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声優接触編

4.


 猪野智大(いのともひろ

 若井の前で報告したとおり、デビューは一年程前の男子学生A。

 そこに至るまでの経歴は、高校卒業後専門学校に入学し、その後アンバックという事務所の預かりになる。デビューはこの事務所の所属時になるが、現在はフリー。

 声優が頻繁に事務所を辞めたり移籍したりは、ニュースサイトで見聞きしているので、願はそれ自体を特に奇異だとは思わなかった。

 だが、それにしても、まだドが付く新人の段階で事務所を辞めるというのはさすがに奇異にも感じられる。

 もっとも、ここは無為な思考に囚われるより、連絡手段を入手すべきだろう。

 アンバックの電話番号はもちろん公開されている。

 さっそく連絡を取って、こちらの身分を名乗ってみたが、さすがに業界関係者が全員今の事態を承知しているというわけではないらしい。

 ようやくのことでアポを取り付け、港区東麻布の事務所に赴いた頃には陽はかなり傾いていた。

 本気で家に帰れないかも知れない、と若井の言葉を苦い気持ちで思い出しながら出迎えてくれた事務所社長、坂上に挨拶する。

 洗面道具の後に、有原に渡された名刺を差し出しこちらも受け取ると、電話ですでに伝えてあった用件を口頭でもう一度伝える。

 坂上は、もっともらしくそれをうなずきながら聞いていたが、そこから一向に口を開こうとしない。

「あの……」

 恐る恐る、声を掛けながら改めて坂上を観察してみると、ごく普通のサラリーマンに見えた。

 普段、声優達の顔は色々な機会で見ることがあるが、事務所の社長というのは想像もしたことがない。

 “ああいう”人達の社長なので、何かもっとギラついた感じ――若井みたいな――を勝手に想像していたが、考えてみれば普通が当たり前である。

 いささか小太りな体躯で、太い黒縁の眼鏡を掛けていた。

「……まず最初にお伺いしておきたいんですが……」

 ようやくのことで坂上が反応してくれた。

「猪野のことはどこから?」

「卯河さんからです。かなり印象深かったそうで」

「あの人は……面白くなりそうだと思ったら、よく考えなくなっちゃうからなぁ」

 どうも、迷惑がられているらしい。

 そう判断した願は、小さくなりながらもファミレスで聞いた若井のプラン――一人、巻き込まれ対応用のキャスティングを作っておいて、他への被害を無くす――を改めて説明した。

 完全な納得は得られなくとも、無策よりずっとマシなはずだし、何より今のところ人死には出ていない。私生活が脅かされる可能性もあるが、それも仕事だと最初からわかっていれば、対応のしようもある。

 だが坂上は、そんな願の説明を途中で遮った。

「いや、そちらのご苦労はわかります。それに、そのプランにも大手を振って賛成するわけにも行きませんが、良いアイデアだとも思います」

「それでは……」

「ただ、猪野はそれに適した人材とはちょっと思えなくて……」

 願は思わず前につんのめりそうになった。だが、すぐにある回答にたどり着いた。

「それは――声優としての技量が不足している、と言うことですか?」

「いえいえ」

 それは即座に否定する坂上。

「仮にでも、ウチで預かったんです。不器用だとは思いますが、力量はありますよ。私はそう思います」

「じゃあ、何を問題視されてるんです?」

 埒が開かないので、真っ直ぐ踏み込んでみると坂上は難しい顔のまま「失礼」と断って、懐からスマホを取り出した。

 一体、何だ? と訝しむ願の前で坂上は何事かをやりとりしている。

「岸さん、この後ご予定は?」

 帰宅です。

 ……とは、とても言い出せない雰囲気であることはわかる。

「ええ、特には」

「ウチの古地が在籍当時、猪野と親しくしてましてね。今でも付き合いはあるはずです。詳しくは古地から聞いてください」

 聞かされた瞬間、パニックになりかけた。

 アンバックの社長が「ウチの古地」と言うからには、それは「古地勝利」のことだろう。

 ここ最近、出演作がドンドン増えてきた男性声優である。

「ど、どうして?」

 だが、会わなければならない理由がわからない。

「ウチはほら、投げ出しちゃったわけですし、対猪野用のマニュアルもないんですよ。そのあたりの心構えからして、古地の方が適任かと思いまして」

 問題が何か、うっすらと見えてきた。

 冷や汗が吹き出来るのを感じながら、願はことさらにゆっくりとした口調で尋ねてみた。

「……そんなに?」

「ええ、そんなに」

 しっかりと坂上はうなずいた。


 問題は若井のプランでも、声優としての技量でもない。

 となると、残された問題は一つしかないと言っても良いだろう。

 “当人に問題がある”

