勇者・令奈の旅立ち
正直、まずは一人になりたい気分だった。意味不明な異世界へ召還されて、いきなり魔王軍と戦えとかまさに意味不明過ぎる。とりあえず現状把握と、気持ちを整理しないと。
しかたなく兵士Eの操縦する馬車的なものに乗り込み、街の外へとドナドナされていく。
馬車からこの世界の街並みを見ることが出来たけど、近代的な建物はなさそうだった。電気もガスもない。水道は井戸から水を汲んでいる所を見かけたので、やはり上下水道なんてものはないのだろう。某ストリートビューで暇なときに眺めていた、中世の街並みが残る欧州辺りの雰囲気に似ているだろうか。
「……」
私は戦慄していた。こんな文明の利器が一切なさそうなところで生きていけるのだろうかと。魔王退治なんてそんな非現実的なこと出来るわけがない。剣道すらやったことがないのに。
握りしめた聖剣のレプリカは、モノはいいのかもしれないけど、私には重すぎてまともに振れそうも無い。
「絶対無理。なんとかして元の世界に返して貰わないと」
「何か言いましたか?」
つぶやきが兵士Eの耳に届いたのか、顔をこちらに向けてくる。
「何でもないです。こっちの世界の人たちはどんな暮らしをしているのかしら、って思っただけ」
「そうですか、この街は大陸の中でも最先端を行く街ですよ。美と芸術の都と言われていますから。この豊かな街の平和を守る為に勇者様には頑張って頂かないといけません」
「あー。はいはい」
話すと気が重くなるので返事もそこそこに、馬車の奥へと引きこもることにした。
ドナドナされて、どれだけの時間が経っただろうか。
時間――と考えて、スマホの存在を思い出した。
慌ててバッグの中を漁り、スマホを取り出す。
ほんの数十分程度ぶりに触ったスマホだったが、文明の利器に触れているだけで心が落ち着いてくる。
「ああっ、この人類の叡智が私を癒やすわぁ」
スリープを解除すると画面が明るく輝き、16時14分という時刻と共にロック画面が表示された。
「ネットは当然繋がってないか……」
無情にもWi-Fiの電波も何も拾っていなかった。
そして、恐ろしいことに気がついた。
「ヤバい。充電六割しかないじゃん」
充電器は持っているけど、電気が無ければ意味は無い。
この充電が切れたら、ただの文鎮と化してしまう。
必要な時以外はシャットダウンしておいた方がよさそうだ。
の、前に――
街の外へスマホを向けて、一枚写真を撮っておいた。
ついでに自分も入れてもう一枚。
私が変なところへ来てしまった証拠だ。元の世界に戻れたらSNSに投稿してバズらせよう。
****
その後、十分くらい経った頃だろうか。ようやく馬車が止まった。
「街の正門へ到着しました。勇者様、荷物を持ち、降りて下さい」
「はいはい」
気が重い。足も重い。それでも一度降りて街を出ないと、この兵士Eは任務が終わっていないとして、私を意地でも追い出すのだろう。
街の正門は、それなりに頑丈そうな作りで、三階建ての家くらいの高さの塀と一体になっていた。塀はぐるりと街を覆うようにして一周しているようで、外敵からの侵入を防ぐ役割を立派にしているように見えた。それは同時に、外敵がいる――つまりは魔王軍が本当にいるのだと思い知らされた。
私が馬車を降りると、正門の警備をしていた兵士が敬礼をしてくる。それに応える気力も無く、剣を背負いバッグを背負い、私は正門の前まで歩いて行った。
「ここから少し行ったところに鉱山の街があります。そこではここよりも武器や防具と行った装備が充実していますから、何か欲しいものがあればそちらで買うのをお勧めします。冒険者が立ち寄る街としても有名ですから、仲間が必要なら募集することもできましょう」
「そう……」
仲間ねぇ……。魔王退治する気のない私には不要な存在な気がする。
「それでは不肖ではありますが、勇者様の旅立ちを私が見送らせて頂きます」
兵士Eが警備の兵士に何か合図を送る。すると、正門がギギギギギと言う音と共に開かれていく。
ああ、本当に私追い出されるんだわ。と実感が湧いてきた。
「勇者様ご出立!」
兵士Eの大声に押されるようにして、門の外へ向かって足が動いてしまう。
「あのさ、もうこの街に来ちゃいけないの?」
「そんなことはありません。何か手柄を立てた時など、いつでも報告に来て頂いて構いません。魔王軍の幹部を倒したとか、魔王軍を倒す有益な情報を得たとか、珍しいアイテムを手に入れたとか。さすれば国王様より褒美が授けられるでしょうし、勇者様が魔王を倒す見込みがあるとわかれば、オリジナルの聖剣や、伝説の装備のありかを教えてもらえるかもしれません」
「実績を作って来いってことね。それが出来ない勇者にレアアイテムはあげられないと」
「言ってしまえばそういうことになります」
