29話 ネネさん劇場
お目に止めたいただき、ありがとうございます!
では、本編をお楽しみください。
ーー着替えがあって助かった。
シシノはそう思いながら、肌寒い夜の中、凍えながら家路を歩いていた。
血まみれになった身体は、天流川の水で洗い流した。思いの外水が冷たくて凍える結果になったが、しかしあのまま、血まみれズタボロの服で帰っていたら、ネネさんにマシンガン質問されることは必至だっただろう。
それを避けられるのはいいのだが、その辺りのケア(怪しまれないようにか、着替える前と全く同じ服だった。どこから調べ上げたのだろう)ができるというのに、なぜニトラは、あんな荒療治のようなことをしたのだろう。機関からの命令だったのだろうか。そもそも、彼は何者なのか。
疑問は浮かんで止まらなかった。
ニトラの様子を思い出す。彼はシシノを恨んでいるようだった。何かした覚えは全くないが、恐らくはシシノが記憶を失う前、七歳以前のことで怒っているのだろう。
しかし、そんな昔のことを今でも覚えているものだろうか。
歩いているうちに、見覚えのある道に出てきた。家までは後少しだ。シシノは再び思考する。
ーーニトラが使っていた血の剣。あれは、おれにも作れるのか?
二トラの腕から剣が引き抜かれるのを見たとき、正直、化け物じみていると感じた。あんな芸当ができるのは、人間ではないと、そう感じたのだ。もっとも、今の時点で十分に、自分の身は人からかけ離れていると感じているのだが。
ただ、ニトラはシシノよりも、あの身体を使いこなしていた。そう思えてならなかった。自分の身体だというのに、知らないことがまだまだあるようだ。それが少しだけ悔しい。
それに、あの血の剣を作ることができれば、この先役に立つかもしれない。
できれば話し合いで解決したいが、ラッカフルリルの殺し屋の出方次第では、シシノは戦う意思を辞さない。
険しい表情で、物騒な事を考えていると、アパートに着いた。
階段を上がると、何やら七号室から騒がしい声が聞こえるのに気がついて、シシノは何事かと扉を開く。
「違います違います! もう一回最初からやり直しです! さんはいっ!」
目に飛び込んできたのは、パンパンと手を叩くネネさん、そしてヘトヘトな様子で座り込むシエラとデオドラの様子だった。
二人は立ち上がり、定位置でも決められているのだろうか、足元を確認してミュージカルでも始まるかのようなポーズをとる。
「な、なにしてんだ?」
緊張感のあふれる現場に疑問を感じて、シシノは声をかけた。シエラとデオドラは、今日は設定とやらを勉強していたはずだ。それがなぜこんな緊張感を張り巡らせることになるのだろうか。
「シシノ様、ちょうどいいところへお戻りになりましたね。勉強の成果をご覧ください」
ネネさんはそう言うと、大きく一拍、手を叩いた。それが合図だったのか、シエラとデオドラは顔を上げ、声を張った。
「わたしの名前はシエラ・ラック! 十六歳の女の子!」
「ボクはァデオドラ・ラック! 二十九歳のォお兄さん!」
「この名前からも分かるように、わたしたちは日本人ではありません……」
「そォ、ボクたちは三年前、国から逃げてきたのです……」
名乗りから一転、悲しそうに目を伏せる二人。その様子を、シシノはただ唖然と見ていた。
「圧政による貧困に苦しんでいたわたしたち兄妹は、三年前の雪の降る日、国の外へ出る事を決めました」
「あァ、様々な障害に傷つきながらも船を漕いだ先はこの日本。右も左も分からない中、ボク達はこのアパートにたどり着きました……」
デオドラのその台詞が終わると、部屋の明かりが消え、真っ暗になった。
何事かと、暗闇の中シシノが辺りを見回すと、シエラとデオドラにスポットライトのような光が当たる。光の発生源を見ると、ネネさんが真面目な顔をして、懐中電灯で二人を照らしていた。
ーーなんだこれ……。
シシノの唖然呆然っぷりを無視して、二人の演技は続く。シエラはデオドラの袖を掴み、なにやら争っているような動きをしていた。
「兄さん、ダメだよ! 不正に戸籍を取ったって、わたしたちはこの日本に認められたことにはならない!」
「だってェ、難民が戸籍をとるには途方も無い苦労がいるんだぞォ! いいから兄に任せなさァい!」
