6話 グッドモーニングと、二回振りの体育
カーテンの隙間から覗く陽の光が眩しくて、シシノは目を覚ました。
「ん……、いつの間にか寝ちまってたのか」
上半身を起こして、大きな欠伸をした。むにゃむにゃと半寝ぼけのまま、ぐっと身体を伸ばす。朝は強い方ではないのだ。
ぼうっとした頭を起こすため、顔でも洗おうかと、ベッドを降りようとする。
だがそのとき、隣に誰かが眠っていることに気づいて驚愕した。
シエラが、すやすやと心地好さそうに眠っていたのである。
窓から射す光に、シエラは眩しそうに顔をしかめて、もぞもぞと身動きした。
「んぁ……おはよう、シシノ」
寝ぼけた声だ。どうやらシエラも朝はそう強くない様子である。
その無防備な姿に、慌ててシシノは、腰を下ろした姿勢のまま、ドタドタとベッドの上を後ずさりし、頭が窓を突き破る勢いで壁に激突した。寝ぼけは一瞬で吹き飛んだ。
「お、おおお、おはようって、な、なんでおれのベッドで寝てんだよ!?」
「んん……だって昨日はお話してる途中にシシノが寝ちゃって……ふぁ。わたしもつい、眠くなってそのまま……」
ぐぅ。とシエラは二度寝を決め込んだ。
「寝なおしてんじゃねえ!」
シシノは、彼女の肩を揺さぶって起こそうとする。
いや、別段、学校でもある訳でないシエラが惰眠を貪ることに、問題はないのだが、この状況を、ネネさんに見られてはマズイと、シシノはひどく慌てた。
ガクンガクンと揺さぶっても、起きる気配はなかなかない。
これはマズイ、と慌てる。いつもならば、そろそろネネさんが元気よくシシノを起こしに来る頃である。
「おはようございます、シシノ様!」
タイミングよく、いや、悪くと言ったほうがいいだろう。部屋の扉が、ばーん! と勢いよく開く音とともに、ネネさんはいつものように、朗らかに元気よく朝の挨拶をした。
世界が止まる。
ベッドに二人、端からみればなんだか見てはいけない場面に見えなくもない様子を見て、ネネさんは無表情のままだった。
「違うんだ、ネネさん!」
シシノが言い訳の代表のようなセリフを吐いたところで、ネネさんの表情は変わらない。
「おや、おやおやおやおや。シシノ様、昨夜はお楽しみのご様子でしたね。しかしながら、言わせていただきます。出会ってその日に、とはーー」
ようやく表情が変わったと思えば、ひどく嫌な笑顔をうかべてこう言うのだった。
「破廉恥です」
バタン。と扉が閉まり、ネネさんはダイニングキッチンへ姿を消した。
「はぁ〜」とため息をつく。あれは、状況を把握した上で、わざとからかっているのだ。こうなると、しばらくはこのネタで、からかわれつづけるのだと、シシノは経験上理解していた。
シエラを見ると、未だ夢の中にいる様子で、幸せそうにむにゃむにゃと口を動かしている。
こんにゃろ、と心の中で毒づいた。
しばらくぼうっとしていると、いい匂いがしてきた。
「そろそろ朝飯か……。おい、そろそろ起きろよ、ネネさんの朝ごはん食べられねーぞぉ」
シシノがそう言うと、今までの大寝ぼけが嘘のように、シエラはパッチリと目を覚ました。
「そんな不幸せなことがあってたまるもんかっ!」
「お前……すっかり餌付けされてんのな」
こんなに慌ただしい目覚めは初めてだった。
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「シシノ、学校行くの?」
「おう、行ってくる」
シエラの問いかけに答える。
朝食を食べ終わった後、シシノは学ランに着替え、学校へ行く準備を整えた。
今は玄関で靴をトントンと履いているところである。
「そっか、じゃあ待ってるね。それで、その……」
「ん? なんだ?」
シエラは何かを言いづらそうにしている。
「学校から帰ってきたら……わたしと遊んでくれる? 出掛けてくれる?」
「……ん、当たり前だろ。じゃあ学校終わったらすぐ戻るよ」
そんな簡単なことを、シエラは申し訳なさそうに言うのだった。
やりたいことがたくさんあるーー。シエラの言葉を思い出す。それが何かはわからないが、この要求に応えることが、少しでも彼女の助けになるのなら、シシノは全力で遊んでやろうと思うのだった。
「えへ。行ってらっしゃい」
「おう、行ってきます」
