3話、タカシは挫折した
二頭立ての馬車がゆっくりと北に向かう。
登りたての朝日が馬車のキャビンにも差し込み、窓際のパトリシアが眩しそうに左手で光りをさえぎる。
御者の席にはロバートが座り、慣れた手つきで手綱を握っていた。6人乗りのキャビンには、タカシとジョディ、それにパトリシアが横一列に座り、対面にはカリーナとレスラーのような体格をしたバロンが座っていた。
馬車の後ろからは、犬のジローが荷車を引いて付いてくる。
舗装されていない道。揺れる車内。
「おい、タカシ。本当にお前は大丈夫なのかよ」
カリーナが意地悪そうに笑っていた。日焼けした赤銅色の肌に赤い髪。細い目をさらに細めてタカシを見ている。
セパレート水着のような露出の多い防具を身に付けて正面のタカシの顔を覗きこむ。彼女は若い女剣士で、俊敏な動きで敵に切りこんだりかく乱したりする役目が主体。そのために軽装で、防御や攻撃力を重視していない。
革の防具は使いこまれて擦り切れている個所がある。
「カリーナさんの足は引っ張らないようにするよ」
ついつい目前に見えるカリーナの引きしまった腹に目が行くのを制止するように視線をうろつかせながら答えた。
「まあ、荷物番の仕事だから危険はないけどな」
バカにしている態度があからさまなカリーナ。
「タカシ。君はどうして今回のコボルト退治に参加したのだ?」
ゾウのような太い声で質問したのはカリーナの隣の戦士バロンだった。たくましい筋肉質の体。その褐色の肌を革の防具で包んでいる。二の腕はジョディのウェストくらいはありそうだった。角ばった顔に短く刈り込んでいる黒い髪。動きは鈍いが防御力と攻撃力は高い重戦士の役割だった。
馬車に乗ってからずっと口を閉ざしていて、今の言葉が最初の発言だった。
馬は普通の歩く速度で進んでいた。右側の窓からアルジェ農場が見える。その持ち主が殺されたので、今はギルドが管理している。ヘカテはギルドの養護施設に引き取られ、18歳になったら農場を引き継いで所有することになっていた。
「僕は知り合いの人間がモンスターに殺されて、それで、その……仇打ちというか……」
よく考えた結果の行動だったが、他人にうまく説明できない。しかし、バロンは腕組みをして「そうか」と答えた。それで納得したらしい。彼の体には古い傷跡がいくつか走っていた。
タカシは手始めとして、ロバートが計画を立てたコボルト討伐に雑用係りとして随行させてもらった。直接には戦闘に加わらず、荷物番や炊事の係りとしての参加だった。
剣の腕を磨き、将来的には剣士になってモンスター退治に専念するつもりのタカシ。ロバートのように勇敢で強い戦士になって魔王軍との戦闘において活躍することを夢見ていた。
女神に選ばれてファンタジー世界に転生して来たんだ。僕には魔王を倒すための特別な能力が秘められているに違いない。タカシは未体験の仕事に対する不安を消して自信を持ちたかった。
やがて馬車は遺跡の前に到着した。
荒野に取り残されたように存在する、直径5キロメートルほどの無人の城塞都市。
それは千年以上も前から存在する廃墟で、この世界の技術では建設が困難な高層建築物が林立していた。高い城壁で囲まれているが、そのほとんどが崩壊しているので自由に廃虚都市の中に入ることができる。
都市に関して詳しい文献は残っていない。ただ、非常に高度な文明が栄えていたという伝説が残っているだけ。
最近は魔王軍から抜け出したコボルトの一団が住み着き、農場などを襲って食物を奪ったり人間を殺したりという悪さをしている。その対策としてロバートのパーティが赴いたのだ。
一行は遺跡の入り口付近で昼食を食べることにした。石畳の道路が遺跡の奥に続いている。周りは崩れた建物や、レンガを押しのけて伸びあがっている樹木。それに散乱している枯れ木。
昼の日差しを避けて木陰に布を広げる。タカシはテーブルを置いて、調理済みの食料を並べた。
「なんだこりゃ」
皿の上に置いてある黒いボールのような物を見てカリーナが言った。
「それはオニギリっていう食べ物だよ。ご飯を握って海苔を巻いたものさ」
タカシの説明を聞いてカリーナは一つ取り、口に入れてみた。すぐに顔をしかめる。
「変な味だな、なんか酸っぱいぞ」
「梅の実を入れてあるからね。酸っぱいのは体に良いんだよ」
カリーナは首をかしげながらも1個を食べきった。
「サンドイッチもありますから。どうぞ」