デオドラは、袖を引っ張るシエラの手を振りほどく。するとシエラは倒れ込んだ。悲しそうな表情で、天に祈るようなポーズをとる。
「このままじゃ兄さんが犯罪者に……真面目に生きなきゃ、幸せになれないのに……誰か、誰か兄さんを止めて……」
「お待ちなさい、デオドラさん!」
そこへ颯爽と現れるネネさん。監督かと思いきや、まさかの出演だった。
デオドラ、シエラ、ネネさんが口を揃えて言う。
「第一部、逃亡の先に……」
「はい、ちょっと止めますよー」
シシノはパチリ、と部屋の電気をつける。そろそろこの謎の寸劇にツッコミを入れずにいるのも我慢の限界だった。
「ちょっ、なぜ止めるのですシシノ様! ここから壮大な物語が始まるというのに!」
「いや、壮大な物語って……これ、何してるんですか?」
「何って、偽の素性の設定を身に染み込ませるために、追体験をしているのです。シエラ・ラック、デオドラ・ラックという二人の人物が戸籍を得るまでの経緯を描いています」
「追体験って……ネネさんも登場してたし、第一部とか言ってたし、完全に演劇じゃないですか」
「ええ。全二十一部の長編です。上演時間は二時間、お二人とも一日で良く形にしました」
「戸籍とる話に二十一章二時間⁉︎ どんだけ設定練りこんだんですか!」
悪ノリがすぎる。横を見ればヘトヘトになったシエラとデオドラが、ソファに横たわっていた。どれだけハードな練習をしたのだろうか。
「そもそも、そんなに設定作り込んでも、人に話せないじゃないですか。元難民って……かえって心配されますよ」
「ええ。ですから誰かに事情や過去を尋ねられたときは「まあ、いろいろあってね……」と、影を背負った感じで答えるのです。何を尋ねられてもこれで突き通してもらいます」
「設定作り込んだ意味ねえじゃん!」
「な、何を言いますか! バックボーンをしっかり身につけていないと、表情の説得力が全然違うんですから! ほら、お二人に素性について何か質問してみてください!」
熱く語るネネさんの様子に若干引きつつ、シシノは渋々、シエラとデオドラに向き合う。
「あの……二人はどうして日本に来たんだ?」
「「まあ、いろいろあってね……」」
口を揃えて言う。その声の暗さ、影を背負った表情は、確かにこれ以上質問することに躊躇いを覚えさせる。
ーーいや、これ演技じゃねえ、ただ疲れてるだけだ……。
その考えは飲み込んだ。これ以上何か言って、二人の努力を無駄にしてはならない。
シシノはもう何も言うまいと納得することにした。
「おし、みんなお疲れ! 晩御飯にしようぜ!」
混沌とした現場を無理やりまとめる。
しかしこの騒がしさが、先程までの血まみれの戦いを忘れさせてくれて、平和な日常に戻ったという気がした。そう、なんだかとても落ち着くのだった。
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今日の夕食は和風だ。煮物に、旬の魚の煮付け、赤出汁のお味噌汁、そして炊きたてのご飯が湯気を登らせていた。
「なあ、ナヴァロッカってどんなとこ?」
煮付けをパクリと食べながら、シシノは二人に尋ねた。普通の人に地元について尋ねるような、軽い質問だ。だが、シエラとデオドラの表情は険しいものとなる。
口の中の食べ物を飲み込むと、デオドラが口を開いた。
「一言で言えばァ、ディストピアです。星をまとめる政府はァ、力で民をォ押し付けている。ラッカフルリルのような武力でねェ。反発するものはァ……ボクたちの餌食です。だから争いが絶えませェん。幸せなのはごく一部の人間だけでしょォねェ」
「そっか……」と頷くシシノ。想像の通り、あまり幸せそうな世界ではないようだ。
と、ここで、今まで後回しにしていた疑問について思い出した。
「なあ、そういや前にもシエラに聞いたんだけど、どうしておれたちは言葉が通じてるんだ?」
あの日の夜には、答えが聞けなかったことだ。きっとシエラは、シシノが自分と繋がりがなくなったときのことを考えて、はぐらかしたのだろう。
だが、今はもうずっとここにいるという覚悟をしている。それならばこれから先、気になる事柄は解決しておきたい。
「おやァ? シエラ様やネネさんから知らされていると思っていたのですがァ……お二人とも?」
