121話 家族団欒
バスに揺られている間も、シシノは悩んでいた。恋文という相談相手ができたものの、先に彼女の相談事を解決しなければ自分の悩みは解決できない。だとすれば、並行して先に誰かに相談しておきたい――と。
バスに揺られている間、シエラも悩んでいた。ミナモに妙なことを言われてから、シシノに対して妙な気まずさを感じるようになってしまったのである。このままでは、この初めての感情に振り回されそうな気がしてならない。そうなる前に、この感情がなんなのか、誰かに尋ねたくて仕方がなかった。
つまりは悩みを聞いてくれる頼れる人物が必要なのだ。それが誰なのかといえば、偶然というよりも必然的に、二人は同じ人物を思い浮かべていた。
「「ネネさん! ちょっと話を聞いてください!」」
リビングの扉を勢いよく開けると、シシノとシエラは声を揃えてそう叫んだ。予期していない出来事だったので二人は顔を見合わせたが、相談事が何か尋ねられると気まずいので、すぐに顔を逸らした。
そんな二人を出迎えたのは、ネネさんではなかった。
「おやァ〜? 二人声を揃えてェ、いったいなにがあったんですかァ?」
にやにやしながら、キッチンの影からデオドラがぬらりと出迎えたのである。
「いや……別に大した用じゃねぇんだけどさ」
「うんうん、わたしも別に何か相談事があるわけでもないよ」
歯切れの悪い二人を見て、デオドラは何かを察するように頷いた。
「何にせよォ、残念ながらネネさんはァ、お仕事で今日は帰れないそうですよォ」
「またか……最近は特に忙しそうだなぁ」
「ここのところ多いよねぇ」
数日前から、ネネさんは多忙で家に帰れないこともしばしばなのである。そのしわ寄せで料理当番がデオドラとラビコにスライドしてしまうことがこの頃は多いのだった。
「はぁ、ネネさんのオムライスが恋しいよ……」
「まァまァ、ボクたちの料理も負けていないじゃァないですかァ」
笑顔でそう言うデオドラに、シエラは深いため息を返す。
「あのねぇ……負けてる負けてない以前に、勝負にもなってないからね。小学生がプロボクサーに試合挑んでるようなものだからね」
「それは聞き捨てならないッスねぇ!」
シエラの一言を聞いてまたまたキッチンから飛び出してきたのは、何を隠さなくともラビコである。ふんすと鼻息を荒げ、デオドラの前に躍り出た。
「自分たちもただただ意味もなく、毎日まずいご飯を作ってるわけじゃあないんッスよ!」
「そォおですゥ! 日々探究と冒険を繰り返し、正解を探しているんじゃァないですかァ!」
「そう、つまり自分とデオドラさんの料理には無限の可能性が秘められているッスよ!」
「言うなれば我らは鬼才料理人! 今日こそはァ、クリティカルヒットを叩き出すかもしれないじゃァあァりませんかァ⁉︎」
上半身で円を描くような奇妙な踊りをしながら、ラビコとデオドラは熱弁する。その様子を、シシノとシエラは冷ややかな目で見つめた。
「……それで、その手に持ってる食材はなんだ?」
「「パイナップル‼︎」」
鬼才料理人たちは、自信満々にその腕に抱えたパイナップルを見せびらかした。
「お前ら、前回それで失敗したのを覚えてねえのか!」
語気を荒げるシシノに、鬼才たちは首を振る。
「前回のパイナップルご飯……あれは我々からしても確かに失敗でしたァ。しかァし、我々は失敗を失敗のまま終わらせたくはなァい!」
「そうッス! まずはパイナップルという食材を極めないことには、次のステージには進めないッス!」
「我々はァパイナップルの可能性を信じ、パイナップルをォフル活用できる料理を作ってみせまァす!」
「ッスー!」
瞳に炎が宿っているかのような気迫。それを目の当たりにして、シシノとシエラは固唾を飲み込んだ。
