三、女神様と一緒⁉
「──聞いて聞いて、楓。私昨日、戦国時代にタイムトラベルしてしまったの!」
「……はあ?」
「しかも偶然織田信長と出会って、酒を酌み交わしていろいろな話をして、それで気がついたら、元通りにこの時代の自分のベッドの上で寝ていたのよ!」
「信長……それに酒を酌み交わしたって……。恵あなた、未成年でしょうが⁉ ──いや、そんなことよりも。気がついたらベッドの上に寝ていたって、つまりあなたは単に、『戦国時代にタイムトラベルをする夢』を見ていただけじゃないの?」
「へ? そ、そんなことはないわ! 私確かに戦国時代に──」
「本当〜に、そう断言できるわけ?」
「え、ええと。そう言われてみると、夢だったかも……。いやいや、あれは間違いなくタイムトラベルなのであって! ……タイムトラベルだったんだよ? たぶん。う、う〜む。何だか私自身、自信がなくなってきたような」
「まったく、人騒がせな。いつまでも寝ぼけているんじゃないわよ。ほら、もうすぐホームルームが始まるわよ」
「……ねえ、楓」
「何よ、他にも何か変な夢を見たとか言い出すつもりじゃないでしょうね?」
「そもそも夢とタイムトラベルって、どう違うの?」
「──え?」
「過去に行って無事に現代へと戻ってこれた場合、それが本物のタイムトラベルだったのか、それとも単なる夢に過ぎないのか、どうやって区別をつければいいわけ?」
「うえっ? い、いや、その……」
「もしかして、もしかしたらよ? 夢とタイムトラベルって、実のところは同じようなものなのかも知れないわよ?」
──っ。
三、女神様と一緒⁉
「──ちょっと、何でフルコースのフランス料理のデザートが、チョコレートと揚げパンなのよ⁉ しかも何、この山盛りの量は? まるでこっちのほうがメインディッシュみたいじゃないの⁉」
別に外出先でもないというのに、華美で装飾過多のゴスロリドレスで着飾ったその少女は、自分の目の前に運ばれてきたスイーツ類を見るなり、烈火のごとく怒鳴りだした。
「恐れながら、我が女神歌音よ。それは世界各国の高級料理に精通したスーパー万能家政婦の生田さん(パートタイム・四十四歳)が、腕によりをかけて作ってくださった、まさにできたてほやほやの逸品なのですが?」
そこですかさず取りなしたのは、なぜかこんな夜更けだというのにいまだ居座り続けている、有能編集女史であった。
「別に私は、出来栄えがどうしたとか味がどうしたとか、言っているわけじゃないの! 何でデザートだけが妙に庶民臭いのよ。これじゃ明らかにミスマッチでしょうが⁉」
「ああ、それは私がお願いしたのです。何せこの業界のこれまでのパターンだと、毒舌高飛車ゴスロリ少女キャラには、何かしら特定の嗜好品があるというのがお約束でありまして、とりあえず先行作品をいくつか参考にしてチョコレートと揚げパンをお出ししたのですが、もちろん歌音さんほうで何かこだわりのリクエストがお有りでしたら、次回からさっそく御用意いたしますわ」
「だったら当然、どら焼きよ! いっそコースの最初から最後まで、どら焼き尽くしでも構わないわ! 私を満足させるどら焼きを作れたら、我が御神楽家門外不出の禁忌の便利呪具を使わせてあげる! ただしあとで未来から法外な請求書が来て、家財一式没収されたあげく別の時代に連れて行かれて、奴隷として死ぬまでこき使われることになるけどね!」
どことなく危険で何だかちょっぴりメタっぽい会話を交わし続ける、編集者と幼い少女。聞いている身としてはひやひやものであった。
……いったい何なのよ、この状況は。
私は自分の家のダイニングで繰り広げられている、三文コメディ小説そのもののやりとりを見ながら、うんざりとため息をついた。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
『物語の女神』との衝撃的な出会いの折、実際に『恵の夢』を見せられたあとで、