ジョディがロバートに勧める。ロバートはパーティのリーダだ。
ロバートは初めて見るサンドイッチを顔の近くに持ってきて、少し眺めてから一口かじった。精悍な顔を緩めて、さわやかな笑顔を作る。
「これは旨いな。平たいパンに肉と野菜を挟んで食べやすくしたものか」
そう言って次のサンドイッチに手を伸ばす。
カリーナもサンドイッチを口に詰め込む。バロンはオニギリを気にいったのか黙々とそれを食べていた。
犬のジローも離れた場所で餌に夢中。
食後、カリーナがお茶を飲みながら満足そうに言う。
「タカシは才能があるぞ」
「何?」
タカシはカリーナを見る。
「お前は将来、立派な荷物持ちになる。あたしが保証するぜ」
そう言って、キャハハハと笑った。
しばらく食後の余韻を楽しんだ後、カリーナが立ちあがった。
「おい、タカシ。あたしが剣のトレーニングをしてやるぜ」
そう言って手招きをする。
「トレーニング?」
タカシは食器を片付ける手を止めた。
「ああ、ここは遺跡の端だからコボルトは来ないと思うが、念のために自分の身を守ることくらいは出来なきゃな」
長さが30センチくらいの枯れ枝を拾ってタカシに手渡す。
「それをナイフだと思って、あたしにかかってこい。本気で来いよ」
カリーナは片手を腰に当て、タカシに向かって手招きをする。
稽古を付けてくれるのなら願ったり叶ったりだ。タカシは木の棒をナイフのように構えてカリーナに迫った。
ロバートたちは何も言わず、座ったまま二人を見ている。
真上の太陽。熱のこもった微風がタカシの前をゆるやかに流れていく。額の汗が頬を伝って地面に落ちた。
カリーナは口の端を上げて、素手のままでも余裕の表情。
じりっと間を詰めるタカシ。カリーナは自然体を崩さない。
石畳を蹴ってタカシが飛び出した。棒を胸めがけて突きだす。
カリーナは当たる寸前で手首を握り、腕をひねった。
「本気でやれって言っているだろ」
「痛!」
棒が地面に落ちて乾いた音をたてる。カリーナはタカシを地面にくみふせて、腕を決めたまま右腕を首に回して絞めた。
カリーナの豊満な胸が首筋に押し付けられる。タカシは息ができなくて苦しんだ。
「く、苦しい……」
カリーナの腕を何度も叩くと、やがてタカシの首が楽になった。
「お前は弱いなあ。もう一度来るか?」
タカシは激しい呼吸をなんとか整えると、棒を拾ってカリーナに突っ込んでいく。
カリーナは踊るように攻撃をかわすと、手刀で手首を打った。タカシは呻いて手首を押さえる。
棒をもぎ取り、タカシの首や腹、胸などに滑らせた。
「これで3回は死んだな」
「くっ……」
タカシは意地になって飛びかかったが、あっさりと投げ飛ばされた。
「まあ、無理をすんな」
カリーナは自分の荷物の中を探って、一振りのダガーをタカシに前に放り投げた。
「あたしが使っていた物だけど、古いくなったからお前にやるよ」
あおむけに倒れていたタカシは、上半身をひねって目の前のダガーナイフを見た。それは擦り切れた革のさやに入った、刃渡り30センチほどの刃物。
「荷物持ちの面倒まで見ていられないからな。モンスターが現れたら自分で何とかしろよ」
そう言って彼女は戦闘に行く準備を始めた。それに続くようにロバートたちも身支度をし始めた。
晴天の下、ロバートたちは遺跡の奥に歩いていった。
残されたタカシは、汗と土埃にまみれて座り込む。
「タカシさん、気にしないで頑張りましょう。素人なんだから仕方がないですよ」
ジョディは両手を胸の前に出してぎゅっと握る。
「ああ、ファイトだよね。……これからだ」
そう言ってタカシはダガーを持って立ち上がり、食事の後片付けを始めた。
片づけが終わって一段落してから、近くの小川で革袋に水を汲む。石で組んだかまどに大きな鍋を乗せ、汲んできた水を沸騰させてから、ひしゃくで木の樽に入れた。それは飲み水として使うし、夕食用としても使う。
仕事が終わったので日陰で休憩することにした。
タカシは木に持たれて遠くを見る。ジローは石畳の隙間から生えている雑草を食べていた。
ふと、横に座っているパトリシアを見る。
彼女は作務衣に似た白い着物を羽織り、緋色のミニスカートを白いレースの腰巻で包んでいた。長い黒髪をツインテールでまとめ、黒い瞳は空を見つめている。
「ねえ、パトリシアさん。前はどこのパーティにいたんですか」
