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放映開始直前編

24.


「はじまりました、アニメ『カニバリゼーション』との連動ラジオ・学院側パーソナリティ栃木尚です」

「同じくパーソナリティ、マジックアルファの新人声優、善常佳奈です」

「あれ、事務所とか新人とか言っちゃうんだ」

「少し研究してきました」

「研究? 何を?」

「色々、先輩方のラジオを聞いてきたんですが私ぐらいの芸歴だと、こう自己紹介している確率が高かったので、それに従ってみました」

「そ、そう? じゃあ俺も言っておこうかな。ナインエンタープライズの……なんだろう?」

「新人の私がお答えするのもおこがましいと思いますが、栃木さんは中堅なんじゃないでしょうか?」

「うん――もう、それぐらいは言っても良い芸歴だよね」

「確率的に大丈夫だと思います」

「うん、じゃあナインエンタープライズの中堅声優、栃木尚です」

「栃木さん。洞口さんから進行の合図が出てますよ」

「はいはい。え~っと、このラジオは放映予定のアニメ『カニバリゼーション』を応援する予定のラジオですね。響泉でも同じ企画のラジオ始まってます。そちらのパーソナリティは加納善人さんと島中亜紀さんです」

「栃木さん、台本を頂いたときから疑問だったんですけど……」

「何? そういうことは打ち合わせの時に言って欲しいかな」

「他番組の紹介ってして良い物なんですか?」

「それは……大丈夫だと思うよ。この番組も向こうもネット配信だから。リスナーが好きなときに聞いて貰えるわけだから、片方聞いたからって片方が聞けなくなるって事はないし」

「そうか……そうですね。仰るとおりだと思います。ご指導ありがとうございました」

「…………」

「どうかされましたか?」

「……いや、普通ならここでオープニングテーマが流れて改めて自己紹介となるんだけど、何しろかなり無茶を押し通して準備期間ほぼ無しで始まったラジオなので、とりあえず俺達が『カニバリゼーション』にどう関わっているのかを説明しておこう。俺はキケオ・リムラン役。で、善常さんが……」

「はい。ホートリン・テア役ですね」

「で、この二人がどんな役かと言いますと……この企画本当にやるの? やる。そう……」

「栃木さん。この企画に何か問題があるんですか?」

「うんまぁ、実際に発表したら聞いている人もびっくりすると思うよ。じゃあ善常さん、発表をお願い」

「はい『キケオとホートリンは、どういう間柄でしょう?』」

「まぁ、一部情報が出ているから知っている人は知っていると思うけど、俺達が演じている役は両方とも主役じゃないよね」

「はい主役は、田島さんですね」

「そう。で、このアニメは大雑把に言うと学院側というか、ある程度文明化されている側と、荒野側という二つの陣営があって、この二つの勢力争いがメイン……かな?」

「そうですね。頂いている台本だとそんな感じですね」

「うん。それで加納くん達がやってるラジオが、その荒野側のラジオということで、僕たちは学院側」

「はい」

「で、今のところ名前だけしか発表されてないはずだから、パーソナリティの二人が演じるキャラクターはどういう関係でしょう、という――前代未聞の企画だね。後は絶対続かないと思うけど」

「でも、これってすぐにでも答えが判明するんじゃないんですか?」

「うん、そうだね。だから来週か再来週までしか成立しない――」

「これって二本録りだから再来週ということに……」

「どうして言っちゃうの! 善常さん、初めてのラジオでしょ? なんでそこに躊躇がないの!?」

「研究の結果、そこを詳らかにしているラジオの方が多いと判断しました。二週に渡って同じ服着た写真をアップされてるわけですから、そもそも隠す意志はない確率の方が高いと思います」

