116話 シシノVS複製人間
『血氣』――それは、意思に呼応する血液である。
マミヤ・ニトラの無骨な大剣や、シシノの刀、そして今使った盾は、その血を己の意思で変形させたものだ。拒死の肉体に流れ、拒死の意思に呼応するその血を、マイマイガ医師は『血氣』と名付けた。
意思によって血氣を変形させるには、尋常ではない集中力と、並外れた想像力がいる。それを補助するために、呪文じみた言葉をシシノは使った。
「血氣変換――刀血」
武具を冠した血の名を呼びイメージを固め、傷口からそれを引き抜く。これこそが、シシノが身につけた技、『血氣変換』 である。
引き抜いた刀を振るう。それと同時に「チュイン」と何かが弾ける音がして、暗闇に火花が散った。そして、続けて重たい銃声が響いた。
二発、三発、四発、五発――刀血を振るいそれを斬り伏せた。
銃での攻撃が無駄だと解ったのか、銃声はすぐに止んだ。
「隠れんぼの次は鬼ごっこか……いいぜ、付き合ってやるよ」
銃声がした方へ駆ける。すぐ先にパタパタとはためいている黒装束が見えた。今度は熊の乗り物ではない、本物の敵だ。
黒装束が跳躍する。すぐ側の巨大な鉄柱を駆け登り、その上に逃げた。シシノもそのあとを追って鉄柱の側面を蹴って駆け登る。登った先が、ジェットコースターのレールの上だということには、一瞬で気がついた。
何故ならば、登りきった瞬間に、ジェットコースターが目の前に見えたからだ。
「あっ」
それを目視した瞬間、ゴッと鈍い音が頭の中に響いて、全身を万力に潰されているような痛みに襲われた。どういうわけか稼働していたジェットコースターに、シシノは轢かれたのだ。
「か……は……っ」
呼吸が止まりかけたが、轢かれる瞬間に本能で足を浮かせたのか、幸いなことに外傷はそこまでなかった。ただ、身体の骨が砕け、内臓は破裂しているだろうが、その程度で済んだことはシシノにとってラッキーだった。
少し我慢さえすればすぐに治る――この三ヶ月、シシノはそうして数々の痛みを乗り越えてきた。ただ、身体のどこかが引きちぎれたりしたときの痛みにだけは、未だに慣れずに発狂しそうになる。それがない分今回はマシだ。
何ならその生ぬるさから、ジェットコースターに愛おしささえ覚えそうだったが、身体を押し上げられたまま猛スピードで走り続けられているのは問題だった。シシノは振り落とされないようその先端に刀血を突き刺してしがみついた。
このままジェットコースターに運ばれていれば発車口まで戻るだろうが、しかし敵はその隙にまたどこかへ逃げるかもしれない。短期決戦を心がけるシシノにとってそれは困ることだ。今日は特に大事な予定も控えている。
そんな心配をしていた矢先、シシノは気がついた。轟音に紛れて、背後からも音が聞こえていることに。
刀血を軸にして腕に力を込め、ジェットコースターの上に躍り出る。その瞬間、激しい衝撃と振動がシシノを襲った。
「う、おぉっ……!」
浮かび上がる身体を固定するため、刀血を握る手に力を込めながら、ちらりと衝撃の原因を見る。
そこには先端が凹んだもう一台のジェットコースターがあった。恐らく敵が逆向きに暴走させ、衝突を目論んだのだろう。あのまま先頭に張り付いていれば、今頃シシノは車に踏まれたカエルのように潰れていたはずである。
ぶつかってきたモノは推力を失ったようだが、シシノが刀血を突き刺しているジェットコースターは未だ勢いを失わず暴走している。いや、それどころかスピードを増している。
以前シエラと乗ったときの記憶が確かならば、このジェットコースターの目玉である垂直ループがすぐ先にあるはずだ。つまりこのままでは空中で宙ぶらりんになってしまう。
いっそ座席に座って安全バーを下ろそうかと思ったが、しかし、その先の光景を見て考えを変えた。
