第9話 流転する戦い
それに、黒豹が最大の警戒心を向ける武器が1つある。
「チッ」
迫りくる青白く光り輝く矢を、体を大きくひねり避ける黒豹。
敵は、ソフィアの弓を恐れていた。
「厄介な武器を持っているなー……ソフィアちゃん」
口を不気味に歪ませて見せる、肉食獣特有の鋭い牙。
若干の焦りを感じさせはするが、まだ余裕があるようだ。
「気安く呼ばないでください」
対するソフィアは、不快感を示しながら、3発の矢を瞬く間に放った。
彼女が手にしているのは神具。魔力を変換して放たれる矢は、力を発動させた勇者に届きうる数少ない攻撃手段である。
「ふんっ」
黒豹は、両手を振るい、ソフィアの放った矢を叩き落すと、前へと歩いたと思うと、強靭な足腰に力を込める。
「簡単に喰える女よりも、喰いごたえのある方が楽しめるから……ま、大歓迎だけどな!」
風のように駆け出した黒豹に、レオンハルトとオージアスが迎え打つ。
「おおおぉぉぉぉぉぉ」
レオンハルトの剣と黒豹の刃がぶつかり、双方の動きが一瞬だが止まる。
しかし動きがと滅多の葉、あくまで一瞬だけ。
一瞬が過ぎると、レオンハルトの体が宙に浮き弾き飛ばされた。
「くっ」
「弱ぇーな、おい!」
狂気をふくんだ紅い瞳を輝かせ、己の力に酔う黒豹。
だが、一瞬の足止めを歴戦の騎士は見逃すはずもない。
「だああぁぁぁぁぁぁっ」
黒豹の慢心を狙った槍の一閃。
それは意識の隙間を縫うかのような、見事な一撃だった。
「それだけか?」
槍は敵の腹に届いている。
しかし黒豹の体を傷つけることはなかった。
「なっ」
人であれば命を貫いたであろう一閃も、人外の力を持つ勇者の前では傷一つ与えることはできない。
その事実に驚愕するオージアスの瞳には、振り上げられた黒豹の右腕が映っていた。
「じゃあな」
一層歪んだ口は別れを告げた。
言葉と同時に、振り下ろされる右手から伸びた刃がオージアスを切り裂こうと迫る。
「ちっつ」
しかし、別れは放たれた矢によって遠ざかった。
放たれた矢は、ソフィアが持つ神弓ローセルからのもの。
己の体を傷つけることができる攻撃だと気付いた黒豹は、その手を引き後ろへと跳んだ。
さらに退いた黒豹を狙い火球が放たれる。
「ちっ」
忌々しげに舌打ちをして、黒豹は更に後ろへと下がる。
フリアの放った魔法により、黒豹との間合いが一層開き、こちら側は体勢を立て直す時間を得ることができた。
「ふぅーー」
危機が去ったことで、大きく息を吐いたオージアス。
彼は槍を構えて、再び黒豹と対峙し、少し離れた場所では、レオンハルトが黒豹に剣を向けている。
レオンハルトたちよりも遠く離れた場所に立っているのは、ソフィアとフリア。彼女たちを守るため、マリエールがナイフを手にして彼女たちの前に立っている。
「わたしは、足手まといっぽいっすねー」
苦笑いを浮かべながら、マリエールが呟く。
「大丈夫ですよ。みんな同じ気持ですから」
「それは、良いことを聞いたっすね」
マリエールの愚痴ともいえる言葉に、ソフィアは笑みで返すが、その笑いには苦笑いが混じっていた。
ソフィアが持つ神具での攻撃以外は全く効かない。その神具の攻撃すら掠り傷程度のダメージという状況では、本心から笑うことなど出来るハズもない。
「私の勇者様なら、どうするっすかねー」
「私の……ですか」
複雑そうにソフィアは、マリエールの言葉を復唱した。
「そうっすよ。私のっす」
「ルミナちゃんに怒られますよ」
「ソフィアにも怒られそうっすけどね」
「そんなことは!」
「あっ、くるっすよ」
「もうっ!」
緊張により削ぎ落されていく精神は、今の会話で僅かばかりではあるが癒えた。
だがこれから、動きだした敵によって、癒えた以上の負担が精神に掛ることになる。そのことに辟易とする間もなく、戦いは再開された。
*
「こっちだよ!」
イザベラに促され、俺は夜の街を走り続けている。
やはり暗殺者として夜目を鍛えているのだろう。イザベラとルミナはスイスイと夜道を走っているにもかかわらず、俺は彼女たちに着いていくのがやっとだ。
夜の空気は冷たく肺が冷える。
