計画停滞編
26.
アニメ制作事務所はブラック前提である。
それを改善しようとしているところもあるのだが、実際問題この昼も夜もない常時お祭り前日のようなテンションを愛している者も存在する。
若井もどちらかというと、そういった環境を愛している馬鹿野郎の一人であるのだが、ここ数日は深夜の事務所でずっとしかめっ面を浮かべていた。
わざわざ尋ねるまでもなく、その理由は明白だ。
ルキングが登場した6話以降「カニバリゼーション」というアニメの評判は、一気に好転に転じたと言ってもいい。
策略通り――というと言葉が悪いが、学園もの主体のアニメと思わせておいて、いきなりのハードな展開。確かに荒野側の動きも描いていたが、それでも激突が始まるのは1クール終わり辺りだろうという、慣れたファンの予想を覆すこの展開に、一時的にではあるが話題を席巻したほどだ。
こういった急展開が最大限に効果を発揮する、完全オリジナルアニメであることも大いに助けになった。現在は8話までが放映されているわけであるが、ルキングの無敵振りは健在で、その強さを思い知ったエルゲンは学院内でコンテアから武術の特訓を受ける予定。
つまり作中でも、猪野は稲葉と師弟関係を結んだ、ということになる――
――はずだったのだが。
猪野が一向に事態に巻き込まれないのだ。
旗布を身に纏っても位相はズレない。旗を掲げても能力は一つも使えない。
意図的に無敵の能力者を作り出して、事態に対応する。
それがこのプロジェクトの根幹である以上、その成果が得られないとなると……
「む~~~~~~~~」
と、唸りながら報告書なのか、始末書なのかを書き上げる羽目に陥る。
ただのアニメ制作であるのなら、あれほど無茶苦茶浪費したにもかかわらず、なんとかトントン――アニメ業界いつもの切り詰め、中抜き前提であればかなりの利益率――になるであろう売り上げが見込まれている。
村瀬などは、
「いやぁ、臨時ボーナスが出そうな勢いで」
などと我が世の春を謳歌しているが、願も気楽にしてはいられない。
何しろ願には、
「若井がちゃんと仕事しているか」
という監視業務もあるのだ。
そして、現状若井は仕事の結果を出していない。
だが、まったく仕事をしていないわけではなく、確認するまでもなくこれ以上ないほどに精力的に仕事に取り組んでいる。
この場合、どのように判断すればいいのか。
原因は何か?
――運。
と、事実に一番近いであろう事を報告しても、どういうわけか誰も納得しないのが人の創り出した組織というものである。
これをある程度は通用するように書き換えるとするなら、無敵の能力者が今は無理でも後には量産可能になるかも知れない、という含みを持たせればいいわけで、
「これは全くの新しい試みであり、最初の試みから何もかも上手く行くと考えるのはあまりに思慮を欠いた判断と言わざるを得ない」
書き出しは当然、こういう事になる。
「今、早々に失敗の判断を下すのは得策ではなく、この状況を利用して次のプロジェクトに必要な情報を収集することこそが肝要だと判断するのが建設的だ」
当然の書き出しから、このように展開させるのも自然な流れだろう。
「ともあれ規格自体はすでに動いている。放送局との契約もすでに為されている。違約金を支払ってまで早期にこのプロジェクトを引き上げる理由は上記の点からふまえても存在しない」
結論。
「当面は静観が妥当な判断かと」
実に、官僚好みの結論に落ち着いた。
仮に自分が永田町に残っていたとして、こういう報告が上がってきたらどうするか?
(スルーだな。上司に放り投げる)
で、上司はまた上に放り投げるだけだ。何にしろ“前例”がない。
とすれば――
「こっちは如何様にも時間を稼げますが――2クールの間は」
悪巧みするのに相応しい、午前零時。
スタジオ蟷螂の一角で、APがプロデューサーに報告を行っている。
内容はアニメ制作にさほど関わりのあるものではなかったが。
以前、願が提案した“社長”を雇うというアイデアは未だに実現していなかった。潰れたスタジオが無かった、というわけではなく、沈みそうな泥船に引きずり込むのもいかにも気の毒だったからだ。
「俺の上も似たようなもんや――何とか時間は稼げてるがな」
答える若井の眉間には深い皺が刻まれている。
「……“カニバリゼーション”の評判は?」
「上々と言っても良いでしょう」
願は僅かに若井から視線をそらし、再び若井を見つめて断言した。
それは身びいきでも何でもなく、アニメファンとしての肌の感触によるものだ。
もちろん称賛の声ばかりではない。
安易に人を殺してショッキングな内容で人を煽っているだけ、等というのが代表的なところだろう。
だが、そういった声も含めて今期のアニメで一番話題になっている事は確かだ。
以前は村瀬が依頼してアニメ誌に載せてもらっていたが、先を知りたい視聴者の要望も相まって、今では合同で企画して特集記事が組まれるほどだ。
「端的に言うと、好きでも嫌いでもアニメファン名乗るなら観てない理由はない、言うわけやな」
「そうですね。“相手”がそもそもバトルものが嫌い、という仮定は成り立ちませんから。観てない、という可能性は低いでしょう」
「したら、なんでや?」
何に対しての疑問なのかはわざわざ尋ね返す必要性はなかった。
――なぜ、猪野は巻き込まれないのか?