ネネさん以外の誰かに見送ってもらうのも、初めてのことだった。
いつもとは違う気分で、シシノは学校へ向かった。
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体育の時間、シシノは二回振りの出席だった。特に、誰に何を言われることもなく、バレーボールの授業は進んだ。初回と同じような基礎練習だった。
ボールをトスする練習の間も、シシノは、帰ってシエラと過ごすことを考えていた。いつの間にか、シシノ自身も、シエラが何をして遊ぼうというのか、楽しみになってきていたのだ。
上の空でいると、シシノの顔面にボールが直撃した。
「ぐぇ」という情けない声とともに倒れこむ。
「ご、ごめん! 大丈夫かいシシノくん!」
トスの相手が慌てて駆け寄ってきた。手を引っぱられ、シシノは起き上がる。不覚だ。相手の顔を見ると、心配そうにこちらを見ていた。
「ひっ! お、怒らないでくれよ。わざとじゃないんだホントに!」
どうやら、睨んでいると勘違いされたようである。しかし、シシノにそんな意思はなかった。ただ目つきが悪いだけなのだ。
「いや、怒ってなんかねえよ。こっちこそ悪い。ぼうっとしてた」
そう言うと相手は少し安心したようだったが、すぐさま心配そうな表情に戻った。
「シシノくん、鼻血でてるよ! 鼻血!」
そう言って、準備がいいもので、彼はポケットからティッシュを取り出し、シシノに渡してきた。
鼻にティッシュを当てると、確かに赤い色がじんわりと染みていった。
「ありがとな、でも大丈夫、すぐ治ると思うから……えっと……」
相手の名前が出てこない。眼鏡をかけた真面目そうな奴だった。
「もしかして、……僕の名前を覚えてないの?」
「うっ、ごめん。実はそうなんだ」
「そうなんだ……先週もペアを組んだんだけどなぁ……まあ僕は地味だし、同じクラスになって、まだ一ヶ月もたってないしね、仕方ないよ」
ははは、と笑いながら彼は言う。とてもいい奴そうだった。
「本当に悪い、名前教えてくれないか?」
「うん。僕はクルマダ・ショウタ。改めて、覚えてもらえたら嬉しいな」
「ああ、ショウタ君。この礼は必ずする」
「ははは、ティッシュ渡しただけだよ。それにボールぶつけたのは僕だし。……シシノ君、意外に律儀なんだね。もっと恐い人だと思ってたよ」
やはり恐がられていたようだ。クラス替えから三週間、声をかけられたことは、業務連絡くらいなものだった。シシノは少し落ち込んだ。
「あ、ごめん。なんか気にすること言っちゃったみたいで……」
シシノの様子を見て、ショウタ君は謝罪してきた。なんとも人間のよくできた男の子である。シシノは感心した。
「いや、いいんだ。おれの目つきが悪いのはよくわかってる。怖がられてるのも当然だ」
「いや、そんなこと……なくもないけど……、あ、鼻血大丈夫?」
「あ、おう。もう大丈夫」
鼻の中の傷は完全に治癒していた。このくらいの傷ならば、感づかれることもないだろう。
そうこうしているうちにチャイムが鳴った。
その後も、授業の合間に、ショウタ君とは二言三言、言葉を交わした。その度に彼の人柄の良さを感じた。
ーー聖人眼鏡のショウタ君な。今度はしっかり覚えなくちゃな。
話しながら、脳内に彼をしっかりとインプットした。
それ以外に特に出来事もなく、学校は終わったのだった。
しかし、その帰り道のことである。シエラとの約束のため、早歩きで家路を急いでいると、怪しい男とすれ違った。
もう春も半ばだというのに、その男は黒いコートを着込んでいて、キョロキョロと辺りを見渡していた。見た目から年齢を推定すると、三十代くらいだろうか。その顔は外国人風で、パーツが整っている。髪の毛は男性にしては長いほうで、モデルのように見えなくもなかった。
しかしシシノは、その男をそこまで気に留めることはなかった。
早歩きは小走りになって、思ったよりも早く家に帰ることができそうだ。
気づかないうちに鼻歌なんかを歌ったりしていることに気がついて、どれだけ楽しみにしてるんだよと、心の中で自分自身にツッコミを入れてみた。
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