「う……いやまぁ、そうなんだけど」

「それでこの企画なんですが、何か賞品は出ないんですか?」

「賞品?」

「基本的にクイズ形式でリスナーの方々から答えを募る企画ですよね。正解者には賞品、という確率が高いと思います」

「それはまぁ、ねぇ。だけどこれって多分、大喜利になると思うんだよね」

「大喜利?」

「だから正解を目指すんじゃなくて、どれだけ意表を突いた回答が出来るかという企画になると思う」

「なるほど。そういう考え方があるんですね。勉強になります」

「…………」

「何か?」

「ちょ、ちょっと善常さんが――何? プロデューサーが賞品出しても良いって? っていうか賞金? それはちょっと……」

「研究では、こういう場合何かしらのプリペイドカードをお送りすることが多いようでした」

「ん……それでOK? 何かもう、わかっちゃいたけど随分とグダグダなラジオだなぁ」

「これは大変なことになりましたね栃木さん」

「な、何が?」

「正解者が多数出る確率がかなり高いです。何しろ学院という単語はもうでているわけですから、社会的な地位で考えれば先輩後輩の入れ違いか同学年のという三択になります。それでお互いに男女のキャラクターを演じることはわかっているわけですから、関係性として恋人とまでは行かないものの親密。中道の友達。いがみ合っている険悪の三通りとして3×3で9通りに大体の回答は収束します。例えば申し込みが100名としても確率的には10名ほど正解者が出てしまいますよね」

「ちょ、ちょ、ちょ~っと待って。何か色々と突っ込みが追いつかない」

「え……突っ込み?」

「ち、ち、違うから! そういう意味ではなくて芸人用語としての“突っ込み”!」

「失礼ですけど、栃木さんは声優ですよね。どうしてわざわざ芸人用語を使用なさるんですか?」

「痛い! 心が痛い! ナインエンタープライズを代表して心が痛い!!」

「今度は詩人ですか?」

「何なの? 善常さん何なの?」

「はい。マジックアルファ所属の――」

「それはもう良いから! わかったぞ! ホッさんがやけに楽しそうだったわけが!」

「何か不都合がありましたか?」

「善常さん! ほっさんに何か言われた? いや、言われたでしょ?」

「ええ……えっと――いいんですか? ええ『出来るだけ栃木さんを困らせるように』と」

「やっぱりか!」

「私にそんなことが出来るのか、まったく自信がありませんでしたが洞口さん、村瀬さん、岸さんとその点については『大丈夫』と太鼓判を押されるものですから――何か不当な評価を受けているような気もするんですが」

「大丈夫、それは不当じゃないから」

「そうですか?」

「それよりも何なんだ、このラジオ! 俺を追い込むだけに始まったのか!?」

「違いますよ栃木さん。このラジオは『カニバリゼーション』の連動ラジオで……」

「わかってるから! 冷静に指摘しないで!!」

「栃木さん、進行の合図が出てますよ」

「ああ、もう! 善常さん、進めておいて!」

「しかし、打ち合わせでは……」

「ラジオは臨機応変!」

「はい。勉強になります」

「くそう! 何て素直な後輩なんだ!」


 これが第一回目の配信――その冒頭である。

 一方の響泉で配信された荒野側では、島中が得意技の企画潰しで大暴れして、加納が何とか島中の制御に成功したが、それまでの被害は甚大、という負けず劣らずの内容だった。

 もっとも最初から壊すほどの中身がなかったとも言えるが、とにかく破天荒な進行にかなりの再生数とリスナーを獲得できた。

 学院側は「リムラン商会・窓口ラジオ」と名称を改め、相変わらず栃木が追い込まれ続ける展開となった。栃木もどこかでネジが何本か飛んだらしく善常を、

「ヨシツネ」

 と呼び捨てにして、敬語のまま押し寄せてくる善常に対抗しようと試みているがあまり上手くいっているとは言い難い状況だ。ただ、ヨシツネの愛称だけは“ゼンジョウ”よりは発音しやすいということで、普及することとなった。