猪野があれから狩り出された現場は二件。
レプリカの旗を掲げ、猪野は元気いっぱいであったが素通り能力も多種多様な能力も発動していない。要は“タダの人”でしかなかった。
「何がまずいんや? <鎧袖一触>とか能力は何時獲得したんや?」
若井のこの発言は愚痴でしかない。
そんな検討は何度も行われてきた。
結論は――不明。
田島が気付いたときにはすでに巻き込まれていたのだ。始まりが何時であるか等という疑問は、それこそタイムマシンでも無ければわかろうはずもない。
(時間操作能力者は……誰か巻き込まれてるのかな?)
逃避したいという欲望があるのか、願の思考は脇道にそれがちだ。
「いずれにしても……」
自らの思考を修正するように、願が空中に言葉を放り投げるようにして若井の疑問に答えた。
「まだ詰んだわけではありません」
「……そやな」
結局、すでに走り出してしまった事態は止められないという世の真理を改めて思い知るばかりである。
プロデューサーの強権を発動して、今から強引にストーリー変更を持ち出すにしても――
――どう変えればいいのか見当もつかないのである。
男二人で、深夜放送を観るにあたって必要なもの。
飲み物――お互いに日常的にアルコールを摂取する習慣がないのでお茶とソフト飲料。
めっきり値段が高くなったポテチ系は回避して、コンビニで売っている低価格帯のスナックを二袋ばかり。
そして、忘れてはいけないのはお湯を注いだカップ麺。
「それ、旨いか?」
猪野の前にあるのは、ガチ盛りシリーズと銘打たれている麻呂ちゃん製麺のカップ麺だ。
“野菜ましまし塩トンコツ味”と容器に派手に書かれている。
思わず尋ねてしまったのは、猪野のワクワク感が端から見ている願にも伝わってきたからだ。
「うん。何より、このシリーズは麺の食感が良い」
かなり素直に猪野が答える。
尋ねた願の前には、定番の天ぷら蕎麦のカップ麺があった。
改めて確認するまでもなく、ここは猪野の部屋である。ルキングというレギュラーキャラクターを演じている今でも、その生活習慣にさほど変化はない。
アルバイトも続けているし、夜の戦闘トレーニングも続けている。レッスンだけは藤原のトレーニングがあるので、しばらく休んでいるが辞めるつもりもないようだ。
今は猪野の夜のトレーニングが終わって、そこに願が尋ねてきたという構図である。
「お前、大分潤ってるはずだろ。もう少し良いもの食べろよ」
「その潤いがいつまで続くか知れた物か。そちらの企みが上手く入っていないのは自明の理。その中で、戦う覚悟を維持したいのなら倹約は当然必要になる」
「……実はお前にオーディションを受けて欲しいという話が来ていてな」
今日、願が改めて尋ねてきた理由はそこにある。
実際「カニバリゼーション」の評価は高い。もちろん、その評価の中にルキングを演じる猪野の評価も含まれている。それに加えて、二つの連動ラジオで頻繁に名前が出てくるわけで興味覚える者も多い。
今までは中二病の重篤患者として名が売れていたわけだが、その実力も突出しているとなれば色々と使い勝手も見えてくる――主に宣伝材料として。
だが猪野は素っ気なく、
「ああ、断っておいてくれ」
と、即座にそれを断ってきた。完全に願をマネージャー扱いであるが、窓口になってしまっている以上それは仕方がない。だがそれ以上に、そのあまりの素っ気なさに願も思わず追いすがってしまう。
「しかしだな……」
「貴様、もう諦めたのか? 俺が無事“巻き込まれた”場合、その対応が優先される契約だっただろ? 俺は自分から違えるつもりはないぞ。仮初めの世界でのこととはいえ契約は契約だ」
願は黙り込んでしまった。
確かに、他に仕事が入っていて猪野が事態に対処できないとなれば、それは本末転倒である。
