地球を知る者
――――――――篠塚友恵――――――――
今振り返れば私はあの時、子供ながらに恋心を抱いていた。
昔から無愛想で可愛げがなかった。感情をあまり表に出さず、物分かりの良い大人しい子。親がそれを求めたわけじゃない。母親は私とは逆で呆れるぐらい活発で、どこの行事にも顔をだす人当りの良い人だった。だからだろうか、バレンタインデーがどういう日なのかろくに知らず、母親はその頃よく遊んでた男の子にチョコを渡せとせがんできて、私は言われるままにチョコをプレゼントした。
それがどういう日なのか知ったのはまさにホワイトデー。男の子がバレンタインデーのお返しをしにきた直前だった。慌てふためいた私は心にもないことを彼に吐き捨てて、それから徐々に疎遠になっていった。
もう幼い恋心は遠い過去のもので、涼太と一緒に異世界に転移したときの気持ちは複雑極まりなかった。彼とどう接したらいいかわからず、それなのに彼に頼るしかなかった。性質の悪いことに、そうやって頼らざるをえない私に涼太も依存していた。
だから、私は強くならなければならなかった。涼太に心配かけないように、肩を並べて戦えるように。そうでもしないと、私は自分の気持ちの整理をつけられなかった。
それなのに、涼太は私を置いて強くなっていく。
――――――――佐倉涼太――――――――
力が漲っていく。吸血鬼になったとき以上に全身からひしひしと伝わってくる。だが、それと同時に理解しなければならないこともあった。
今の俺にはこの力は完全には制御できない。竜の因子を受け継ぐには俺の身体はまだか弱い。しかし、確実に俺の身体能力は向上している。特に左腕が顕著だ。鱗のようなものが生え、全体が黒ずんでいる。一見、邪悪なものに憑りつかれたような禍々しさだ。
「その左腕で殴ったら全身が引き千切れるから止したほうがいい。代わりに面白いものをやろう」
師匠はそう言うと、何もない空間から一振りの刀を取り出した。それを流れるような動きで俺に投げた。
まさに形状は日本刀そのもので、鞘も柄も漆黒に塗られている。刃渡りは二尺六寸。刃紋はなだらかな波を打っている。素人目の俺でも唸る実に見事な一品だ。そして、少し名残惜しいがその刀身がじわじわと変化していくのがわかった。
「その魔剣は私が錬成した魔鉄を使用して打たれた今は亡き名匠渾身の一振りだ。使い手の性質に合わせてその能力を変化させる。今は吸血鬼である特性とリョータの中に眠る竜の因子に呼応してる。持てる力を全てつきこんでその魔剣を使いこなしてみせよ」
「はー、まさかこの世界で日本刀を見ることになるなんてなぁ……」
エルドリッチは顔面を右手で覆いため息をついた。
「まさかあんたの口から日本って言葉が出るなんて……」
「あー、思ったことを口にする癖やめたほうがいいな。わりぃけどお互い詮索するのはなしにしようや。俺にも俺の都合っつーもんがあるんだわ」
「俺らを殺しにきたのもその都合が絡んでるのか」
「さぁ? どうだろうな?」
エルドリッチは髪こそ茶に近い黒だが碧眼で輪郭も日本人離れしてる。外国人が異世界に転移してきた可能性もあるが、エルドリッチの能力はあまりにもこの世界の常識から逸しすぎてる。とても同じ地球人とは思えない。
まあ、それは俺も同じようなもんか……。
握っている魔剣は今や赤みを帯びた白色に光り輝いている。いや、それだけじゃない。この剣は熱を持っている。空気は歪み、熱気が肌を撫でた。これは竜の因子がそうさせているのだろう。
「リョータくんよ。すぐにやられてくれるなよ?」
エルドリッチは笑ってこそいなかったが、その声は純粋に戦いを楽しんでいる高揚感を持っていた。
俺は元の世界でもこの世界でもまともな対人戦なんてやったことがないけど、師匠の記憶がある程度のことを頭に叩き込んでくれている。今はその記憶とスキルだけが頼りだ。
やってやる。俺はそう自分を奮い立たせた。
素早く突きを放つ。エルドリッチはそれを難なくどこからか出現した直剣で受け流す。そして、すかさず余った手にレイピアを掴み、俺の喉元に剣先を動かす。
先ほどまでまったく見えなかったエルドリッチの剣筋が見える。だけど、それだけで満足してはいけない。俺はエルドリッチを倒さなければならない。ただ避けるだけじゃなく、攻撃に即座に転じられるように。
身体をひねり、ぐるりと一回転し、エルドリッチの首筋に剣を滑られる。リスクはあったがエルドリッチの側面をとり、攻撃を死角にした。俺の会心の一撃だ。だが、エルドリッチは低く屈み、それを避けると直剣の代わりに出現したゼフを切った剣で俺を攻撃する。
俺はそれを刀で防いだ。本来なら刀身が折れる角度で受けたのに刃こぼれ一つない。
間髪入れずにエルドリッチの前蹴りが俺の腹にあたる。本気じゃない距離をとるための蹴りだ。そして、俺が体勢を立て直すために踏ん張った瞬間、予備動作なしで俺の喉元を槍の突きが襲う。油断していたら確実に仕留められていた。息をつく間も与えてくれない。
エルドリッチは槍の一撃がかわされようが命中しようが、最初から詰め寄るつもりで行動を起こした。たまらず俺は魔剣のスキルを発動した。
『白火舞』!
エルドリッチのいた場所に白い炎が舞い起こる。苦し紛れの一手だったが、それでも当たってほしいと願わずにいられなかった。だが、エルドリッチは危険を察知して後ろにさがった。
「卑怯だろぉそれ!」
「言えた義理か! ぽんぽん新しい武器だしやがって!」
会話はそれだけ。エルドリッチは言いたいことだけを言い放ち、俺との距離を詰めた。
ゼフを盾ごと切り裂いた凶悪な斬撃もこの刀なら受け止めることができる。強敵相手に渡り合えている。集中力を切らさないように俺はさらに気を引き締めた。
だが、それは無駄に終わった。
俺が迎え撃って繰り出した斬撃を事も無げにエルドリッチが掴んだのだ。じゅっと肉が焼ける音が聞こえる。魔剣は確実にエルドリッチの手を焼いている。だけど、その手を離さない。俺は戦慄を覚えた。一体俺は何と戦っているのか。そんな疑問が思い浮かぶほどの衝撃。
エルドリッチはにたりと笑い、そんな俺の顔面に頭突きを食らわせた。