ダンジョン攻略開始!
――――――――サージェス――――――――
憎い。エルドリッチさえいなければ。
やつさえいなければ我が神がこれほどまでに苦しい姿でこの世界に顕現することはなかった。不完全な召喚は神を苦痛を齎している。しかし、そうしなければ我が神がこの世界に降臨することもなかっただろう。
私の能力がエルドリッチに劣るばかりにこのような不手際を働いてしまった。死んで詫びなければ気が収まらないほどの大失態だ。だが、今はそれをすべきではない。またエルドリッチの脅威が迫っている。やつは必ず神に挑みにくる。たとえ敗北が必定だったとしても。
「神よ……必ずやあの小娘を……ウルリカを神の供物と致します」
不安材料があるとしたらやはり、王都に侵入してきた謎の気配だ。あれが一体何なのかまったく想像がつかない。いや、考えるまでもないか。あれは別の異世界の神だ。あれがエルドリッチと合流する危険性を危惧したが、我が神の力が及ばないゆえに、ダンジョンとして作り直した王宮外での戦闘はリスクがあまりにも高すぎる。
しかしだ。我が神が展開した陣『凍える最果てより優しき闇』よりこの一帯の生物は徐々に生命力を吸われ続ける。やがてこの地は生命が朽ち果てた不毛の地と化すだろう。ああ、なんと素晴らしいことか!
我が神の愛は全ての生命を平等に包み込んでくれる。あの蛮族も最後には我が神の慈悲に感謝を示す。だからこそだからこそだからこそ! 私は耐えねばならない! この苦境を凌がねばならない! 大丈夫だ大丈夫だ、彼らはおびえているだけだ。ありとあらゆる命は我が神の前でかしずく。ゆるぎない事実だ。我が神のやさしさに触れれば必ずや改心する! ああ、素晴らしい! なんと素晴らしいことか!
だが、今はその前に崇高な目的を遂げねばならない。
ウルリカを生贄にして、この世界の神の血を受け継ぐより濃い者を生贄にして、完全な召喚を実現せねばならない。
そうすれば、この世界は我が神のものとなる。ああ、なんと素晴らしいことか!
あまりの興奮に身体が悶えてたまらない。
私が! 私がそれを成し遂げるのだ! 他の誰でもない私がだ! 神よ神よ神よ! どうか見ていてください。全ては神のために身も心も捧げます!
――――――――佐倉涼太――――――――
今日は色々なことが起こって、滅多なことではもう驚かないと思ってた。
だけど、目の前に広がる光景はそんなちっぽけな心を驚嘆の渦に巻き込むのに充分な壮大さと異様さを持ち合わせていた。
「収納魔法の応用ですかね」
「似たようなものだがジャンルはまったく違う。私ではダンジョン作成はできない」
そこは王宮の内装をそのままにした迷宮になっていた。そして、外で見たより明らかに奥行きがあった。そのうえ構造も複雑になっている。どれほどの魔力とスキルがあればこんなことができるのだろう。ともかく、王都に入る前のオーラをこのダンジョンから感じ取ることができるということは、俺たちの目標は宰相サージェスの信仰する神で間違いないということだ。
総勢65名からなるダンジョン攻略班。自分らの王都の象徴がこのような変貌を遂げていることに若干のざわめきがあったが、自分たちが緊急にかき集められた現状と準備させられた道具一式からある程度の覚悟はしてきたのだろう。一行はすぐに状況を呑み込んだ。
「たまげたなぁ。こりゃ俺たちの領分だ」
「リカルド、納得していただいてるとこわりーけど、おたくらの知識が全て通用するところじゃねーってことは頭ん中いれとけよ。ここは天然もののダンジョンとは違う。殺意マックスで襲ってくる異世界のダンジョンだ。絶対に油断すんなよ?」
「……ああ、肝に銘じておくよ」
エルドリッチの忠告のあと、俺たちは隊列を組んで進行を開始した。
ひとまずエルドリッチは中央で構える。彼はこのダンジョン最深部で座する存在とやり合うために力を温存しなければならないからだ。これは作戦の説明として最初にエルドリッチが提案したことだ。むしろ、そのために二つのギルドに掛け合ったといっても差し支えない。
神には勝てないとは明言したが、彼なりの秘策があるということだろう。それについては明かしてはくれなかったが、それを信じて臨むしかない。それに、それが通用しなかった場合の保険が俺たちなのだ。もともと分が悪い賭けだという共通認識があるから誰からも文句はでなかった。
こんなダンジョンを半日で作り上げてしまうような存在が相手なのだ。みんな危機感覚が麻痺してしまっているのもある。
最初の敵との遭遇はダンジョンに踏み入って数歩のことだった。
「おい、なんだありゃ……」
リカルドが息をのむ。リカルドだけじゃない。エルドリッチやウルリカ、エリニエスは慣れたものだが……初対面じゃない者以外はみな一様に同じ反応を示した。オーステア様を除くが。師匠だけは未知の生物に好奇の眼差しを向けている。
師匠は人間としての感覚が欠如しているのか、それともこれまでにもこういう類のものに幾度となく出会ってきたのか。いや、表面だけだが師匠の心に触れたから分かっている。
師匠は冒険を純粋に楽しんでいるのだ。それは俺たちのことをないがしろにしているというわけじゃない。俺たちの力量をちゃんと読んで自分たちだけで打開できるからこそ師匠は静観しているのだ。だから、師匠の表情が引き締まるようなことがあるとすれば、このダンジョンの最後、異世界の神と対面したときだろう。
目の前に現れたのは、犬だ。だけど、ただの犬じゃない。
両眼から触手が生えてその先に眼球がついている。それがうねうねと伸び、人間の背丈まで達している。人の腕ほどある鉤爪状のしっぽは鞭のようにしなり、むき出しの牙は毒々しい色を帯びている。黒い毛皮はギトギトで触る気すらも起こらない。
「えっ……気持ち悪くない?」
篠塚が思わず声を出す。気持ちは痛いほどよくわかる。グロテスクすぎて見ただけで吐き気がする。
最初は一匹かと思われたそれが通路の角からぞろぞろと姿を現した。その数ゆうに20匹を超える。隊列の前方にいた冒険者たちはやや引き気味に構える。
「よーし、あれがマジヤバいキモい犬だ。俺より良い表現を思いついたやつから攻撃してよし!」
「アニキ、そんな余裕なさそうですよ!」
「たくさんのあれの上で少女が復活したら名作アニメの再現に……」
「ならないよね?」
俺の渾身のギャグに篠塚が冷静な突っ込みをする。
犬たちは俺たちの心の準備が整う前に全速力で駆け出した。これが俺たちのこのダンジョン内での初めての戦闘になる。