「カニバリゼーション」は金になるコンテンツになりつつあるので、ルキング役は継続するとしても、レギュラーとしては他にあと一本ぐらい、というぐらいで声優としての仕事は抑えて貰いたいというのがプロジェクト側の本音である。
もちろん、それでも生活できるだけの金銭的保証は為されるわけだが声優としては半ば死に体と言えなくもない。
「いや、諦めてはいない」
正確に言うと、諦めても他に打つ手もないので、諦めないことにしているというどん詰まり状態なだけなのであるが。
「お、始まるな」
幸いにも猪野の部屋にもテレビはあった。
据え置き型としてはかなり小さいサイズであるが視聴には問題がない。
第9話はアバンは無く、いきなり「イーブンオッドの歯車」の前奏から始まる。
それに合わせて二人は、カップ麺の蓋をめくった。
「この曲、実に魂に染みる」
「へぇ」
考えてみると、猪野とこうして本放送を観るというのは初めての状況だったような気がする。
旨いらしい麺を啜りながらでは説得力も何もあったものではないが、確かに気に入ってはいるようだ。
「なら安心しろ。細川さんも凄く気に入っているので、OPはそのままだそうだ」
「……ああ、そうか。変わることの方が多いんだったな」
実際、村瀬は次なるアーティストを送り込もうとしていたのだが、細川が断固拒否して、監督の犬であるところの若井が突っぱねた。
「イーブンオッドの歯車」はファンの間でも好評で、変わらないで欲しいとの声も挙がっているから、ある意味ではファンの声を大事にした結果のように見えるだろう。
――このように本来なら、皆で祝杯を挙げたくなるほどに「カニバリゼーション」は成功しているのだが。
「今日は修行回か」
「ああ」
モニターの中では、エルゲンがコンテアに徹底的に打ちのめされているところだった。
コンテアは学院でも最強の戦闘能力を誇っておりシェラフランの師匠でもある。
今まで、ひょうげた気の良い先輩であったコンテアが本気でエルゲンをしごきにかかっているところが、この回の見せ場といっても過言ではないだろう。
荒野側は、レンボルの蠢動が始まっていて後半の展開への仕掛けを開始している。
シェラフランが死亡した直後の7話は復讐の念に囚われたエルゲンを抑えながらも、今まで能力がはっきりと開示されていなかったキケオの高速移動。
そして学院の、ひいては文明側の守りの要となるホートリンの重力制御までもが開示され、ルキングが一時撤退する。
8話ではエルゲンがそのルキングを追い立てるが、逆に窮地に陥る。そこにケルテルメの提案で一時的に手を組んだ荒野側の能力者、リアーツ、ニヴと協力することで窮地を脱し、コンテアに救出されるまでの顛末。
……という流れが描かれてからの、この9話である。
じつは8話は、エルゲンに主人公性を獲得させる大きな転機となった回なのであるが、9話では僅かにその萌芽を見せるだけだ。
普通に観ている分にはなかなか気付かない兆しであるが、先を知るものが観れば、割とわかりやすくもある。
「……ここから先のエルゲンの行動。戦士としては甘い」
「しかし、無理を通すのが主人公の主人公である所以じゃないか?」
二人の話は自然とそこから先の展開へと話が進んだ。
「俺の世界にもいた。戦乱は終わらせられると信じて、僅かな手勢で夢を追い求めたものが」
「お前……そういう話をするなら、せめて食い終わってにしろよ」
ずるずると麺を啜りながらでは、せっかくの中二病も台無しである。
しかし、そういった点を気にしないからこそ猪野は本物――
(――本気でおかしくなりかけてるな)
未だにふやけぬかき揚げにかじりついて、願は自分の思考をリセットする。
「それで、その夢を追い求めた――」
「テラハムキだ。元は農家の出身で、神の啓示を聞いたと主張していた。確かに戦術的な指揮能力は高かったが、そこまでの男だった」
どこかで聞いたような話である。
性別を逆転できないだろうか。いや逆転させるとまずいのか?