「これであなたが夢魔に取り憑かれていることが判明したわけだから、物語の女神としては看過できないわ。よってこれからは二十四時間つきっきりで監視して、この手で夢魔を追い払ってあげる。あなたもせいぜい女神様の寛大なる御慈悲に感謝して、心から崇め奉るがいいわ」
──などと一方的に宣言して、何とその少女は当然の顔をして、都内の閑静な住宅街にある三階建てのコンクリート打ちっ放しのモダンな外装を誇る、私の仕事場兼自宅へと転がり込んできたのだ。
しかも他人の家で世話になるというのに遠慮や慎みなどは微塵もなく、態度は初対面のとき同様常に毒舌高飛車だわ、何かにつけ贅沢な要求をしておいて、実際に出された料理やあてがわれた客間の内装や調度品等にはいちいちいちゃもんをつけるわといった、やりたい放題の有り様であった。
女神様だか女王様だか知らないが、さすがの私も堪忍袋の緒が切れて、あわや「文句があるなら出て行け!」と怒鳴りつけようとしたところ、すかさず間に割って入って止めにきたのは、何と担当編集の天原ひろみ嬢だった。
気がつけば彼女自身も、日中に限ってとはいえこの家に常駐するようになっていて、自ら率先して歌音の世話を焼いていき、心配した私が「他の仕事はどうなっているの?」と尋ねれば、「そんなことよりも、出版界最大のVIPである物語の女神様のほうが百万倍も重要なのです。御安心を。私はすでに社長命令により、歌音さん専任のお世話係を拝命しておりますので」などと言い出す始末なのである。
しかも彼女は出版人としてだけでなく、生まれながらの文学少女として個人的にも物語の女神である歌音に心酔しているようであり、私がこの厄介極まる同居人の横暴に耐えかねつい怒りを爆発させようとすれば必ず、「女神様の御命令は絶対なのです」とか、「たとえ人気ベストセラー作家である先生であろうと、彼女に逆らうことは許されないのです」などとなだめすかしてきて、今や我が家のすべては歌音の思うがままに成り果てているという状況であった。
「……ったく、どうしてこんなことになったのよ」
揚げパンをひとかじりしながら、思わずつぶやけば、案の定すかさず取りなしてくる担当編集者。
「まあまあ先生、そうおっしゃらずに。ちょっぴりわがままな娘さんが、一人ばかし増えたと思われればよろしいではありませんか」
「ちょ、ちょっぴりい⁉」
ディナーは必ずフルコースにしろとか、一目客間を見るなり壁紙の色が気にくわないから張り替えろとか、いきなり入浴中に呼び出して背中を流せとかいった、諸々の所業が、『ちょっぴりわがまま』ですと⁉
衝撃のあまり言葉をなくす私を見て、さすがに己の失言のほどに気づいたのか、慌てていかにもわざとらしく話題を変えるひろみ嬢。
「そ、そうですわ、娘さんといえば、歌音さんと紅葉ちゃんってちょうど同じ年頃だから、いっそこの際、お友達になってみたりしてはいかがでしょうか?」
……はあ?
そのあまりに脈略のない話の持って行きように、今度は別の意味で二の句が継げなくなる小説家兼母親。
当然ディナーの席には私の娘である紅葉の姿もあるわけだが、残念ながらこれまでずっと、いつもながらの存在感のなさと発言の皆無によって、描写をスルーされていたのだ。
今も自分が話題にのぼったというのに何の反応も見せず、食後のコーヒーを飲み続けるばかりの娘であったが、意外にも女神様のほうは、そんな彼女に興味津々の御様子であった。
「……ふうん、紅葉さんて言ったわね。あなたもお母さんみたいに、将来小説家になる気はあるの?」
ほう、さすがは出版界の誇るVIP。さっそく青田買いですか。
「……いえ、そんなつもりはさらさらないわ」
いつものごとくぼそぼそと、蚊の鳴くような声を返してくる我が娘。
「どうしてよ、あなたさえその気なら、出版界を挙げて全力でサポートしてあげるわよ。御存じかと思うけど、有名作家の娘とか息子とかをデビューさせるのは、業界としても何かと都合がいいのよ。親のネームバリューのお陰で認知度は高いし、端から業界のしきたりなんかも熟知してくれていて扱いやすいし、しかも親子二代にわたって人気ジャンルのいじめ小説家だったりすれば、宣伝効果も抜群だしね」