そのことに気付き呼吸方法を気を付けようとも、肺が冷えるのを少しばかり遅くする程度にしか変わらなかった。
それでも走り続けなければならない。
1年にも満たない時ではあるが、共に過ごした彼らに俺は情を持ってしまったのだから。
「ケイ、こっちに!」
イザベラは足を止めてしゃがんだ。
彼女の前には、大きな何かが横たわっている。
先ほどとは雰囲気が違うイザベラの様子が気になった俺は、彼女に近づいて気付く。
「アルフレッド!」
目の前に転がった彼の姿に、思わず声を上げてしまった。
1度しか会ったことはないが、ソフィアの婚約者ということで強く印象に残っている。
だが、今の彼は皮膚にはススと大きなやけど跡。あのときとは大きく掛け離れた姿で地面に倒れていた。
「……ぉ……ぁ……ぅ」
この状況では、もう助かるとは思えない。なにかの言葉を遺そうとしているようだが、喉が焼けてしまっているのだろう。彼の口から零れるのは、息が漏れるだけの声だった。
「アタシが唇の動きを読む。アンタは声を出さずに唇だけを動かせばいい」
イザベラの言葉にアルフレッドは、わずか首を動かして頷いた。
わずかな間を置いたあと、彼の唇は最期の言葉をこの世に残すために動き始める。
アルフレッドの唇をジッと見つめるイザベラ。
その時間は僅かな物ではあった。しかし、戦いとは違う空気が緊張に支配されたような、その僅かな時間はとても長く感じられた。
「ソフィアを守ってやってくれ……ってさ」
唇の動きが止まると同時にイザベラは、アルフレッドの遺言を伝えた。
迫りくる死に恐怖もあるだろう。しかし、アルフレッドはケイを強い目でみつめている。
「守るさ。絶対に」
「………………」
告げた言葉を聞いて安心したのか、彼の目から力は抜けてゆき息を引き取った。
「最期まで婚約者を想っているなんてね。ケイ、ちゃんと責任をとるんだよ」
「……まずは助ける。責任うんぬんはその後だ」
「はぁ。この男は」
アルフレッドの最期を看取った俺たちは、再び走り始めた。
彼女たちを助ける理由を1つ増やして──。
*
夜の街で繰り広げられる戦い。
結界の作用により、人を遠ざけられて行われるその戦いは、観客がいないまま行われている。
レオンハルトの剣は、二足歩行の黒豹と化した勇者シュンジの爪によって防がれる。
防がれた瞬間、金属音が鳴り響くのは、シュンジの両手から伸びた刃の強度を教えるかのように、金属特有の鋭い音だ。
一撃の重さよりも素早さに比重を置き、何度も振り下ろされるレオンハルトの剣。ときおり、威力に比重を置いたオージアスの槍が瞬時へと襲いかかる。
レオンハルトの剣を苦も無く防ぎ、隙を突こうがオージアスの槍は、容易く避けられていた。
敵の動きが早すぎるのだ。
黒豹の姿をしたシュンジは、その姿に相応しいスピードで攻撃をかわす。そしてスピードがあれば、攻撃を避けたあとに、より多くの余裕ができる。
スピード。この一点だけでも、黒豹と化したシュンジは常軌を逸した優位性を誇っているといえるだろう。さらに彼の振り下ろす攻撃の一撃は、人のそれを上回る威力を誇っており、多数と1人で戦うという不利をものともしなていない。
圧倒的な力の差が、勇者と逃走者たちの間には横たわっている。
この差こそが勇者が特別視される根拠であり、この力を持たなかったからこそケイは、力なき勇者、すなわちガラクタ勇者などと呼ばれていた。
だが、大きな力の差はあろうとも、その差は絶対的な物ではない。
現に黒豹は、ソフィアが放つ矢に、他とは違う注意を向けている。
レオンハルトとオージアスの攻撃の隙間を縫って神弓から放たれる矢。黒豹は他の攻撃とは違い、紙一重で避けるのではなく、叩き落すか大きく移動して矢を避けるかしているのだ。
「チッ」
ソフィアが放った矢を避ける黒豹。
矢が放たれるたびに、黒豹は忌々しげに顔を歪める。その反応は、ソフィアの矢が勇者に届きうる厄介な攻撃である証と言えるだろう。
だが黒豹は一撃で、この場にいる何者であろうと容易く葬れる力を持っている。