相変わらず素直に教えてくれるのはいいけど、他人の力頼りのやり方が気に入らない。
「再び勇者様がこの街を訪れ、その際には魔王軍との壮絶な戦いの話が聞けることを楽しみにしています」
「……そんな日は来ないと思うけどね」
ぼそっと兵士Eの背中に向けて呟く。
「何か言いましたか?」
「いいえ何も。期待してねって言ったの」
「はい、期待しております」
兵士Eと共に、正門をくぐると、街道は繋がっているけど、家一つ無い大自然が広がっていた。周囲にお店の一つ無い田舎のおばあちゃんちを思い出してしまう。ピクニックでもしたら気持ちよさそうではあるのだけど……。
「それでは勇者様、旅のこ無事を」
兵士Eが背筋を伸ばして、敬礼をする。
もう待ったなし、本当に今から旅立たないといけないんだと、絶望的な気分になる。
「あ、あのさっ」
「なんでしょう」
街へ戻りたいと言っても絶対に聞いてくれそうにないので、別のお願いをしてみることにした。
「乗り物貸して欲しいなぁ、なんて。次の街まででもいいから、そっちに置いておくから、あとから取りに来て、みたいな?」
少し体をしならせて、可愛さアピールしながらお願いしてみる。
「うーん、そうですね」
兵士Eはまったくこちらの色仕掛けに反応する様子も見せず、考え込む。
「本来は勇者様自身の足でこの世界を歩いて頂き、この世界がいかに魔物によって脅威にさらされているか見極めて旅をして頂きたいのですが、まあ構わないでしょう」
「ほんとっ?」
「今乗ってきた馬車を引いていたウッマを一頭貸して差し上げます」
「ウッマって言うんだ。ぶふふっ」
「どうかしましたか?」
兵士Eがウッマと馬車が繋がっている器具を外してこちらへ連れてくる。
「いいえ、なんでもないわ。私のいた世界と似た呼ばれ方をしていたから面白かっただけよ」
「そうですか。ウッマは山岳地帯を歩くことは出来ませんから次の街まで行くのがギリギリといったところでしょう。道中険しい道があれば、そこで乗り捨ててくれて構いませんので」
「あら、そう?」
「多分勝手にこちらへ帰ってくるでしょう」
「多分なのね」
「大丈夫だよな、ウッマ? お前は帰ってこれるやつだよな?」
兵士Eに背中を叩かれたウッマは、「?」という表情をしていた。多分これダメなやつだと思ったが、やっぱり貸せないと言われたら困るので黙っておく。
ウッマに鞍は乗せられているが、荷物を掛けられるような箇所はなかったのでバッグと剣を背負い、兵士Eに助けられながらなんとかウッマの背に乗ると、なんとなく旅立ちに対して前向きな気分が出てきた気がする。ウッマは馬っぽいことは馬っぽいのだけど、実際にはポニーくらいの大きさなので、乗っても高さ的な怖さは無い。背は低いが足は太く安定感と馬力はありそうな感じだ。
とはいえ、馬に乗ったこともなければウッマに乗ったのも当然初めてなので、手綱を短く握り、ほとんど首にしがみつくような態勢になる。
「なるほど、それが勇者様の居た世界での乗り方ですか、ふっ」
「ちょっと今馬鹿にしたでしょっ!」
兵士Eが鼻で笑ったのを私は聞き逃さなかった。
「とんでもございません」
「まあいいわ。これ以上ここにいてもしょうがないものね」
私が指示をするまでも無く、ウッマは勝手に歩き始めていた。行き先がわかっているのかわかっていないのかは不明だが、一応鉱山の町の方へは向かっているらしい。
「ウッマ、頼むわよ。貴方だけが頼りなんだからね」
首筋をポンと叩くと、ウッマはヒンッとだけ小さく鳴いた。
「勇者様、必ずや魔王を倒して――せめて有益な情報だけでも持ち帰って下さいね」
兵士Eはとことん失礼だ。こいつ私に勇者としての働きを期待していないに違いない。
「べーっだ。まあすぐに帰ってきてあげるから見てなさいよ」
「はい、楽しみにお待ちしております」
手を振りながら見送ってくれる兵士Eに舌を出しながら、ついに私は冒険の旅へと出てしまった。ほんの少し前まで学校から帰る途中だったというのに、なんでこんなことになっているんだか。正直今も頭が混乱して、正常な判断が出来ていない気がする。もう少し落ち着いていたら、絶対に街から出ずに、元の世界へ返せとわめき散らしていたことだろう。だとするならば、召還した勇者をすぐに街の外へ行かせてしまうという判断は正しかったのだろう。
やり方には色々と文句を言いたいが、それも戻ってこれたらの話だ。
とにもかくにも私は勇者としての第一歩を踏み出してしまった。
……まあ、やる気はないけどねっ!
「あーあ、早く元の世界に帰りたいわ」
私が呟くと、ウッマがブフっと鳴いた。
「ちょっと、今馬鹿にするような鳴き方しなかった?」
「……」
私の問いに、当然ながらウッマは何も答えなかった。
しばらく令奈の一人旅が続きます。