92話 赤い契約
答えはすでに――最初から決まりきっていた。
「言ったはずだ。おれはシエラの側にいる。シエラが殺意に苦しむならおれが全部受け止める。それはきっとおれの役目で――おれの身体はそのためにあったんだ」
秘められた殺意と死なない肉体――彼らは運命じみたものに引き寄せられたのかもしれない。
だから、自己陶酔のような彼の発言もあながち間違ってはいないのだろうか。
強い意志が込められたその発言に、シスルゥはゆっくりと拍手を送る。
「よく言いました。それがワタシの狙い……ワタシの願いよ。『魔術師』アリオリは、シエラちゃんに芽生えた良心を苦しめ、自分から帰りたいと願わせるように呪いをかけた……だけど彼は知らなかったのよ、貴方というイレギュラーを――」
ゆっくりとシシノの胸に手のひらを当てる。
心臓の力強い鼓動が、彼女の手のひらに伝わった。
「死を拒む貴方という存在がシエラちゃんの前に現れるだなんて、誰も知らなかった――唯一貴方という存在を知っていたワタシが、それを隠し続けていたから。だから呪いによる作戦は失敗。シエラちゃんの殺意は、全部貴方が受け止めるのだものね?」
もう引き返すことはできないとでも言いたげに、シスルゥはシシノの言葉を反復する。
しかしそんなことを言われなくても彼の腹は決まっている。今やその拒死身は、ただシエラのためだけに存在すると言っても過言ではない。
シスルゥは微笑んで言葉を続ける。
「……ワタシの存在は呪いによる作戦が失敗したときの保険みたいなものだった。三十七人のラッカフルリルをまとめ、この星の記憶を吸い上げる役目を与えられていたの。つまりワタシはこの星にやって来るために『特権』の本当の力を隠し続けていた……そして、しばらくこの星にいるために、今シシノ君にルールを提示したのよ」
大分回り道をしたが、シスルゥがシシノに都合のいいルールを提示した理由は明らかになった。
シエラがこの星に居続けることは、彼女にとっても都合がいいのだ。
「おれにルールを提示した理由は分かった……けど、どうしてアンタはこの星に――野強羅に居続けたいんだ?」
彼女の不可解な欲求に、シシノは疑問を提示する。
突き刺すような彼の眼差しに、シスルゥの微笑みが少しだけ――ほんの少しだけ怪しく歪んだ。
「貴方達に『地球』の真実を知ってもらうため」
「地球……?」
それは、いつだかシエラやデオドラが口にしていた野強羅の遠い昔の呼び名である。
一度滅んだというその星の名を、なぜ今彼女が口にするのかシシノには分からなかった。
「今は分からなくていいわ。だけどいずれ知ってもらう……いいえ、知らなければならないの。そのためにお願い事をすることもあるでしょうから、今後とも仲良くしましょうね」
差し出されるシスルゥの手を、シシノは渋い顔で見つめる。
「……アンタ達はおれを殺そうとするんだろ?」
「ええ。それに、シエラちゃんもね。……貴方が血まみれになることが日常になるまで――末長くお付き合いしましょう」
この握手は契約だ。
シエラがこの星に居続けるためには、この手を握り返さなければならない。
握り返せば多くの痛みが、苦しみが、シシノの身に襲いかかるだろう。
そんなことは彼も重々承知で、自分の身体が切り刻まれることを想像するのも容易である。
だがそれでも――彼はシスルゥと握手を交わした。
どんな痛みや苦しみよりも、シエラの存在が消えることが何より恐ろしかったのだ。
「その気持ちは愛なのかしら?」
「……心まで知られてたまるかよ」
コーヒーの香りが立ち込める保健室にて、その契約は結ばれた。
血にまみれた赤い契約――誰もが傷つく闘争の約束。
それがシシノの日常になるのだろうか。
その答えは、今は誰にも分からない。
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・ルールその一。
第三次降下部隊三十八人のラッカフルリルは、ヒノミヤ・シシノ(以下シシノ、敬称略)を完全に殺害するまで、シエラ・ラッカフルリル・パス・トゥリ・ラ・ミネーシア(以下シエラ、敬称略)をナヴァロッカへ連れ戻すことはできない。(完全に殺害した状態とは、シシノの呼吸、心臓、脳、生命活動が止まり、蘇生することなく二時間が経った場合と定める)。
・ルールその二。
シシノとラッカフルリルの戦闘は、原則一対一で行われる。
しかし、シシノ陣営が複数人戦闘に参加した場合、ラッカフルリル陣営も同じ人数だけ戦闘に参加する。
・ルールその三。
ヒノミヤ・シシノの殺害を目的とする戦闘を行う場合は、日時、場所をラッカフルリル陣営が定め(物理的に不可能な条件は出せない)、シシノ陣営に提示する(拒否権はない)。
・ルールその四。
殺害を目的とする戦闘をシエラに見られてはならない。
殺害を目的とする戦闘を行う場合、その場所を『必殺領域』化し、更に『生存領域』(侵入不可能な領域)化する。
・ルールその五。
