#15(最終話)「I'm in Reverse World.」
ある所に、不幸な少女がいた。傷つき続けた少女が。心の花を、踏みにじられ続けた少女が。
踏みにじられる。その度に、荒野を彷徨って新しい花を探す。ボロボロになってやっと見つけた花を、そのたびに必死に守ろうと覆いかぶさった。だけど、またボロボロにやられて、花は踏みにじられる。
悲しかった。怖かった。こんな世界は大嫌いだと思っていた。助けを求めていた。
だけど、今は手に入れた。
自分で花の種を植える優しさを。
銃を手に取って、戦って守り抜く強さを。
誰にも助けてもらえなかった過去を乗り越えて、誰かを救っていく強さを。
午前1時半。深夜のパトロール。今夜も満月だ。
「異常、無さそうです」
『分かった。その辺で待機してくれ』
通信機越しのトモコの言葉に、名津稀ははい、と頷く。今のところ、今宵はカゲクイに出くわしていない。
たとえ昼間のイレギュラーがあろうとも、仕事は平常通りにこなさなければならない。全く気が滅入らないと言えば嘘になるが、それでも自分が選んだ仕事だろうと、名津稀は嫌な顔をせずパトロールに出た。
『怖くないか? 初めてだよな、一人での仕事は』
「ちょっと、緊張します。でも平気です」
今回は名津稀1人でのパトロールだ。ナツキは納得のいく別れ方を出来たとはいえ、まだメンタル面が不安だ。カンナには何度も1人でパトロールをさせてしまっている。だから、今夜は名津稀1人で頑張ることにした。
『……しかし、驚いたよ。死人がカゲクイになって蘇るなんてな。しかも最後は暴走しだすし』
「やっぱり、今までに無いことだったんですか?」
問いかけながら、名津稀の脳裏には今日のことが鮮明に蘇っていた。名津稀の左手の怪我は傷跡になった。あの戦いを_過去を証明する、消えない遺物に。
『まあな。てか……君もナツキも、私たちに何も言わなかったよな? そんな大事なことなのに……おかげで私もカンナも置いてけぼりだっただろ』
「え? あ、そ、それは……ごめんなさい」
そう言えば、何も話さないまま協力させちゃってたな……先生のように問い詰めるトモコに名津稀は今更申し訳なくなって、そう言うのだった。
「……ナツキさん、大丈夫そうですか?」
『ん? ああ、私の見た限りでは平気そうだ。今は君との交代に備えて絶賛仮眠中だよ』
「そうですか……良かった」
彼女は、ちゃんと心に正直になれたのだろうか。後悔はないと笑って言える別れ方が出来たのだろうか。分からないけど、きっと彼女が元気なら大丈夫だ──名津稀は、そう思っていた。
『……あれ、ナツキ? どうした?』
通信機から、トモコのそんな声が聞こえた。
『んー……ベッドから落ちて目、覚めちゃった……』
聞き慣れた声。自分と同じ声。寝ぼけた声色で、そう言うのが聞こえた。
『子供か、お前は』
『子供ですけどー』
「ふふっ……ナツキさん、おはよう」
笑みをこぼしながら、名津稀が話しかける。
『おはよー。なっちゃん大丈夫? 泣いちゃってない?』
「な……泣いてないよ! そんな、子供扱いして……」
『あー、さっき泣いてたな!』
「なっ……あの、トモコさん! な、泣いてないからホントに!」
『あははーっ』
面白がってナツキが笑う。もう……と言葉を零す名津稀は、だがすぐに笑みを浮かべた。
「良かった。元気そうで」
『まあね』
「うん……」
言葉に詰まって、しばらくの静寂があった。
数秒して、コホン、と咳き込む声が聞こえた。
『ナツキ、ちょっとここ代わってくれ。御手洗行ってくる』
トモコはそう言った。通信機越しにかすかに足音が聞こえる。どうやら部屋を出て行ったらしい。
『ちょ……あー、行っちゃったよ。強制で仕事押し付けたじゃんあの人』
「あはは……」
名津稀は苦笑いで答える。
『…………ふぅ』
ナツキのため息が聞こえた。
『ありがとね、なっちゃん。色々と』
「……?」
すぐには、何のことか分からなかった。
『先生のこと』
「……ああ、うん」
『何? その反応』
