86話 転・入・生
午後十一時四十二分。今日も月明かりが綺麗な夜だった。
夕食もとうに終わり、シシノはベッドの中で今日を振り返る。このアパートの住人とした重要な話、その全てを。
まずはニイコ。呪いの解除方法がないかを尋ねたが、残念ながら彼女は何も分からないようだった。
現段階で言えることは「呪いの制約は絶対で、抗うことはできない」ということ。そして、一刻も早くシエラにかけられた呪いの正体――制約を探らなければならないということだ。
次にネネさん。話し合ったことは主に「来れるはずのないラッカフルリルが、なぜこの星に来れたのか」ということだ。
二人の意見は一致していた。シシノはシスルゥの言動から。ネネさんは「監視衛星の軌道が何者かに操作された」というササザキの報告から――ホムラノミヤ機関の中に、ラッカフルリルと繋がっている人物がいるという疑惑を抱いた。
恐らくこの疑惑は間違いではない。そして、衛星を操作するという大掛かりな申請が必要な行為をいとも容易く実行したにも関わらず、「スペナ課」の責任者であるササザキにその情報が伝えられていなかった点や、機関内部で騒がれていない点を考えると、犯人は機関の中でも相当な力を持った人物である可能性が高い。
事実を揉み消せる立場にあるか、複数の協力者がいるのか――一刻も早く突き止めなければならない。
もしかしたらそれは二人が思っている以上に危険なことなのかもしれないが、ネネさんは自ら調査を進めることを決めた。
次にデオドラだ。遊園地のステージで交わした言葉通りに、シシノは彼から『殺しあう』ための闘い方を教わることになった。
キリとクラッグ――そしてこれからやってくるであろうラッカフルリルとの闘いは、恐らくこれまでのように甘いものではない。
シエラを想うデオドラのように手加減をしてくれるわけがなく、ラビコを想うニイコがしたような芝居掛かった闘いなどあるはずもない。
明確な敵意と「シエラを奪還する」という目的を掲げるラッカフルリルが、どんな手段を使ってくるかも分からない――だからシシノは強くならなければならないのだ。
これはシシノとデオドラ、ニイコだけの間に交わされた秘密である。
何故ならば、シエラがそれを知れば、シシノの身を案じて、また「帰らなければならない」という思案をするだろうし、ネネさんがそれを知れば、残酷なことだが――彼女がシエラに帰るよう提案する恐れがあるからだ。
アオギ・ネネの中にある優先事項は、全てにおいてシシノに由来する。彼女にとって彼の身を案じ守ることは、己の命に代えても為さなければならないことなのだ。
それは「アオギ」という家柄に縛られた行動ではなく――彼女自身が胸に掲げる、生きていく上での指針だ。それをシシノも知っている。
だから、シシノが学ぶ『殺し合い』は、決して二人に知られてはならない。ひっそりと、露呈しないよう、隠れて執り行うということをデオドラと決めた。
そして、最後にシエラ。彼女と交わした約束は――。
「シシノ、起きてる……?」
思い返していると、ゆっくりと扉が開く音と、シエラの声が聞こえた。
シシノが身体を起こすのを確認すると、彼女は何かを躊躇うようにゆっくりとベッドへ近づいていく。
「ねえシシノ……その……今日も、いい?」
熱でもあるかのように息を切らす彼女がベッドに手をつくと、少し軋んだ音がした。
そのまま這い上がるようにベッドへ上がると、彼女は激しく吐息を繰り返す。
近しい記憶と同じ彼女の様子に、シシノは何を尋ねられているのかを理解した。
「……ああ、いいよ」
「ありがとう。なるべく痛くないようにするから――」
シシノが頷くと、シエラはベッドの上を這い、彼の身体に跨り、そして――彼の首筋に手を伸ばす。
「――優しく、殺してあげるから」
もうシエラは誰も殺さない。
だが、ただ一人、ヒノミヤ・シシノという拒死身だけを、その手にかけ続ける。
そして、それを誰にも知られてはならない。
彼らはこの行為を、隠し通すつもりなのだ。
その約束が正しいことなのかは、彼らにも、誰にも判断がつかないのだろう。
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翌朝、七月四日、火曜日。
ホームルーム前の教室は少し騒がしい。
生徒たちが和気藹々と語りあったりふざけあったりしている中、シシノは机に頬杖をつき、ぼんやりと右隣にあるシエラの席を見ていた。
そこに、彼女の姿はない。
話し合いの結果、ほとぼりが冷めるまで、あるいはそれが許される状況になるまで、シエラは学校を休むことになった。それは誰よりも学校へ行くことを楽しんでいた彼女にとっては辛いことだが、仕方のないことでもある。
だがシシノはその一方で、彼女の側を離れることに一抹の不安を抱いていた。
まだ彼女の手の感触が残る首筋に軽く触れる。
彼女の殺意――呪いが発現したのは二度。そのどちらも深夜のことだった。
だが、今日もそうとは限らない。そもそも一日に一度とも限らず、彼女の呪いのスイッチが入る法則も分かっていない。
それでもこうして学校へ来たのは、家の外へ出たのは、シスルゥとの接触を図るためである。
シエラにかけられた呪いの正体を探るためには、シスルゥに会って話を聞くことが最も手っ取り早い。
外へ出たからといって接触できるとは限らず、仮に会えたとしても危険な状況になるかもしれないが、シシノの中には確信に近いものがあった。
――シスルゥは、おれに会うことを望んでいる。
