#12「黒い蛇」
『緊急警報。緊急警報。住宅地に巨大カゲクイ出現。市民の方々は安全確保のため、至急、○○軍本部基地正門前に集合してください。繰り返します。住宅地に──』
そんな警報が流れる前から、アラミスは異変に気付いていた。花畑にいた人々が一斉に逃げ出すのを見て、警報を聞いて、それは確信に変わった。
「やはり、カゲクイが出たか。よりによってこんな昼間に」
北へと走りながら、アラミスは独り言を呟く。カゲクイと融合してから、周囲の彼らの気配を感知できるようになった。その感じ取れる反応の大きさとカゲクイ強さは、基本的に比例する。
「あまりにも大きい……」
あまりに強いその気配に、アラミスは恐れさえ覚えていた。動悸がするのは走っているせいだけではなく、底知れぬ嫌な胸騒ぎのせいでもあった。
「まさか……ッ!?」
足元がふらつき、前が見えなくなりかけて、アラミスはバランスを崩して倒れた。次いで、すぐに襲ってきたのはジンジンとした頭痛だった。
「ッ……くそっ」
頭を抱えながら、もう片方の手で立ち上がると、アラミスは再び走り出す。金の前髪の先が視界の端で揺れていた。
体が麻痺しかけたような感覚。自分の体を動かしている気がしない、そんな違和感。
「やめろ……まだ、まだ出てくるな!」
ドクドクと震える胸を押さえながら、アラミスは戒めるように言った。自分の運命は分かっている。そして、もうすぐ屍の自分に終わりがやって来るということも。だけど、もう少し、あと少しだけ待って欲しかった。時間が欲しかった。
「…………嫌われていてもいい。忘れられたって良い。ただこの時間だけ……ナツキ、俺は……!」
食らいつくように、アラミスは走って行った。
「>8/0→)]!!」
奇怪な叫びと共に、蛇の──カゲクイの頭が突っ込んでくる。
「っ!」
三人が散開してかわし、名津稀は一歩引いて敵の全身を見据えた。
(大きい……今までの、どんなカゲクイより……!)
威圧感。恐怖。彼女独りで戦っていたら、きっと今の時点で心が折れていただろう。
「カンナさん! 弱点とかあった!?」
右からナツキが呼びかける。
「それがですねえ……よっ!」
カンナは地面を蹴って跳び立った。人間離れしたその脚力は3メートル近くの跳躍を可能にし、カゲクイの背中を飛び越えてその背後をとった。
「はあっ!!」
ドスッ!! 鈍器で殴りつけるような鈍い蹴りの一撃が、蛇型のカゲクイの背に突き刺さる。目の前でカンナの戦いを見るのは初めてだったが、基地のカメラ中継で見た以上のパワフルさに名津稀は震えた。あれがウツシミの能力でも何でもないというのだから驚きだ。
「よっと……!」
一撃を浴びせると、すぐにカンナは蹴りの反動で下がって地面に立ち、カゲクイの顔を見据えて反応を見た。
「>4・\.|……」
カゲクイは意にも介さぬ様子で悠々とカンナの方を振り返る。顔の横についた歪な赤い目が彼女を見つめ、その口からよだれが垂れ落ちた。
「うぇ……マナー悪いですね」
カンナは嫌そうな顔で呟くと、
「こんな感じです! 色んなところぶっ叩いてみたんですがなんか、全然効いてないようで……!」
今度は困り顔で、カゲクイの向こうのナツキに言った。
「殴打じゃダメってことね……なら!」
ナツキは右手にウツシミ──青い剣を作り出し、構える。地を蹴って走り出すと、それに気がついたカゲクイは彼女の方を振り向いた。
「……首が丸見えだッ!」
ナツキはカゲクイの首元へ飛ぶと、背中よりも薄い黒色に覆われた首に剣を突き立てた。青い光が照らし、肉を裂いて急所に剣が突き刺さる──はずだった。
「えっ……!?」
硬い。カゲクイの首は刃を通すには硬すぎた。普通の刃物より鋭いウツシミの剣でも、それでも突き刺さらないほどに、その肉は鋼鉄のように屈強だったのだ。
予想外のことに動揺し、バランスを崩したナツキは、首に突き刺さらずに落下した剣と共に地面に落ちていく。その様を両眼で見つめるカゲクイは、今にも彼女を喰らわんとする様子で牙を光らせていた。
「やば──」
彼女が身の危険、命の危機を悟ったのとほぼ同時に、銃声が響いた。
「なっちゃんさん……!?」
「……>m-0?」
首元がくすぐったく感じたのか、怪物はナツキから目を晒して正面を見据えた。
「……そうだよ、こっちを見ろ……!」
銀の銃_ウツシミを構えながら、カゲクイの正面に立つ名津稀は言った。冷や汗を垂らしながら銃を握る両手は、かすかに震えていた。
「ナイスです、なっちゃんさん!」
「うおっ……」
地面に衝突するギリギリのところで、ナツキの体はカンナの両腕の中に包まれた。名津稀の銃撃が作った一瞬の隙に、彼女を救わんと超速で駆け出していたのだ。
(来る……!)