 荒野側は「生存競争ラジオ」

 島中の容赦ないdisから、放送作家の企画がどれだけ生き残れるかという“荒野”と呼ぶに相応しい混沌カオス振りで、もちろん加納の胃もただでは済まない。

 だが、それだけ身を削っただけの成果はあったようで、本編の情報がほぼ出ていない状況であるのに、確実に「カニバリゼーション」の知名度だけは上昇していた。

 しかし何もかもが上手くいっているわけでもない。

 大きな問題としては、放送局の確保がかなり手間になっていることだ。

 若井は当初、

「何やこんなもん、日中やろうが深夜やろうが中身変わらんやないか。まぁ、念のため日中の枠で考えてみるか」

 等と気楽なことを言っていたが、そうそう上手く行くものではない。

 日中での視聴率稼ぎはテレビ局にとっても死活問題なのだ。いくら大金を積まれてもすんなりと枠を空け渡しはしない。それでも応じてくれたテレビ局は系列局以外での放送を頑なに拒んできた。

 これも当然といえば当然の反応だ。

 そこで、どうせ違いがないのなら深夜枠、ということでこちらの可能性を追求していくとこちらも一筋縄ではいかない。

 若井は仕事を早く進めるために在京のテレビ局、そしてネット網を広げている局を選んだのだが、

「なんやあいつら! 大阪と東京でなんでこんないがみあっとんねん!!」

 という事情が判明する始末。

 事態の発生状況から考えて“目標”は東京、あるいは関東ローカルの放映範囲内に存在している可能性は高い、と推測されている。

 しかし推測は推測であるし、ここで要らぬギャンブルをしなければならない理由もない。

 三大都市圏は言うに及ばず、ほぼ地上波でカバーできるようにU局の深夜枠を買い漁る日々が続いた。理想としてはせめて一週間の間に全国で放映開始、というところにまでハードルが下がってきている。

 もう一つの問題を発生させてしまったのは――やはり細川と言うべきなのだろう。

 願とは違って、未だ自社への帰属意識をたっぷり抱えている村瀬が「カニバリゼーション」のオープニングに、所属アーティストを推薦してきたのだ。

 とは言っても、80年代の「オープニングはアニメ本編とはまったく関係ありません」という露骨なねじ込み方式ではなく、ある程度は本編の意に沿っている――に見えなくもない、ぐらいのところ目指すのが昨今の流行りである。

 村瀬も企画書をハイキングシープに持ち帰り、検討を重ねた結果シンガーソングライター七尾遥香に白羽の矢が当たった。

 数々のアニメに楽曲を提供していて、実績も信頼性もあるアーティストだ。

 七尾も、その依頼を快諾――どころでは済まなかった。「カニバリゼーション」の内容自体に強い興味を覚えたらしく、細川はもちろん富山、未生とも直接会ってさらに突っ込んだ話を聞くと、ほんの数日で「イーブンオッドの歯車」という曲を作り上げてしまった。

 七尾節全開、とも言えるその楽曲を聞いた願などは、

「スマイル動画のタグが“先生、なにやってんすか”になるかもな」

 などと言って苦笑を浮かべたほどである。

 楽曲自体の出来は元より「カニバリゼーション」の内容自体が、最初の方はただの学園コメディでしかないのだ。もったいない――は言い過ぎかもしれないが、雰囲気にそぐわない様に見えることも苦笑の理由だろう。

 ここまでなら話が上手く転がった好例、とも言える。

 だが、細川が「イーブンオッドの歯車」に感激……しすぎてしまった。

 また演出家としての本能が目覚めたのか、この曲を足がかりにすれば物語の道標として視聴者を導けるだけでなく、巧妙に伏線を張ることも出来る。

 結果として、当たり前に無理が生じていた作画スケジュールに更なる無理を強いることとなった。

 ある程度のスケジュールは金で買える。人手を増やせば良いことだからだ。

 しかし、本当の意味で金で時間は買えない。

 それに加えて、なまじ資金かねが無いという言い訳が使えない分、逃げ道が断たれた状況とも言える。

 結果として、ほとんど現行物理学に挑戦しているような勢いで集められた作画スタッフは魂をすり減らすこととなった。

 だが、それもまた、アニメ制作の現場においては当たり前の情景。

 そう。

 このプロジェクトが大好きな当たり前である。

 では、自分が担当しているこの問題も当たり前なのかな?