「──冗談じゃないわ! 誰が小説家なんかになるものですか!」
歌音の台詞を言葉途中で遮り怒鳴りつけるや、テーブルに両手をたたきつけるようにして立ち上がる紅葉。
烈火のごとく怒りに燃えている、黒曜石の瞳。
「小説家なんか、みんなクズみたいなものじゃない! 特にいじめ小説家なんて最低だわ! 他人の不幸を面白おかしく作り話としてでっち上げて、金や名声を手に入れて、ベストセラー作家と呼ばれて悦に入って。何が人気作家よ、文化人よ、ただの面の皮の厚い恥知らずじゃないの⁉」
「……も、紅葉ちゃん?」
クーデレ無口少女の突然の熱弁に、唖然となる編集者。
しかしそんなまともな反応を示したのは彼女だけで、歌音はニヤニヤと笑みを浮かべるばかりだし、私はと言うと、すでに口よりも先に手が出ていた。
「──きゃっ!」
「先生⁉」
渾身の平手打ちをくらい、テーブルへと倒れ込む娘。はじき飛ばされたカップからこぼれ出たコーヒーが、テーブルクロスに染み渡っていく。
「……随分と御立派なことばかりさえずるものよね。あなたいったい何様のつもりなの?」
「──っ」
私のほうを睨みつけてくる、憎々しげな瞳。
この子の普段の無表情の仮面の下には、これほどまでに激しい感情が隠されていたのか。
「あなたは私に養ってもらっているのでしょうが? 目の前にある食べ物も着ている服も住んでいる家も、すべて私があなたに恵んでやっているのよ。だったらたとえ私が、小説家だろうが、詐欺師だろうが、人殺しだろうが、ただ殊勝に感謝すべきじゃないの? そんな生意気なことを言うのは、自分の手で稼げるようになってからになさい。──ただし、勘違いはしないでね。別にあなたの言っていることが間違っているわけではないのよ。確かに私はいじめ小説家であり、最低のクズでしょうね。つまりあなたはそのクズの娘であり、あなた自身も人の不幸を食い物にして、生きているってことなのよ!」
「くっ!」
もはや返す言葉もなく怒りと羞恥で真っ赤になりながら、部屋を飛び出していく娘。
「あっ、紅葉ちゃん⁉」
「いいから、ほっときなさい。あの年頃の子供は、甘やかせばつけ上がるだけだから」
私の母親としてはそっけなさ過ぎる言葉に不服そうにしながらも、上げかけた腰を再び椅子へとおろす編集者。
そこに唐突に聞こえてくる、まばらな拍手。
「いいわね、今の啖呵。さすがは当代きっての人気いじめ小説家、見事なクズっぷりだこと。私が見込んだ『語り部』だけはあるわ」
「──なっ⁉」
振り向けば相も変わらぬにやついた笑顔で、歌音がわざとらしく手を叩いていた。
「それにひきかえ娘さんのほうは、どうやら小説家になるのはお気に召さないようね。まあ確かに感受性が強いのはいいんだけど、あんなお奇麗で真っ直ぐな心しか持たないんじゃ、どの道小説なんかを書くような、厚顔無恥なクズ人間になるには無理でしょうけどね」
言いたい放題言い終えるや、素知らぬ顔をしてコーヒーカップを傾けていく少女。
その人を小馬鹿にしきった言動に、ついに私の我慢は限界を迎えた。
「ふざけないでよ! 女神様だか何だか知らないけれど、勝手なことばかり言ってるんじゃないわよ! 夢魔を退治するとか何とか言って人の家に乗り込んできていながら、あれこれ引っかき回してばかりで、肝心なことは何もしようとはしないんだから。この一週間ときたら、日中はだらだら寝転がってばかりだし。あなた本当に、これまであまたの小説家たちを教え導いてきて、今や出版界の守り神とまで呼ばれている、物語の女神なの⁉ 女神ならもっと女神らしいところを見せなさいよ!」
もはや我を忘れて、テーブルから身を乗り出してわめき立てる小説家。
しかし目の前の幼い少女は、まったく動じることなぞなかった。
「言いたいことは、それだけかしら? やれやれ、愚鈍なメス豚は、これだから困るのよねえ」
「な、何ですってえっ⁉」
「私がただだらだらと寝転がっているですって? いったいどこに目をつけているのやら。あれは物語の女神ならではの、創作スタイルなのよ?」
……はあ? 創作スタイルって。
