エルドリッチとの過去
ーーーーーーーーラルフーーーーーーーー
みんなが王家のダンジョンに潜っている間、俺はエルドリッチに仕事でコキを使われるか、体の極限までしごかれるかの二択だった。
数分に一回は逃げ出したいと思った。
そうしなかったのは、自分の決断をあっさり覆したくなかったことと、どうせ数日もすればこの苦行から逃れられるという安直な考えからだった。
エルドリッチは強い。同じ出自をもつリュウガ、ブリ大根、ニャルニじゃ比にならないほどに。そんな彼からイグニスオンラインの職業に関する知識を叩き込まれたのだから負けるはすがなかった。
そう、エルドリッチは警戒していた。イグニスオンラインのプレイヤーの中でも、異なった転移の仕方をさせられた自分が、果たして他のプレイヤーと同じであるのかを。
だからこそ、俺に手の内を晒した。昔の知り合いよりもよっぽど信頼の置ける相手だったから。
そうなるのは簡単なものじゃなかったけど。
「おめえさんの経歴は見させてもらった」
仕事終わりの鍛練で、もはや立っていられないほど過酷なしごきに耐えたあとにエルドリッチはそう切り出した。
こっちは今にでも口から心臓がぼろんと飛び出そうなほど疲弊しているのに、エルドリッチは涼しい顔をしていた。まさに悪夢だ。逃げ出してもいいならそうしたかった。
「親友だと思ってた奴に裏切られて死の淵を彷徨うはめになっちまった。そこから、精鋭部隊に抜擢されるまでのぼり詰めるなんて大したタマだ。まぁ、そいつも全部フイにしちまったわけだけどよ」
聞きたくない過去だ。余計なお世話だ。俺だって好きでそうしたわけじゃない。
満身創痍だから反論しないわけじゃなかった。歯向かえる力があってもそうしなかった。ただ嵐が過ぎ去るようにじっと堪えていた。自分というものを他人に晒すのが怖かった。
「ラルフ、おめえさんは強い。戦うことだけじゃねえ、心もだ。俺が言うんだから間違いない。親友に裏切られたぐれえじゃ折れない。自分の力で立ち上がれた。何よりも……何よりも辛かったのは、自分を守ってくれると信じてた父親に突き放されたことじゃないか?」
傍若無人に振る舞うエルドリッチから出た言葉とは考えられなかった。
不意を突かれた。胸の奥がずしんとした。
「俺ぁこれから先おめえさんがみっともない真似なんかしたらボコボコにぶん殴る。けどよぉ、これもなんかの縁だ。おめえさんが辛い時に突き放すような真似は絶対しねえ。分かってんだろ? 結局最後は自分で立って歩くしかできねえって。でも、転びそうになった時ぐれえは支えてやれる。お仲間さんも口にはしねえけど、そう思ってるはずだ。それが仲間ってもんだ」
「……本当にそうかな? そう思ってもいいのかな?」
エルドリッチは卑怯者だ。疲れて疲れて逃げ道をなくしたところにさらに追い討ちをかける。俺が心底弱り果てた瞬間に優しい言葉をかける。
それでも、俺は涙を堪え切れなかった。
だってその通りだったから。本当につらかったのは親友の裏切りなんかじゃない。信じていた人間が豹変する瞬間が今も頭にこびりついている。怖くて怖くて仕方ない。心はまだ少年の時のままだ。エルドリッチはそんな俺を理解しつつも容赦しない。だけど、突き放したりもしない。
それどころか、そんな俺を強いと言ってくれた。
涙がとまらない。
「本当に心の底から俺があいつらを仲間だって言える瞬間が来てくれるのかな?」
「そんなのはおめえさん次第だ。俺ぁそこまで優しくねえぞ?」
そう言ってエルドリッチは優しく微笑んだ。まるで悪魔のような男だったけど、その時の笑みはかけがえのないものだった。
エルドリッチは、俺に……俺自身に向き合うチャンスを与えてくれた。