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9話、大局観

 到着したアリサを連れて、ベイカー司令官は2階の作戦会議室に向かった。

 サマーズ隊長とロバートもそれに続く。タカシは会議に参加する資格はなかったのだが、ロバートから一緒に来てくれと言われたので、彼の後ろについて階段を降りた。

 大きなテーブルの片側にアリサが座り、対面にベイカー司令官達が座った。

「それで、トルティア城の作戦本部では援軍を出せないということかね……」

 ベイカーが重苦しい声で確認する。

「はい……」

 アリサが済まなそうに肩をすぼめて続ける。

「あのう……、本部からの指示は、撤退を許可する、砦は放棄してもよいということです」

「撤退を許可するだって! 一万以上の軍に囲まれて、どうやって脱出すれば良いというのだ」

 サマーズ隊長が机を叩くと、アリサはビクッと体を震わす。

「はい、あのう……、申し訳ないがマルタ高原で会戦が行われる可能性が高いので、砦に応援を送る余裕はない……と。軍は城に集結しているのですが、それはマルタ高原に進軍する予定なのです」

 小柄なアリサの体がさらに小さくなったように見えた。

 タカシはそれを見てかわいそうに感じる。彼女の責任ではないのだから責めるのは酷というもの。

「トルティア城の本部は、私たちに死ねと言っているのか」

 サマーズ隊長が腕組みをして天井を見上げる。

「本部としては苦渋の決断だろう。こちらに援軍を送れば、マルタ高原で負けるかもしれない。そうなると砦の1200人を遙かに超える犠牲者が出る……。私が責任者だったら同じことを考えるさ」

 そう言ってベイカー司令官は口を固く結んだ。

「あのう……。私も残って一緒に戦います。」

 アリサはテーブルの上で両手の拳を握る。

「ははは、その必要はないよ」

 彼女を安心させるためにロバートが爽やかな笑顔を作る。

「君の飛行能力は有効に使えるが、結局は焼け石に水だ。貴重な飛行魔法使いをこのような戦場で犠牲にしてはもったいない」

 そう言ってロバートはアリサを見てうなずいた。

「君は帰りなさい。誰も君を責めたりはしないよ」

 ベイカー司令官は優しく笑って言った。なぜ飛行魔法使いを通信兵として砦によこしたのか。伝書鳩でも事足りるのにわざわざアリサを遣わせたのは作戦本部の苦悩を表していることをベイカーは手に取るように理解していた。

「タカシ君には何か良い案はないか」

 そう言ってロバートがタカシを向くと、ベイカー司令官とサマーズ隊長が、すがるような目でタカシを見る。

「そう言われても……」

 タカシはうつむくしかない。廃墟でコボルトの群れに包囲され、そこから脱出したことはあったが、それとは状況が違う。

「何か名案が浮かんだら言ってくれたまえ……」

 そう言って肩を落として部屋を去って行くベイカー司令官。

 部屋に残ったのは、重く薄暗い空気だけだった。


 *


 タカシは会議室を出て屋上に行った。

 どうすれば助かるのか。タカシは澄んだ青空を見上げる。

 コボルトの時のように、まず砦の西側から出る振りをして、敵を集中させてから東から脱出する。しかし、それでは敵の騎兵から追いつかれて、味方のほとんどが殺されてしまうだろう。それではダメだ。タカシは首を振って思索する。