「なんて覚悟だ……必ず美味い料理を作るという自信に満ちた瞳をしていやがる」
「うん……心なしかパイナップルが輝いて見えるよ」
ここまで言われては構えるのみ――二人は黙ってダイニングテーブルに着いた。
「今はただ見届けるぜ……」
「うん、見せてよ。あなた達の道の行末を……」
その言葉を聞くと、デオドラとラビコは静かに頷いてキッチンへ向かった。
「さァはじめよォう、ラビコちゃん」
「パイナップルを信じ、パイナップルを活かす……ッス」
ラビコは静かに、パイナップルのヘタをざくりと切り落とした。
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「「「「ごちそうさまでした」」」」
四人がぱんっと手を叩く。妙に静かな空間に響くその声は、なんとなく、いつもよりも厳かに聞こえた。
「さァて、それではァお二人の感想をお聞かせ願えますかァ?」
デオドラの静かな問いに、シシノとシエラは顔を見合わせて、ぽつぽつと口を開き始めた。
「あぁ……美味かったよ。確かに美味かった」
「うんっ。美味しかったぁ」
「いや……美味かったけどよぉ……」
満足げなシエラに対して、シシノは歯切れの悪い反応を示した。
「けど……なんッスか?」
「けど……カレーなのかよって思って……」
パイナップルを信じ、活かすと豪語していた鬼才料理人たちだったが、結局のところ食卓に並んだのは、スパイシーなカレーだったのである。
「パイナップルどこにいるんだ? ってくらいスパイス効いたカレーだったからよぉ、これは果たしてパイナップルを信じた結果と言えるのかって、おれァ思っちまったんだよな」
シシノの意見に、ラビコとデオドラは肩を竦めた。
「カレーにしたら大体なんでも美味しくなるじゃないッスか」
「そうそォう。簡単に言ってしまえばァ、ボクらは逃げの手を使ったってェことですよォ」
「めちゃくちゃ簡単にぶっちゃけるなあんたら……」
「結局ゥパイナップルは料理には合わないんだよォ。その証拠にィ、レシピを調べてもォ数があまりに少ないからねェ」
「トンテキにパイナップルソースかけたレシピとか出てきたッスけど、絶対普通のソースかけたほうが旨いに決まってるッスよ」
「わ、わたしはすごく美味しかったよ! ほんのり甘酸っぱくて!」
シエラのフォローにもラビコは首を振った。
「いやいや、パイナップル入ってない方が美味かったッスよ多分」
「お前ら、パイナップルに謝れ‼︎」
なんだか鍋に残っているカレーにぶち込まれたパイナップルが不憫に思えてきて、シエラは結局もう一杯お代わりをした。
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夕食後、ヒノミヤ荘の住民たちはリビングでだらだらと団欒していた。
ラビコがゲームをプレイしている周りで、他の三人もだらだらと雑誌を読んだり、漫画を読んだりしている。
午後七時半。いつもならまだまだゲームをプレイし続けるラビコだったが、今日は早々にセーブをしてテレビを消した。
「ん? 今日は早いな」
「まぁ、たまには宿題でもやろうかなっと思ってッスね」
「おお、偉いじゃねえか……っておい、毎回やれよ」
「てへへ、ついに今日先生にブチ切れられちゃったのを思い出したんスよね」
「ヘラヘラしてお前、あんまり反省してねぇな?」
「へへ、小学生の成績なんて、大してその後の人生に響かないと自分は思ってるんスよねぇ」
「あのなぁ、そういう性根にならないように、先生がしっかり怒ってくれてるんだぞ」
「そうは言われても、自分ほんとは十四歳ッスからねぇ。きょういくないようがおこちゃますぎて、こっけいに思えて仕方ないッスよ」
「けっ、小学四年生が何を言ってんだ」
「四年じゃない! 五年生ッス‼︎」