垂直ループの向こう側から、もう一台――ジェットコースターが迫って来ていたのである。この速度で進めば、ループの途中でジェットコースター同士が激突し、大惨事になることは間違いない。
「こりゃあ、向こうも勝負を決めに来たってことか」
迫り来るジェットコースターは恐らく敵が能力で増やしたものだ。つまり、まだ発車口に敵がいる可能性が高い。逃げずに能力を駆使しているということは、ここでシシノを仕留めるつもりなのだろう。
「だったらこれを切り抜けて、終いにしてやる……!」
凄まじいスピードでループに突入する。機体が上昇し、そして、ちょうど世界が逆さまになった瞬間に、シシノは刀血から手を離した。手から離れた刀血が血液になって降り注ぐのと同時に、頭上で凄まじい轟音がして、ぶつかり合ったジェットコースターの残骸が降り注いだ。
「血氣変換ッ――盾血ッ!」
頭上に左手をかざし、球状の盾血で身体を覆う。赤黒い盾に包まれたシシノはそのまま下のレールへ墜落し、ジェットコースターの残骸に押し潰された。
だがしかし、盾血の硬度は並ではない。
「――刀血ッ!」
盾血から手を離すと同時に叫びをあげて、頭上を切り裂いた。
シシノを押しつぶそうとしていた鉄の塊が切り飛ばされる。その隙間へ跳躍し、シシノは残骸を飛び越えレールを駆け出した。
目前に、またジェットコースターが唸りを上げて向かって来ていた。
「もうその手は通じねえよ!」
軽々と跳躍し、ジェットコースターに飛び乗り、その上を駆ける。少し先にまたジェットコースターが迫って来ていたので、船尾から飛び移って駆け続けた。その先もその先も、さながら八艘飛びの如く、次々と飛び移る。
最後の直線――その先に発車口が見えた。そして、何もない空間から徐々に出来上がりつつある、中身が剥き出しのジェットコースターが見えた。
敵はまだ、そこにいる。
「らあああああああぁッッ‼︎」
作りかけのジェットコースターへ一閃。そして、座席に座る黒装束に切っ先を向けた。
「タッチだ。さて、まだ鬼ごっこを続けるか?」
シシノが見下ろして言うと、黒装束は弱々しく両手を挙げた。
「……降参、だよ。お手間を取らせてごめんね、もうお家へ帰っていいよ」
「……話が早くて助かるよ。んじゃ、さっさと済ませるから、ちょっとだけ目ェ瞑っててくれ」
そう言うとシシノは、自分の首筋に刀血を突き立てた。
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「それで、どんな能力なんだ? 君……えーっと……ロックウッド、だっけ?」
「……それは真名だよ。名前はチャック・プロント。『二つ名』が『複製人間』ってバレバレだから、真名で分かりにくくしたんだ」
フードを取ったチャックの見た目は小さな少年だった。その所作も大人っぽくはあるが年相応にも見える、しっかりしたいい子という印象をシシノは抱いた。
「チャック。『複製人間』ってことは、やっぱり能力はコピーか?」
「うん。触ったものをコピーできるんだ。でも一回目は時間がかかっちゃうんだよ。ボクの手であちこち触って、中身の構造までスキャンしないとコピーできないんだ」
そこまで言うと、チャックは目の前のコーヒーを一口飲んで、苦そうな顔をした。シシノが飲み物を買うついでにリクエストを聞いたら、ブラックコーヒーと答えたので要望に応えたのだが、どうやら背伸びをしていたようだ。
気持ちは分かるので、そのリアクションについてはスルーしておくことにした。
「コピーねぇ……便利そうな能力だ。それがありゃあ買い物いかなくてすむもんな。トイレットペーパーとかシャンプーとか歯磨き粉とかよぉ……あ、それに食材も増やせたら究極の節約になるじゃねえか!」