一方で、ソフィアたちの側には、まともなダメージを与える攻撃手段など神弓による攻撃しかない。
この状況を考えると、楽観できないどころか絶望しか見当たらない状況だ。
しかし、闇を切り裂く音が状況を変える。
闇の中に、空気を切る音が走ると黒豹の腕に浅くナイフが突き刺さった。
「ルミナ!」
乱入者はルミナだった。
緑色の髪を夜の闇にたなびかせ、駆けまわる少女は、手にしたナイフを次々に投擲していく。
「邪魔すんじゃねーーー!!」
怒りにまかせた攻撃を仕掛けた黒豹。
しかしルミナのスピードを捉えきれずに、空を切った五指の刃が石畳を切る。
身体能力からだけを見れば、ルミナよりも黒豹の方が遥かにスピードが高い。しかしそれは、身体能力に頼り切った、単調な動きに過ぎず、技によって動くルミナとは全く性質の違うスピードだ。ルミナの動きは、小回りが効き、緩急をつけることも可能だ。故に身体能力が相手の方が高くとも、ルミナはスピードで張り合うことができた。
更に彼女のナイフは尽きることはない。
何本も腰から下げたナイフを放つと、獲物が尽きたように思えた。
しかし──
「戻れ」
小さく呟くと、彼女の手や腰に下げた鞘にナイフが戻った。
それらはルミナが投げつけたナイフ。ケイより与えられた神具使いの能力により発動させている神具の能力。
ルミナが使う神具の能力は単純なもので、ドコにいようとも空間を超えてナイフが返ってくるという物だ。
手元にナイフが戻るのを確認するや、再びナイフの投擲を開始する。
ルミナの攻撃を交えたことで、この場にいたレオンハルト達の攻撃も激しさを増した。
レオンハルトとオージアスは、黒豹へと接近し足止めを行う。黒豹が彼らの足止めを強引に突破しようとするたびに、フリアが火球を放つ。
そして、勇者に攻撃を通すことができる、ルミナとソフィアが攻撃を繰り返す。
「うぜぇ」
わずかとわいえ、攻撃手段の増えたレオンハルト達。
彼らの攻撃が繰り返される中、黒豹の口から忌々しげな声が漏れた。
「うぜぇんだよ! お前ら!!!」
自分は勇者であり、この世界は自分たちの好き勝手に出来る場所だったはずだ。
現にこれまで、勇者の力を見せるだけで、何でも好きなように動かせた。
金も国も女も──。
だが蓋を開けてみれば、盗賊にふんした部下は返り討ちにあい、捉えたと思ったソフィアは屋敷から逃げ、追いついたと思えばアルフレッドに邪魔をされ、揚げ句には格下であるハズのレオンハルト達に翻弄され続けている。
「テメェらモブが、俺の邪魔をしてんじゃねえぇ!」
叫びと共に振り下ろされる剛腕は、ルミナに触れることなく石畳に突き刺さる。
「ぶっ殺してやる……ソフィアもいらねぇ。テメエら皆殺しだあ!!!」
これまで以上に怒気を込めた叫び。
絶対的な強者たる勇者の叫びに、本来なら体が驚き竦み上がったことだろう。
だが、この場にいる誰もが恐怖はしても竦み上がることは無かった。
叫びに紛れ、黒豹の命を狩りとろうとする死神に気付いていたから──。
それは勇者となり強大な力を持った故の傲慢さが原因かもしれない。怒りにまかせ、感情を暴発させる者が周囲に注意を向けているハズもなく、背後に忍び寄る死神に気付くことは無かった。
音もなく黒豹の背後に現れた死神は、音一つ立てることなく飛び上がり、黒く透き通った剣身を頭上高くに振り上げている。
死神は黒一色の服を纏い、髪も瞳も黒い。
だが彼の黒い瞳は、服や髪とは違う不気味な黒色に輝いていた。
「!」
黒水晶の剣が振り下ろされた瞬間、とっさに黒豹は身をひるがえす。
死神の剣と黒豹の刃が衝突し、辺りに金属同士の衝突音が響く。
わずかに遅れ、石畳に落ちた黒豹の刃が乾いた音を立てる。
「テメェは……」
黒豹の爪ともいえる、両手から指のように伸びた刃は1本が折れている。
刃は指のようなものだったのだろう、黒豹は刃の折れた指を押さえながら、怒りのこもった目で死神を睨みつけた。
「殺しに来てやったぞ。変態勇者」
振り返った黒豹の目に映ったのは不敵に笑う男。
勇者でありながら力もなく、最期には嘲笑いながら崖へと捨てたゴミ。
ガラクタ勇者、柏木 慧だった。