 という、どこか逃避じみた考えが願の脳裏にこびりついていた。

 スレタイを考えるなら、

『担当の声優が重度の中二病で、雰囲気が火薬庫です』

 ぐらいになるだろうか。

 そして事情は違えど、この問題は願一人の問題でもない。

 今のところは問題が顕在化していない、と逃げの一手を打つことも出来たが、わかりやすい地雷を撤去しようとしないのは、それはそれで知恵の敗北でもある。

 音響監督の藤原の一声で、問題解決のための関係者が集められることとなった。


 新宿はアコバスタジオ。

 「カニバリゼーション」のアフレコが始まる前から、金に物を言わせて一部を独占してしまっているわけだが、そのラウンジの一角に相変わらず髭面の藤原が笑顔で座っていた。

 「カニバリゼーション」のアフレコは現状で6話まで進んでいる。

 この6話はターニングポイントだ。

 事務的に言うと、

「シェラフランが退場して、ルキングが登場する」

 叙情的に言うと、

「シェラフランがルキングに殺される」

 ということが起こる。

 この回を境に学園コメディから、学園スポ根……のような物に変化する契機でもあるし、なにより猪野がアフレコに本格的に加わることとなる。

 その6話を録り終えての藤原の呼び出し。

 呼び出されたのは、猪野ではない。

 担当マネージャー――不本意ながらそういう立場の――願。

 そしてマジックアルファからは泊。少し前に、晴れて善常の担当マネージャーを仰せつかっていた。

「……文句と言うほどのことでもないんだけれど」

 藤原が静かに語り始める。

「そちらの担当声優の仲に深刻な問題がある」

 それはそのものずばりの文句ではないのか? という反射的な突っ込みはとりあえず飲み込んでおく。

「もちろん、みんな大人なんだから仲が良かろうが悪かろうが仕事をしてくれれば文句はないのだけれど」

「猪野がマズイですか?」

 猪野が本格的に参加した直後の呼び出しであるから、願もそこは先回りして尋ねてみる。

「いや……アフレコというか猪野君の演技については今のところダメ出しする必要はないよ。と言うか演技について文句があるのなら、現場で本人に言うよ」

 そこだけを聞くなら、もっともな話だ。

 だが、願の心配はそもそも猪野の演技力にあるのではない。

 中二病だ。

 だが、そうであったとしても猪野の行動全般について改めさせろと言われても急には無理な話である。しばらくは大人しく話を聞く必要がありそうだ。

「それで、善常さんね」

「は、はい」

 泊がうわずった声で応じる。緊張しているのだろうか。

「彼女は、厳しいことを言えば声質が細川監督の理想に近かったから採用されたわけであって、技術的にはまだまだ、と僕は思っている。それは新人だから仕方がない、と諦めたら僕の仕事は終わりだからそれは努力もするけれど、そちらでも出来ることはして欲しい、というのが今日来て貰った理由」

「現場で何かトラブルが?」

 そこは流石に本家声優事務所のマネージャーである。

 このやりとりから、願は現場で何か不都合が起きて、ただでさえ安定性の欠く新人声優の演技に影響が出ることを、音響監督である藤原が危惧したため、とまで推測した。

 しかし、そうすると猪野はどう絡んでくるのだろう?

「普通ならトラブルにもならないようなことなんだろうけど。一口に声優といっても、色んな人もいるから彼女の態度がそれほど変わっているというわけでもない」

「はぁ……」

 泊もその説明では、何とも返事のしようがないだろう。

「ただ、彼女ほら。猪野君とだけ極端に仲が悪いでしょ」

「…………」

 実はそうなのだ。

 猪野は元々、藤原からの指導を受けていた。そこに加わったのが善常である。

 願と泊もこの段階で改めての挨拶を済ませているわけだが、休憩のためのラウンジで早々に二人の抗争は勃発した。

 方や、自分が特別な存在であると信じて疑わない“中二病”。

 方や、確率の多い選択肢を選択する、謂わば付和雷同な生き方を選ぶ冷めた人生観。

 これで相性が良かったら、それはもう奇跡と呼んでも差し支えないだろう。

 だが、この場合そもそもの原因は、やはり猪野にあると言わざるを得ない。

 猪野が会って早々、いつもの調子で「設定」を語り始めたのだから。

 これに対して、最善の対応という物は果たしてあるのか?

