2.居酒屋『夏風邪亭』にて 前編
一仕事終えた僕らはいったん家に戻って昼寝をしてから、いつもの居酒屋『夏風邪亭』へと向かう。
変な名前だって? それは認めざるをえないね。
だけど、名前に恥じぬ、いや、名前どおりの価値はある。
夏風邪と同様、あそこはついつい長居してしまうんだ。
時計を見ると午後六時。ちょうどいい頃合いだ。
僕は『夏風邪亭』の引き戸を開けた。
ちなみに、ブレン皇国では、引き戸は『ソイイーターの扉』だなんて呼ばれてる。つまり、引き戸の入口があれば、そこはソイイーターの集会所だったりするわけ。
いつものテーブルに向かうと、そこにはすでに納豆汁に冷奴、そばがき、そしてうなぎの蒲焼きを前にした『へっつい猫』がいた。
水色の髪に猫の耳。本来なら取り替え子として蔑まれてしまう彼女も、ソイイーターになれば安心できる居場所ができる。
米酒をちびちび飲みながら彼女は僕に手を振って、
「案外簡単だったね~♪」
と言った。確かに、あっけない感じだったね。
ビアードアックス卿には元軍人だからこその油断があったのかも。
僕は彼女に対して、
「まあね。そしてわりかし大儲けできたよね。 こんな仕事で一万BC! 今日は飲まなきゃ損だよ!」
と言った。『へっつい猫』は軽くパンパンとテーブルを叩いて同意する。
彼女は看板娘の『網元』を呼んで――ちなみに『網元』もソイイーターだ――、酒の追加注文をした。
「はいはい! 飲めるときに飲まないたあ、酒の神様が怒るってもんだよ!」
『網元』はそう言って陶器に入った米酒をドンとテーブルに置く。
「『網元』さん、僕にも酒を一つ。それと、焼き厚揚げに揚げ鱈、それから、納豆汁とそばがきも」
「はいよ!」
威勢のいい返事をして、彼女は奥へ消える。
「ふう~♪ やっぱり納豆汁はここに限るなあ~♪」
茶碗をすすりつつ、『へっつい猫』が言った。僕は同意の頷きを返す。
ここの居心地の良さは何にも例えがたい。
僕は料理、そして『うわばみ』と『鋳掛屋』を待つ。
ややあって、引き戸がガラリと開き、
「『網元』の姐さん、酒とシャケと田楽、きつねそばを一つずつ!」
「俺にも同じものを。ああ、きつねそばじゃなくてたぬきそばにしてくれ」
『うわばみ』と『鋳掛屋』が入ってきた。僕らは二人を出迎えた。
ちなみに、『うわばみ』は黒い長髪を襟足で一本にし、ヒゲはあごヒゲだけを伸ばしている。
『鋳掛屋』は茶色の髪を頭の両側で一本ずつにまとめている。この国ではツインテールって言うんだっけ?
ま、ともかく、いつもの仕事仲間が揃った。宴会と行こう!
「『へっつい猫』、私たちが来るまで待てなかったのか?」
「へへへ~、お腹が空きに空いちゃって♪」
『鋳掛屋』に『へっつい猫』が返す。二人は冗談を言い合い始め、一方の僕は『うわばみ』と次の仕事の時期について話し合う。そうこうしていると、
「はいよ、『代筆屋』ちゃん! ご注文の品だよ!」
『網元』が米酒、焼き厚揚げに揚げ鱈、納豆汁とそばがきを持ってきてくれた。
彼女にはありがとう、と言って、『うわばみ』と『鋳掛屋』には断りを入れてそばがきに少し食らいつく。
うん! これこれ!
まずそばの香りがふっとやってくる。ほどよく練られたそば粉は柔らかく、包み込むような旨みがある。
次にきな粉の香ばしさ。そばとは違うけど、安心させてくれる匂いであることは同じだ。やはりソイイーターたるもの、大豆のありがたみを感じつつ食べないとね。
そして、砂糖の甘味もじわりと効いてる。十年前に砂糖価格が暴落し、庶民にも手に入るようになって以来、ドバドバと量だけを重視して使う人が増えたけど、やはり全体との調和を考えないと。そういう点では、『夏風邪亭』のそばがきは正解だ。飽きずに食べられる、それこそが最大の魅力なんだ。
空腹だったので余計においしく感じられる。来て良かった、と思える数少ない店の一つ、それが『夏風邪亭』だ。
「はい、『うわばみ』どん! そして『鋳掛屋』の嬢ちゃん!」
『網元』が後からやって来た二人の分も運んできた。宴の本格的な始まりだ!
(後編へ続く)




