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その日(3)

30.


 その一瞬で、脳が処理できる情報の限界量を超える出来事が起こった。

 まず出没するはずがないと思われていた地点で“敵”が出現したということ。

 これは今後の対策の参考になるかも知れないが、今どうこうできる問題ではない。

 対処は後回しで問題ない。

 次に問題となるのはその“敵”が願たちにばらまいた弾丸だろう。

 いや弾丸に思える何か、と表現した方が的確か。

 それが弾丸ではなく、目標物に当たると赤い液体をまき散らす水風船のようなもの、と考えるのが一番正確な理解に近いようだ。

 猪野が庇おうとしたのは善常だけであったが、この水風船はそういった区別無く、この場にいた全員にばらまかれている。そのため全員の脳裏に一瞬よぎったのは銃弾による自分への被害。

 もちろん死を想像したものもいるだろう。

 だが、実際には赤い液体が顔や衣服に付着しただけで済んでいる。

 もちろん、それまた被害なのであるが、実際にそれに対する不満が浮上してくるのはもう少し先のこととなるだろう。

 何しろ、それどころではない異常事態――それも待ち望んでいた異常事態という特殊な現象が、少し前に確認されたからだ。


 ――問題の水風船の弾丸が旗布を纏った、猪野の身体を通り抜けた。


 その現象は目撃もしたし、確かに庇われていたはずの善常に水風船が命中していることからも、そう結論づけざるを得ない現象だ。

 そしてそれは若井が呟いたように、

「位相がすれている」

 と「カニバリゼーション」関係者が呼んでいる現象でもある。

 そして、その能力の発動条件は「旗布を身に纏っている」

 何もかもが猪野が“巻き込まれた”ことを証明していた。

「これは……」

 思わず呟いた願の言葉がそこで止まった。

 あまりに都合の良い現象が起きたので、それを実際に口に出してしまうことに思わず恐怖したのだ。

 それをきっかけに、この現象が幻だったと、露と消えてしまうかも知れないという、正体不明の恐怖に囚わてしまった。

 そして、それは伝染してしまったのか、一同も現象は確認したはずなのに決定的な言葉を口に出せないでいる。

 その中で、状況をいまいち理解できなでいる二人。

 猪野と善常の二人が、他の面子とは違う行動を見せていた。

 自分の身体を手でまさぐっている猪野はある意味お約束な反応だ。

 一方で、状況もはっきりわからないままに赤い水をぶっかけられた形となった善常は、

「なんですか、もう! 一体何がどうなって……」

 と、怒りながらも目の前の壁――即ちそれが猪野の身体であるのだが――を振り払おうと腕を振った。だが、その腕は虚しく空を切った。

 猪野の身体を通り抜けるように。

「……間違いあらへん」

 ついに若井が確定的な言葉を口にした。

「猪野君! 能力は使えるか!?」

 続けて、どこか焦ったような声で指示。

 ほとんど諦めかけていたところに、突然現れた“巻き込まれ”現象。

 ここで焦るなという方が無理だろう。

「あ、あかんで! 火だけは使うなや!!」

 続けて飛んだその指示のおかげで、ようやくのことで猪野は自らに起きた現象を自覚したようだ。

 何度も練習したとおりに、身に纏っていた旗布を脱ぎ捨てると、旗竿のスイッチを入れてその旗布をはためかす。

 能力の目標は改めて指示するまでもない。

 皆に水風船をぶつけた敵が最初の生け贄だ。

 発火能力は若井から禁止された。そしてそれは妥当な判断だろう。

 こんな密集した場所で、コントロールできるかどうかもわからない発火能力は延焼の可能性が高い。

 となれば――


 ――凍結、念動、あるいは崩壊。


 それでもまだ三つもの選択肢があった。

 荒野側の能力をルキングは使えることが出来、つまり今の猪野であればそれも使えるという理屈になる。

 だが、さすがの中二病もこの選択肢を瞬時に行うことは難しかった。

 崩壊、は直接相手に触れる必要性があるので選びづらい。

 残るは凍結か念動。しかし念動は、そもそもどういう風に使えばいいのかわからない。

 田島がいればアドバイスを貰えたかも知れないが、それはただの無い物ねだりだ。

 結論。

 使うべきは凍結――作中では熱量簒奪の異能。

 それを振るうべき相手は水風船を撃ち尽くしたのか、棒立ちでその場に佇んでいる。

 まるで猪野の練習相手を務めるかのように。