「あなたねえ、私の噂を聞いているのなら知っているはずでしょうが。『物語の女神は自らの魂を、人の夢や小説等の創作物の中に入り込ませることができる』って。つまり私は実際に物語の世界に入って、登場人物の一員になって直接ストーリーを体験したり、その気になればその世界そのものを変えて、新しい物語を生み出すことすらできるのよ」
「物語の中に入って、世界そのものを変えるですって? そんなことが現実にできるわけがないじゃない。何をいきなりファンタジー小説みたいなことを言い出しているのよ⁉」
「──本当です、先生」
そのときやけに真剣な表情で口を挟んできたのは、これまで沈黙を守っていた担当編集者だった。
「夢や創作物の中への『ダイブ能力』、実はこれこそが物語の女神の力の根幹なのです。そしてそれは夢や創作物の中だからこそ、可能とも言えるのですよ。先日も申しましたが、現実世界を本当に変えてしまえば、それはまさしくファンタジー小説やライトノベル等に過ぎなくなりますが、夢や虚構の世界をいくら変えようが、現実世界にはまったく影響を及ぼすことはなく、現実性を現実性のままで確固として守り抜くことができるわけであり、つまり夢や虚構の世界を変えることはむしろ、『現実の出来事』と見なすことすら可能なのです」
……また始まったよ。ひろみ嬢お得意の詭弁極論何でもありの、わけのわからないメタ蘊蓄論法が。
「だったら、あくまでも現実サイドにいる私たちには、夢や物語の世界がどう変化したのか確認できないわけであり、女神が本当にそんな不思議な力を持っているのか、証明できないってことじゃないの?」
おお、我ながら、理路整然とした反論であることよ。
いくらリアリティを守るためとはいえ、屁理屈ばかりこねていて、ファンタジー小説やライトノベルならではの、わかりやすくて派手なビジュアル的展開を避けてばかりじゃ、読者サービス的にも本末転倒だものね。
「いいわ。何だったらそのうちあなたを連れて、物語の世界へダイブをして見せましょうか?」
「──なっ⁉ そ、そんなことまでできるの⁉」
女神様の思わぬ申し出に面食らう私を、いかにも面白そうに見つめている、黒水晶の瞳。
「当然でしょ、物語の女神の力をなめるんじゃないわよ。そこのメガネ編集が言った通り、何も現実世界で漫画じみたサイキックパワーを御披露するわけでもないし。むしろそこが物語の世界であれば、物語の女神にとっては不可能なことはないってわけなのよ。──それにそもそもあなただって、昔実際にやったことがあるでしょう?」
「え? 私がそのダイブとやらを、やったことがあるですって?」
「あらあら、忘れたの? あんなに何度も、あなたの大切な『親友さん』と、お楽しみになられていたというのに」
「──っ!」
な、何であなたが、『アレ』のことを知っているのよ⁉
アレは私と恵の二人だけの、『秘密の遊戯』だったはずなのに。
「だ、ダイブのことなんかは、ひとまずどうでもいいから、それよりもまずは、私の夢の中に棲みついているという夢魔とやらのほうを、とっととどうにかしなさいよ! むしろそっちのほうが、物語の女神としての本来の務めでしょうが⁉ というか、そもそも本当に私の夢の中に、夢魔なんかがいるわけなの⁉」
これ以上の追及を逃れるために、慌てて話題を変えた私に対し、ほとほと呆れ果てたかのようにして、ため息をつかれる女神様。……何だか失礼なやつだな。
「やれやれ、それは初めに会ったときに、一緒にトリップして見せてあげたでしょうが、この鳥頭!」
……あ。そういえば、そうでした。
「いい? あなたはいまいち信じていないようだけど、このままではあなたの魂は夢魔に囚われてしまって、そのまま二十年前の過去の世界の中に閉じ込められかねないのよ?」
「はあ? 過去の世界って。それって夢の世界の間違いじゃないの? 何と言っても、相手は夢魔なんだし」
「あら、知らなかったの? 過去の世界へのタイムトラベルとはすなわち、『過去の夢を見ること』そのものなのよ」
「へ?」
何よ? いったいこの子ってば、何を言い出す気なの?