タカシの問いに、ゆっくりと顔を向ける。しばらくの沈黙の後に返答した。
「わたくしは、いろんなパーティに参加していました。あまり長続きしなかったので、渡り歩いている状況でしたね……」
また空を仰ぐ。白い顔に汗がにじんでいた。
「どうして一つのパーティにとどまらなかったんですか」
タカシのわき腹をジョディがつつく。あまり余計な詮索をするなという合図。
パトリシアは空を見上げたまま、ピンクの唇の片側を上げて小さくほほ笑む。
「理想を求めると言いますか……いい加減な目的のパーティには合わなかったのですよ。ほとんどのパーティは利益追求が目的で、お金のことばっかり。人のために戦うという冒険者は少なかったのです」
そうなんですか、とタカシは返事をして、後は何も聞かない。
真夏の昼下がり。まるで世の中に戦いなどは存在しないと言っているかのように、のんびりと時間が過ぎて行った。
日が傾き、日光に赤みが混じってきた頃。
木陰で寝ころんでいたジローが立ち上がった。タカシがジローの唸り声を聞いて辺りを見回す。
道路の真ん中に立つ異形の者。それは毛むくじゃらの体に狼の頭。一匹のコボルトだった。
タカシは脇に置いてあったダガーナイフをさやから抜くと、立ち上がって身構える。
「ジョディ! パトリシアさん! 逃げて!」
あわてて彼女たちは低い建物の屋根に上る。
タカシはダガーを持ったままコボルトに向かって立ちすくむ。ジローは牙をむき出し鼻にしわを寄せて、狼型のモンスターに対して威嚇の態勢。
ダガーを持つ両手が震え、脂汗が顔面から滴り落ちる。鼓動が激しくなり呼吸が苦しい。タカシは胸の中に氷を押しこまれたような恐怖を感じた。これが戦いというものか。頭では理解していたが、いざ実際にコボルトに対峙すると、おびえる心が逃げ出そうと喚きだす。
「グルルルル……」
肉食獣特有の唸り声をあげてコボルトがゆっくりと迫ってきた。
タカシの手が震え足が震え、体も揺れる。気を抜くと腰が抜けて座り込んでしまいそう。
鋭く吠えて、ジローがコボルトのふくらはぎに噛みついた。
「グオー!」
コボルトはジローを首をつかんで壁に叩きつける。ジローは「ギャン」と鳴いて動けなくなった。
タカシの目前に凶悪な顔つきのコボルトが迫る。
「コンフューズ!」
家の上からパトリシアの混乱魔法が放たれた。とたんにコボルトは府抜けたような顔になり、口から下をだらんと垂れさせたままフラフラと体を揺らせた。
「タカシさん、逃げてください! パラライズ・スパークを打ちます!」
後ろからジョディの叫び声が聞こえてきたが、あまりの恐怖心によりタカシの両足は動けない。
「逃げて! お願い、タカシさん!」
遁走したくても体に棒を突っ込まれたように自由にならない。
魔法の効力が弱まり、コボルトの表情が元に戻る。頭を振ると元の凶悪な目つきになった。それはタカシの視線をしっかりと捉え、さらに彼を震えさせた。
「パラライズ・スパーク!」
タカシの頭の中に花火が飛び散った。視界が白くなり意識が遠くなる。体中が痺れたようになってちりちりと痛み、後ろ向きに倒れた。コボルトも同様に音を立てて転倒する。
ジョディの電撃魔法を見たことは何度もあったが、実際に自分が攻撃を受けたのは初めてだった。タカシの意識が明確になると目前にコボルトが起き上がる姿。
立ち上がることができないタカシは座ったまま後ずさりする。爛々と目を光らせて間を詰めてくるモンスター。土色の毛並みまで確認できるような距離まで近寄ってきた。
やられてしまうのか。このように簡単に死んでしまうものなのか。夢も将来も命も、全て失ってしまうのか。こんなことならモンスター退治に参加するんじゃなかった。タカシは激しく後悔した。
コボルトが腕を伸ばしてくる。
しかし、その手はタカシの首を絞めることはなかった。コボルトは手を前方に伸ばしたまま空を見上げ、けいれんしていた。
「大丈夫かタカシ!」
コボルトが蹴飛ばされ、どうっと倒れる。そこに立っていたのは血まみれの剣を持っているカリーナだった。
「ケガはないか。タカシ」
そう言って肩を揺らすが、動揺しているタカシは何も言えない。
「タカシさん」
ジョディとパトリシアが屋根から下りてくる。
「う……くう……うっうっ……」
タカシは泣きだした。安堵して緊張から解放されたせい。
大粒の涙を流しているタカシを見てカリーナはため息をついた。