 ――である。

 問題の中身がまた問題ではあるが、概ね性格なのであろう。

 そういう風に覚悟を決めて古地との待ち合わせの場所、中目黒に赴くと――肝臓も覚悟を決めた――願が一方的に顔を見知っているだけあって、すぐに見つかった。

 坂上とおそろいじゃないのかと思えるほど、似通った黒縁の眼鏡をかけた、一見はある芸人と間違えそうな容貌。

 すでに宵闇にさしかかっている薄暗さではあったが、間違いようもない。

 名刺を用意しなくては、とあたふたしている間に、

「岸さんですか。古地です」

 その古地が人なつっこい笑みを浮かべながら、声を掛けて来た。

 どういう目印を坂上との間で交わされたのかわからないが、少し前までただのアニメファンだった岸にとってはなかなかの不意打ちである。

「あ、よ、よろしくお願いします。岸です」

 何とか自己紹介を終える。古地は笑顔でそれに応じながら、

「こちらは能登です。能登武士」

 と、傍らに立っているやけに背の高い人物を紹介された。何だか猫背気味でこの人物もまた眼鏡を掛けているから、願も含めて眼鏡男子が揃ったことになるが、事態はそれどころではない。

 能登も、もちろんというのも変だが声優なのだ。

 こちらも最近売り出し中と言っても良いだろう。

 突然増えたプレッシャーに、さらに願は緊張で身体を硬くした。

「飯に行く約束してたので。能登も猪野はまったく知らないわけでもないですし」

 古地が言い訳をするように言葉を添えてくるが、願としても異はない。それどころか仕事の面から考えれば大歓迎だ。

 情報は多い方が良い。

「じゃあ、お話を伺っても?」

「いいですよ。なぁ?」

 最後の呼びかけは、能都に向けたもの。能登もまた笑顔で、

「もちろん」

 と快諾した。


 向かった先は居酒屋チェーンの「北の集落」

 二日連続の酒席となったわけだが、声優二人は本当に食事がメインらしく、アルコールは最初のビールぐらいしか頼まなかった。

 その流れは願にも大助かりで、今日一日、何も口にしていなかったことにもようやく気付いた。

 そこで、話よりも先に運ばれてくるメニューをどんどん平らげていくと、それが良い方に働いたのか古地と能登と僅かな時間でうち解けてしまった。

「そうなんだ。元は公務員」

 古地からは、さっそく敬語が取れている。

「いえ、今も一応公務員ではあるはずなんですが。もう自分の身分がどんな処理になっているのかもわからないような状況で」

 願は敬語をやめていないが、それは単純に古地の方が年上だからだ。

 やっと人心地ついたところで、出てきた言葉は愚痴である。

「大変ですねぇ」

 と、能登の方は敬語のままだったがこちらも随分と緩い。

「いえ、声優の皆さんの方が大変ですよ。一体、何に巻き込まれるのかわからない状況ですから」

 もちろん、この二人も現在のややこしい状況を知らないはずもない。

 願の言葉に、思わず顔を見合わせて、

「勝さんは……なんかやばそうなのあったっけ?」

「多分……ないな。タケは?」

「強いてあげれば、千里ですかね」

「アレじゃ戦えないだろ」

「だから強いてあげればですって」

 確かに、二人が演じてきた役に、もろ能力者というものは少ないように思える。ロボットのパイロット、ということなら候補もあげられるが……

「そういえば、大岩さんはかなり不安がってたな」

「あ、“落ちこぼれ”ですね」

 箸を縦横に走らせながら、二人の会話は止まらない。だが願にも二人が何を話しているかはわかる。

 二人の先輩になる、大岩雄景は今度始まる「錬金科の落ちこぼれ」というアニメの主役を演じる事が発表されている。

 この主人公が近年希に見るほどの強力な能力者で、人気も高く巻き込まれることはほぼ確定、と目されているわけだ。

 だが――

「本当に巻き込まれるかどうかは、蓋を開けるまでわかりませんから」

 ごく自然に会話に参加した願を、二人はマジマジと見つめる。

「そうなんだ」

「そうなんですか」

 そのあたりの条件は、この二人にしても知りたいところだろう。だが、こればかりは確実に誰も知らないのだと断言できる。条件がわかっていれば、わざわざ若井を呼ぶまでもなく、どこかの制作会社に条件通りのアニメを作らせるはずだ。