「──そう。夢魔の力があれば、本物のタイムトラベルを実現することができるの」
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「か、感激です! いよいよ物語の女神様御自らによる、小説作成講座を拝聴することができるのですね!」
肘同士が触れ合うほどのすぐ隣で、歓喜の涙にむせびつつ声をあげる編集者。
私と同様に、書斎の床の上に正座しながら。
……とほほ、何でこんなことになったのだろう。
先刻歌音が何だか意味あり気な台詞を口にしたとたん、なぜだかひろみ嬢が異常に興奮して、「これは一生に一度あるかないかの僥倖です。せっかくですので場所を改めて、じっくりと御教授願いましょう!」などと言い出して、三人そろって私の仕事部屋にやって来たのだが、『御指導モード』の女神様に失礼があってはならぬと、自身のみならず私にまで正座をすることを強要する始末であった。
「……それで、夢魔ならば本物の過去へのタイムトラベルを実現できるって、いったいどういうことなのよ? そもそもタイムトラベルというものはタイムマシンを使って行うもので、つまりは科学技術が現代よりもはるかに発達した遠い未来でしかなし得ず、現代から過去へ行く場合は、普通タイムスリップとか呼ばれる偶発的なものじゃなかったっけ?」
こんな馬鹿馬鹿しい状況は早く終わらすに限ると、私はいやいやながらも率先して口火を切った。
「おっ、いい質問ね。さすがは現役小説家、畑違いとはいえ、最低限の知識は押さえているってわけね。だったらお聞きしますけど、あなたが今言ったように遠い未来の話でもいいから、タイムトラベルというものは果たして本当に実現することができると思って?」
相変わらず何だか人を不快にさせずにはおられない、ニヤニヤ笑顔で尋ねてくる女神様。
無知と侮られるのも癪なので、なけなしのSF的知識をかき集めて何とか口を開いた。
「ええと、相対性理論によると光速を超える手段を得ない限りは原則的に不可能らしいけど、たとえばブラックホールとホワイトホールを相互に干渉させて重力場を歪めて時間の流れを変調させたり、ワームホールを使うことによって時空間の移動を短縮すれば、実現できる可能性がなきにしもあらずという話もあったような……」
「あ〜あ、やはりいじめ小説家風情じゃ、駄目駄目ね。早くもメッキがはがれたわ」
「──なっ⁉」
「あなたさあ、今のそれって、まんまSF小説とか海外の科学雑誌の、受け売りでしょう?」
「うぐっ」
そ、それは確かに、そうなんだけど……。
「そもそもタイムトラベル自体が、本来あり得ない絵空事に過ぎないのに、その可能性を説明するのに、ブラックホールとかワームホールとかいうこれまた眉唾物を持ち出してきたんじゃ、何の説明にもなっていないというか、はっきり言って屋上屋を架したり嘘を嘘で塗り固めるようなものじゃないの。いい? いやしくも小説家たる者、自ら小説等の創作物に記されていることを鵜呑みにすることなぞは、断じてならないの。何せ小説における常識は、世間一般においては非常識でしかないのですからね。つまりタイムトラベルなんていうSF小説における約束事に対しては、まず最初にその実現性を否定するところから始めなければならないのよ」
「……え? 実現性を否定するところから始めるって、いったいどういうことなのよ?」
「すなわち、現代人が突然過去へとタイムスリップしたり、未来人がタイムマシンを使って現代へとやって来ることが、もはや『当たり前』になってしまっているSF小説の中では、本当の意味で現実的なタイムトラベルを実現することなぞ、けしてできないっていうことよ。むしろ今や完全に錆びついてしまっている旧来のSF小説の流儀を否定しなければ、真に理想的なSF小説は創れないわけなんだしね」
「はあ⁉ 何をしれっと、とんでもないこと言い出しているのよ⁉ あなたこの瞬間に、すべてのSF小説家やSFマニアを敵に回したようなものよ。第一これじゃ始めるどころか、この時点で話が終わっているじゃないの⁉」
「そんなことはないわよ。たとえSF小説の中でタイムトラベルが実現できなくても、いっそのことこの現実世界でタイムトラベルを実現させて、それを基にして小説を書けばいいわけじゃない」
「な、何を無茶苦茶言っているのよ⁉ SF小説の中でさえ実現できないことが、現実世界で実現できっこないでしょうが⁉」
「──何度も同じことを言わせるでない、この愚か者が! おまえら小説家がそのように古びた固定観念にばかりすがり続けるから、けして真に新しい小説を生み出すことができないのだろうが⁉」
いきなりふざけきった笑みを消し去るや、鳴り響く裂帛の一喝。
私はそのとき初めて、目の前の幼い少女の中に、『神』の威光を垣間見た。
「いい? よく胸に手を当てて、思い出してちょうだい。あなただって一度や二度くらいは、実際に過去の世界に行ったことがあるはずよ」
は? いや、私にはけして、タイムトラベルの経験なんてないんですけど……。
「つまり夢の中で昔の自分に戻ったり、死んでしまった人と再び会えたことがないかって、聞いているわけ」
あっ。
「……いやしかし、夢はあくまでも夢であって。たとえ過去の世界に行ったところで、それは一夜限りの儚い幻のようなものなのであって──」
「それはタイムトラベルだって、同じことじゃないの」
へ?