タカシの後ろでジョディが心配そうにたたずむ。回復魔法をかけるためにパトリシアがジローの方に向かった。
夕食の後、片づけをしているタカシにリーダーのロバートが声をかけた。
「ちょっといいかい」
そう言って、崩れかけている家の陰に誘う。
家の壁は金属のようでレンガのようでもある材質で、長い年月を経ても完全に朽ちてはいない。
「タカシ君、まだモンスター退治に参加するつもりかい?」
うつむいていた顔を上げてロバートを見る。
長身のロバートは、いつも精悍な顔つきだった。モンスター退治には定評があり、若いのに歴戦の勇者だ。
「僕は、あの……」
言葉が出てこない。自信が揺らいでいる。
「はっきり言ってしまおう。君には才能がない」
タカシの目が大きく開く。
「君には剣の才能はない。自分は多くの剣士を見てきたし戦闘経験もたくさんある。その私から見ると、君には剣術の素質がないんだ」
ロバートは眉をしかめて同情の表情。
タカシの胸に黒い霧のような絶望感が湧きだす。ロバートは剣の達人だが温厚で誠実な人間だ。嘘を言って人を貶めるような者では決してない。彼は真実を告げているのだ。
魔王軍との戦いに参加して華々しく活躍する。そんなタカシの未来図はズタズタに切り裂かれた。自分には何もない。そんな空虚な気持が顔をこわばらせた。
「そうですか……」
一言を返すのが精いっぱい。
「残念だが、君がいくら鍛錬を積んでも人並み以下の戦士にしかなれないだろう。剣術というものは持って生まれた素質が重要なんだ」
「はあ……」
もう、どうでもいいや。タカシは一刻も早く自分の家に逃げ帰りたい。
ロバートはさわやかな顔で、モンスター退治は私たちに任せろとか、君は町でスライム捕獲を続けた方が良いとか言っていたが、動揺しているタカシの頭の中には入ってこなかった。
*
一行は夕食を食べた後、パターソンの町に向かい、夜に帰着した。
そこで解散し、タカシたちは勇者の宿に戻る。タカシは自分の部屋に入るとベッドに倒れ込んだ。
思考はカオス状態で何も考えられない。テーブルの上のろうそくが揺らめいて、壁に光りの波が作れるのをタカシはボーっと眺めていた。
自分は何もできなかった。怖くてコボルトと戦うこともできない。皆の前で泣いてしまった。みっともない。剣の素質がないと言われた。もう、どうしようもない。――タカシの心は際限もなく落ち込んでいく。挫折感がタカシを苦しめていた。
そのときドアをノックする音が響いた。
「タカシさん。ちょっとよろしいでしょうか」
パトリシアの声にタカシは上半身を起こす。
「あ、どうぞ」
入ってきた彼女はバスローブをまとっていた。風呂上がりの余韻で頬が少し上気している。
「タカシさん。今日のことはあまりお気になさらないようにしてくださいね」
そうは言っても……。タカシはうつむく。
「私はタカシさんがみっともないとは思っていません」
少し顔を上げて上目づかいにパトリシアの顔をうかがう。
「強い人間がモンスターと戦うよりも、弱い人間が自分を奮い立たせて敵に立ち向かう方が勇気があると言えます」
パトリシアは、にこやかな顔で続ける。
「自分が弱いと分かっていてもコボルト退治に参加したあなたは本当の勇者だと私は思いますよ」
「パトリシアさん……」
閉塞した心理に光が射しこんだ。
「では、夜も遅いので失礼いたします。おやすみなさい」
パトリシアが去った後、タカシは考える。
自分とはなんだろう。自分の長所はなんだろうか。短所ばかりに気を取られて自分の良さというものを忘れていた。タカシは深呼吸する。
そうだ、人のマネジメントとは人の強みを発揮させること。長所が重要なんだ。そして、自分の長所は考えるということだった。剣術がダメでも戦うのが弱くても、考えて創意工夫するのが僕の武器だったんだ。
別に、戦いにおいて活躍しなくてもいい。補給担当でも構わない。派手な活躍はせずに縁の下の力持ちとして地味に皆の役に立てばいいじゃないか。タカシは心中の霧が晴れるのを感じた。少年は表情に輝きを取り戻していた。
人生には挫折がつきものだ。そこで立ち止まる者や戦うことをやめる者がいる。そういった人間は他人が必死に努力している姿をバカにして笑っているだけ。しかし、七転び八起き、泥だらけになっても歯を食いしばって立ち上がることに価値があり、それこそが人生というものだ。タカシは人生というものが分かり始めていた。