 議論の分かれるところではあるだろうが、善常の取った対応は確定的に最悪だった。

 真っ向から受けて立ったのである。

「あなたが主張するその世界は高確率で存在しません」

「あなたの話は高確率で、多くの人が妄想と判断するでしょう」

「もはや確率を持ち出すまでもなく、あなたはただの奇人です」

 そして恐らく不幸な事実として数えても良いのだろうが、この二人は同期だった。

 業界の慣例上この二人に上下関係は生じない、ということになる。

 結果として、しばらくの間、二人は顔を会わせる度に言い争いを繰り広げることになる。

「自分自身の可能性を信じずして、何のための人生か!」

「私は自分の人生の可能性を追求しているだけです」

 このやりとりの何がマズイかというと――猪野がおかしいのは前提として――善常の踏み込みが甘いと言うことだ。

 かつて願がやったように、とことんまで押しきれば猪野は引くのであるが、善常は文句を言うだけで決して距離は詰めてこない。

 猪野が押せば押しただけ引いて、距離を保ったままで基本的に関わりを避けるのだ。

 願も、そして泊も、それでトラブルが起きないのなら、もうそれで済ませてしまおうと考えていたのだが――

「……まぁ、悪い芽、と僕は思ってる」

「悪い芽」

 泊がオウム返しに繰り返してしまう。

「現場では稲葉さんが上手い具合にまとめてくださってる。猪野君はあれで可愛がられているから、まぁ、何だかんだで上手くやるかもしれない。というか、上手くやれなくても演技にブレが出る性格とは思えない」

「……同意します」

 褒められてはいない、と気を引き締めながら願がうなずく。

「が、善常さんはわからない」

「わ、わかりませんか?」

「後半でスタジオの雰囲気が悪くなったときに、今でもギリギリの技量が保つのかどうか――あの二人は最後まで出るからね。もちろん、僕の杞憂であればいいと思うし、これはお節介なのかもしれない。演じている内に上手くなっていく確率の方が高い――これだとまるで善常さんだな」

「が、悪い芽になる可能性は、僅かでも摘んでおきたい、と」

 いまいち、猪野の役割がわからないままに願が確認してみると藤原はうなずいた。

「うん。今なら回避できるし、出来ればそれで仕事を増やしたくない。最終回付近はただでさえしわ寄せが激しいからね。何度もリテイク出すのは勘弁願いたい」

「そうなると、我々が出来ることは何でしょう?」

 泊が核心に踏み込んだ。

 願もそこを確認したかったことでもある。

「ディレクションなら、こっちの仕事だ。だけど仕事に臨む姿勢、ということならマネージャーの職務の範疇だと思うんだ」

「善常に……問題がありましたか?」

「いや、これはあくまで予防線の話。彼女のように人間関係に一線を引いていても、こちらの要求以上の仕事をこなす声優ひとはたくさんいる。だけど、彼女はあくまで新人だからね――まぁ、過保護だとは思うけど」