ネネさんとシエラは首を振る。どうやらホムラノミヤ機関であるネネさんは事情を知っているようだ。この中で何も知らないのは、シシノただ一人だった。
「そうですかァ。何も知らないなら、結構驚く話かもしれませんねェ……」
「な、なんだよ、もったいぶらずに教えてくれよ」
「ネネさァん、教えても構わないですかァ? 機関の方針は隠蔽なのでしょう?」
「ええ。構いません。これから先共に暮らすのですから、知っておかねばならないことです」
二人の会話は、なんだか重々しいものを感じさせる。シシノは自分の鼓動が早くなるのを感じた。
「では」とデオドラは一泊おいて、シシノに向き合う。
「ナヴァロッカと野強羅の人間はァ、元々同じ星に暮らしていたのです。だから元となる言語が同じだったのですよォ」
「な、なんだって⁉︎ 同じ星って……⁉︎」
あまりの衝撃に目を見開くシシノ。まさかこんなにも衝撃的な話を、食卓で聞くことになるとは思いもしなかった。
「えェ。何度も耳にしたでしょう、『地球』という星です。この星が野強羅という名前になる前の、大昔の名前です」
謎は解けた。シエラが口にしていた地球とは、そういうことだったのだ。
ーーなるほど、地面の球体で地球か。昔の人はいい発想をするものだ。
「ん? じゃあ今ナヴァロッカに住んでいる人たちは地球を飛び出したのか? それってなんか聞いたことある話だ……」
「ええ。そうですシシノ様。国語の授業や絵本でよく目や耳にしたことでしょう。『ほしのおわり、はじまり』というおとぎ話は、本当に起きた出来事なのです。ナヴァロッカとのコンタクトが始まったとき、今後彼らの存在を公表しても人々がパニックにならないよう、ホムラノミヤ機関が作ったおとぎ話なのです」
シシノの疑問に答えるようにネネさんは語った。どうやら、あのおとぎ話はそう古くないものらしい。
「マジか……なんか、すごい話聞いちゃったな……」
なんなのだろう。シシノは高揚感のようなものを覚えていた。今まで自分が知っていた歴史を、揺るがすような事実を聞いたためだろうか。
「この話はくれぐれもご内密に。まだ人々が知る段階ではありません。ゆっくり進めていかねばならないことです」
ネネさんは念を押す。確かに、あのおとぎ話が実話だと知れば、人々はパニックになる可能性もあるだろう。
「あ、ああ、分かったよネネさん。……でもさ、どうして今まで、野強羅はみんなにナヴァロッカの存在を隠してきたんだ?」
ホムラノミヤ機関は、ナヴァロッカの存在を知っていたのだ。だったら初めから人々にその存在を教えていれば、話は簡単だったのではないか。
「それは……私のレベルでは解禁されていない情報です」
「なっ……ネネさんでもですか?」
それならば相当なトップシークレットだ。ネネさんに与えられた権限は相当なものだというのに。
「まぁいずれ、知ったときにお話ししましょう。シシノ様。私はもっと偉くなります」
得意げな様子のネネさん。今までの苦労を知っているシシノからすれば、その様子は応援したいものだった。
と、ここで空気をぶち壊すように、高らかにご飯茶碗を持ち上げる者がいた。
「おかわり!」
宣言したのはシエラだ。難しい話が始まったと見て、ご飯を食べることに意識をシフトさせていたらしい。
確かに、冷めてしまっては勿体無い。難しい話はここまでにして、シシノは夕食を食べるのに戻るのだった。
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シシノはベッドに入ると、今日の出来事を思い出した。
ーーマミヤ・二トラ。あいつには気をつけねえと。
また殺されかけてはたまったものではない。彼に関する情報を集めようと、シシノは何かを知っていそうな人物の顔を思い浮かべた。
マイマイガ医師である。シシノの身体を死を拒むものにしたのは彼だ。ならば二トラをそうしたのも彼だという可能性が高い。次の定期検診で話を聞こうと決意した。
そして、ふと「宇宙人がいると思うか」という質問をしたことを思い出した。
そのときのマイマイガ医師の表情は、とても優しく、どこかへ想いを馳せているようだった。あれはなんだったのだろう。
ーー宇宙人マニアなのかな。
あまり深く考えず、シシノはゆっくりと目を閉じる。
なんだか窓の外がうっすらと赤みがかっているような気がしたが、そのまま眠気に従うのだった。