 まず、マーケティング。

 今の目的は、砦の兵を生き延びさせること。兵を脱出させるか敵が撤退してくれるか、それとも籠城して戦うか。

 脱出は難しいし敵が都合良く去ってくれる理由がない。砦にこもって防戦に徹するとしても食料や武器が尽きてしまうだろうし、砦の柵では敵を防ぐには心許ない。

 それから、イノベーション。

 要点は、ガリア砦と砦の1200人、敵の1万以上の兵隊。飛行少女と電撃使いのデリラさん。砦の近くに点在する湿地。

 ……ダメだあ。どう考えても助かる余地がない。タカシは大きくため息をつく。


「タカシさん……でしたよねえ」

 驚いて振り向くとアリサが立っていた。

「あっ、はい。そうですけど……」

 女の子に声をかけられることには慣れていないタカシ。ジョディや美人のパトリシアとは接しているが、初対面の美少女ともなれば話は違う。

「タカシさんのことはトルティア城でも話題に上りますよ。奇抜な作戦を立てるという……」

 かわいらしい笑顔でアリサが近づいてきた。

「えっ、僕のことが……」

 けっこう有名になっているのだろうか。作戦の成功は全てロバートさんの手柄になっていると思っていたのだ。タカシは赤面する。学校にいた頃は無視の刑に処せられていたので、自分のことが取り上げられているという状態を信じられない。

「はい、私も噂を聞いて、もっと性格がきつそうな人かと想像していたんですが、優しそうな顔をしていたんですね」

 すぐ目の前にアリサが立つ。タカシは胸が高鳴り、額が汗ばむ。

 学校でいじめられていた頃は、自分がダメなやつだと思っていた。いや、思わされていた。しかし、視点を変えると全く別の世界がある。そうか、学校だけが自分の世界ではなかったんだ……。ずっと残っていた心のわだかまりが解けていくようにタカシは感じた。


「タカシさんは空を飛んだことがありますか」

「えっ」

「良かったら私がタカシさんを空にご招待しますよ」

 どうやって? とタカシが困惑していると、いたずらっぽく笑ってアリサは背後に回り、タカシを抱きしめた。

 大きめの胸がタカシの背中に押しつけられる。慌てる少年。

「そんなに動くと危ないですよ」

 アリサの声が耳元で聞こえる。その注意に従って動きを止めた。これって何のご褒美? タカシは汗をかきながら、じっとしているしかない。

 不意に足の関節の圧迫感が消えた。屋上から離れてタカシの体は宙に浮き、さらに登っていく。

 下を見ると建物が小さくなり、正面を向くと丘陵線が見えた。見渡すと砦の全景が確認でき、包囲している魔王軍も黒い塊のように把握することができた。

 これが空を飛ぶということなのか。タカシは少なからぬ感動に震える。

 あの向こうにはトルティア城があるんだよな……。地平線の向こうに思いをはせる。

「どうです、初飛行の感想は」

「ああ、すごいよ、アリサちゃん。こんな感覚は初めてだよ」

「そうでしょう……」

 得意そうな声に、ちゃんと呼ばれて少し不愉快という感情が混じっている。

 そのとき、タカシの脳裏にインスピレーションが走った。

「そうか、分かった!」

「えっ、どうしたんです?」

 タカシの興奮がアリサの体に伝わる。

「そうだよ、狭い見方をやめて全体を見れば良かったんだ」

 タカシは飛び出してきたアイディアに喜びを隠せない。上空から俯瞰することにより気がついた。物事を考えるには大局観が必要だと分かったのだ。

「ありがとう、アリサちゃん。君のおかげだよ。もう降りてくれるかな」

「あっ、はい。」

 上空で一つの影になっている少年と少女は、ゆっくりと下降していった。



*** 9話、終了


 日本の学校教育は、出された問題に正解があることが前提で、その模範解答を出力することが生徒の役割です。

 数学ならば、解答があることを前提とする問題を用意して、教師が方程式や解き方を教えます。生徒は、それを暗記して、その通りに考えて解答します。


 しかし、学校を卒業して社会に出たらどうでしょう。解答のない問題ばかり押し寄せてくるのではないでしょうか。

 上司からは無理な仕事を押しつけられ、顧客からは自分の責任でないことで叱られる。

 業務上のアイディアを出せと言われても、どうして良いか分からない。結局、今までに出ている提案を適当にいじくり回して提出する。


 結局、それは考えるということをやっていなかったせいです。

 学校では創意工夫することを求めていません。教科書通りに暗記してテストで解答できる生徒が優秀な生徒のです。だから、社会に出てから戸惑うことは当然でしょう。


 学校では本当に必要なことを教えてくれません。

 学生達はタカシのように自分で考え、解答があるかどうか分からない問題にもチャレンジして、考えるという技術を自分で考えていく、磨いていくということが必要だと思います。


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