最終話、夢のつづき。
終章、夢のつづき。
そして私たちは夢から目覚め、完全なる現実世界を取り戻したのである。
程なくして、昏睡状態だった人たちもすべて眠りから覚めていき、まったく原因不明だった事件は、あまりにもあっけない幕切れを迎えることになった。
当然のことながら、皆昏睡中の記憶はなく、ただ示し合わせたように、「何か恐ろしい『怪物』に囚われ続けていた夢を見ていた気がする」と述べるばかりであった。
詳しい内容を聞いてみても要領を得ず、目覚めて以降においてはもう二度と夢の中に怪物など現れることはなく、皆徐々に健康を回復していき、事件は名実ともに終息していった。
世間の関心もたちまちのうちに沈静化していき、事件への影響を考慮して出版を停止していた『夢魔の告白』も、ラスト部分を加筆修正した改訂版が発行され、その事件の真相を赤裸々に暴き立てるかのような驚愕の展開に初版以上に話題となり、史上空前のベストセラーともなった。
それは主人公である小説家が、偽りの物語を創ることによって蘇らせた親友の亡霊に取り憑かれて、魂を過去の夢の世界へと囚われてしまい、その結果現実世界において魂の抜け殻となって、自身の著作のせいで陰湿ないじめに遭って自殺した娘の後を追って、自ら命を絶ってしまうという、衝撃的な結末が新たに付け加えられていたのである。
そう。これが私天原ひろみ原作による、かつての担当作家で今は亡き松戸楓を主役にして綴られた、『夢魔の告白』のすべてであった。
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「──ふん。いいんじゃないの? 初めての小説にしては上出来よ。売り上げや評判のほうも上々のようだし」
そのとき『物語の女神』である幼い少女は、都内の閑静な住宅街にある私の仕事場兼自宅のリビングのソファから身を起こし、目の前のテーブルへと今し方まで読みふけっていた、『夢魔の告白』の改訂版を放り投げながら、そう言った。
「……でもどうして、あの夢を見る前の現実世界においては、あくまでも編集者に過ぎなかった私が、目覚めてみると小説家になっていて、しかも『夢魔の告白』の原作者であるなんてことが、起こってしまったのですか?」
「そりゃあすべては、楓さんが偽物の語り部に過ぎなかったのに対して、あなたのほうこそが真の語り部だったからよ」
「はあ?」
「あのねえ、普通だったら、それこそどこぞの三流いじめ小説やミステリィ小説でもあるまいし、いじめの被害者が自殺したからって、その身内が加害者に対して実際に個人的に、復讐しようとすることなんてあるはずはなく、せいぜい訴訟でも起こして、慰謝料をふんだくろうとするのが関の山なのよ。なのにあなたは情報操作をはじめいろいろと画策して、元ソサエティのメンバーたちを唆して紅葉さんをいじめさせたりして、かつての恵さんの自殺事件の関係者たちを相争わせて自滅させていったわ。つまりあなたはこの現実世界で、『物語』を創ってみせたようなものなのよ。それこそがまさしく真の語り部であることの証しなのであり、だからこそあなたは物語の女神である私から、自分の目的を実現させるためには、人を手駒に使うことすら何のためらいも見せないという、最低のクズ人間である『小説家』として認められたってわけなの」
「で、でも、それなら楓さんだって、あなたにとってはお気に入りの語り部だったのでしょう? それを何であんなにもあっさりと、見捨てるようなことをしたのですか?」
「ふふふ。むしろお気に入りの語り部だったからこそ、最後に彼女の意志を尊重してあげたのよ」
「え? 彼女の意志って……」
「私は彼女に対して、現実に立ち返るかあのまま偽りの夢の世界で生きていくかの選択を迫っただけであって、現実を拒否し夢の世界のほうを選んだのは、あくまでも彼女の意志なの。その結果紅葉さんは自殺したままとなり、現実世界では魂を失った状態となっていた楓さん自身も、生きる気力を完全になくし後を追って命を絶ってしまったってわけよ。そりゃあ私だって、楓さんにはできるなら現実のほうを選んでもらって、語り部として一皮むけることによって、これまで以上に良質な物語を創らせて、夢喰いとして存分に味わわせていただいても良かったんだけど、本人にその気がなければ、どうしようもないでしょ? いくら物語の女神といえども、小説を書く気のない者の面倒まで見れないわよ」
「そ、そんな、それはいくら何でも、あんまりな言いようでは?」