それは遊園地で拘束されたときの会話から得た確信なのか、『特権』によって流し込まれたシエラの記憶と共に植え付けられた罠なのかは分からないが、とにかくそう思うのだ。
彼女に会って、シエラの呪いを解く足がかりを掴む――それが現段階のシシノの最優先事項だ。
たとえ道中でラッカフルリルの団員に襲われても構わない。そのくらいの覚悟はとうにできていた。
――大丈夫だ、おれは死なねえ。
心の中でそう呟いて、携帯電話の画面を睨む。この電話の電源を入れ続けていることが、シシノが外を出歩くために決められた条件の一つである。これが切れたときは、ネネさんがシシノの身に何かが起きたと判断し、あの日のように緊急出動をするという手筈になっている。
また、一時間半のうちに一度連絡を取らなければ、それもまた緊急出動のスイッチとなってしまう。
今さっき済ませたところなので、次の連絡は一限目が終わってから行えばいいだろう。
「なに難しい顔してんの?」
「ははは、いつにも増して険しい表情だなシシノ君」
携帯電話の画面から顔を上げると、腕を組むミナモと、眼鏡をくいくいと動かすエイジが目の前に立っていた。
「あぁ……ミナモちゃん、エイジ、おはよう」
眉間に寄っていた皺を緩め、なるべく笑顔で挨拶をするシシノ。エイジとミナモはそれに軽く手を挙げて返した。
「おはよう……ねえ、シエラどうしたのか知らない? アンタらいつも一緒に登校してるでしょ?」
「多分、具合が悪いんだと思うぞ」
殆ど同じ家で暮らしていることは、色々と厄介なことになりそうなので、まだクラスの誰にも知らせていない。だから返事も曖昧なものになってしまうのだ。
「しかしシシノ君、昨日は君とシエラさん、二人とも休みだったではないか。そして今日はシエラさんだけが来ていない……これには何か事情があるとクラス中の、いや、学校中の噂になっているぞ」
エイジは至って真面目な顔をしている。いや、ふざける時も真面目な顔をしているので表情で判断はつかないが、辺りの生徒たちは確かにシシノを見てヒソヒソと何かを話しているので、どうやらそれは事実のようだ。
「いやいや、本当にたまたまだって! シエラも昨日休んでたのか、いやー知らなかったな!」
周りに聞こえるよう大きめの声で答えるシシノに、エイジとミナモは疑惑の目を向ける。
「ま、なんか隠してるにしても、それを無理やり聞き出すつもりはないけどさ。でもやっぱシエラがいないと寂しいな」
肩をすくめるミナモの声はやけにさっぱりとしていた。いつもならば無理やり恋愛話にこじつけて根掘り葉掘り話を聞き出そうとするところだが、今日は少し様子が違うようだ。
「シシノ君が休んでる間にニュースがあったんだよ」
「ニュース?」
シシノが聞き返すと、ミナモはニヤリと笑みを浮かべる。ホームルームが始まる前にそのニュースとやらを伝えたかったのだろう。だからシエラに関してあまり追求しなかったのかもしれない。
「そそそっ、大ニュースよ大ニュース。なんてったってうちのクラスに新しい生徒が増えたんだから」
「へえ、転入生か」
「ん……リアクション薄ー」
シシノのリアクションが薄いのには理由がある。
それは、螢火高校にやって来る転入生が多いからだ。実はシシノとシエラが転入してきた五月以降、すでに六人ほど、他のクラスにも転入生がやって来ていた。
シシノと同じように廃校になったところからやって来た者や、親の仕事柄転校せざるを得ない生徒などを、この螢火高校は積極的に受け入れているそうだ。
「けど、新しい生徒が増えるってのはなんか緊張するな……ついにおれもこのクラスでの生活の先輩になっちまうんだな」
「んな大げさな……まあでも仲良くなれるといいね。なんかね、外国人の男の子だよ」
「外国人⁉︎ そりゃ驚きだ」
「まあ外国語圏の子じゃないらしいからもちろん日本語は喋れるんだけど、色々不安もあるだろうし仲良くしたいよね……」
「シシノ君、ミナモ、噂をすればほら、彼がやって来たようだぞ」
エイジの声につられて、シシノは教室前方の引き戸に視線を向ける。
噂の転入生は、右肩にスクールバッグを担ぎ、ポケットに左手を突っ込み、あくびをしながら教室へ入ってきた。
足早に自分の机まで行ってバッグを降ろすと、気がついたようにシシノの方を見た。
その瞳は青く、髪の色も青みがかっていて、彫りが少し深いその顔は、やはりどこか日本人離れしている。
目が合った気がしたので、シシノが軽く会釈すると、転入生はヘラヘラした笑みを浮かべながら歩を進め始めた。
ポケットに手を突っ込んで肩を揺らす彼は、誰も座っていない椅子や机を突っ切ってシシノの目の前にやってくると、足を止める。
「あ、えっと……おれはヒノミヤ・シシノっつーんだ。よろしくな」
シシノが右手を差し出すと、転入生はポケットから手を出して、その手を握り返した。
「うんうん、よろしくな。でもまあ、君の名前は知ってたんだっての」
「なに……?」
その驚嘆の声は、彼が名前を知っていたということと、その特徴的な喋り方に向けて放たれた。
記憶に新しいその口癖を、聞き間違うはずもないのだ。
転入生はシシノと握手を交わしたまま、裂けたのではないかと思うほどに口元を歪ませる。
「――キリ・シャリヤ・キリスだ……って、おれの名前なんて知ってるよなあシシノ君」
『過冷却』キリ・シャリヤ・キリス。
あの日、仮面をつけて偽りのヒーローショーの悪役をしていた彼は、当たり前のように二年B組の教室の中にいた。