「つまり……他のキャストともっと関われと?」

「まぁ、未成年だから飲み会とかは無理だけど、もうちょっとそうした方が良いね。彼女、現状でもちろん敵はいないけど、味方もいない、みたいな状態だから」

「そう――ですか」

 泊も返答にしようがないだろう。

「稲葉さんとか、もちろん他にも気を遣ってくれてる人、たくさんいるけど、どうも彼女は距離を置きすぎてるね。いや、当人にはそういう自覚はないのかもしれないけど」

「そこを指導しろ、と?」

「まぁ、そこまで大仰なことは言わないけど、もう少しやりやすい方法を教えてあげても良いと思う。そちらの事務所で、対応できないかと思って」

「努力……してみます」

「すると猪野は?」

 未だに呼ばれた理由がわからない願は、思わず身を乗り出していた。

 最初に、徹底的に猪野の特性を説明していたので、今のところ苦情も来ていない。

 願自身も積極的にアフレコに足を運んで猪野を監督していることも大きいだろう。

「猪野君には……まぁ、これは僕の勝手な期待なんだけど、善常さんの壁を取り払って貰いたい」

「いや、彼女の壁がそもそも頑丈になったのは、猪野やつとの言い争いが元なんじゃ……」

「でも、言い争いにはなってる。先輩相手だと礼儀正しく接しても、それはそれで美徳になる。でも同期だと、それは要求されない。それこそ確率的に。何より猪野君と善常さんはもしかしたら、このアニメのラストの台詞を負かされる可能性もあるんだから、その付き合いの長さを考えると……」

「要約すると、同期であることが猪野の利点ですね。で、猪野の欠点(中二病)で善常さんに踏み込め、と」

「そう。だから仕事とは関係ないとも言える。言えるがしかし、それで割り切れるほど無関係でもない」

 願はそこで改めて考える。

「……猪野に善常さんを口説け、と」

「それは困りますよ!」

 泊が、間髪入れずに口を挟んできたのを職業意識の高さと見るべきか。

 だが、そんな泊の反応を願は冷ややかな笑みで迎撃した。

「猪野に、男女交際なんて端から無理な話ですよ」

「なんなんですか、その自信は……」

「まぁ、可能性があるとしたらよほどの奇矯な趣味を持った年上の女性ひとでしょう。善常さんには最初から無理な話です。そうとなれば、とりあえず交流の足がかりに猪野を利用するだけ利用して、あと打ち捨てれば済む話です」

 猪野を人とも思わぬ、そんな願の切り返しに泊は呆気にとられた表情を浮かべた。

「担当……マネージャーなんですよね?」

「――のようなものです」

「岸君の言うことは極端だけど、同期なんだから助けてやっても良いと思う。しかも実際に善常さんに揺さぶりを掛けられそうなのは猪野君しかいないという問題もあるしね」

「それがひいては、作品のクオリティを上げることになる、と?」

「と言うか、放置すると下がる可能性が減る、かな」

 そう返されては、APでもある――というかAPでありたい願の否も応もない。

「わかりました……と言っても、具体的に何をすればいいのかわかりませんが」

「普通に言い争いを再開してくれればいいよ。今度は人のいるところでね。今の猪野君は善常さんを避けてるからね」

「…………」

 確かに、猪野はアフレコが始まる前に善常と接触しようとはしなくなった。

 その猪野のストレスを、一身に受けてきたのが願であるから間違いない。

「もっとも、善常さんがもうちょっと社交的になってくれれば、それも必要ないのかもしれないけど」

「わ、わかりました。善常と話をしてみます」

「うん、よろしくお願いします」

 それで一応、この場はお開きとなった。


 男同士が腹を割って話す、となればやはり飲むべきなのか。

 しかし自分と猪野との間で、それが有効な手段だとも思えなかった。

 第二次打ち入りで、確実の酒の席での余興としての地位を盤石なものとした猪野ではあるが、結局の所それで、あのキャラが崩れたりはしなかった。

 猪野は猪野でしかない。

 そして、猪野は……

(恐らくアルコールを口にしない)

 それがキャラ付けのためなのか、他にトラウマがあるからなのかはわからないが、そもそも願としても友誼を深めたいわけでもない。

 そうなると、定番のコースに多少スパイスを効かせるぐらいが良いような気がする。

「お前、引っ越しても良いんじゃないか?」

「何を言うか。平時にこそ有事に備えを。そもそも、お前達の作戦が成功したわけではないだろ」

「そうかもしれんがお前この先、こっちのプロジェクトだけで生活していくつもりでもないだろ?」

 もっとも、プロジェクトが成功して猪野が迎撃要員として活動できるなら、恐らくはそれだけで生活できるぐらいの報酬は支払われるはずだ。

 そうなると、こんなおんぼろアパートに住み続ける必要性はないはずなのだが、すでに猪野と言えば、この部屋のイメージがある。引っ越したと聞けば、それはそれで残念に思うかもしれない。