「たとえば本当に戦国時代にタイムスリップして、無事に戻ってきたとしましょう。当然最初は実際にタイムトラベルをすることができたと大喜びでしょうけど、それが一年二年五年十年とたっていったあとでも、確かに現実の出来事であったと、確信し続けることができるかしら? むしろいつしか、一夜限りの夢を見ただけだったんじゃないかと、思うようになるのではないかしら?」
──‼
「あなたでもわかるように、最初から極力単純に説明してあげるわ。そうすれば、タイムトラベルが夢そのものであることが理解できるはずだから。言ってみればタイムトラベルとは当然、『元の時代に戻ってこれるか、あるいは戻ってこれないか』の二通りしかないわけ。だからこそすべてのタイムトラベルという『現象』は、夢に過ぎないと言い切れるのよ」
……そりゃあタイムトラベルに限らずどこかに出かけたら、戻ってくるかこないかの二択になるのはわかるけど、何でそれがタイムトラベルが夢だってことに繋がるわけ?
「たとえば過去にタイムトラベルして、いろいろあったあとで無事元の世界に戻ってこれた場合、たとえその時点においては本物の体験だという実感を伴っていたとしても、夢か現実かは突きつめれば証明も判別もできないのであり、そのうちだんだんと時がたっていくにつれて、自分自身でもあやふやとなり、『もしかしたらあれは、夢を見ていただけだったのかも……』と思うようになっても、無理からぬ話なの。実はそれは元の世界に戻れずに、ずっと過去の世界に居続けることになってしまった場合においても同様で、さすがに本人が正真正銘21世紀の人間ということもあり、最初のうちは『本当にタイムトラベルができた!』と感激にむせぶでしょうけど、十年も二十年も現地にとどまり続けて、21世紀の情報を分かち合える者が誰一人いない中にあっては、いつしか『自分が21世紀から来たというのは、もしかしたら夢だったのかも……』と思い始めても、至極当然な結果に過ぎないの。つまり元の時代に戻ってこようがこれまいがどっちにしろ、結局のところ『タイムトラベルを行ったという現象』については、夢のようなものに過ぎなかったことになるというわけなのよ」
な、何だその、トンデモ新解釈は⁉ いや、言っている内容は、確かに筋が通っているんだけど……。
「まったく、こんな簡単なことに気づかないなんて、本当にSF小説家なんておめでたい連中よね。そんなんだからそもそもタイムトラベル自体があり得ないというのに、そのうえ更にタイムパラドックスなどという、馬鹿げたインチキ理論を生み出したりするのよ。『タイムトラベルとは元の時代に戻ってこれるかこれないかの二択であり、それゆえに夢に過ぎないのだ』という基本原理さえ踏まえていれば、タイムパラドックスなんてけしてあり得ないことは、自明の理なのにね。たとえばタイムパラドックスの代表例である、『生まれる前の過去の時代にタイムトラベルして、自分の父親を殺したらどうなるか?』について言えば、父親を殺したあと無事に元の時代に戻ってこれた場合は、過去に行ったこと自体が夢を見ていたようなものに過ぎなくなるから、父親殺しの事実自体もなかったことになり、元の時代に戻ってこれない場合は、自分がその時代よりも未来の人間であること──つまりは、父親の息子であるという事実自体が夢だったということになり、『父親だと思い込んでいた赤の他人』を殺したところで、警察に捕まるか病院に入院させられることになるだけで、どっちにしろ結果的には、タイムパラドックスなぞ起こり得ないというわけなのよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、いくら何でもそれは極論過ぎるでしょうが⁉ それじゃまるで単なる夢オチじゃないの⁉」
「ええ、そうよ。夢オチのどこが悪いと言うの?」
「はあ⁉」
