1話、タカシは何も言えず立ちすくんだ
久しぶりの投稿です。
今まで書こう書こうと思っていたのですが、なかなか書く暇がない。
周りの状況がやっと落ち着いたので続きを書き始めます。
パターソンの町に夏の日差しが降り注ぐ。
タカシは今日もスライムを満載した荷車を引いてアルジェ牧場を目指していた。
日焼けした顔、以前と比べて太くなった腕。毎日の力仕事は、部屋に閉じこもっていた青白い顔の少年を鍛錬する。
荷車の後ろからは杖を持ったジョディが付いてきていた。
ウェーブのかかった亜麻色の髪。白い長そでのブラウスに薄い緑色のスカート。麦わら帽子を浅くかぶった、アイドル歌手のような美少女。
さらにその後ろからは2台目の荷車を引いている大型犬がいた。
灰色の毛に、ピンと立った耳。体はタカシよりも大きく、太い足に強靭な体躯。
「ジローちゃん。疲れてなーい?」
ジョディが歩きながら犬の頭をなでる。
犬は短く吠えて、少女の手をなめようとするが、キャッと言って、手を引っ込めた。
それはタカシが飼っている犬だ。勇者の宿の裏でゴミをあさっているのを見て餌をやったら、なついてしまったのだ。
それからはジローに荷車を引かせ、仕事を手伝わせている。
やがてタカシたちはアルジェ牧場に到着した。
畑では若い夫婦が農作業をしていて、タカシを見ると仕事の手を止めタカシに挨拶した。
「こんにちは」
タカシも挨拶した後、荷車を小屋の側に止め、荷車の中のスライムを柄のついた網ですくって、大きな箱の中に次々と投げ入れる。
少し手元が狂って2匹のスライムがこぼれ落ちた。するとジローが寄ってきて、ゼリーのように揺れているスライムをガフガフと食べ始めた。
「それは商品だから食べちゃダメでしょ」
ジョディが杖でこつんと頭を叩くと、犬はスライムをくわえたまま向こうに走って行って食べ続けた。
「あっ、ジローちゃんだあ!」
小屋から出てきたのは白いワンピースを着た愛らしい女の子。今年で5歳になるヘカテだった。彼女は短めのスカートをひるがえしてジローに抱きつく。
大型犬の首にしがみつき、足を上げて上に乗ろうとするが、なかなかうまくいかない。ジョディがヘカテを抱き上げてジローの背中に乗せてあげた。
「ジローちゃん、歩いて歩いて!」
犬は返事をするようにワンと鳴いてからトットコと、畑の周りを歩きだす。
毎度の光景を両親とタカシは笑顔で眺めていた。
「タカシさん、お疲れさま。いつもありがとね」
そう言ってヘカテの父親はスライムの代金を持ってきてタカシに渡した。
笑顔で頭を下げる。タカシにとって、長身でさわやかな笑顔の父親は別の世界の存在のようなものだった。いつも自分の父親と比べてしまう。くたびれきって家庭では何も話さない父親。休日はパチンコに行くことだけが楽しみな大人。
この農場は違う。いつも生きいきと幸せそうに働いている。ああ、これが家庭というものなんだなあと、タカシにはうらやましくもあり妬ましくもあった。
「お茶を飲んでいきなさいな」
ヘカテの母親が家に向かう。背が高く美人の女性だった。自分もこんな家庭を持てるのだろうかと思い、ふとジョディの方を見る。
彼女は犬の背中からずり落ちそうになっているヘカテをあわてて支えていた。
*
タカシは町の食堂でジョディと昼食を済ませ、買い物をしてから勇者の宿に帰ってきた。
2階の部屋に荷物を置き、1階の食堂で食材を調理した。宿の入口付近はロビーになっていてテーブルがたくさん置いてある。その端のテーブルで夕食を食べ始めた。
しばらくしてタカシは人の気配を感じた。振り返ると隅のテーブルで誰かが食事をしている。日が沈んで涼しくなってきているが、まだ熱気のこもったロビーだった。その人は灰色のローブを着てフードをかぶっていた。後ろを向いているので、どのような人物かは分からない。
「こんばんは」
タカシが声をかけたが、その人は小さくうなずいただけ。
勇者の宿といっても管理人がいるわけではない。所有者はギルドなのだが、古ぼけた木造2階建ての建物なのでギルドも使用する人に管理を任せていた。
宿の部屋はたくさんあったが、普段はタカシだけが泊っている。たまに訪れる人もいるが、2,3日ほど滞在すると宿を出ていくということがほとんどだった。
食事を終えたタカシはローブの客を横目で見ながら台所に行き、食器を洗ってから風呂の準備に取り掛かる。
魔法石による自動温水発生機は設置されていないので、薪を切って風呂を沸かすしかない。風呂たきはいつもの日課だった。共同の風呂に水を張ってから風呂場の裏で薪を割った。
薪を燃やして風呂がまを熱した後、自分の部屋に戻り着替えを持って風呂場に向かった。
脱衣所で服を脱いでからタオルを肩にかけてドアを開ける。
そこでタカシが見たものは、しゃがんで風呂桶のお湯をかぶっている全裸の女性の姿だった。
たゆたう湯気、薄暗い風呂場。腰まで届く黒髪は怪しく濡れて、床のタイルに水滴を垂らしている。肌は白く鼻筋が通った日本人形のような顔。黒い瞳がタカシを凝視していた。
これはなんなのだろう。タカシは声を出すことも考えることもできずに立ちすくむ。
「きゃー!」
叫び声とともに、風呂桶が飛んできた。とっさによけるタカシ。
木の桶は壁に当たって砕け散る。
「ごめんなさーい!」
タカシはタオルで前を隠して風呂場を飛び出した。
