58話 追憶の終わり、その命は――
お目に止めていただき、ありがとうございます。
タイトルの通り、ドッペルゲンガーの一人称視点は、今回でひとまず終わりです。
今回は詰め込みすぎて少し長くなりましたが、どうか最後までお読みいただけると幸いです。
――ラッカフルリルのシステム上、ラビコを迎え入れることはそんなに難しくはなかった。『二つ名持ち』になれば、部下や手下のような人材を、キャラルマの街に招き入れることができるのだ。
とりあえずアタシはマジコの街が跡形もなくなってすぐ、ラビコを自分の部下という形で申請して、ラッカフルリルの団員に登録した。
問題はラッカフルリルに入ってからだ。
任務をこなせなければ、人を殺せなければ、戦えなければ、ラッカフルリルの中にはいられない。
弱者は淘汰され捨てられるのがラッカフルリルの決まりなのだ。
温かで幸せな暮らしをしてきた普通の少女であるラビコは、当然ラッカフルリルの中で生きていけるような人間ではなかったし、もちろんアタシはラビコに人殺しをさせようなんて思っていなかった。
ラビコには普通でいてもらう。
今は不幸でも、いつかどこかで普通の幸せを掴んでもらう。
そしてアタシの娯楽のために、それを覗かせてくれなければ困るのだ。
自分の手の届くところにいればなんとかなるだろうと、アタシはラビコが来るのを待った。
――あんなに時間が長く感じたことはない。
今まで、その視界を覗き見ていただけのラビコに本当に会うことになるとは……なんというか、何故だかよく分からないけどそわそわしていたのを覚えている。
思えば、アタシはキャラルマの街からなら、ラビコが住んでいた街に行くことだってできた。少し値は張るが、車を使えば二日もかからずに行けたと思う。
でもそうしなかったのは、やっぱりアタシは自分のことを、あの子のドッペルゲンガーだと思っていたからだ。
ドッペルゲンガーに会うと死んでしまう――アタシがラビコに会ってしまえば、あの子はもしかしたら逸話通りになってしまうんじゃないか。
そんな心の引っ掛かりが、アタシを踏みとどまらせていたのかもしれない。
……なんつって、ただ単に会う必要なんてなかっただけだし、別に会いたくもなかったのだ。
本当なのだ。
ともかく、アタシはラビコと対面することになった。
対面と言っても、アタシはこのときもマスクと黒布を脱ぐことをしなかったのだが。
送迎の車の中で、ラビコには事前にこう伝えておいたのだ。
「ラッカフルリルに向かうことになるけど安心しろッス。キャラルマの街についたら、目の前に骸骨マントのかっこいい人が現れるッス。その人は信用できるから言うことを聞くッスよ」
しかし迎えの車から降りてアタシの目の前に立ったラビコは、怯えた様子だった。
無理もない。あれほど忌み嫌われ恐れられているラッカフルリルの総本山に、自分がやって来ることになるなど、ラビコは微塵も想像していなかっただろう。
その上アタシのあの格好は、いざ目の前にしたらやはり怖かったのかもしれない。
……どうしてアタシは自分の姿を隠したのか、それはまあ多分、アタシがドッペルゲンガーだったから。
街を救えなかったという一応の罪悪感で、会わせる顔がなかったから。
それに、どんな顔をしたらいいのか分からなかったから。
その時の感情は、思い出してもよく分からない。
アタシはラビコに会って何を感じたのだろう。
……その日から、アタシはラビコに全部をあげた。
『二つ名持ち』になってから手にした綺麗な家も、裕福な暮らしも、アタシのあげられるものは全部あげた。
街は危ないから、ただその家の中で自由に暮らしていればいいと、そう伝えた。
アタシはと言えば、ラビコに支給された小さな家を使っていた。元来ゴミ溜めに住んでいたことだし、小さな家の方が落ち着くということもあった。
ラビコに一刻も早く幸せになって欲しかったから全部をあげた訳だけど、裕福な暮らしも、快適な住処も、ラビコにとっては幸せではないようだった。
一体どうすれば、ラビコは前みたいに笑うのだろうか――アタシは悩んで考えた。
もう一つ悩みがあった。業績が不振だと、ラビコはラッカフルリルから排除されてしまうということだ。
それを阻止するために、ひとまずアタシは、反政府の意思を匂わせているという噂をもつ、とある組織への潜入任務を請け負って、ラビコに見繕った。
この潜入任務で、その場所がいいところで人の温もりに溢れたところだと分かったなら、ラッカフルリルには適当に無害報告をして、そこにラビコを置いて行こうと考えた。