 全員が、そして状況をようやくのことで理解できた善常までもが固唾を呑む中で、猪野の片眉が上がり、そして頬に冷や汗が流れた。

「どうした?」

 前野の声が飛んだ。

「わ、わかりません! どうすれば能力を使えるのか!」

「だって、お前作中では……」

「あ、あの時は――」

 どうしていたのか。

 脚本がそう書いてあるから能力を使えた――では、ヒントにもお話にもならない。

 第一、猪野自身がそういう安易な考えで芝居をした覚えはなかった。

 ルキングは荒野で死んだ能力者の、残留思念の受け皿のような存在だ。だからその能力を使うときには――

「いつかの監督のエチュードだ!」

 願が叫ぶ。

「次から次へと、色んな人格を演じただろ!? あれだ! あれぐらい極端な方が良い」

 猪野はその指示に、大きくうなずいた。

 凍結の能力が象徴する神格――何をするべきなのか猪野の中で確実にそれが結晶化した。

 瞬間、猪野の周囲にキラキラと氷の破片が舞い、それが敵へと収束した。

 光線が見えたわけではないが、確かに猪野の能力が敵にぶつかったのを一同は感じる。

 棒立ちのままであったが、敵の身体が白い霜で覆われていき、最後にはそのまま砕け散った。


 まるでシェラフランのように。


「――ということは俺もいけるのか?」

 今のところ「カニバリゼーション」には関係なく、そして観てもいないらしい大岩が、その光景に感傷に浸ることなく動いた。

 両手にはめたメリケンサックを、ガチン、と打ち鳴らす。

 「錬金科の落ちこぼれ」の作中では、その動作は必須ではなくフレーバー的な物だったのだが、それだけに作品を象徴するアクションでもあった。

「待ってください、大岩さん」

 まさに墓地へ吶喊をかけようとしていた大岩を願が止めた。

「何だよ」

「猪野の偵察通り、組織だった動きを相手が見せているのなら単騎での突撃はマズイですよ」

「じゃあ、どうする?」

「猪野“千里眼”使えるか?」

 猪野はコクリとうなずくと、僅かに視線を上に上げた。

「同時に能力は使えそうか? ……無理? どっちなんだ? 場所をイメージは出来るんだな? そのイメージを元に、念動で相手を縛れないか?」

 矢継ぎ早に飛ぶ指示に猪野は無言で応えて続け、最後にカッと目を見開いた。

 同時に墓地の空気が変わった。いや空気の流れが変わったというべきだろうか。

 願の指示で猪野が念動を発動させた結果、周囲の空気ごと動きを止めてしまったせいで、謂わば墓地に見えない杭が幾つも穿たれている状態となったのだ。

 その空気の流れの変化を感じ取ったことで願は能力が働いたことを確信した。

「大岩さん」

「応!」

 委細承知の大岩が今度こそ前に出る。

 改めてメリケンサックを打ち鳴らし、棒立ちのままの敵――何の好みがあるのかソンビ形態に向かって――に右拳を繰り出した。

 「錬金科の落ちこぼれ」と同じ展開が起こるのなら、これで殴られたゾンビは“分解”されるはずだ。


 ――曰く、塵は塵に。

 

 ただ殴るだけのことで狙いをはずこともなく大岩の右手がゾンビの頬にクリーンヒットする。

 元々、ゾンビに見えているのは見せかけだけの話なのでそこからボロボロと崩れ落ちたり、肉汁が飛び散るようなこともない。

 ボコッ。

 と、ペットボトルがへこむような音がしてゾンビの身体が揺れた。

「き、消えねぇぞ!」

 そう。

 ゾンビの身体はへこみもしたし、揺れもしたが――消えない。

 つまり大岩は……

「巻き込まれてない!?」

 それが結論だ。

 そして結果としてその場に残ったゾンビが大きく腕を持ち上げる。

 次の瞬間には猪野の一睨みで、ソンビは再び動きを止めた。

 猪野は早くも能力を使いこなしているらしい。

「――猪野さん、そこの兵士もどきを一人解放してくださいませんか?」

 そんな中、善常がまったく空気を読まない台詞を放った。顔にかかった赤い液体を、真っ白な綿のハンカチでぬぐいながら。

「な、何言うとるんや? そりゃ、ここまで無駄足踏ませたんは悪かったけど……」

「そういう問題ではありません」

 若井の言葉を善常が遮った。

「ほ、ホートリンの能力をアテに……」

「“彼女”の助けは必要ありません。これは100%の確率で私が報復すべき問題です」

 さすがは声優――などいう褒め言葉は、このほとんどが職業・声優の面々の前ではいささかの無意味さも感じるが、場を支配するような強烈な悪意の込められた声は、マジックアルファの彼女の売り出し方が間違っていたのではないかと思わせるには十分だった。