 つまり、結局猪野と話をするとなると、猪野の部屋(ここ)が一番と言うことになる。

 相変わらず、狭っ苦しい上にごちゃごちゃとした部屋だ。猪野は定番のベッドの上で、願は床に直に座っている。

「じゃあ、せめて良い物を食べろよ。身体は資本だろ」

「それは言われるまでもない。今日はちゃんと前線基地で補給物資を全て味わってきた」

 その説明に眉根を寄せる願。

 前線基地はバイト先――すると補給物資は……カレーにあとから乗せるトッピングの事か。どう考えても健康によろしくなさそうだ。

 その上、今猪野の手にはカップ焼きそばがある。

 訪れる前に連絡はしたはずなのだが。

「まぁ、良い。その焼きそばまだあるか? 僕も食べたい」

「そのラックにある」

 と、猪野が箸で指し示したのはシンクの横の安っぽいプラスチックのラックだ。

 場所を教えてくれたと言うことは、食べても良いと言うことだろう。

 願は使ったばかりのヤカンに水を入れて、もう一度コンロに掛ける。

「そもそもだ。俺の暮らしぶりなどを気に掛ける前にお前自身はどうなんだ? お前お見ていると仕事はこなしているようだが、熱意があるのかどうかよくわからん。この作戦が不首尾に終わった時の事は考えているのか? 貴様の姿は第七次セクマ・タクホ戦役で、無理矢理参戦させられた少数部族カスデナの戦士弾を見る思いだ。生来の真面目さからか、軍務には忠実でまったく手強い敵だったが……」

「敵なのかよ」

「当たり前だ。我が『聖悟洲連邦』は世界の秩序維持の為に戦っているのだ。味方よりもむしろ敵が多いぐらいの物だ。早く、早く帰還を果たさねば、また多くの同胞達が死んでいく……」

 そこでおもむろに瞑目する猪野。

 そして、その手にはカップ焼きそば。

 そんな自分の姿が気にならないと言うことは、ある程度は、中二病も治ってきているらしい。

 一瞬、自分の胸襟を開いて懐柔する流れになるのかとも思ったが、相変わらず猪野は勝手にレールを外れていく。

「……とりあえず、お前が今いるところで全力を尽くすことに今も否はないわけだな」

 猪野に付き合っていると、どうも言葉遣いが物々しくなる。

 それを自覚しながらも、これは一種の歩み寄りだと自分に言いきかせる。

「今度はなんの悪巧みだ」

「僕や若井さんの行動を、全部悪側に割り振るのは辞めろ」

 どうも監督は共に戦う同志で、プロデューサー職は現場せんじょうに要らぬ口出しをしてくる官僚という変換が為されているらしい。

「それにこれは音響監督の藤原さんに頼まれたことでもある」

「なに? 師匠メンターにか」

 なんという恥ずかしいルビ振り――をしているように願には見えた。

「それは重要だな。一体何を頼まれたんだ? いや、何故直接俺に……」

 そこはもっともな疑問だと願も思ったが、説明するのはかなり面倒だ。

 つまり猪野言語において、適当な言葉がない。

 自分が求められているのは……多分、通訳。

「お前、戦場で共に戦う同志の為に労は惜しまないよな」

 さっそく翻訳を試みる。

「無論だ」

 あっさりと食いついてきた。それならそれで、そろそろ言葉の裏を読んでくれないものか。

「すでにお前とそいつとは同じ小隊に配属されている」

「いや、俺の世界の軍制度では小隊という単位は……」

「そこは何でも良いよ。とにかく、選ばれてお前と一緒に戦う仲間がいるわけだ」

「釈然としないが、了解した」

「その中でお前とそいつは、部隊内で一番立場が弱い。お前も元は歴戦の戦士なのかもしれないが、初陣は当然あったわけだろ」

「もちろんだ。俺の初陣はおよそ二百年前だな」

 ――突っ込んだら負けだ。

 願は奥歯を噛みしめる。

 しかし、ここまでトンデモ設定をまだ隠し持っていたか。

「実は最初は『聖悟洲連邦』相手の戦闘だったんだ。もっとも、その頃は連邦などとは名乗っていなかったがな。いや、むしろ俺が元々所属していたメイラック公国と和睦を結んだことが連邦発足の機会となったわけだ。そう考えると、なかなかに苦い初陣の記憶だったが、その苦労も報われるというものだ。天候は雨で、足場は最悪……」