きっとラビコの望む幸せは、そういうところでの生活なのだと思ったからだ。
マスクと黒布を身に纏って、ラビコに初仕事を伝えると、緊張をバリバリに漂わせながらラビコは任地へと向かった。
アタシはラビコがきちんと仕事ができるかどうかを見るために、その後へついて行った。
そしたら驚くことに、ラビコは正々堂々と真っ正面からその組織へコンタクトをとったのだ。
「すみませ〜ん、自分、ここにちょっといさせて欲しいんスけど、いいッスか?」
組織の建物の前に立つ門番のような男に、普通に話しかけたラビコ。
アタシはこの時、「潜入ってなんだっけ?」とか思ったりしたけど、意外なことにラビコはすんなりその組織の世話になることになった。
どういう訳なのか観察していると(アタシはきちんと潜入したのだ。通気口とか通って)、どうやらあの門番、ラビコを不憫な捨て子か何かかと思って、組織のお偉いさんに掛け合ってくれたらしい。
なんだ、いい奴じゃん。捨てたもんじゃないな、ナヴァロッカも。
もうこのままここをラビコの新しい居場所にしてしまえばいいのではないかと思った。
組織の雰囲気も、みんな仲が良さそうだったし、悪い人たちには見えなかった。
だけど、一応アタシは観察を続けた。
早すぎる判断は毒だ。特に今後のラビコの幸せを、アタシの娯楽を左右するのだから、尚更慎重にならなければならなかった。
そして、やっぱりその判断は正しかった。
ラビコが組織の世話なることが決まって、個室で眠っていた深夜のこと。アタシは天井の通気口からラビコの様子を眺めていた。
バカみたいに口を開けて眠るラビコを見て、ホコリでも落としてやろうかと思っていたその時――ラビコの部屋の扉が、ゆっくりと開いた。
部屋に入ってきたのは、あの門番だった。
昼間に、あんなに優しそうな笑顔を浮かべていた門番だが、この時の表情はまるで違った。
汚らわしい、欲望に塗れたその表情と、眠るラビコを見るその目で、アタシは気がついた。
ああ、こいつ、ラビコに淫行をしようとしているんだ、と。
アタシ自身何度も見たことのある目だ。アタシはアタシにそんな目を向ける奴は一人残らず殺してきたけど、ラビコは違う。
ラビコは弱くて、自分の身を守ることができない。
そんなラビコに、こいつはいかがわしい行為をしようとしているのか――。
あまりに卑怯で、下劣で、許せないと思った。
だからアタシは、その男がラビコの身体に触れようと手を伸ばした時――。
「おい、汚らわしい手で触んじゃねえッス」
そう言って通気口から降り立ち、ナイフで男の手を切り落とした。
男は叫び声をあげようとしたが、そんなことを許すアタシではなかった。
喉を裂き、両腕を切り落とし、絶命させた。
「いい人」ぶりやがって、ロリコン野郎が。
ここはダメだ。一人殺したらもう全員殺さなければ、ラビコの身が危ない。
だからアタシはその日の晩、ラビコが起きる前に組織の全員を殺した。
そして眠ったままのラビコを抱えて、キャラルマの街へ戻った。
そのあとは、こんなことの繰り返しだ。
ラビコが暮らすに相応しい温もりのある場所を探して、いい人を探して、だけどダメで、結局毎回皆殺しだ。
おかげでラビコの業績を誤魔化すことはできたけど、次第にラビコはおかしくなっていった。
人の死に慣れたラビコは、気にしなくなった。
自分が生活を共に過ごした人達が無残に殺されたと知っても、ラビコは平然といられるようになってしまった。
「自分には、神様がいるから大丈夫ッス」
いつしかラビコは、そんな風にアタシにすがって笑うようになってしまった。
アタシはラビコが普通でなくなってしまったことを嘆いていたが、ラビコをそうさせてしまったのは他でもないアタシで、後悔ばかりが募っていった。
四年、経ってしまった。
ラビコがラッカフルリルにやってきて四年。
ラビコの居場所を探し続けて四年。
もしかしたらマジコの街が崩壊した時点で、ラビコの幸せはどこにもなくなってしまったのではないか――そんな考えがアタシの中でずうっと渦巻いていた。
それでも、そんな考えを振り払うように、アタシは次の任務を探した。
新しい土地、まだ行ったことのない場所、いい人がいそうなところ。なんでもいい。何か情報がないか、アタシは探し続けていた。
そんな時だった。
いつだか、アタシをラッカフルリルに簡単に招き入れてくれたお姉さんが、アタシの家の前に現れて、こう言ったのだ。