「ああ、大丈夫。あくまでも語り部自身にやる気がある限りは、けして我々女神は粗末に扱ったり見捨てたりはしないから。むしろあなたの作家人生はこれからなんだから、全力を挙げてバックアップしていくつもりよ。編集者が小説家デビューすること自体は、別に珍しくもないし。そうねえ、どうせならこれまでの楓さんの作品は全部、担当だったあなたのアイディアだったってことにしない? むしろ業界的にはよくあることだし、話題づくりには持ってこいじゃないの」
「な、何てことを言い出すんですか⁉ あなたは我々語り部がただ小説を書き続けていれば、それでいいのですか? そもそもあなたは何者なんです? 物語の女神とか夢魔って、いったい何なのですか⁉」
「何って、見ての通りのただの可愛い女の子よ。あなたのほうこそ、いったい何を言い出しているの? この現実世界に物語の女神とか夢魔とかが、本当に存在しているとでも思っていたの?」
「はあ⁉」
何よ、いったいこの子、この期に及んで、何を言い出す気なの⁉
「いい? 間違えないでちょうだい。『夢魔の告白』という偽りの小説によって、偽物の恵さんを始めとする怪物が生み出されて、人々を昏睡状態に陥れていって、最後には私が物語の女神として、一切合切をリセットして無かったことにしたのは、すべて夢の中の出来事に過ぎないのよ。あくまでも現実的には、何もなかったの。『夢魔の告白』は最初からあなたの手による作品だし、松戸楓という人物は小説の中の登場人物に過ぎず、物語の女神や夢魔なぞも存在せず、誰も悪夢の無限ループに囚われたりはしなかったのよ。むしろこんなことを現実に起こったことだと言い始めたら、頭の具合を心配されるだけよ?」
「いやいや、そうは申されても私もあなたもちゃんと、これまでのことをすべて覚えているではありませんか⁉」
「それも単に私たちが偶然、似通った夢を見ていただけかも知れないじゃない」
「ちょ、ちょっと⁉」
「だって夢というものは、あくまでも個人的なものなのであり、たとえ他人が自分の夢の中に出てきたって、その人も同じ夢を見ているというわけでもないじゃない。それこそ前に言ったように、戦国時代の夢を見ただけなのに、自分は本当にタイムトラベルをしたのだと言い張り続けるようなものよ。夢だろうがタイムトラベルだろうがどっちにしろ、個人的かつ主観的なものに過ぎないわけだから、それが現実なのか単なる幻想なのかは、他人に証明する手立てなぞあり得ないということなのよ」
「じゃ、じゃあ、結局すべては、ただの夢だったと言うわけなのですか? それじゃまるで、『夢オチ』そのものではないですか⁉ 物語の女神がそんな結末を許していたのでは、もし仮にこれが小説か何かだったら、読者は誰も納得しませんよ!」
「──だからその夢オチを、夢オチのままで終わらせないようにすることこそが、あなたたち真の語り部の務めなんでしょうが?」
え?
「過去へのタイムトラベルといった波乱万丈なサイエンスフィクションも、突然異世界に召喚されてドラゴン退治をすることになる壮大なファンタジーも、絶海の孤島で生き残りを賭けて推理合戦を展開していく手に汗にぎるミステリィも、呪いのビデオを手にしたために引き起こされる血も凍るようなホラーサスペンスも、たとえ万に一つの奇跡や偶然によって本当に体験できたとしても、結局気がつけば自分のベッドの上で寝ていたからといって、すべてを単なる妄想や一夜限りの夢幻と決めつけてしまえば、そのまま儚く消えていくしかないけれど、真の語り部であれば、それを小説という現実の形にすることによって、永遠にこの世界の中で生き続けさせることができるのよ。そう。語り部は夢や妄想や自ら創った創作物を、現実に変えることができるというわけなの」
「──‼」
私たち語り部こそが小説を創ることによって、夢を現実にできるですってえ⁉
「あなただって、こうして今回の一連の事件の一部始終を、『夢魔の告白』という小説として描き切ってみせたじゃないの。言わばこの作品の中においては、あなたは一介の登場人物であると同時に、世界そのものを創造した神様でもあったわけなのよ。もちろんたとえ真の小説家とはいえ、神様として絶対的な全知全能の力を振るえるのは、自分の作品や夢や妄想の中だけであり、現実世界においてはただの人間に過ぎないけれど、むしろ人間だからこそ、人の醜さばかりを暴き立てる、ゲスな覗き趣味の作品を創れるのと同時に、真に人々の共感を呼び感動させ得る、純粋で清らかなる物語を生み出すことだってできるのよ。つまりあなたは、自分が担当していた作家を裏切り陥れあげくの果てに自殺に追いやった、最低のクズ人間だからこそ、真の語り部になり得て、最高の小説を創っていくことができるの。それに比べ楓さんは、そこまでクズにはなれなかったというわけなのよ。結局いじめ小説家であることよりも、恵さん──すなわち、『愛』を選んでしまったといったところかしら」