「あー、えっと……ちょっと、びっくりしたの。お礼言われるほどのこと、してないと思ってたから」
感謝されることではないと思っていた。名津稀自身が望んで、2人の幸せを祈って、そのために動いたのだから。
『謙虚すぎだよ……でも、言わせて。ありがと』
ナツキの声は落ち着いていた。
『……今だから言うけど。あたし、一瞬思っちゃってたんだ。彼と一緒に死のうかなって』
「え……?」
『あー、もちろん今はそんなこと思ってないよ? ただ……もう別れたくない、一緒に行きたいって、そう思っちゃって。また悲しい別れが待ってるなら、いっそ今の全部を捨てて、あの人と一緒に行きたいって……ちょっとだけ思った』
「ナツキさん……」
そうだ……名津稀は思った。2人は本当に、これで幸せなのだろうかと。後悔のない別れを告げても、結局は別れているのだ。離れ離れになっているのだ。思い出と心で、別れに飾り付けをしただけだ。それなら、全ては無意味なのだろうか、と。
「……いつかお別れが来るなら、無駄なのかな? どれだけ幸せを積み上げても」
そうしてつい、そんなことを口にした。
「……ご、ごめんなさい! 私、ナツキさんたちを否定したいわけじゃ──」
『うん、大丈夫。わかってるから』
焦る名津稀に、ナツキは優しく言った。
『でも、あたしはそうは思わないかな。今は、それで良いなんて思わない。生きなきゃ、って思う』
そう付け足して。
『何で人が生きて、何で死ぬのかとか、そういうことは分かんないけど……楽しいとか嬉しいとか、幸せとか。そういう気持ちは分かるから。だから、死ぬこととか考えないで、ただ生きて幸せを探すの。そんなふうに意外と単純なんじゃないかな、"生きる"って』
ただ、生きる。生きて、幸せを探す。自分もそうだったと、名津稀は思った。
父に虐げられた。クラスメイトに虐げられた。だけど、命を絶ったりはしなかった。幸せを探したかったから。
そして、今ここにいる。ナツキたちと出会えた喜びと、誰かを自分の手で守れる誇り──それが、今の名津稀の中の幸せだった。
投げ出さずに生き続けて良かった。ただ生きる、それだけのことに意味があって良かった。今はそう思う。
(……アラミスさんも、きっと生きたんだ。ただ、ナツキさんに幸せになってほしくて。それがあの人の幸せだったから)
名津稀は思いを馳せる。屍になっても尚、ナツキを守り続けた男に。ただ愛し続けて、ただ生き続けた男に。
『……ところでさー、なっちゃん?』
「何?」
名津稀は通信機に聞き返す。
『そろそろ"ナツキさん"はよくない?』
「え?」
『いやさー……あたしはなっちゃんって呼んでんのに、ずっとさん付けじゃん? いい加減呼び捨てにするぐらいしてほしいなー……同い年、ってか同じ人間なんだから』
「あー……」
『呼ばれたいなー。ナツキって』
「うん……でも、駄目」
『よーし……って、え? 駄目?』
「うん。駄目だよ、まだ」
『えー……なんでよー。敬語で喋ってはないのになんでさん付けは頑な?』
「それは内緒」
名津稀は微笑んで言った。
まだ、ナツキとは呼ばない。そう決めたのだ、彼女は。
(……まだ、肩を並べられてないから)
彼女を支えることは、出来るようになった。だけど、まだ隣に立っていない。自分にとって彼女は、まだまだ"憧れ"だ。隣に立つまで、そして今度は自分が前から手を引いてやれるようになるまで、"ナツキ"とは呼ばない。それまでは、彼女は"ナツキさん"だ。そう決めた。
「……でもね、いつか必ずそう呼ぶよ。そのために頑張るから」
『へ? さん付けを頑張んの?』
「うん……ふふっ」
へんなのー……そう言うナツキの声を聞きながら、名津稀は空を見上げる。満月が照らす美しい夜空を。
(……綺麗だな)
輝く月は、眩しかった。自分の背中を押してくれる美しい光が、好きだった。
「…………幸せだなあ。私」
助けを求めて嘆いた、不幸は少女はもういない。
代わりに、誰かを助けようと戦う勇気ある少女がそこにいた。
裏の世界を、彼女は今日も歩く。
幸せを探すために。そして──誰かの幸せを守るために。
裏世界邂逅編・完