「ねえ、秘密よ。貴女にだけ教えるの。……シエラ様がね、地球に逃げちゃったのよ。それで、追いかけて連れ戻す人を探しているのだけど……やりたくなあい?」
突拍子もない話でアタシは面食らったが、それが本当なのだったら、チャンスだと思った。
地球――ナヴァロッカでは、その星は平和で豊かな星だと、みんなはそう認識している。
地球はみんなの憧れで、一刻も早く同盟を結んで欲しいと願っているのだ。
その星に行けるのだったら、その星にラビコが降り立てるのなら、ラビコの居場所を探せる。
こんなチャンスはまたとない。
ナヴァロッカのどこよりも、きっと地球は平和で優しいはずだ。
アタシは、考えることもなくその話に食いついた。
「やりたい、やりたいッス! お姉さん、どうすればいいッス⁉︎」
――そうして、アタシはお姉さんの指示通り、『四骸』と『煤払い』の集まる『円卓議会』に乗り込んだのだ。
信用を得るために、マスクと黒布を初めて脱いで、アタシの正体をその場に晒して。
そしてその時、その円卓の中にお姉さんがいるのに気がついたのだった。
だとしたら、話は早いと思った。きっとお姉さんがうまく誘導してくれると。
案の定、アタシの宣言はすんなり通って、作戦はあっという間にまとまった。
地球――野強羅に降り立つのは、アタシと『豪速跳弾』ファスファ・ストレート。
そしてアタシの道具として、ラビコをコストのかからない一人乗りの避難船に乗せて連れて行くことを許可してもらえた。
これで、邪魔なファスファを始末してしまえば、ラビコはもちろん、あわよくばアタシまで、そのまま野強羅に住み続けることができてしまうのではないか。
そんな甘い考えを浮かべられるほどに、ここまではあまりに順調だった。
だったのだが。
――ああ、ようやく、アタシがお兄さんに殺されなきゃならない理由に繋がる。
それは、「呪い」だった。
アタシとファスファ・ストレートに、「呪い」がかけられたのだ。
それは本当に、文字通りの呪い。
かけられた者の行動を縛り、禁則事項を破った者に、「死」という形で対価を支払わせる呪い。
その制約は――。
一つ、仲間割れを許さない。仲間へ殺意のある攻撃をした時点で、呪いを受けた者は燃えて死ぬ。
二つ、作戦の失敗を許さない。自ら死ぬこと、自殺はできなくなる。呪いの制約によって、自殺行動自体が不可能になる。また、作戦開始からひと月が経過した時点で、呪いを受けた者は燃えて死ぬ。
三つ、呪いの制約について、誰にも口外することはできない。
呪いなんてものがこの世に存在するとは思わなかったし、どうせ嘘だろうと思っていたが、いざかけられてしまうと分かってしまう。
死ぬ。これは本物だ。
何かがへばりついたように、アタシの心を締め上げるのだ。
そして、もう一つ分かることがあった。
ラビコは備品扱いだったので呪いをかけられることはなかったのだが、困ったことに――アタシにかけられた呪いは、ラビコにも繋がっているのだと分かってしまった。
どうして分かるのかと聞かれても答えることはできないが、確かに、どうしようもなく感じるのだ。
繋がっている。色々なものが繋がっているアタシたちは、呪いまで繋がってしまったのだ。
だとしたら、どうすればいいか。
それは、呪いが発動することなく、呪いをかけられた人物が死ぬほかない。
アタシかラビコ、どっちかが呪いとは関係のない要因で死ねば、この呪いは解けるはずだ。
もちろんアタシは、アタシの死を選んだ。選んで計画した。
だって、契約したから。
初めて言葉を交わした夜。アタシたちは契約を交わした。
ラビコはアタシの目になるという契約を十分に果たした。
おかげでアタシは知恵をつけ、数年裕福な暮らしをすることができた。
ラビコがいなければ、アタシはゴミ溜めの中で死に絶えていただろう。
ならばアタシは、ラビコを見守るという契約を果たさなければならないわけだけど、これが難しい。
アタシが死んでしまえば、もうラビコを見ることができなくなる。
だけど、死から守ることができれば、きっとそれは契約違反ではなくなるはずだ。
そんなこんなでアタシは自分自身の死を計画し始めた。
野強羅に降り立って、いい人を見つけラビコを預けたら、自殺してしまうのが一番楽なのだけれど、自殺という行動は制約によって縛られていたのでできない。
だったら、誰かにアタシを殺してもらうほかなかった。
まずは、ラビコの居場所になれるような家庭を探してから、ファスファ・ストレートとアタシを殺してくれる人を探す。
