9話、勇者タカシは人の強みを考えた
カーテンの隙間から朝日がこぼれだす。
タカシが目を覚まし、ベッドから起き上がると窓を開けて下を覗いてみた。
「お早うございます。タカシさん」
微笑みながら立っていたのは、ジョディだった。
あわてて着替えると、階段を駆け下りて玄関に向かう。
「来たんなら、声をかけてくれればいいのに」
「まだお休みのようなので待っていました」
朝日を背に浴びて、少女はにこやかに言った。
トレードマークのとんがり帽子とチェックのワンピース。自分の背丈を越える長い杖。
ジョディをロビーに待たせて、タカシは朝食を食べることにした。ロビーと言っても、広間に長いテーブルと木製のイスが置いてあるだけ。
さっさと食事を済ませると、下に降りた。
「仕事の説明をするよりも、実際に見た方がいいよね」
そう言って荷車を引き、ジョディを連れてスライムの森に向かう。
タカシの人生では、女の子と一緒に歩くというのは初めてのことだ。何か話さなければと焦りを感じる。
「ジョディさんは、今までどこのパーティにいたの?」
うつむいて顔をそむける。
「その……、いろいろと……」
聞いてはいけないことだったかな。タカシは話題に迷う。
「魔法使いは、どのパーティでも引っ張りダコだよね。どうして俺のところなんかに」
「あの、その……、どこにいてもうまくいかなくて……」
眉をひそめて泣きそうな顔になっている。
人間関係はいろいろあるよね。タカシはそれ以上の詮索をやめた。人との関係で嫌な目に合っているのはタカシも同じだったから。
それからは無言のまま。二人は、しばらく歩いて森に到着した。
「簡単に説明すると、スライムを捕まえてベルギー商会に売るのが仕事だよ」
そう言って小さな網の袋を取り出す。ジョディは黙ってうなずいた。
タカシはいつものようにバッタを捕まえて袋に入れる。10匹ほど捕えて、それを木の枝に吊るした。
ジョディと一緒に木陰に隠れる。スライムが餌に寄ってくるのを静かに待つ。
隣に女の子の息遣いを感じて、タカシの鼓動は高鳴り顔が赤くなるのが自分でも分かった。
そのうちにスライムが集まりだす。餌の下で跳ねまわっているのを見てタカシは捕虫網を持って飛び出した。網を地面に叩きつける。その中では5匹のスライムが飛び跳ねていた。
「こうやって捕まえるんだよ」
振り向いたが誰もいない。
「ジョディさん」
探すと木の陰に隠れていた。
「どうしたんですか」
震えているジョディに近寄る。
「キャー!」
少女が走り去る。一人だけ残されたタカシ。手に持った網の中ではスライムが跳ねまわっていた。
*
「私、極度な怖がりなんです」
杖を握りしめてジョディがつぶやいた。昼前の木漏れ日が少女の茶色い髪に遊ぶ。
「それでいつもパーティをクビになって……。どこにも行くところがないんです」
タカシはやっと納得した。魔法使いが自分の仕事を手伝いたいなどと言ってくるはずがない。しかし、スライムでさえ怖いというのは……。
「あの……、ダメでしょうか」
泣きそうな目。上目づかいで見られると冷たいことを言えるはずないタカシ。
「とにかく、スライムに慣れてみようよ」
ジョディが小さくうなずく。
タカシは革手袋をはめると荷車から一匹のスライムを取り出した。
手の中でもがいているスライムを見て、ジョディの瞳が恐怖で揺れる。
「大丈夫だよ。もう弱っているから」
そう言って差し出されたスライム。
「キャー!」
少女は遠くに走って行った。ため息をつくタカシ。
この世界で最弱のモンスターを怖がるのでは仕事にならないなあ。タカシは仲間にするのは無理かなと思う。
タカシは一人で何匹かのスライムを捕まえて箱の中に入れた。
「とりあえず、今日はこのくらいにしておこう」
ジョディは小さく首を縦に振った。
それから一緒にベルギー商会に行き、スライムを引き渡して代金をもらう。20匹分の代金の半分をジョディに渡す。最初、彼女は拒んだが、半ば強引に手に握らせた。
その日の仕事は終わりにして、また明日と言ってジョディと別れた。
宿に帰ったタカシはベッドに倒れ込む。
「せっかくできた仲間なんだけどなあ……」