 藤原の特訓の凄さも同時に物語っていたが。

「では、解放するぞ」

「お、おい猪野!」

 そして素直に善常の要求に応じる姿勢の猪野には突っ込みを入れざるを得ない願。

 だが猪野は陶然とした表情のまま、願の叫びに応じた――いつもの調子で。

「大丈夫。あれは戦士の目だ」

「お、おま……今はそんな――」

 と、願はさらに止めようとするが早くも兵士もどきが動き始めていた。

 そこに無造作に近づいていく善常。

 当たったところで、毒を食らわば皿まで、との心境なのか銃口をまったく気にする素振りもない。そうして間合いを詰めていくと、よほど良質な武器管制AIが搭載されているのか、小銃からナイフへと武器を持ち替える。

 さすがに周囲が色めき立つが、そのナイフでの攻撃はあまりにも予備動作が大きすぎた。

 一方で善常の動きはよどむことなく兵士もどきの懐に潜り込むと、振り下ろされる腕の肘関節を下から持ち上げる――少なくともそのように見えた。

 そして兵士もどきのナイフを持った腕がポンと小気味よい音を立てて弾け飛ぶ。

 肘から先が物の見事にもげていた。

「な、なんや、善常さん……」

 その光景に息を呑みながらも、若井は何とか己の義務を果たそうとする。

「心得があるみたいやけど、やっぱり危険に代わりはあらへんのやから、ここは大人しく……」

「危険?」

 善常は不思議そうに小首をかしげる。

「これは相手の力で、関節を曲げてはいけない方向に曲げるだけの簡単な作業ですよ?」

「な、何やて?」

「こんな風に――」

 言いながら善常は尚も自分に近づこうとする兵士もどきの右膝をローファーで上から押さえつけるようにして、そのまま挫き折った。

 そして倒れてくる兵士もどきと善常の身体が交錯すると、兵士もどきが地面に倒れ伏したときには首と胴が泣き別れ状態となっている。

「――ね? 簡単でしょう?」

「危ない! 離れて!」

 そんな風に悠然と構える善常に、黒服から声が飛んだ。

 すると、まるでその声を合図にしたかのように身体のあちこちがもげたはずの兵士もどきが、善常のすぐ側で立ち上がる。

 失ったはずの手足、そして首もすでに繋がっていた。

「おや?」

 だが善常は慌てることなく、今度もまた兵士もどきの身体を再びその場に叩き伏せる。

 いや、叩いたような仕草は見せなかったから、単に兵士もどきが善常の足下にひれ伏しただけのようにも見えた。

「――素晴らしい。私の憂さ晴らしにまだお付き合いいただけるんですね。20%の力でお相手しましょう」

 その目が完全に座っている。

(……あかん)