「あのね、あなたたち旧時代の小説家がぼけっとしているうちに、残念ながら時代はすでに変わってしまったの。もはや夢オチは小説等の創作物においては、禁じ手でもワンパターンでもなくなっているのよ。というのも、現在若者たちの間でネットゲームが流行っているのを受ける形で、ライトノベル等を中心にして、登場人物がゲームの世界の中に入り込んでしまうというパターンの作品が人気を博しているんだけど、そこで重要な役割を果たしているのが、いわゆる『ログアウト』という手法なの」
「ログアウトって、パソコンとかで作業を一時中断するときに使うコマンドだっけ?」
「そう。ネトゲでも同様に、ゲームの世界からいったん離脱する際に使用されるコマンドなんだけど、ゲーマーにとってはむしろ、ゲーム中に大ピンチに陥ったりその他何か不都合が生じたときに使われることのほうが多く、今や『脱出手段』としての意味合いのほうが大きくなっているのよ」
「脱出……手段?」
「たとえば、タイムマシンが故障して過去の時代に置き去りにされたときとか、宇宙船が不時着して未知の惑星でのサバイバルを余儀なくされたときとか、中世ヨーロッパの古城で吸血鬼の群れに取り囲まれたときとか、異世界に召喚されて無理やり勇者に仕立て上げられてドラゴンと闘わされたときとか、それが現実の話であれば絶体絶命の大ピンチだけど、ゲームなら『ログアウト』を、夢なら『夢オチ』という脱出手段を使うことによって、無事に平凡極まりない日常空間に生還できるというわけ。むしろ夢オチこそが、タイムトラベルなどという異常な状況に巻き込まれた際における、唯一正当な帰還方法とも言えるのよ」
「じゃ、じゃあ、仮にその脱出手段が使えず過去の世界にとどまり続ける場合は、先ほどの理論にあったように、元いた日常空間のほうが夢になってしまうというわけ? 百歩譲って、過去の世界が夢に過ぎなかったことになるというのは理解できなくもないけれど、自分がそれまで生まれ育ってきた世界が夢になってしまうなんて、あり得っこないでしょうが⁉」
「何を言ってるのよ、最初に言っておいたでしょ? すべてはそもそもタイムトラベル自体があり得ないということを、念頭において論じていくべきだって。つまりはこれからずっと過去の世界で生きていかなくてはならなくなった場合、いつまでも自分は本当にタイムトラベルをしたんだと信じ続けるよりも、元の世界のほうが夢だったと思い直すほうが、自分に対しても他人に対しても、よほど現実的だと思うけど? たとえばあなたが過去の世界に飛ばされたとして、いきなり周りの人たちに対して、『実は私は未来からきたんだ』とか言い出したりしたら、すぐさま病院送りになることでしょうね」
「──うっ」
ある意味至極御もっともと思われる少女の言葉に、思わず言葉を詰まらす小説家。
それを見るや女神様は、更に不敵な笑みを深紅の唇に浮かべた。
「でもねえ、あなたの言うこともわからないでもないの。タイムトラベルなんていう異常事態が起こって、夢オチという脱出手段を使うことのできないまま過去の世界で暮らし続けることになり、元いた時代のほうが夢になってしまうなんて、普通はあり得るはずがないの。──つまりそこには、何か人智を超えた力を持った存在の介入があったというわけなのよ」
「……人智を超えた力を持った、存在って」
「それこそがまさしく夢魔と呼ばれし、夢の中の魔物たちなの」
──っ!
「自由自在に人々の夢の間を行き来して、これと狙いを定めた対象を惑わすために、夢の世界そのものを変容することすらできるという、夢の中においては絶対的な超常の力を誇る彼らならば、実のところは過去の夢を見ているという行為に過ぎないタイムトラベルにおける、夢オチという唯一正当な脱出手段さえ無効化し、そのまま偽りの過去の世界の中に閉じ込めることによって、そこに囚われた者たちにとっての現実と過去とを逆転させて、元いた世界のほうこそを夢のようなものであったことにさえできるの。すなわち現在世間を騒がせている昏睡事件の被害者の皆様は、実は夢魔によって過去の夢の世界に囚われ続けているというわけなのよ。まあ、それはあなた自身も、今やまったく同じ状況にあるんですけどね」
「──っ。それって、まさか⁉」
「そう。あなたの夢の中に棲みついている夢魔──つまり恵さんは、あなたをあの二十年前の、思い出の世界へと引きずり込もうとしているのよ」