いかなる理由があっても、ルールその一からその四までのルールの変更は認めない。
しかしルールその五以降、ルールを付け加えたい場合は、どちらの陣営が提案するとしても、その旨を両陣営に伝え、可決するかを全員で議論する。(この場合の全員とは、議論する段階で生存している者達である。議論中に死人が出た場合は、その死人の意見は考慮しない)。
これがシスルゥが提示したルールの正式版である。
これに付け加えて、シシノとシスルゥ以外には伏せられたルールがある。
『戦闘中はシスルゥ・ラッカフルリル・クレイ=コープス(以下シスルゥ)がシエラを常に見ている。
もし戦闘中にシエラの呪いが発現した場合、シスルゥは速やかにシエラの意識を停止させる(気絶か睡眠状態にする)。』
シシノ陣営にはシエラの呪いは隠してあるため、また、ラッカフルリル陣営がこれを知ればシスルゥに対する反感が集まりかねないため、これを記載することはできないのだ。
薄いが丈夫で美しい紙に記されたルールは、今後両陣営と、この星の秩序を守るのに重大な役割を果たす。
闘争にルールがなければ、そこには混沌が生まれるのみだ。
「それにしても――」
天流川の河川敷、夕焼けが影を作る橋の下のベンチに腰掛けるシシノは、そのルールを渡された下校時間直後のことを振り返る。
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「はいシシノ君。お姉さんちゃあんと契約書を作ったからね」
放課後、再び保健室に呼び出されたシシノに、シスルゥはルールが書かれた紙を渡した。
それを読んで、その都合の良さにシシノはやはり疑問を抱く。
「……これで他の三十七人は納得するのか?」
「させます。というか彼らはワタシに逆らえないしね。それにさっきも言ったけど、中には喜ぶ子もいると思うわ。拒死身を殺すというのは、彼らにとっては一つの挑戦のようなものだろうしね」
「人の身体で勝手にチャレンジしないでほしいね……そんな血の気の多いやつらなのか」
「いいえ? この星にやってくるにあたって、割と良識のある子をチョイスしたもの。機関の一部と繋がっているとしても、ワタシ達の存在を隠しきるのには限界があるわ。あまり暴れてしまうとすぐにバレてしまう……だから、頭のネジが外れた子はいない」
「そりゃ安心だ。いや皮肉だけど。……それじゃあおれは帰らせてもらうぜ。ネネさんとデオドラさんに色々話さねえと……」
「ちょっと待って」
シスルゥは去ろうとするシシノの腕を掴んだ。
「分かっているとは思うけど、昼休みの会話は秘密よ。ワタシの『特権』、目的、スリーサイズは全て秘密」
「いやスリーサイズは教えてもらってねえよ」
「とにかく秘密よ……守れなかったら大変なことが起きるわ」
「どうなるんだよ」
「そうね、じゃあこうしようかしらね。……MIO……アカイ・ソラ……コトリ・アイミ……フユメ・クク……」
シスルゥが目を閉じて呟く名前の全てに、シシノは心当たりがあった。何故ならそれは全て高校生なら名を知らぬ者はいないアダルトな女優達の名前だったからだ。
全身に冷や汗が浮かび、おかしな動悸が止まらなくなる。
「……あらあらシシノ君元気ね。うふふ、高校生だものね……え、え、えっ? そんな風にそんな所を必死に……へぇ〜、あらあらあらあら」
「おい! 『特権』で何を見てる⁉︎ ふざ、ふざふざふざふざふざけんな! それはあまりにプライバシーの侵害だ!」
顔を赤くし煙を放つシシノに、シスルゥはとびきり優しい微笑を向ける。
「……秘密を漏らした場合、貴方の自家発電の様子を全校の女子生徒全ての脳内にストリーミング再生します。どう? 秘密、守る気になった?」
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「あいつは悪魔だ……」
思い出しただけでも背筋が凍る脅しに、シシノは頭を抱える。
かれこれ一時間近く、この人気のない橋の下で落ち込んでいたわけだが、それでも気分は晴れなかった。
「あんな地獄みたいな脅し、良識のある人間がやるかよ……」
そんな独り言を繰り返しているうちに、辺りはもう暗くなりそうになっていた。
――そろそろ帰んなきゃ、夕飯の時間に遅れちまう。
落ち込む気持ちを振り払いつつ、いい加減帰路に戻ろうと立ち上がったその時、少し先に人影が立っていることに気がついた。
シシノをじっと見ているようなその人影は、どこか様子がおかしい。
しかし帰る方向はその人影の方なので、シシノはなんとなく警戒しながら恐る恐る歩き出す。
その、瞬間――。
「『我慢知ラズ』シット・イット・ドーン……」
名乗りとともに、シシノの頭に重い衝撃が襲いかかった。
シシノは揺れる脳みそで状況を理解する――この人影はラッカフルリルの殺し屋で、自分はハンマーで頭を殴られたのだと。
――良識がある子だぁ……? アンタの目ェ腐ってんじゃねえのか⁉︎
心の中で叫びをあげて、全く当てにならなかったシスルゥの言葉を恨んだ。