「それ今度、大岩さんにも伝えて良いかな?」

「そこは問題ないと思いますが……ただ、巻き込まれる可能性もあるんですよ。それに僕は……何というか、その連中対策とはまた別部門なので、止める方法もないですし」

「いいんじゃないですか? あの人、何というか最近“おじさん”アピールが過ぎると思うんですよ」

「つまり、働かせても問題ないと」

 能登の無責任とも思える言葉に、古地が混ぜっ返す。そのまま二人で笑い出す中、願の頭の中では大岩と、その盟友とも言える前野賢治のここ最近の発言を思い出してみる。

 ……確かにここ最近、加齢をネタにしたトークが目立ったいた。

「でも、あの作品は確か能力使うのに、色々アイテムが必要だったでしょ?」

「ああ、そうか。その点『学究都市』は大方素手だな。それで巻き込まれやすいのかも」

「ここだけの話ですが」

 能登が、高い背をかがめるようにして身を乗り出す。自然、古地も願もそれに付き合うこととなった。

「植草さんが、スケジュール押さえられたらしいですよ」

「げ」

 聞かされた瞬間、古地が呻き声を上げた。願は首をかしげながら尋ねる。

「植草さんというのは?」

「あれ、知りませんか? 『学究都市』シリーズの監督ですよ」

 能登の何気ない返事に、思わず願の心が縮こまりかける。

 自分の不勉強を詫びたくなるが、ここはそういった言葉で会話の流れを滞らせる局面ではない。

 何とか、元の流れに戻すべく、意識して潜めた声で応じた。

「……ということは、続編が」

「そういう話は出てるんでしょうね。またストックもたくさんありますし」

「未登場の能力者達もたくさんだ。続編制作が決定になったら、マネージャーが間違いなくオーディション受けに行かせるだろうな」

 能登の後を受けるようにして、古地がさらに続けた。

 「学究都市」シリーズのファンである願としては続編制作の可能性は、単純に嬉しいニュースだったが、こちら側に足を踏み込んでしまうと素直に喜んでばかりも居られない。

 そんな風に気を引き締めていると、果たして古地からも深刻な声が聞こえてきた。

「……実際、シュウはもうかなりキテるらしい」

「あ、田島さんのことです」

 能登が気を利かせて、先に教えてくれた。

 さすがに声優のことであるなら、それで話が繋がる。

 『学究都市』シリーズ内の能力者。その最強の一角「鎧袖一触」を演じる田島修平。

 もちろん、この異常事態に盛大に巻き込まれ中だ。

 それがキテいるというのは、当事者の一人となってしまった身の上では聞き流すことも出来ない。

「何か、まずいんですか?」

「……もうかなり知れ渡ってると思うけど、シュウは生粋のMなんで」

「はぁ」

 うなずく願の横で、能登がにへらと笑っている。

「役の上でなら、いくらでもSキャラで演じきれる男だが、それを維持したまま本当に戦えとなったら……」

 とんでもないところに落とし穴があったものだ。

 願は、自分が関わることになった事態の深刻さと馬鹿馬鹿しさを同時に味わうことになった。

 その、一種の虚無感が自分がここに来た本来の目的を思い出させたのだろう。

 しかも、今なら話をつなげやすい会話の流れでもある。

「そ、それじゃ猪野さんは向いてるんでしょうか?」

 願のその問いかけに、一瞬、ポカンとした顔になる二人。

 この二人も、そもそもここに願が現れた理由を忘れていたらしい。

「そうだった。猪野の話だった」

「俺は向いていると思います」

 いち早く立ち直った、能登がやけに断定的な口調で結論を出した。

「……まぁ、向いてるだろうなぁ」

 それに古地も賛同した。

 この流れで考えると――

「つまり、かなりSッ気があるという感じの……」

 ということになる。

 だが、二人の表情から見るとそれは間違いのようだ。

「いや、基本的には良い奴だよ」

「そうですね。基本的には」

 そういう風に評価されたばあい、通常の状態はかなり厄介であることを願は経験則で知っている。

 もう少し具体的なことを聞き出したいが、その切り出し方が見あたらない。

