#11「思い出」
「はぁ……はぁ……」
どのくらい道を走っただろうか。息が上がらながらも、名津稀は懸命に走ってナツキを探していた。
「あぁ、いた! ナツキさん!」
「…………なっちゃん」
壊れた塀の向こう。ボロボロになった古い小さな公園に、ナツキはいた。鎖が千切れて遊べなくなったブランコ、その横の柱に背を預けて、空を見上げていた。まぶたが赤くなっていたけど、名津稀は見なかったフリをしようと思った。
「やっと、見つけた……はぁ、はぁ」
「無理しないほうがいいよ? 体力無いんだから」
「はぁ……そんなこと……ないもん! いま、カンナさんに鍛えてもらい始めたし……!」
息がやっと落ち着いてきて、名津稀はしっかりとナツキの顔を見ることができた。
「ね。こういうのあった? そっちの世界にも」
ブランコの柱を握って、ナツキが言った。
「ブランコのこと? うん、これはあった。楽しかったな、小さい頃は」
「そっか……あたし、遊んだことないんだよね。ここ来た時はこれ、もう壊れてた。鎖が急に千切れて壊れて、ずっとそのままなんだって」
ナツキは一呼吸置いて、また唇を動かした。
「……馬鹿だよね。あたし」
「ナツキさん……」
「先生が突然死んで、悲しかった。気持ちを誤魔化して頑張って生きてきたけど、それでも辛かった。だから、また会えて嬉しかった。たとえ先生がカゲクイみたいになってても、それでもそんなの関係なくて、嬉しかった……はずなんだけどね」
それなのに、怒鳴ってしまった。それを悔いているのだと、名津稀はすぐに分かった。
「ずっと先生がホントのこと言わなかったのは、正直ムカついてた。でも、先生なりの優しさだったんだって分かってたんだ……だけど、また消えるなんて言われて…………」
「嫌だった? また会えなくなるのが」
「……うん。どう接したらいいのか分かんなくなっちゃった」
穏やかに、名津稀は問いかけてみた。ナツキはそっと頷いた。
「突然死んで、生き返れたのにまた突然消えたりして……期待させといて裏切って……理不尽だろって。なんか許せなくって……それで……あたし……」
顔を伏せて、震える声を漏らすナツキの髪に、名津稀はそっと手を伸ばした。
「好きだったんだね。アラミスさんのこと」
「……うん……」
「もっと一緒にいたいって……それだけなんでしょ? 本当に伝えたかったことは」
「…………」
今度は何も言わず、ナツキはただ頷くだけだった。
「あたし、どっか強がっちゃったのかな……ごめん。なっちゃんにあんなに偉そうに説教しといて……あたしの方だね。抗えてないのは……辛いこと、乗り越えられてないのは」
「ううん。それは、違うと思うんだ。私」
頭を撫でながら、名津稀は優しくそう言った。
「大切な人とのことなら、それは乗り越える"過去"じゃなくて……ぎゅっと抱きしめなきゃいけない、"思い出"なんじゃないかな?」
「思い……出?」
「うん。私、いい思い出なんてあんまりないから、あんまり分かってあげられないけど……たくさんの大切な思い出が、きっとナツキさんとアラミスさんを繋いでるよ。だから、強く抗うんじゃなくて、全部受け止める。正直になる。それが正しい気がするの」
過去はもう、変えられない。だから、今を大切にして欲しい。名津稀はそう思った。
「気持ちを伝えて、1秒でも一瞬でも同じ気持ちで一緒にいられれば……何があっても、きっと思い出が守ってくれる。言い切れないけど、そんな気がするんだ」
ねえ、ナツキさん。そう続けた。
「ナツキさんは……どう? アラミスさんと、一緒にいたいんじゃないの?」
「……あたし…………」
目に涙を浮かべながら、震える声でナツキは呟いた。
「……寂しくならないようにって。先生のことなんかどうでもよくなっちゃえばいいって。ああすれば先生もあたしのこと嫌いになって……そしたら2人ともどうでもいい人のまま終わって、後悔はないって思ってた」
堪え切れない心のかけらが、目から滴り落ちて地面を濡らした。
「……でも、嫌。辛いよ。あたし……あたし、ホントはあの人と一緒にいたいよ!! 嫌いになんかなれないよ!! だって、ずっと恋してきたんだもん!!」
ナツキは叫んだ。叫んで、涙をぽつぽつと溢した。
「…………うん」
ただ、聴く。聴いて、彼女の心を受け止める。それが今すべきことだと、名津稀はそう思って聴いていた。
「ずっと……大好きだったんだね」
「……大好きだよ。ずっと大好き。また別れる時が来ても、大人になっても、お婆ちゃんになっても……死んでも、きっと大好き」
「そっか……じゃあ、直しに行こう。千切れっぱなしの鎖じゃダメだよ」
そう言って、名津稀はナツキの手を握った。
「ん……にしても、なんかなっちゃん変わったね。出会った時より」
その温もりを感じながら、もう片方の手で涙を拭いて、それからナツキはそう言った。
「ううん。ただ、誰も悲しんで欲しくないだけ」
ずっと、悲しみと絶望の中で震えていたから。他の誰にも、同じ思いをして欲しくはない。名津稀の願いは、最初からずっと単純だ。