 その場にいる全員が善常の放置を決めた瞬間であった。

 それと同時に、この“事態”の最大の問題点を全員が理解した。

「――もしかして巻き込まれた声優が能力使わないと、ああいうのは消えない?」

 皆が言い出しにくい中で、古地が先鞭を付けた。

 若井と黒服がそっと目を反らして、その質問を遠回しに肯定した。

「……まさか」

 それでも若井がボソリと呟く。

「こんなアホウな状況ことでばれるとは思わんかったけど」

 その視線の先には、兵士もどきをいたぶり続ける善常の姿があった。

「あの娘も、一体なんなんや……」

「俺も驚きました。ちょっと事務所に報告しといた方が良いな……」

 同じ事務所の大岩が戦慄と共に、そんな言葉を呟くがこのままでは事態は解決しない。

「――聞きたいことはたくさんありますが、今はともかく猪野の……ルキングの能力を効果的に使う事が解決の早道と言うことですね?」

 そんな中、極めて事務的な口調で願が若井に問いただす。

 若井もそれには真剣な表情でうなずいた。

「元より俺は、そのつもりだ」

 念動能力を使用したままの猪野が宣言するがしばらく経っても具体的な方法については言及しなかった。仕方なく、願はもっとも簡易だと思える手段を提案してみることにした。

「念動で――潰せないか?」

 さすがに“潰す”という言葉に躊躇いは感じたが、ほかに言いようもない。

 それに対する猪野の返事は否定的な物だった。

「……力を分散させすぎた。押さえるので精一杯だ」

「目標を減らせよ」

「一度こっちから攻勢を仕掛けておいて、始末しないままに引く……悪手の極みだ」

「かと言ってここで膠着状態でも困るんだよ」

「猪野君」

 そのやりとりに若井が割り込んできた。

「そのまま押さえておく分には、頑張れそうか?」

「ああ。それはまったく問題ない」

「よし――大岩君、会って間もないところで悪いけど、事務所の後輩らしいし、善常さんの様子だけ見とってくれんか? いや、もう見守るだけでええやろうけど」

「わかりました。あれ以上暴走しないようにですね」

「前野君と、古地君も一応ここで巻き込まれんようにしといてくれ――ちょい」

 若井が先ほど善常に注意を発した黒服を呼んだ。

 一瞬、何か迷惑そうな表情を浮かべた黒服であったが若井はそれに構わず話を続ける。

「この周辺の地図は用意されてるやろ。その場所――いや、こっちで作戦するからまとめてこっち持ってこい」

「し、しかし……」

「さっきの凍結見たやろ? 君にはそもそも報告の義務あるんちゃうんか? そのついでに俺が我が儘言うとる伝えればええんや」

 若井が黒服に向かって半歩踏み出した。

「君が判断することはあらへんやろ?」

 猪野が巻き込まれたことで、押しの強さが戻ってきたらしい。

 完全に飲み込まれた格好となった黒服は、逃げ出すようにして投光器の光も眩しい野戦基地の中央部――恐らくはそこが墓地の中心でもあるのだろう――へと駆けていった。

「――で、作戦考えるのは君や」

「はい?」

 若井に掛けられた言葉に、願は意外そうな声を返すことで精一杯だった。


 黒服たちの上司は部下よりは柔軟な頭の持ち主であるらしい。

 十分もしないうちに願たちの周りに機材や人手が集まってきた。

「この現場担当の相原です」

 と、一応は自己紹介してくれた相手が責任者で上司のようだ。

 もちろん相原も黒服だ。なんだか体型にまで服務規程があるかのように、見事な中肉中背。そして七三わけである。もはや絶滅危惧種とも思えるような一昔前のサラリーマンスタイルである。

「この度は、当初の狙い通り異能が発現されたようで、まずはおめでとうございます」

 口調は慇懃無礼だが態度は傲岸不遜そのものであった。

(うわ~官僚だなぁ)

 と、同族嫌悪を胸の内に秘めて、

「岸です」

 願が簡潔に自己紹介を返す。

「この岸君が、作戦を立案するから状況を説明したってくれ」

 そこに若井が爆弾を放り込んだ。

「彼が!?」

「僕が!?」

「せや。現状で有効な異能ちからを持っとるのは猪野君だけやけど、田島君とは違って猪野君は扱いづらいでぇ。多分、俺の言うことも聞かん」

「そんな無責任な」

「何言うとるんや。岸君は俺の部下やぞ。部下の手柄は上司の手柄やろ」

 さすがにブラック企業を宣言するだけのことはある言い回しだ。

「つまり……岸さんなら猪野さんをコントロールできると?」

「おお」

 と若井は安請け合いするが、もちろんそんな保証は何もない。

 しかし、それを顔に出すほど願もまた素直ではなかった。

「それなら我々の指示を岸さんに通してもらえば……」

「君は猪野君の能力を把握しとるんか? ――“ルキング”という名前に心当たりは?」

「それぐらいは知ってます」

「じゃあ、能力は? そもそも戦ってるところアニメで見たか? カタログ眺めてニヤニヤしてるだけとちゃうやろな?」

「……それは」

 言葉に詰まったら、もう負けである。

「とりあえずこのあたり周辺の地図持ってきて。で、岸君はそれでとりあえずルキングの能力生かして作戦考えてみ?」

「若井さんは?」

「もちろん俺も考える――やけど考える頭は多い方がええやろ。それにおこがましくもアドバイスするなら、今夜の敵は猪野君を狙っとるで」

「え……そうか。そうですね」

 あの最初の兵士もどきの出現があまりにも唐突で不自然すぎた。

 それを合理的に説明しようとするなら「猪野が狙われている」と考えるのが妥当なところだろう。

「それなら……」

 願の視線が運ばれてきた地図に吸い寄せられた。


 ルキングの無敵性は何に起因するか?