服を着てロビーで待っていると、風呂場からローブを着た女が出てきた。手には保身用と思われる大きめのナイフが握られている。
「次に覗いたら殺しますからね。この変態!」
形の良い唇からは物騒な言葉が紡ぎだされた。
「別に覗いたわけじゃあ……」
言い訳をしようとしたが、無視して自分の部屋に戻って行く。
裸体を見たのは初めてだった。目に焼きついた肢体を脳裏にリバイバルする。タカシは興奮を収めることができないままに風呂場に入って行った。
*
翌朝、タカシは仕事に出かけようとすると、ロビーのテーブルに座っている女の姿を見付けた。
「おはようございます」
タカシが挨拶しても知らんふり。今朝は白いブラウスを着ている。
昨夜はよく分からなかったが、後姿を見て自分より少し年上かなとタカシは感じた。
「あのー、昨晩のことなんだけど……」
女は振り返って大きな瞳を細くして睨みつけてきた。
「なんでしょうか。この変態野郎」
「はあ」
女の眼圧から逃げるよう窓に視線を反らしてから弁解する。
「あの……、風呂はですねえ。使う人間が準備することになっているんですよ」
正面玄関の近くに表示してある、宿の注意書きを指さした。
「入る者が薪をくべてお湯を沸かして、それから入ることになっているんですよね」
壁に打ち付けられた板の文字を見た女は表情を曇らせて気まずそうに下を向く。
「だから、風呂を使うときは自分で……」
「うるさいですわ!」
タカシの説明をはじくように反論して立ちあがった。
「僕はタカシです。よろしく」
女はフンと言って、自分の部屋に向かおうとした。そして、途中で足を止める。
「わたくしはパトリシアと言います。あの……その……」
何かを言おうとしたようだが、やがて無言で階段を上って行った。
*
くもり空、タカシは荷車を引いて牧場を目指す。晴れではない天気は久しぶり。気温も上がらない。
雨が降りそうなので、スライムを早めに届けてしまいたい。
タカシは一緒に並んで歩いているジョディに昨夜の顛末を説明した。
「まいっちゃったよね」
笑って横を向くと彼女の姿がない。首をひねって後ろを見るとジョディは立ち止っていた。
「それでタカシさん。その人の裸を見たんですか」
目が座って真剣な表情。
「あ……、いや、そんなに良く見たわけじゃないよ。風呂場は暗いし湯気もあるし……」
どうしてそんなことを聞くのだろうとタカシは不思議に感じる。
「その人は何歳くらいなんですか」
「いや、僕より3つくらい年上かな」
「じゃあ、20歳ということですね。一つの家に年頃の男女が住むなんてダメですよ!」
おとなしいジョディにしては珍しい剣幕だった。
「一つの家といっても……、一応は宿ということだから……」
「その女性は美人なんですか」
どうしてそんなことを聞くのかと思うが、まるで睨むように見つめているので答えるしかない。
「うん、まあ、美人といえるかなあ」
ジョディは口を結んでほっぺたを膨らませている。かなりの美人だよと本当のことを言ったら破裂しそうだ。
「分かりました」
杖を思い切り地面に打ち付けた。
変な空気を感じて立ち止っていたジローがビクッと震える。
何が分かったのだろうとタカシは思っていると、ジョディは歩きだした。
「私も勇者の宿に住むことにします!」
「えっ?」
薄い緑のワンピースをひるがえして、ずんずんと先を進んでいく。
「私が一緒に住んで、間違いが起こらないように監視しなきゃ」
「間違い?」
「そうです。タカシさんは流されやすいから、その女の人に簡単に誘惑されちゃうでしょ。私が付いていないとどうなることやら」
誘惑? タカシは大きくため息をついた。
そんな関係じゃないんだけどなあ。そう思うがジョディを説得できそうもない。それにジョディが引っ越してくることに、多少のときめきを感じている自分。
どうしたものかと犬を方を見たら、ジローは目をそむけて俺には関係ないよというように車を引き始めた。
気まずい雰囲気で農場に到着した。
タカシは異様な印象を受ける。いつもなら夫婦が畑仕事をしているのだが、今日は大勢の人が集まっている。
その中に見覚えのある顔を見付けた。
「おお、タカシ……」
声をかけてきたのはベルギー商会の店主だった。筋肉質の大きな体にテカテカの頭。陽気な男のはずだったが、今の目は暗い。
「どうしたのかしら?」
ジョディが農場に入ろうとすると、店主は肩をつかんで引きとめた。
「いっちゃダメだ! 子どもが見るようなもんじゃねえ」
「えっ?」
彼女は口を半開きにして店主を見あげた。
「コボルトの仕業だ。夫婦とじいさんを殺しちまいやがった……ひでえことをしやがるぜ」
タカシが向こうを見ると、ロバートとカリーナがいた。武具を装備していて臨戦態勢。
「ヘカテちゃんは? まさか……」
タカシがヘカテを探すと、ギルド受付嬢のナターシャにしがみついている女の子の姿を発見した。ほっと、ため息を吐きだす。
「床下の小部屋に隠されていたんで助かったそうだ。その入口に夫婦がおり重ねるように死んでいたそうだぜ。娘をモンスターから守りたかったんだろうなあ」
タカシはヘカテを見る。彼女はパジャマを着て、うつろな目で遠くを見ていた。ナターシャは、まるで空高く逃げてしまうものを引きとめるように女の子をきつく抱きしめている。
夏だというのに肌寒い風が吹く中、何も言えず立ちすくむタカシとジョディ。
ジローがクーンと鳴く。涙がこぼれるように小雨が降り出した。