さあ──これで、何かが変わるだろうか。どうか、変わって欲しい。
(……きっと変わる。2人の気持ちは一つなんだから)
ヴーッ……ヴーッ……
「……トモコさんから?」
数秒の静かな時を破ったのは、名津稀のスマホの震える音だった。昨日トモコが改造し、通信機代わりに使えるようになったスマホだ。名津稀は応答のボタンを押して、耳のそばにスマホを持っていった。
「はい」
『なっちゃんか!? ナツキは!?』
「え、ナツキさん? はい、こっちにいますけど──」
『そうか、良かった。悪いが緊急事態だ、すぐこっちに来れるか?』
食い気味なトモコの声は、切羽詰まった様子だった。
「緊急事態……?」
『ああ。こんな昼間に信じられないが……出たんだ』
「出た?」
『カゲクイだ』
「……え!?」
危うく、スマホを落としかけた。それほどの驚愕であった。
「何?」
ナツキが尋ねた。
「カゲクイが、出たって」
「は……は!? まだ昼間じゃん、マスター!」
『そうだよ! だから緊急事態なんだ! 過去にもこんなことが数回あったらしいが……とにかく、場所はそっちに送る! すぐ来てくれ!』
「は、はいっ!」
頼んだ! トモコがそう言って、すぐに通信が切れた。スマホをポケットにしまうと、名津稀はナツキと顔を見合わせる。
「ナツキさん……」
涙を拭って、心配そうな顔の名津稀に彼女は笑みを見せた。
「行くよ。なっちゃんはあたしが守らなきゃでしょ?」
「でも──」
「"ワルキューレ"だから、あたし。行かなきゃ、みんなのために」
ナツキはそう言って踵を返し、名津稀を追い越して先へ歩き出す。
「……強いね。ナツキさん」
「ううん。往生際が悪いだけだよ」
そう語る、ナツキの表情は見えなかった。
「分かった。行こう」
ただそう言って、名津稀は後をついていくのだった。
「ここだ……」
名津稀は足を止めて、スマホの地図を確認する。トモコが改造した時に搭載された、こちらの世界の地図だ。確かに彼女が示した場所はここだ。
「マジ? 住宅地じゃん」
ナツキが呟く。広がった広い道の横には、塗装もない古びた簡素な家がいくつも連なっている。その隣や横にも、同じような構成の住宅地が広がる場所だ。窓やドアはシャッターで締め切られているが、ここにカゲクイがいるのではその中に隠れていても危険だ。
「大丈夫かな、家の中の人たち……」
怪物の規模や強さにもよるが、この辺り一帯が破壊されかねない。それは経験の薄い名津稀にも分かった。
辺りを見回していると、山が崩れるような轟音が突如遠くから聞こえてきた。
「まさか、もう暴れて──」
「うおおおおぉぉぉおおお!!??」
叫び声が轟音に連なり、何か物陰が遠くから飛んでくるのが見えた。
「あれ……あれって、カンナさん!?」
緑の髪の人間。叫び声もよく聞くと聞き慣れた声色であった。
「わああぁぁ……っと!」
飛来するカンナは空中でくるっと体を翻し、コンクリートの地面に足からストンと着地する。黒いインナーと短パンだけの身軽な姿だ。普段から大きく揺れる胸が一層振動していたが、そんなことを気にしている場合では無いと名津稀も分かっている。
「か、カンナさん……?」
「あ、ナツキさんなっちゃんさん! 来てくれましたか!」
さっきまで吹っ飛んでいたことなど全く気にしていない様子で、振り返ったカンナは左右の2人を見て言った。
「何あれ? 新技?」
「いえ! ただ単に、軽く捻られて軽く吹っ飛ばされた次第です!」
「だ、大丈夫ですか……?」
「ええ! 体だけは丈夫ですので!」
カンナは自慢げに言う。所々軽傷が見られるが、本人からすれば無傷に等しいのだろう。
『街の人らは、近くの防衛組織の基地に避難できたみたいだ。ただ、大部分の部隊が遠方に出張しているらしいんだ……遠方と連絡を取るための電波塔も、カゲクイが壊してしまったらしい。正直、救援に期待するのは難しそうだ』
カンナの腰の通信機から、トモコの声がした。
「……でも、だからこそ私たちがやらないと……」
「そゆこと。んで? 向こうにいんの?」
「はい、あっちに。ただ、ちょっと覚悟したおいた方がいいかもですねえ。今回は」
自分が吹き飛んできた方向を指差して、カンナが苦笑いしながら言う。
「…………#○9」
聞き取れない奇怪な音──カゲクイの声が、指差された方向から微かに聞こえ始めた。
「なんか、声でかくない? あいつ」
「ええ、まあ。だって……」
「z#-○#☆$8+"t___mh7・=>>-/!!!!!!」
大地が轟くような叫びと共に、凄まじいスピードでやってくる巨大な何か。
「……え?」
黒い何かに覆われ、三人の視界は暗くなった。辺りは影に包まれた。
「zm/"#[m <<>!!!!!!」
「だって、このサイズですから」
全長数十メートルはあろう、大蛇のカゲクイ。太い胴体が三人を覆って影を作る。その巨大な瞳が、上空から三人を見下ろした。名津稀の目から見上げる視界は、その真っ黒な腹に覆い尽くされた。
圧倒的な力と絶望感の前に、名津稀は息を飲んで立ち尽くすことしか出来なかった。