正面からカゲクイと向き合い、名津稀は感じた。次の標的は、きっと自分だ。
「>〒/>::>!!!!」
カゲクイは叫び声を上げながら、その首を名津稀目掛けて突っ込んでくる。名津稀は左に踵を返して走りだした。
「やばいっ……!」
間近に寄られ、カゲクイの牙が彼女の頭寸前まで迫る。名津稀はほとんど反射だけでかがみ、カゲクイの下へ潜り込むように転がって回避した。急いで立ち上がり、Uターンしてこちらへ帰ってくるカゲクイの頭目掛けて、銃弾を撃ち込む。
「mq.#+!!!!!!!」
凄まじいスピードと、すべてを薙ぎ払うようなパワーを伴って突っ込んでくる頭に、銃声と共に名津稀の弾丸が突っ込んでいく。一発。二発。三発。逃げながらまた撃ち込む。四発。五発。
顔に当たったが、効いていない。一発は目に向かったが、わずかに逸れて眼球に銃弾は突き刺せなかった。地を這うように追ってくるその顔に、遂に追いつかれそうになる。
六発目……撃とうとした瞬間、名津稀は思い出す。
(弾切れ……!)
七発目は撃てない。それが彼女のウツシミであった。名津稀は交代しながら震える手でマガジンを抜く。幸運にも、足元に血痕があった。カンナの流した血だろうか。分からないまま、銃のマガジンはその血を吸って球を補充した。血液が弾丸となる。その認識でやはり正しかったらしい。
再び銃を構える。だがわずかに遅かった。カゲクイの牙は寸前まで迫っていた。
「しまっ──」
「はあああああっ!」
カンナがどこからか飛んできて、かかと落としをかまし、地面に叩きつけてカゲクイをダウンさせた。その隙にそのまま名津稀の手を取って数メートル距離を取る。そこへナツキも駆け寄って一旦合流した。
「すみません、カンナさん」
「お気になさらず。ただ、やっぱり効いてませんね」
『正面から向き合うのはまずそうだ。ナツキ、背中は貫けないか?』
トモコの声が通信機からする。
「背中……多分無理かな。鱗だし、首腹より刃通らないと思う」
「ナツキさん、口は? 体の中、どうかな……?」
名津稀は思いつき、言った。その間に、カゲクイはもう体勢を立て直して、再び血走った目で三人を睨みつけていた。下半身をくるっとひねらせて一直線になり、真っ直ぐに真正面を向いて。かかと落としをモロに喰らって衝撃は受けたが、ダメージはほとんどない、という様子であった。
「……良いかも」
『待て! よりによって一番危険な顔に近付く気か!?』
「でも、それしかないでしょう。拙者が蹴った感じでも、背中は攻撃できそうにありませんでした」
『ダメだ!! 死ぬかもしれないんだぞ!!』
「ここで倒さなきゃ、避難してる皆が死ぬかもしれないんだよ!!」
ナツキが叫ぶように言った。
『……だが……』
「大丈夫だ。俺が協力する」
突然、男の声がした。
『誰だ?』
「この声は……!」
困惑するトモコの声の傍ら、ナツキはいち早くその存在に気が付いていた。
「<○°3/-)\!!!」
だが、その声が引き金になったかのように、カゲクイは突如身を乗り出して名津稀達への襲撃を開始した。歪に体を唸らせて急接近し、よだれを纏った牙を剥き出しにして顔を三人目掛けて突っ込む。
「!!」
『危な──』
一瞬反応が遅れた三人に、その牙は届かなかった。
「……くっ……はあああああっ!!」
介入した何者かは、黒い体でカゲクイを押し返す。
「>○-〒>€→×!? >j|『9……」
カゲクイははじき返されて仰向けに地面に倒れると、すぐに体を捻らせて体勢を立て直す。
『……カゲクイが、カゲクイを攻撃した……!?』
「…………あなたは」
トモコが驚愕し、カンナとナツキが呆気に取られる中、名津稀が黒に何者かを見据えて呟いた。
カゲクイであった。そして、その黒いフォルムはどんどん小さく縮まっていく。黒いオーラが極限まで小さくなり、そこから現れたのは──
「無事だったか?」
アラミスであった。