あれでは仕事にならない。一人でやっているのと同じことだ。でも一応仲間なんだから代金を渡さないわけにはいかないだろう。タカシは少女の願いを断って、今までのように一人で仕事をすることを考え始めた。
ふとテーブルの上に置いてある『マネジメント』を見る。
「タカシ君。そんなことではいけないぞ」
表紙のドラッカーが語りかけてきたように思えた。
本を手に取って開く。「人は最大の資産である」という項目が目に入る。
タカシは内容を読んでみた。
人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。――人とは、費用であり、脅威である。――組織の目的は、人の強みを生産に結び付け、人の弱みを中和することにある。
そうか、分かった。大事なのは人の弱みを克服させることじゃなかったんだ。その人間の強みを生かすことを優先しなければならないんだ。タカシは起き上がってジョディの強みを考えた。
魔法使いなんだから魔法を使うことができる。今までそれを忘れていた。弱点ばかり目について彼女の長所に視線が行かなかった。まず、初めにジョディの魔法力を聞くべきだったんだ。
タカシは自分がスライムに噛まれて寝込んだことを思い出す。もし、あの時ジョディがいてくれれば看病してくれただろうし、薬なども買ってきてくれただろう。一人ではできないことを二人ならできる。仲間というもの、組織というものは人と人が助けあうこと、一人たす一人を二人にするのではなく、三にも四にもすることなんだ。
タカシは暗くなった心に光が射すのを感じた。
*
翌朝、ジョディは1階のロビーに来ていた。
「ちょっと話があるんだ」
タカシの言葉に小さくなってイスに座る。
「君は魔法を使えるんだよね。どのくらいのレベルなの?」
ジョディは黙って左手を差し出した。甲にレベルが浮き出てくる。
それを見ると、HPが8でMPが35だった。HPはタカシの10とほとんど変わりないが、マジックポイントは平均レベルを超えている。
「MPが高いんだね。どんな魔法を使えるの」
「ええっと、雷系が得意です。特にパラライズスパークが」
タカシはギルドからもらったガイドブックを思い出す。確かパラライズスパークは、放電を作りだして敵を痺れさせる魔法だ。これは使えるな。身を乗り出して、さらに尋ねる。
「どれくらいの距離まで使えるの?」
「ええっと、10トールくらい離れていても効果があります」
タカシの表情を見てジョディの顔も晴れてきた。
「トール? あのう、1トールってどれくらいかな」
これくらいです、と言って両手を広げる。それは彼女の細い肩幅を倍以上超えていた。
「ふーん、大体、1トールが1メートルくらいになるのか。けっこう日本の単位と似ているな」
タカシは魔法の利用法を考える。
「あのう……」
ジョディは控えめに口を開く。
「私の魔法は1日に1回か2回しか使えないんです」
「1回か2回?」
たったそれだけ、と口に出しそうになるが考え直す。長所だ。強みを活用するんだ。タカシはため息を呑み込んで考え込んだ。
*
スライムの森の中。タカシとジョディは、木陰に隠れてスライムが餌に寄ってくるのを見ていた。
枝には袋が吊るされており、それに入っているバッタを求めて100匹くらいのスライムが集まっていた。
「そろそろかな」
タカシはジョディに小声で告げる。うなずく彼女。
ジョディは立ち上がり、杖を掲げて呪文を唱える。
「この世にしろしめす聖霊よ。契約に従い我の願いをかなえよ……」
タカシは少し離れた。周りの空気が乾いて皮膚がひりひりと疼きだしたからだ。
「パラライズスパーク!」
彼女の呪文とともに空気が破裂するような音がして、向こうのスライムに放電が生じた。
それは一瞬だった。放電の光が引くと、その跡には気絶しているたくさんのスライム。
「やったー」
タカシが荷車を引いて近づく。ジョディも後ろから怖がりながら付いていった。
トングを使い、散らばっているスライムを拾って箱の中に放り投げる。、
「大猟だよ! 今までで最高じゃないかな」
笑顔で声を張り上げるタカシを見て、ジョディも口元を緩めて微笑した。
「人は最大の資産である」
これがドラッカー理論の根幹であると思います。これが理解できないとドラッカーを理解することはできないでしょう。