「愛って──あれが⁉」
「愛の形は、人それぞれなのよ。悪夢の無限ループの中で、自分で創り出した偽物の恵さんと共に生き続けるのも、彼女にとっては愛の形の一つだったのでしょうね」
そのとき私の脳裏に蘇ったのは、あの夢の中で最後の選択を突き付けられて現実を拒否した際に、女神に「死ねば?」と切って捨てられたというのに、楓さんの顔に浮かんでいた、どこか勝ち誇った微笑みであった。
「……もしかしたら結局私たちって、彼女の歪んだ愛の成就のために、利用されただけなのかも知れませんね」
私がつい漏らしてしまった感傷的な言葉に、これまでになく不敵な笑みを浮かべる、目の前の少女。
その瞳には確かに、小説家を単なる自分の糧食としか見なしていない、残酷な高慢さとともに、すべての物語に対する、飽くなき愛情が宿されていた。
「別に構わないじゃない。私たち物語の女神はただこれからも、真の小説家を探し求めていくだけよ。──そう。己の情念だけで、物語どころか現実すらも、歪め変えていくことのできる、小説家という名前の怪物を」
お久しぶりあるいは初めまして、881374と申します。
ちなみに881374は、『ハハ、イミナシ』と読みます。
もちろんこれは本名ではなくペンネームですが、実は私はかつてニュースにしろドラマにしろテレビに名前が出てくる回数が最も多い、日本で一番有名な某お役所に勤めていた経験があったりするのですが、この881374といういかにも意味不明な数字の羅列は、その当時の激務の日々の思い出にまつわるものであります。(※あまり詮索すると、怖いおじさんたちにしょっぴかれるかも知れませんので、ご注意を!)
さて、このたび『小説家になろう』様における夏の風物詩、『夏のホラー2018』エントリー第八弾作品として公開した本作ですが、実は私の作品においてはこれまでにない、実験的な試みがなされていたりします。
今回ホラー小説でありながら、『過去へのタイムトラベル』=『自作の小説世界の中へのダイブ』という、どちらかと言うとSF小説やファンタジー小説で取り上げるべき事柄を、メインテーマにしておりますが、作中においてこれに関して論理的説明を行う場合、「けしてSF用語や物理学用語や(ユング)心理学用語等を用いない」という縛りを、自主的に設けております。
それと申しますのも、私ってばSF小説系の作品を中心として自作内に、『タイムトラベル』とか『小説の世界への転移』とか『小説を書き換えることによる、現実世界や異世界の改変』なんていうのを、頻繁に登場させているのですが、その際の解説パートのまあ、長いこと長いこと。ここぞとばかりに量子論や集合的無意識論なんかをぶっ込んできて、もはや小説なんだか物理学書なんだか心理学書なんだか、わけがわかんなくなっているといった有り様なのでした。
最近ではさすがに私自身も反省して、「──いかん、このままではエンターテインメント失格だ。そのうち誰も読んでくれなくなるぞ。もっと読みやすい、キャッチーな内容にしなくては!」ということで、今回の『縛りプレイ』的新作作成と相成った次第であります。
相変わらず独特な理論を行使しながらも、我ながら『タイムトラベル』や『小説の世界への転移』や『小説を書き換えることによる現実世界の改変』について、量子論や集合的無意識論等を一切使わずに、平易に解説できたものと自負しておりますが、やはりポイントとしては、夢の世界の中では神様同然の万能さを誇る、いわゆる『夢魔』をキーパーソンとしたことこそが、成功の秘訣でありましょう。
そもそも量子論で言うところの『多世界』も、ユング心理学で言うところの『集合的無意識』も、極論すれば夢の世界のようなものであり、実は夢魔と、タイムトラベルや異世界転移や世界の改変等々のSFやファンタジー的事象とは、本質的に相性がよかったりしてね。
そういうこともありまして、実は今回の『夏のホラー2018』においては、本作のみならず他のいくつかの短編作品においても、『夢魔』をキーパーソンとしておりまして、読み比べられるのも一考かと存じますので、どうぞ御一読のほど、よろしくお願いいたします。
また、本日をもちまして、『夏のホラー2018』への作品提出は締め切られましたが、2018年の夏はまだまだこれからであり、私自身も更なる新作を発表していく所存でありますので、その際はどうぞ御贔屓のほどを!