十歳から学校に行けていなかったラビコは、当初小学四年生からやり直す予定だったが、ネネさんに泣きついて学力テストをした結果、なんとかギリギリ五年生のクラスに編入できたのである。
因みにそのテストの際、ニイコがこっそり答えを教えたのではないかという疑惑があったが、その答えは未だにはっきりしていないのだった。
ネネさんとシエラはラビコの中に潜んでいるニイコの存在を知らないので、シシノはその疑惑について追及するのは辞めておいた。
「四年も五年もどっちでも同じだろ」
「同じじゃない! 二度と間違えるなッス!」
「分かった分かった……とにかく、ちゃんと宿題やれよな」
「はいはい……自分もさすがに先生が怒る気持ちも分かるんで、そろそろちゃんとやるッスよ」
「ラビコ、分からない問題があったら、わたし解き方教えるよ!」
シエラが手を挙げてそう言ったが、ラビコは首を振った。
「ありがとうッス、シエラちゃん。けど、これは自分一人でやるッス。自分一人の力で……!」
キリッとした表情でサムズアップをすると、ラビコは自分の部屋に戻っていった。
「いやぁ、ラビコちゃんも大人になってきたねぇ」
シエラは感嘆の声を上げた。
「社会に反発するあの感じ、中二病っぽいけどな」
――というか、あれ絶対ニイコの手を借りるつもりなんだろうな……。
心の中でそう呟きつつ、シシノは苦笑いをした。しかし、何にせよ勉強に向かい合うのはいいことだというのは事実である。シシノは少しばかりラビコに触発されて、妙なやる気が出てきた。
「文化祭の前に中間テストもあるし、おれも勉強するかなぁ」
「じゃあわたしの部屋でやろうよ。シシノ、国語得意だから教えてほしいな」
「お、んじゃあシエラには化学を教えてもらうとするか」
「まっかせて! それじゃ、勉強のお供にポテチでも……」
「こら、晩飯のあとにお菓子はダメだ。身体に悪いぞ」
シシノとシエラがそんなやりとりをしていると、デオドラがおもむろに口を開いた。
「お二人ともォ、その前にちょォっといいですかァ?」
「お、デオドラさんもたまには勉強するか?」
「それもいいかもしれませんがァ、そういうわけではありませェん。いやなにィ、お二人が帰宅したときのことを思い出しましてねェ……何か悩みがあったんじゃァありませんか?」
恐らくずっと覚えてはいたが、ラビコがいたので夕食のときには切り出さなかったのだろう。しかし、二人の悩みはお互いに聞かれてしまっても困るものなので、今相談することはできないのである。
「「いや、間に合ってます」」
結果、シシノとシエラは口を揃え、きっぱりと断って、そそくさと逃げるように部屋を出た。
「……ボクはそんなに頼りないかなァ……」
リビングに一人取り残されたデオドラは、ポツリと呟いた。
シシノはシエラに、シエラはシシノに悩みごとを聞かれたくないので逃げただけだったのだが、思わぬところでデオドラにダメージを与えてしまったのだった。
「思えば最近ン、みんなボクへの当たりが強い気がするなァ……」
ソファで項垂れるデオドラの足元で、チリンと鈴の音が鳴る。見ると、チャッピーがくねくねと寝転んでいた。
「あァ……君だけはボクに優しくしてくれるんだねェ!」
抱き抱え頬擦りをする。ごろごろと喉を鳴らすチャッピーだったが、突然身体をくねらせて抱擁から抜け出して走り去っていった。ネヌは気まぐれなのだ。
「あァ……また独り……。こんなときィ、ネネさんがいてくれたらなァ……」
いたところで誰よりもキツく当たられるだけだというのに(いや、キツく当たられるのが快感なのかもしれないが)、デオドラは堪らなくネネさんが恋しくなった。
窓を開いて、デオドラは渇いた空気を大きく吸い込んだ。
「ネネさァ〜ん! 早く帰ってきてくださァ〜〜い‼︎」
秋の夜長に、悲痛な叫びがこだました。