「一時期、戦場をかき回すだけかき回して、さらなる死者を呼び結局は物量の前に崩れ落ちた。理想が戦乱を呼び、結局は自らも滅び去った」
結末は違うらしい。
「……エルゲンもそうなるべきだと?」
「俺はそこまで傲慢になる気はない。同じ理想を持ったものが同じ運命をたどるかどうかなど、神ならぬ人の身でわかるはずもない」
「ましてや、そもそも人が違うか」
両者とも架空の――架空であるのだろう――人物でこういった議論をするのも馬鹿らしいような気がしたが、不思議と嫌な気はしない。
「しかし、ルキングはその理想に共感するんだぞ。そこは大丈夫なのか?」
「おかしな事を言う。共感するのはルキングだ。俺じゃない」
「それは! ……そうかもしれないが」
確かに中の人の感情がそのままキャラクターに反映されるわけではない。
しかし、ここまで感情が乖離して良いものなのだろうか。
そこでお互いに言葉を無くしズズッとスープを啜る。
モニターの中では、コンテアに打ちのめされたエルゲンの瞳がアップで映されていた。
それは復讐という過去に囚われた瞳ではなく、進むべき未来を見いだした光を湛えていた――などと思うのも、先の展開を知っているからこその印象だろう。
本来の視聴者はどう感じるのか。
「うむ、田島さんは凄い」
「え? ここは演出とか作画を……」
「それも凄いが、いきなりこういう表情を浮かべても戸惑うところだ。そこまでの演技に説得力があるから、このシーンが唐突なものにならない」
「何だか説得力があるな」
「事実には必ず説得力がある」
「しかし、シーンの説得力を作り出すのは声優の演技ばかりじゃないだろ」
その抵抗に猪野は目を細めた。
「お前――なかなかマシじゃないか。上の人間にしては」
自称・下の人間から果てしなく上から物を言われるというこの矛盾。
「お前が、そちらの仕事を尊重したい気持ちもわかるがな。俺は俺で田島さんに引っ張られてるんだ。その技量を無視するわけにもいかない」
「田島さんに?」
「ああ、ルキング同様にな。その点では良い相乗効果を見込めるんじゃないかと藤原隊長も仰っておられる」
確かに今後の話の展開は、まさにエルゲンがルキングを引っ張っていくような形になる。
「キャストは、気力充分。多少問題はあるが、それが仕事に影響及ぼすことはないだろう。あいつはそういった類の、共に穂先を並べるに問題がある性質ではないようだ」
善常のことだろう。
確かにあれ以降、藤原から何かを言われたこともない。
泊は何か言われているかも知れないが、少なくとも猪野は猪野で声優として求められている以上の仕事はしているらしい。
モニター内では、ついにエルゲンが予知の能力を有効に活用してコンテアの背後を取ったところだ。
残像のような効果を映像処理で加えつつ、ついにはその残像に追いつくというような、ある意味王道の演出でエルゲンの成長をわかりやすく描いている。
ここで、妙な謎かけをする必要はない。
この回で仕掛けが行われているとしたらレンボルの動向ぐらいなもので、それも修行の一定の効果を見出せた達成感で、多くの視聴者からそれは上手く覆い隠せているだろう。
そしてほとんど最終回のようなノリで、9話は終わり、公式MADと呼ばれるエンディングが流れ始めた。この回の当番はナリュート。
未だ出番はさほど多くはない。
ファンの間ではこの順番に意味を見出そうとしている者もいるらしいが、実はかなり適当だ。
さすがにこのエンディングは1クール終わりに、新しい曲がやってくることにもなっている。
「……良い作品だと思う」
ポツリと猪野が呟いた。
「僕もそう思うよ。多分、ただのアニメファンであったとしても毎週楽しみにしていたと思う」
「…………観てないのか?」
本来、観せるべき――観て欲しい存在である“目標”。
プロファイリングに因れば、
「関東地方在住で、おおよそ話題の作品は好き嫌いせずにアニメを観る」
という“何か”。
そのプロファイリングがそもそも間違っていたのか。
あるいは――
「観ていても好きじゃない」
「好きでもないものを観るか?」
「そういう人種もいる。あるいはこの“事態”が何かの批判の現れである可能性もある」
「――本気なのか?」
「いや、気休めだ」
「…………」
珍しく猪野を黙らせることが出来たが、何も嬉しくはない。
この時、二人の脳内に閃いていた言葉は“嘘から出た実”
それに比べれば、早々に答えを見いだしたエルゲンの物語はやはりどこか作り物めいていたのかも知れない。
投稿間隔が空いてしまいました。
なんか、序盤が愚痴大会になってしまったので、色々模索して出来るだけオブラートに包む努力を。
まぁ、上手くいっているのかわかりませんが。