 多用な異能の保持――ではなく、やはり攻撃が一切通じないという状態を作り出せるということだろう。それも特性として、パッシブでそういった状態になれることが最大の強みだと願は考えることが出来た。

 最初にルキングの能力について、

「核爆発ぐらいは何とかなる」

 と若井に説明されたことが原因であるかも知れない。

 この能力を具体的にどう使うか――と言うか、何故こんな事を考えさせられているのか。

 身内で、適格者を探すならむしろこれは未生の仕事だろう。

 そんなアイデアと愚痴が同居する願の脳内で、一つの作戦が描き出された。

 いや作戦というよりは、それはどこか脚色された英雄譚のようでもあり未生の事を思い出していたことが、わかる人にはわかりやすい作戦だったと言える。

 しかし、それは猪野を納得させるにあたって大きな要因となった。

 そんな作戦を自分で言い出しておいて採用に消極的な願を若井が後押しし、相原がそれに要望と修正を付け加えた案が猪野に提示されると、猪野はほぼ抵抗無くその案を受け入れた。

 猪野の中二心が刺激された作戦であることは、これでも明らかなところだ。

 そしてその第一段階は――


 猪野が、その強力な念動能力の発動を停止した。

 いや、旗布を纏うことに因る位相のズレを優先させたために、念動能力を使えなくなったという方が、この場合は適切かも知れない。

 作戦の第一段階ではズレを生じさせることを優先されるからだ。

 念動の束縛から解放された“敵”――ドロッキー、ゾンビ、そして兵士もどきが一斉に行動を開始した。猪野のいうとおり、一度攻撃を受けたことで行動AIの指示が変わったらしい。

 優先されている命令は、若井の読みでは「猪野(能力者)を狙え」

 これを前提として、猪野は旗布を纏った状態で移動。すると動き出した敵たちも、その行動に吊られるようにして進路を変えた。

 若井の読みが当たっていたことが、ここで明らかとなった。

 ここで計画は第二段階に移る。

 猪野は敵に見せつけるように、ことさらにゆっくりと移動を開始した。

 目的の場所は谷中墓地の西部にある十字路。まさにその中央が猪野の目標だった。

 端的にいうと、猪野自身が囮だった。しかもいくら攻撃を受けても、まったく被害を受けないという理想的な囮である。敵たちも、かさにかかって攻撃してくるが猪野は旗布を纏った状態で涼しい顔をしたまま悠然と歩を進めた。

 そしてついに十字路の中央部に到達する。

 ここからが第三段階だ。

 敵が動き出す基準で判明している条件は、猪野が近くにいるか、もしくは猪野の能力を浴びるかだ。

 現状では墓地に広がった敵たちの四分の一から三分の一が動いていることが推測できる。

 そういう状況下でわざわざ十字路に陣取った理由。

 視界が開けている、そして、敵も簡易に移動しようとするから進撃ルートが簡単に予測できる。

 猪野は中央部に到着すると、すぐに旗を立てた。

 この時点で迫っていた攻撃はとりあえず念動のバリアで弾く。そして次に使用する能力は千里眼。

 敵の分布を確認する。

 予想通り、敵は猪野が通ってきた道路に偏っていた。

 願の最初のプランだと、ここで発火能力を使う事が提案されていたが相原がそれを渋ったので、凍結能力に変更となった。願としてはここで能力すべての実験をしてしまい所だったのだが、さすがに立地条件が悪すぎた。

