佐倉涼太(覚醒)
気が付くと俺は先ほどとはまったく異なる空間に佇んでいた。
生命の危機に迫られ、俺は自分の身を案じるよりも自分が自分で課した身勝手な使命を果たすために震える足をぐっと抑えて剣を握っていた。それなのに、ここは静寂に包まれていた。石積みの壁は冷たく狭く、日差しは小さな窓から差し込むだけ。夜より暗い闇よりはマシとはいえここはいささか窮屈だ。そう、もしかしなくてもここは牢獄だ。
「テューンが先にくると思っていたが、リョータが一番乗りか。いやはや、やはり人生とは何が起こるか分からんな。現実世界ではほんの一瞬の出来事だ。寛いでくれるといい」
さっきまでは俺一人だった空間に師匠の姿があった。あの身の毛もよだつ含み笑いを浮かべて。
今俺に何が起こっているのか。それは師匠が分け与えてくれた血が教えてくれた。だから、突然現れた師匠に驚くことはなく、師匠の言葉の意味もすんなり呑み込むことができた。
「ようこそ、ここはオーステアという存在の始まりの場所だ。ここから途方もないほどの出会いと別れを繰り返し、私はおまえたちと出会った。この記憶に辿り着いたということは私という存在におまえが一歩だけ近づいたということだ」
「……でも、俺は六人で一番弱いですよ?」
「そうだな、向上心ならテューンが、実力ならラフィカが一番だ。他のことに関しても、リョータは全て中途半端だな。だが、必要なのはそういうことではない。そして、私は善良な神というわけでもない。結果として世界を救ったこともあるが、最初は取るに足らない願望から始まった」
「条件は人ならざる者になってでも叶えたい望みを強く持つこと。たとえそれが疚しいものでも、健全なものでも」
「そのとおり。おまえは自分の死を悟った瞬間、その死よりも執着した感情が私の中に逆流してきた。だからこそ、おまえは私の力の一端に触れることができた」
師匠の記憶の光景を覗くことができたということは人ならざる者に一歩近づいたということだ。師匠の内に秘めたる深淵の一部。授けられたスキルを俺がこの世界で使えたら、師匠もまたこの世界でそのスキルを扱える。それが師匠の理屈だ。だが、もし仮に扱えたとしても魔力の補給の観点から、スキルを扱えるだけではなく、俺たち自身が強くなって魔力をより多く取り込めるようにしなければならない。
「しかし、リョータも理解しているとおり、リョータは六人の中で最弱だ。与えられたスキルをうまく使いこなせない可能性も大いにあることは承知してくれ」
「……なんとかやってみるよ」
「よろしい。それでこそ私の弟子だ。さて、出立の時だ」
そう言ってにこりと笑う師匠は、いつもの怖い感じじゃなく、子供のような無邪気さを彷彿とさせた。師匠的にはもしかして慈母のような優しさをイメージしたかもしれないが。
「私はな、この牢獄の中にいるとき心底世界を憎んだ。私は『魔鉄錬成』を扱える最後の吸血鬼として、便利な道具として一生を過ごさなければならなかった。他の仲間と呼べる者たちは惨たらしく殺されてしまった。救いなどどこにもない。この狭い空間だけが私らしくいられる空間だった」
師匠、オーステアは続けた。
「そんな私にも信じられる人間が現れた。親友が出来た。恋に落ちたこともあった。だからこそ、ここはオーステアとしての私の始まりの場所なんだ」
牢獄の扉が開く。
師匠はそれ以上は何も言わない。もう後は進むだけだ。
「師匠、感謝します。必ず信念を貫いてみせますよ」
俺は踵を返した。牢獄の扉に手をかける。冷たい感触。でも、ここは現実じゃない。オーステアがその時抱いた感覚だ。彼女の憎しみが俺の胸に溢れてくる。重く深く俺の心をえぐっていく。だけど、最後にはその痛みがさらさらと消え去っていく。そして、温かな気持ちが芽生えた。
意識が離れていく。その間際に強い脈動が聞こえた。俺の中にうねりをあげてスキルが宿ろうとしている。
その全貌が明らかになっていくにつれて俺は苦笑した。
「なるほど、人ならざる者か。吸血鬼以上にはならないだろうと勝手に決めつけてたな。師匠は思ってた以上に神様なんだな。それにしてもこれは、ちょっと飛躍しすぎじゃないか?」
俺の身体に刻まれた力の根源は、竜のものだった。