そんなざっくりとした計画だったが、いざ野強羅に降り立ってみれば、すぐに見つかった。
あまりに綺麗で、あまりに平和で、あまりに優しいこの星で、お兄さんとラビコはすぐに出会った。
それも、シエラ様を匿って、デオドラまで味方につけてるというのだから、こんなにうまくできた話はない。
アタシはこのときほど神に感謝したことはなかった。
一週間という時間は短かったけど、ラビコはこの星に来て、あのアパートで過ごして、本当に幸せそうだった。
いつかマジコの街で浮かべていたような本当の幸せの顔を、ようやくまた見せてくれた。
心残りはもうなかった。
ファスファをどうにかして、あとは死ぬだけ。
幸い、デオドラという冷酷な強者がその場にいるのだから、ファスファを適当に煽ってけしかければ、いとも簡単に殺してくれるだろうと思った。
だけど、意外にもデオドラは捕獲という手段を選んだ。
それもこの星で暮らした影響なのかは分からないが、まあ行動不能になったのなら、それは少しの差異ということで済む。
呪いの内容について話されてしまってはアタシの計画はおじゃんになってしまうが、三つ目の制約のおかげでその心配はない。
それよりも、アタシの死に方だ。
ここでアタシに、少しだけ欲が生まれてしまった。
だってそうなのだ。アタシを殺してくれる確率が一番高いのは、デオドラだ。
デオドラに殺意を向けて、話の通じないフリをすれば、きっと簡単に殺してくれる。
だけど、アタシはどうしても、お兄さんに殺してほしいと思ってしまった。
これだけはどうしようもないこだわりだ。
だけど許してほしい。
お兄さんには申し訳ないけど、アタシはもう、お兄さん以外には殺してほしくない。
気づいてないッスよね? お兄さん。
いや、気づいてもらってちゃ困るんスけど、アタシとお兄さん、今日が初めましてではないんスよ。
何度か、夜に言葉を交わしたッスよね。
記憶に新しい昨日の夜、いや、今日の夜も、言葉を交わしたのはアタシなんスよ。
シエラ様を助けた理由を聞いたとき、お兄さんはこう言ったッスよね。
――きっとおれの方が助けられてんだ。
それは、アタシと同じだった。
アタシがラビコに抱いていた想いと同じだったのだ。
それを聞いて、勝手だけど、やっぱりこの人しかいないと思った。
最後にアタシの存在を知って、見届けてほしいのは、お兄さんだけだと思った。
今まで騙しててごめんなさい。
だから、いつかラビコにもう一度言ってあげてほしい。
家族みたいに思ってるって、もう一度、今度はラビコに伝えてほしい。
……だけどその前にアタシを――
……
………………
……………………
名もなき『闇討ち』の追憶は、今に追いついた。
実際に経った時間はそれほど長くはなかった。
だがこうして、追憶が終わりを迎えるほどに闘乱が続いているのは、ヒノミヤ・シシノのその胸に、未だ自問自答が続いているからだ。
それを、『闇討ち』も理解していた。
シシノという人間の優しさを、敵にまで情を抱いてしまう甘さを、分かっていた。
だから、挑発を続けたのだ。
『闇討ち』は悪で、ラビコのことなど利用しているだけだと。
悪を殺さなければ、お前は何もかもを失ってしまうと。
だが、まだ足りないのか。
精神的な面だけではない。
いくら傷が治るといっても、その痛みは感じないわけではないはずだ。
すでに何十、何百回切りつけたか、『闇討ち』にさえ分からない。
それでも、まだ甘い考えを捨てないのか。
だから、ダメ押しをする。
切りつけながら、『闇討ち』は悪態をつき続ける。
汚く、罵り、蔑む。
シエラを、デオドラを、ネネさんを、ラビコを――。シシノの大切なものを侮辱する。
そして、その時はやってきた。
「ラビコなんて、いてもいなくてもアタシには関係ない、ただの、ただの道具なんスよおおおおおおおおおッッ‼︎」
『闇討ち』自身、もし鏡に自分の顔が映っていれば、目を逸らしたくなるような顔をしていただろうと思うほどに、酷く言い放った言葉。
それが、引き金になったのかもしれない。
あるいは、今までの挑発がようやく身を結んだのかもしれない。
「う、るせえええええええええええッ‼︎」
ヒノミヤ・シシノは、『闇討ち』から奪いとったナイフを、ようやく懐から取り出した。
それを見て、『闇討ち』は安堵する。
――ああ、ラビコをバカにされて、この人はこんなに怒ってくれる。
この人になら、安心してラビコを任せられる――。
そしてそのナイフは真っ直ぐに、『闇討ち』の首筋へと――。