を舞った左腕からも、その根本たるナツキの肩からも。


「……義手……?」


「……そう。昔切羽詰まって、自分の腕食ったから」


「え……!?」


 食った。食った?食った!?その意味を理解するのに数秒かかり、そして名津稀は困惑させられる。


「流石にちょっと怖かったけど、迷わなかった。そうしないと生き残れなかったから」


「そんな……」


「ねえ。なっちゃんは逃げて逃げて、ただひたすら救いを待ってる気?」


「え……?」


「さっき言ってたじゃん。お父さんに虐待されても、学校でいじめられても、ただ待ってることしかできないって」


「……………………」


「違うよ。なっちゃんは"待つこと以外怖くてやりたくない"の」


「……!!」


「一番嫌いなんだよ。助かりたいのに何も行動を起こさない、とか」


 ナツキはそう言って、急に名津稀の胸ぐらを掴んだ。


「何で待ってるの? 辛いならなんで変えようと動かないの? 自分が死ぬことになっても、そうやってずっとただ待ってる気なの!?」


「…………それは…………私…………」


「辛いよね。今までも、たった今もそう、辛い。でも生きてるんだよ。生きてくしかないんだよ……辛いこと全部背負って、戦って、抗って、そうやって全部ぶち壊してでも生きるしかないでしょ!?」


「……ナツキさん…………」


「戦え!!あたしは戦う!!逃げるのがアンタの戦い!!そうやって"生きる"んだよ!!その覚悟がないならここで死ね!!」


「…………!!」


 名津稀は何も言わなかった。言えなかった。ただナツキが叩きつけた言葉が彼女を胸の奥に突き刺さって、その心を打ち抜いていた。


「ごめん、死ねは言い過ぎか」


「……ううん」


 名津稀は首を振った。


 ただひたすら待っていた笹苗名津稀は、待つしかない不幸な少女だったのではない。ただ、抗う勇気を持てなかったのだ。戦うしかないと分かっていても、拳を握ることが出来なかった弱虫だ。


 もう、嫌だ。もう、逃げたくない。戦う。抗う、どんなに傷ついても悲しくても絶望しても、それ以外に道はない。


「ありがとう。ナツキさんのお陰で、やっとわかった」


「なっちゃん……?」


 力の抜けたナツキの手を振り解き、名津稀は異形と向かいかった。


「戦うよ。私……私、生まれ変わりたい」


 名津稀はそう言い放ち、右腕を目の前へ掲げた。その手元に、赤い光が突如集まってくる。


「まさか……!」


「抗う。抗うしかないんだから」


 私は、"生きる"!!


「……銃……!?」


 ナツキは声を漏らす。名津稀の手には、銃口が赤く煌く銀の拳銃が握られていた。


「私も……生きる!!」


 彼女はもう、不幸な弱虫ではない。生まれ変わり、これから地獄に抗い、本当の意味で"生きていく"少女。




 再誕。ナツキ、Rebirthリバース


 それが、これから始まる物語の名。

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