「ただ、人と関わるのは向いてない」

 願が迷っている間に、古地から決定的な一言が飛び出した。

「そうですね。話してるとなんか違う星にたどり着いたような気分になりますし」

 しみじみとうなずきながら、能登が畳みかけてくる。

 鳴り響いていた頭の中の警告音が、いよいよ激しく明滅し始めた。

 それはもう経験則ではなくて、生物としての本能に近い。

「……あ!」

 そして、願は気付いてしまった。

「もしかして、事務所辞めたのって」

「――ええ、まぁ、そういう方面の事情があったことは……否定しない」

 古地が渋々ながら認めた。

「あ、やっぱりそうなんですか。前野さんがもの凄く残念がってましたけど」

 前野と古地は同じ事務所である。

「うん、事務所ウチも色々手を尽くしたみたいだけど、基本的に噛み合わないから」

 どこか諦観が含まれた声音で古地がとどめを刺した。

 ――願の精神こころに。

 すでに警告は頭の中だけでなく、背中にじっとりと浮かんだ汗という形で表面に浮き出てきていた。

 だが、逆に考えれば、今のプロジェクトに関していえばこれ以上ないほどの適任と捉えることも出来る。

「……じゃ、じゃあ連絡先……お願いできますか?」

 仕事用のスマホを取り出しながら絞り出すように頼んでみると、古地が沈痛な表情で頭を振った。

「でも岸さん。かなり苦労すると思うよ」

「……それは何となく察しました」

「岸さん――岸さん、悪い人に思えないから、苦労は掛けたくない。それに俺は猪野も好きなんだ。仕事で付き合う、なんてことになったら“適切な距離で”なんてことも言ってられないと思う」

「…………」

「俺の紹介で、険悪な関係が生まれるのは――」

 そうだった。

 猪野という人物に会わせて良いかどうかを見極めさせるために、自分はこうして古地と会うことになっているわけだ。

 そして理由はともかく、今、不合格になりつつあるようだ。

 実際、ここを回避したいという気持ちもある。

 だが――

「……自分で何にもしないうちに、道を閉ざされるのは嫌です」

 願の瞳が真っ直ぐに古地を見据える。

「古地さんの言うとおりになるのかも知れませんが、でもそれは自分の行動の結果として受け止めたいんです。古地さんには嫌な思いをさせてしまうかも知れませんが、その時は……」

 どうすればいいのか。

 願の顔が下を向いていく。

 その答えは無い。だが――ここで引き下がるのはもっと無い。

「……その時は、飯でもおごって貰うとするよ」

「古地さん」

 顔を上げそうになったところで、

「もしかしたら、岸さんと猪野は合うかも」

 横合いから能登が、ぶっ込んできた。

「は……え?」

「うん、まぁ、俺もそれはちょっと感じた」

 古地からもまさかの手のひら返し。

「ちょ、話が――」

「まあまあ。さすがにいきなり個人の連絡先を教えられないので、今のバイト先を――」

「バイト先。あ、そうですよね」

 声優業が開店休業状態であるなら、当然そういうことになる。しかし、バイトが出来るのならいうほど厄介な存在ではないんじゃないか――が、とにかく今は連絡先だ。

 願が出しておいたスマホに手を伸ばす。

 

 ピリリリリリリリリ!


 まさにそのタイミングで初期設定のままの呼び出し音が突如鳴り響いた。

 相手は登録したばかりの若井。

 願は二人に断って、電話に出る。

『岸君、今どこや?』

 挨拶も何も無しに、突然尋ねられた。

「な、中目黒です。実は今――」

『ならそんな遠くないな。話は後や。急いで芝公園ィ』

「は? いや、しかし……」

『“現場”を経験させたる』


 ――若井の声が願の耳元でやけに虚ろに響いた。

この辺から、ちまちまと実在の人をモデルにして勝手に登場させてますね。

昨日の富山もそうですけど。

もちろん、作中の登場人物はあくまで私のイメージでしかありませんが。

んでは、また明日。

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