マーリン(覚醒)
そこにいたのは、見たこともない巨軀の神々しい白き竜だった。
私たちの世界の竜は荒々しいだけで作物を食い漁るだけの迷惑な存在だ。だけど、少ないとはいえその強さがゆえに竜信仰がある村があるのも事実だ。
今目の前にいる竜は人に煙たがれるような悪しき存在には感じられなかった。むしろ、跪き尊ぶような高貴な存在だ。そして、少しだけだけど師匠と同じ気配がした。
そういえば、リョウタが『竜体化』のスキルを会得していた。この竜はそれに関係しているのかもしれない。
「仲間を皆殺しにされ、その報復として何万の兵を一日で殺し尽くした。我に返った時には地面を覆うように死体が折り重なっていた。むせ返るような血の匂いが充満していて、私の体中からもその匂いが漂ってきた。全てが嫌になってしまってな。どうせ帰るところもない。人里を離れ、静かに死を迎えようとした。そんな時に、こいつは現れた」
いつのまにか私の背後には師匠がいた。
なんとなく察していたけど、ここは話に聞いた師匠の記憶を再現した空間だ。師匠の眷属が覚醒前に必ず訪れる場所。それはつまり、肉体がより師匠という存在に近づいた証明であり、その副作用により私たちは記憶と感情が少しだけ共有されるということだ。
「この竜さんは死んでしまったの?」
竜はやつれ、老いてもいた。ぴくりとも動かず、瞳は閉じられていた。師匠はその頭を撫で、とても悲しそうな顔をする。
「私が殺した」
悲痛な声だった。そして、私はハッとした。
みんなの話をまとめると、この記憶の断片は自分がもっとも強烈に抱いている感情に左右される。だとするなら、この白き竜と師匠の関係は……私とツェーリに近いものだったんじゃないだろうか。そして、師匠はこの竜を殺さざるをえなかった。
「彼女は人間を愛していた。竜の英雄、そう呼ばれるまでに。私はもう人間と関わりたくもなかったが、ことあるごとに執拗に迫られてな。二人で世界中を飛び回ったものだ。思い返してみれば、良い思い出だ。しかし、それも長くは続かなかった」
師匠は続けた。
「病気だったんだ。視力はもうほとんどなくて、物覚えも悪くなっていった。気性が荒くなって最後には敵も味方も見境なく殺戮した。私のことすら分からなくなっていたよ。私に出来たのは、彼女が愛したモノを彼女の手から守ることだけだった。ゆえに、私は親友を殺した」
私がツェーリを殺すと決めたように、師匠もまたこの竜を殺すことを決めた。師匠がこの竜を殺したように、私は今からツェーリを殺さなければならない。
胸が締め付けられる。だけど、もう迷わない。今の私を作ってくれた全てにかけて誓ったんだ。
「まさか君がそのスキルを獲得するとは想定してなかった。いや、君だからこそかもしれない。そのスキルは私の最初の友人が私に託したものだ。私が身につけたあらゆるスキルの根源ともいえる。稀代の魔術師、英雄の妻、そして私の恋敵だった。まあ、結局私は彼女に負けてしまったが。スキルの名前は『探究者』。ありとあらゆるものを鑑定することができる究極のスキルだ。今の君なら不規則に飛んでくる矢の動きを予測するのは造作もないだろう。少なくとも、同じ舞台に立つことはできる」
師匠は私に向き直った。
「君の悲しみは君だけのものだ。だが、忘れるな。その心がわからずとも共にいてくれる仲間のことを。そして、誇りにしてほしい。その誇りこそが君をより強くさせる」
「……いっぱい謝らないといけないことがある。師匠にも、みんなにも。礼儀を欠いた小娘でごめんなさい。だけど、もう少しだけ見守っててください」
「言われなくても、私はいつだって君の味方だ」
私は深々とお辞儀をした。
大切なものを失った喪失感と絶望に苛まれる。波のように押し寄せてきたその感情のあとには何か温かいものが残った。