 開けているとはいえ、このあたりは木々も多いのだ。

 不用意な能力の使用によって、火事になる可能性がある能力を使う理由もないだろう。

 猪野がいかにも中二的なポーズで、右の手のひらを道路に向かって突きつけると、そこから一気に100m先までの空間がマイナスにまで冷やされた。

 もちろん、その場にいた敵たちもただでは済まない。

 そのすべてが凍り付き、砕け散った。

「おお」

 と、それを遠くから眺めていた一同から声が上がる。

 ここから先は、猪野の自由裁量にまかせてある――とはいっても発火能力の仕様だけは禁じられていたが。

 猪野は近づかれた敵に対しては念動で縛っておき、その後に崩壊の右手を添えることで排除するというコンボを好んで使った。

 そうして置いて、周りに余裕が出来ると千里眼で確認しての凍結能力での掃討作業。

 最初に動き出した敵は五分もしないうちにそれで片付けてしまった。

 田島の≪鎧袖一触≫に匹敵する、いやそれ以上に使える能力だと断言してしまっても良いだろう。

 若井の立ち上げたプロジェクトは、ここに見事な実を結んだ、と報告書に記載されることは明らかだ。

 もちろん敵はまだ残っている。

 猪野は最初にやったときと同じように千里眼で敵の位置を確認すると、それに念動で攻勢を仕掛けおびき出す。

 その後は単純作業の繰り返しだ。

 だが、この事態を作り出した何者かは、ある意味で“わかっている”性質たちの持ち主らしい。

 最後の最後に登場したのは――

「巨神か……」

 それは離れたところから見ている願たちにも視認できるほどの大きな人型だった。

 最近の話題作でもある「崩壊の巨神」に登場する、狂える巨神の姿がそこにあった。

 どうやら今晩の有象無象の指揮官、あるいはラスボスという設定を背負って、この舞台に登場させられたらしい。

 この巨神の存在は、願の立てた全くの想定外だった。

 なにしろ作品の中では、出現した瞬間に人類が絶望するというほどの天敵であり強敵でもある。

 だが、願はその姿を確認しても慌てることはなかった。

 巨神が強敵であるのは「崩壊の巨神」の世界設定がそうなっているからであって、実際の所、自由に攻撃して良いとなれば、さほど問題視される戦力は保有していない事は明らかだ。

 ましてや相対するのは「カニバリゼーション」が誇る最強の異能力者ルキング(猪野)である。

 それでも「崩壊の巨神」は確かに名作で、見守る一同の中には巨神の威容を見ただけで、軽いパニックを起こしている連中もいた。特に黒服に多いところがさすがに人気作である。

 そして願は平気であっても、猪野が黒服たちと同じようにパニックに陥っていれば大事なのであるが、願はその心配もしていなかった。

 猪野は「崩壊の巨神」を、他の作品と同様に見ていない。

 願はそれを知っていた。

 臆することなく巨神と対峙していた猪野は、巨神が打ち下ろす拳を旗布を纏うことで物理的にスルーして、巨神を前のめりに倒す。

 その隙に再び旗を立てると、目の前の巨神をじっと見つめる。

 崩壊の手を添えるわけではなく、巨神が霜に包まれる様子もない。

 そうと知ったとき、願はこの状況に危機感を覚えた。

「まさか……」

「何や?」

 反射的に傍らの若井が尋ねてくる。そのために思わず発した呟きを途中で止めるわけにも行かなくなった願は、渋々とその続きを口にした。

「火を付けるつもり何じゃ……」

「それは困りますよ!」

 聞いた瞬間相原が思わず叫んだが、今更どうすることも出来ない。

 そして巨神の身体は願の予感通りに、いきなり炎上した。

 燃えさかる炎が、周囲を赤く照らし出す。

「な、何てことを!」

 相原が絶叫する。

「やから、いうこと聞かん言うたやろ」

 若井が呑気に応じるが、もちろんそんな反応は少数派だ。すでに周囲では緊急事態を告げる声が飛び交っていた。

 だが願の心配もそこまでだった。

 猪野が特に興奮している様子もなく、猪野流に言えば“戦士の目”を維持した状態のままだったからだ。

 猪野なりの考えがあって発火した――それはあるいは願の当初の目論見を感じ取ったせいなのかも知れない。

 であるならば、当然この事態に対処する方法も考えてあり、そしてルキングの能力は確かにそれに対処することも可能だ。

 願はパニックに陥る相原をなだめるように、静かな声で呟いた。

「まぁ、あれで猪野もバカじゃないので……」


 パチンッ!


 猪野の指が鳴ると同時に、その炎が一瞬で消え失せた。

 凍結――いや、炎から熱量を簒奪したのだ。

 後に残された黒こげになった巨神の身体が、ホロホロと崩れ消え去っていく。

 つまりそれは発火能力も十全にその能力を発揮できることも確認できたということでもある。 

 そうして谷中墓地の最後の敵は崩れ去り――


 ――ついに無敵の能力者が創造された。


これで大体、考えていた部分が終わりました。

これでキレイに終わりたかったんですが、後日談めいた物を書かねば収まりがつかなくなったので、そこまでは早い内に書くと思います。

ええ、多分。

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