「みみっちぃなぁ。うん、実際にボクは消耗品くらいは増やせるけど、食べ物は難しいんだ。ちゃんと構造をスキャンしてコピーしても、味も栄養もないものができあがっちゃう。食べられないことはないけど、美味しくないし意味もないよ。それに、何もないところからうねうね出来上がってくるお肉とか、あんまり食べたくないでしょ?」
「あぁ……そりゃ確かに食いたくないな。けどよぉ、熊の乗り物もジェットコースターも、コピーしたもんはしっかり動いてたのに、なんで食い物はそうなっちまうんだ?」
「……ボクのコピーには、命が宿らないんだ。動物をコピーしても動き出さないし、その肉は食べられるものではなかった」
「中身は同じなのに、か」
「うん。一度だけ人間をコピーしたこともあるよ。でもやっぱり動かなかった。出来上がったのは死体だった」
チャックはため息をついてコーヒーに手を伸ばしたが、缶を触るだけで飲みはしなかった。
「だからこの能力は、ボクの願いを叶えやしない。ほんとはこの力で命を増やしたいのに――」
願いは叶わない。それどころか、命を奪わなければ生きていけないところにいなければならなかった。こんな子供が自分の願いを捻じ曲げらなければならなかったという事実に、シシノは胸を痛めた。
「……行くとこがないなら、おれのアパートに来るか?」
そう尋ねると、チャックは少年らしい無邪気な笑顔を浮かべた。
「ありがとうシシノさん。でも大丈夫だよ。シスルゥ様が新しい家を用意してくれるんだ」
「おぉ? ずいぶん福利厚生が手厚いな」
「うん、というか、半分それが目的で戦いを挑んだんだ。今までシシノさんと戦った人たちは、負けて自由になってるみたいだったから」
「あぁ確かに、キリとクラッグ先生もまだ学校にいるしな……そうか、みんな自由になってたのか」
「クリムさんなんか、人生を謳歌してるって感じだよ。シシノさんにお礼を言っておいてくれって」
『炎炎火葬』クリム・ロッジ――その二つ名通り、燃え盛る炎を使う彼は、夏休みの頭にシシノと死闘を繰り広げた。戦いの中で盾血が使えるようにならなければ、シシノは燃やし尽くされていただろう。
「クリム・ロッジ……すごい奴だった。今はなにをやってるんだ?」
「うーん、シシノさんにはまだ教えられないな。なんでも、シシノさんの耳に届くくらい有名にならないとダメなんだって言ってた」
「有名って……余計なにやってるのか気になるぞ」
「そのうち見つけられるんじゃないかなぁ」
そうこう話しているうちに、シシノの携帯電話が軽快なベルの音を鳴らし始めた。
「お、そろそろ迎えが来るみたいだ。じゃあおれは行くよ。暇つぶしに付き合ってくれてありがとな」
「ううん、こっちこそ。最初は首切りショーの直後にお話ししようとかどんなサイコパスかと思ったけど、まともな人でよかった。楽しかったよ」
「あのなぁ……いや、そりゃそう思うか。あーそうだ、帰るなら途中まで送ってくけど車乗ってくか?」
「ありがとう。でも、ボクにも迎えが来るから大丈夫だよ」
「そうかそうか、そしたらよぉ――」
言いながら、シシノは自分が飲んでいたサイダーと、チャックのコーヒーを取り替えて立ち上がった。
「おれ、コーヒーの気分になっちまったからよ、それと交換させてくれ。んじゃ、またな」
ひらひらと手を振って、シシノはその場を後にした。チャックはシシノの背中が暗闇の中に消えていくのを見送ると、サイダーを一口飲んで呟いた。
「……すごく優しいなぁシシノさん。けれど怖いなぁ……いつか壊れちゃいそうで」
話をしたときの優しい笑顔は、ただの高校生となんら変わりがなかった。だが、躊躇なく自分の首を切り落としたシシノの姿はどうしようもないほどに狂っていたし、何事もなかったかのように話す笑顔が余計に――チャックの目には狂って見えたのだった。