憎しみはあっても……
ーーーーーーーーマテーーーーーーーー
その矢は私のことを殺しに来ていた。鏃にはツェーリがいつも使っていたモノとは違う鋭く真っ白な金属が括り付けられている。本能的にそれが危険なものであると察する。あれが心臓を貫けば、吸血鬼である私でもあっけなく死に至る。
そんなことよりも、私はツェーリの優しさに胸を締め付けられた。矢は確かに私を殺す軌道にある。だけど、隣でツェーリの弓術のえげつなさを見てきた私にはあまりにも素直すぎるように映った。
ううん、わかってる。ツェーリは待ってくれてるんだ。私が対等な立場に立つのを。
無慈悲に私が躊躇している間にその矢で貫けばいいのに。それどころか、私に声をかける必要すらなかった。私は何の抵抗もできずに殺されていた。それでも、私はツェーリを恨むことはなかっただろう。ツェーリはそれをしなかった。私を待ってくれている。
ナイフでその矢を弾いて距離をとる。まだ決心できずにいる。それが行動にでた。ツェーリを相手に後ろに下がるというのは間違いなく失策だ。彼女の矢は軌道を曲げて正確に相手を射抜く。
二発目が放たれる。それも真っ直ぐに飛んでくる。難なく避けることができた。
『守りたいモノのためではなく、守るべきモノのために戦いなさい』
守りたいモノ。それはツェーリとこんな私を仲間と言ってくれるみんなだ。
じゃあ、守るべきモノってなに?
ツェーリは私の本当の名前を呼んだ。忌々しい貴族としての名。一度私が捨てたモノだ。父は私を愛してくれなかった。あそこに居場所なんてなかった。私に生きている意味なんてなかった。だから、違う人生を歩もうと決めたんだ。冒険者のマテとしての第2の人生を。
でも、もし病に伏せた父を前にするようなことがあったら、私はきっとその手を握っていた。そうでなくても、父が愛情のかけらでも感じさせてくれたら、私の気持ちはまたあの家に傾いた。もうそんな未来はありえない。そう、存在しないのだ。
みんな死んでしまった。もうやり直すことなんて出来ない。謝ることもできない。取り返しのつかないことをした。
情けない。みっともない。
わかってた……わかってたんだ。憎んでさえいた父を私はまだ愛している。
私に守るべきモノがあるとするならば、それは私の故郷だ。私が生まれた国だ。大丈夫、今なら胸を張って言える。私は育ててくれた全てに報いるために自分の役割を全うする。
それを気づかせてくれたのは、ツェーリ……あなたなんだよ……でも、だからこそ私はあなたを殺さなければいけない。
何本かの矢を避け、弾いたのち私は武器を握り直した。もう決して目を逸らさない。
「そんな顔しないで、ツェーリ……私、やっと覚悟できたんだから」
あの日と変わらない優しいツェーリの笑顔。私のことを見守ってくれた笑顔。それがどんな痛みよりも私の胸に突き刺さった。
「私の名はマーリン。マーリン・エドニス・ファーレンハルト! ツェーリ、この世界に仇なす者としてあなたを討つ!」