「OKOK。とにかくこっちの世界でお前はそれを繰り返しつつあるわけだ。向こうでの経験をこちらで生かして貰いたい」

 とりあえず、いなしておく。

「む……しかし、戦場での経験がアフレコ現場で役立つだろうか?」

 一応、それぐらいの自動翻訳はしてくれるらしい。

「いや、これはもっとも基本的な問題だ。頼みたいのは人間関係についてだからな。お前の同輩を助けて貰いたい」

「同輩……あの女のことか」

 “あの女”扱い。

「僕は正直、アフレコ中の雰囲気とかキャスト陣の雰囲気はわからない。だけど藤原さんが、今の雰囲気は終盤に破綻する可能性があると危惧している。それは新……兵である善常さんが、今の状態では居場所を見つけることが出来ないから、と僕は理解した」

「む……」

 と、そこで猪野が黙り込むと言うことは、そういった雰囲気があることは感じ取っているのだろう。

「ここからは僕の理解だが、恐らく藤原さんはお前に善常さんに隙を作ってもらいたいんだよ。頑なな態度を示す新兵を、わざと怒らせて他の人が絡みやすくする……そのあたりの手法は経験豊かなお前に任せるが」

「……しかし、これは俺だけの問題でもない」

「もちろん、善常さんにも泊さんから話が行っている。泊さんはわかるな?」

 猪野解釈でマネージャーとはどういう立場になるのか疑問に思わないでもないないが、もちろん追求するのは辞めておく。

「端的に言うと、現場の将校が現状に不満を抱いていて、その改善を求めているんだ」

 何処が端的なのか、自分でも説明できない言葉の羅列で願は猪野への要求に一段落つけた。

 猪野は難しい顔を貼り付けたままだ。

 これはわからないでもない。

 何しろ具体的に何をすればいいのか、願も未だによくわからない。

 だが、何をしてはいけないかはわかる。

「お前今、善常さんと関わらないようにしてるだろ。とにかく今後一回ずつでもいいから話しかけてみろ。二人きりの時にやっても意味がないから、アフレコの休憩中あたりに」

「それでは……」

 猪野の顔が歪んだ。

 この男でも、言い淀むようなことがあるのか、と願は今度こそ好奇心を覚えた。

「何だよ」

「それではまるで俺が、あの女を口説いているようではないか。そんな屈辱、到底甘受できないぞ」

 そういうことに、思考が及ぶのか、と少し感心しつつ願は首を横に振った。

「善常さんにも話が行っていると言っただろ。恐らく、それっぽいリアクションがあるはずだ。それに藤原さんもフォローくれるだろ。間違ってもそういう方向にだけは行かないから、安心しろ」

「……信じて良いんだな?」

「いいぞ」

 猪野に恨まれても、どうと言うことはない願は即座に安請け合いする。

「わかったよ。師匠メンターの頼みなら、どちらにしろ引き受けない選択はないしな。要するに、あの女をもう少し……柔らかくすれば良いんだな」

「その、きっかけだ。お前が最後まで面倒を見る必要はない」

 一応、釘は刺しておく。

 無いとは思うが、これで色恋沙汰にまで雪崩れ込んだら目も当てられない。

「大体、そこまでの余裕は無いだろう」

 願はため息をつきながら、一言添えた。


「――放映まで、あと二週間だ。アフレコの方もいよいよ煮詰まってくるだろうしな」


 そこで水を入れすぎたヤカンが、ようやくのことで湯気を立ち上らせた。


やっとの事でここまで来ました。

もっと早く、ここに来る予定だったんですけどね。

あれやこれやと書いていたら、こうなりました。

次の回は、サブタイ通り、放映開始していると思います。

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