問題提起編
6.
当たり前のように、処理を終えた声優達も含めて朝まで飲んでしまった。
もちろん「帰宅する」という望みが叶えられるはずもない。
そんな予言が的中したからといって、若井への信頼度が増すわけではないが――とりあえず頭が重い。身体の節々から間接の軋む音が今にも聞こえてきそうだ。
目が覚めたのは相変わらずの事務所のソファ。昨日との違いは下が脱がされていないことだ。というか、この事務所に戻ってきた記憶がない。
足裏の床の感覚を確かめながら、思い切って立ち上がる。
思った以上にどうということがない。
自分の若さが恨めしい。
これは何故か吊されていた上着からスマホを引っ張り出して、時刻を確認すると、
「11:31」
よく寝たのか、僅かな眠りだったのかもわからない。
この前後不覚な状態が、何よりも頭痛の種だ。
昨日のことがあるので、仕切りの向こう側に頭だけ出してみると、果たして有原はそこにいた。
「おはようございます」
拍子抜けするほど、ごくごく平静な声で挨拶された。
この時間に「おはよう」と挨拶することも、二日連続で事務所に寝むりこけていることも、まったく気にならないらしい。
「岸君、おはよーさん」
今日は事務所にいたらしい、若井から声が掛けられた。
「……おはよーございます」
この僅かばかりの同僚にまとめて挨拶をする。
昨日飲みの席からいつの間にか居なくなっていた、若井に対する恨みもある。
若井が出すものだと思っていた飲み代を、長井に出させてしまったことで、私的にも公的には非常に肩身の狭い思いをしたのだ――そこからの先のハシゴに関しては記憶がないのだが。
その若井は、また増えたスチール机に陣取って紙束に囲まれていた。それとタバコの煙。
「何ですか?」
「富山君が持ってきた、企画書――のようなものやな」
「一日で? その量を? もしかしてそれ全部で同じ企画書ですか?」
「ちゃうわ。やから“企画書のようなもの”言うたやろ。富山君が物書き仲間に声掛けて、これだけ集まった。突然のことやから、妄想ノートと変わらんものもあるけど、何でか体裁の整っとるのもあるな……やけど、これは没」
「何でですか? 書式が整っていた方が……」
「おいおい、岸君。俺らが欲しいンは企画書を上手く書ける器用さやないで。子供を熱狂させるアイデアや」
若井の瞳が歪む。
「アイデア持ってる奴が何でも器用に出来るような天才であることを期待すなや。欠点ばっかりの人間の長所を集めて、天才が作ったような作品にするのが究極的にはプロデューサーの仕事やで」
そう言われしまえば、業界でも人生でも圧倒的に経験値が足りない願には言い返すことも出来ない。
「……と、悠長なことを言ってられるのも資金集めをせんでええからやけどな」
その間に、若井は自分でオチまで付けてしまった。
「――実際、どれぐらいあるんです?」
「ん~~……無限?」
「無限!?」
驚きのあまり、願は思わずそのまま叫んでしまった。
「底は考えんでもええ、言うぐらいの意味やな。まぁ、最新鋭の戦闘機十機買えるぐらいはあるんちゃうか?」
それが一億や二億の話ではないことは願にもわかる。
「まぁ、俺らのプロジェクトが失敗したら、中身が入れ替えられるとは思うから呑気にもしてられへんけど」
それは当たり前だろう、と流しておいて改めて聞かされた資金力で出来ることを考える。
だが、そもそも願は、そのあたりの手順を知らないのだ。
「……アイデアとかシナリオは出来るとして、次はどうするんですか?」
「うむ。さすが『学究都市』シリーズの監督の名前も知らへん、実にド素人丸出しの意見やな」
ド派手なカウンターを喰らってしまった。
思わず有原を振り返ってしまうが、そこには淡々と業務をこなす姿があるばかりであった。
この人はアニメにあまり興味がないんだろうな、と何故か胸をなで下ろしたところで、
「まぁ、こっち来ぃや。大体のプラン話しておくから」
若井から先に声を掛けられた。
その声に素直に従って、願は手近な椅子を引き寄せて若井の側に腰掛ける。
それと同時に尋ねた。
「今から? ……と言うか、今になって?」
「岸君、これから猪野君に接触するわけやろ。そういう具体的な目標が出来たところで、現状で猪野君を説得するつもりで、俺の話を聞いておけ、言うことやな」
若井の行動にいちいち理屈の裏付けがあるところが――何だか腹立たしいが、頼もしくもある。
「で、岸君。いくら何でもアニメ畑の監督の名前全然知らんわけではないわな?」
「それはもちろん」
三人ぐらいは、瞬時に思いつく。
「まぁ、大体誰かは想像できるけど、そこには話は持っていかん」
「そうなんですか?」
資金もある。「世界平和のため」という大義名分もある。かなりの無茶は通せるはずだが……
「その辺クラスになると、もう監督言うより作家やからな。自分の作品を世に出すための仕組みも整えとる。それはそれでええんやけど、俺が欲しいのは職人のような監督やねん」
