生きることを渇望する
ーーーーーーーー佐倉涼太ーーーーーーーー
世界樹の中を駆け回る。逃げるため。結果を先延ばしにするため。そんな猶予がないのは百も承知だ。
でも、吸血鬼の不死の力を得て、鈍くなった生存本能が俺の体を動かした。この体になって初めて思い出す。死がこんなにも恐ろしいものだと。
俺にとっての死神は、かつてはともに戦ったこともあるエルフだ。名前はヤン。彼は自分の居場所を守るために他の一切を捨てることも厭わない。立ち合った瞬間、勝てないことを悟らされた。今は幼馴染の女の子、篠塚の手を引いて逃げるのが精一杯だ。
俺の刀から吹き荒れた炎が燃え広がる。師匠からもらった『竜体化』のスキルによって生み出された炎。しかし、一定の範囲を燃やしたところで必ず鎮火してしまう。世界樹の魔力によるものだろうか。ともあれ、逃げる時間を稼ぐことだけはできた。
篠塚は黙ってついてきてくれた。こんな情けない俺に。
全身に纏わりつく死の気配が過去の記憶を走馬灯のように蘇らせる。地球にいた頃の、日本にいた頃の記憶を。安穏と暮らしていた世界での記憶。
元の世界に帰りたい。どんなことをしてでも、人間じゃなくなっても。俺が理性的でいられたのはゼフたちのおかげだ。それでも、俺は心のどこかでこの世界を憎んでる。不条理をおしつけてきたこの世界を。
ずっと押し殺してきた。死への恐怖で取り繕ったものが剥がれ落ち、自分の醜い部分が曝け出された。
友達に会いたい、家族に会いたい、何の変哲もない日常に戻りたい。全てが恋しくて堪らない。
篠塚は唯一の拠り所だった。俺が地球で生きていたという証明だった。その前提が揺らいだ時、俺の心はぐちゃぐちゃで訳のわからないものになった。次々と湧き出す何かを殺して、自分でなくなろうとする心を必死で保とうとした。
篠塚友恵は日本人じゃなくて、異世界人である可能性がある。そして、俺がこの世界に飛ばされてきたのは、彼女を呼び戻そうとした力に巻き込まれたに過ぎないのではないか。
最初は否定した。だけど、篠塚はこの世界の、それも一部の人間しか扱えない治癒魔術を使うことができる。
「そろそろ鬼ごっこは終わりにしないか?」
遠くからヤンの声が聞こえた。
それと同時に、篠塚の足が撃ち抜かれる。小さく悲鳴をもらして倒れた。
「篠塚!」
篠塚も吸血鬼で、しかも治癒魔術持ちだ。治療に専念すればすぐに持ち直すことができるだろう。きっとそれをヤンは許さない。
戦うしかない。
篠塚と目が合う。いつもだったらすぐに目を逸らしていた。くだらない冗談を言ってる時でさえ俺たちはどこか他人行儀だった。本当に久しぶりだ。篠塚の顔をちゃんと見たのは。泣きそうになって見つめる彼女に、子供の頃の俺は恋をした。いつのまにか疎遠になって話すことすらなくなった。ずっと昔の淡い記憶だ。
「大丈夫、大丈夫だよ。君は俺が守る」
返事は待たない。引き止めようとしたのか、袖に伸ばそうとして躊躇い、引っ込めた篠塚の手を見て見ぬ振りをした。
この世界に飛ばされて最初に心に決めたことだ。自分で決めたことぐらい貫こう。篠塚が異世界人だって、この世界が憎くたって、そんなことは今どうだっていい。俺は彼女を守る。
そして、生きるためにするべきことをする。
俺は改めてヤンに向き直り、剣を握った。唯一未熟な俺が『竜体化』できている左腕と生身の体の継ぎ目がじゅくじゅくと疼いだ。