ツェーリとマーリン その3
ーーーーーーーーマテーーーーーーーー
恥ずかしさから抵抗しようとしていたはずなのに、いつのまにかツェーリの優しさに甘えてしまった。彼女のことを知る前の私なら、図星を指されたら子供のような癇癪を起こしていたに違いない。
落ち着くまでツェーリは私をずっと抱き締めてくれた。その温かさに心が満たされる。
カップを床に落としてしまったことに注意がいくぐらい冷静になると、その温もりは私から離れていった。少しだけ寂しいと感じてしまった。
「ねえ、マテ。お願いがあるんだけど良いかな?」
「なに?」
「マーリンって呼んでもいい?他の誰も言わないマテの本当の名前を、私にだけ呼ばせてほしい。親しい間柄の人たちはみんなそうしてるのよね?」
「な、中にはそういう人たちもいるね」
それは私が捨てた名前だ。もう二度と使うまいと決意して家を出た。あの家以外ならどこだってよかった。あの人たちに関わらなくていいならなんでもよかった。だから、私はゼフたちに意思を委ねていた。
それなのに、このザマだ。そして、友達からのお願いに、私のちっぽけながら一番大きな決心が揺らぐ。彼女にならその名前を呼ばれていいかもしれない。そう思える。
「ねえ、お願い?」
私の額に額をくっつける。超至近距離でその綺麗な瞳を見上げる形となった。私の心臓はなぜかバクバクと鼓動を早めて体温が跳ね上がる。
「い、いいよ……」
なんと意志の弱いことか!
家を捨てて新しい人生を送ろうとした私の決意はこんなにも軽薄なものだったのか。断じて違うはずだ。それもこれも目の前にいる麗しきエルフのせいである。彼女はパーソナルスペースを弁えない。私の触れられたくない部分にずかずかと入る込んでくる。
でも、それを苦痛と感じてない自分がいる。彼女なら悪い気がしない。彼女になら全てをさらけ出してもいいかもしれない。本当にどうかしている。
「ありがと、マーリン」
その名前で呼ばれると、落ち着かない。くすぐったくなる。
私はこれ以上深みに入らないようにツェーリを突き放した。
「休憩終わり! もう行くからね!」
ツェーリの浮かべる悪戯な笑みに私は頬を膨らませた。