「職人……」
と、言われても具体的にイメージが湧きづらい。
「岸君、日本は凄いで」
戸惑っている間に若井が突然日本の称賛を始めた。
「俺は、1996年に日本に絶望したんや。映像業界は死んだ! 思うてな。それがどや? あの絶望的な状況でも、職人達は矜恃を護って今でも作品作り続けとる。俺がこの仕事引き受けたんは、一時は日本を見捨ててしまった事への罪滅ぼしでもあるんや」
半分も話がわからなかったが、上司のモチベーションが高いのは良いことだ、とスルーしておく。何より、こういう半分もわからない話では猪野と会った時の武器になるかは微妙だ。
「……思うんですけど、アニメってまず監督決めて、それから企画考えるんじゃないんですか?」
「そういうパターンもある」
願の方向修正に、若井がすかさず乗ってきた。
「ぶっちゃけると、アニメに限らず映像作品の作り方に定法はないんや。その時々で臨機応変やな。せやないと、そもそも漫画やらラノベからアニメ化するとき、何処で監督混ぜるねん? いう話になるやろ」
「それは……そうですね」
「やから、まずアイデアを募集する。富山君とそれをブラッシュアップして、それが得意そうな監督に依頼する」
「それじゃ富山さんを、結局は信頼してるんですね」
「いや脚本家やのに、批評家としての長所があるのを利用しとるだけや」
これもまた意味不明だが、言動としては一致する。
そして監督を誰にするかという話はまだ時期尚早であることもわかるので、次に尋ねるべきは……
「キャラクターデザインは?」
「岸君、そこで君の出番や」
「はぁ」
これまた即座の切り返しに、気の抜けた声を返すしかない。
「俺は最近の絵の善し悪しがようわからん。とにかく圧倒的に上手い思うのは真弓さんに、卜部君やな」
「…………」
「ああ、つまりな。真弓さんは最初の『リンガム』のキャラデザの人や。卜部君は……せやな『アルキメデス・ワン』とか描いてるな」
どちらも有名タイトルだけに、すぐにその絵を思い出せたが……
「何というか――上手いとは思いますが……」
「まぁ、岸君向けの絵やないのはわかる。と言うことは恐らく“何か”も好みではない」
「そこ、アテにして良いんですか?」
「何もアテにせんと作品作るのは、オナニーと変わらんぞ」
「ちょ!」
有原の存在を忘れていなかった願が慌てるが、若井も有原も慌てる様子はない。
大声を出した願一人が浮いてしまったところで、有原からフォローの声が飛ぶ。
「気にしないでください。会社とはそういうものですから」
前はどんなブラック企業に勤めていたのか、段々と気になってきた。
「というわけで、その点に関しては岸君に意見を聞くことになると思うわ。そこに俺のこだわりも足して、上手いこと折衷できればええんやけど」
「若井さんのこだわり?」
「“アニメは動いてこそ”や!」
いきなりの力強い宣言。
「動かへん綺麗な絵がお好みやったら、抱き枕でも抱えてちゅっちゅっしとったらええんや!」
「…………」
「――ひょっとして岸君、抱き枕持っとるんか?」
少しの沈黙を最大限に曲解された。
「違います……ちょっと圧倒されただけで――ですが若井さん。自分の我を通そうというのも……」
「オナニーちゃうかって? いや、伝説作るには作っている奴のこだわりにファンを巻き込む必要がある。ファンを無視したらあかんのは当然やが、ファンに媚びすぎてもあかんねん」
そう言われてみれば、いわゆる「萌えアニメ」と呼ばれる作品は、一時の破壊力はあるけど伝説であるとも言い難い。
「それで、具体的には誰になるんですか?」
「いくら何でも、監督と相談もせんとそこまで決められるかい」
つまり――
「現状、何にも決まってませんね」
結論としてはそうならざるを得ない。だが、若井は笑いながら首を振った。
「それはあかん言うたやろ。俺達はプロデューサーやぞ」
「あかんも何も……」
それが事実ではないか。
プロデューサーでも何でも結果は――願は若井を訝しげに見つめるが、それ以上のヒントはくれないようだ。
そこで仕方なく一連の会話を思い出してみる。
まず、これは猪野という相手との交渉の材料とするべきやりとりであったこと。
そしてプロデューサーの心得。
他は圧倒的な物量で襲いかかってくる“何も決まっていない”という事実だけ。
これで一体、何をどうしろというのか。長所なんか何処にも――
――いや。
「……未来は無限なんですね?」
何も決まっていないという状況の利点は、はっきり言えばそれぐらいしかない。
「猪野君によろしゅう」
若井の笑みが願の言葉を肯定した。
極端に短いですが、適当に蘊蓄らしきもがあるので、どうも以前の私はここで切ったようです。
誰の話をしているのか、詳しい人ならすぐにわかると思いますので、出来れば笑って済ませてくだされば幸いです。