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人材発掘編

22.


 約束の時刻は午前十時。

 午前中のアフレコが始まる時間であり、声優にとってはなじみ深い時刻であるはずだ。

 待ち合わせは赤坂外堀通りのカフェ。

 待ち合わせ場所が、この場所になったのはマジックアルファの事務所が近くにある、という以上の理由ない。カフェとは言ってもチェーン店でもあるので、気後れすることもない。

 灰色スーツの願と、白スーツの村瀬が幾分か余裕を持ってカフェに到着すると待ち合わせの相手はすでにカフェで待っていた。当たり前の話だが、マネージャーと一緒に。

「初めまして。マジックアルファのマネージャー、泊と申します」

 まるで願と村瀬の機先を制するように、こちらは紺色のスーツ姿の女性が立ち上がって名刺を差し出してきた。ショートカットに縁なしの眼鏡。いかにも仕事できる系の出で立ちだ。

「岸です」

「村瀬です」

 とそれに答えながら、常識的に名刺交換を済ませる。

「この度は、ぶっしつけなお願いをお聞き届けいただいてありがとうございます」

 続けて願が深々と頭を下げた。

「はぁ……要点をかいつまむとラジオ出演にあたってのオーディションになるわけですか?」

「いえ、なんというか善常さんの技術力や資質を見たいわけではなく、あくまで“相性”の問題ですから……通常の意味でのオーディションではないような気がします」

 実際なんと言うべきなのかな? と自身が疑問に感じながらも願が否定すると泊も曖昧な表情を浮かべた。そこに村瀬がフォローするかのように割り込む。

「まぁまぁ、そこにこだわらなくても良いでしょう。さっきから善常さん身動き一つしてませんよ」

 カフェのテーブル席に鎮座ましましているフリル一杯のワンピースを着た女性がいた。

 ……というか、少女といった方がしっくり来る。

 すでにプロフィールは確認しているので、この女性が善常佳奈であることは疑いようもない。

 常識的に考えれば彼女は泊に続いて挨拶するべきなのだろうが……

「随分、緊張されているようですね」

「はい。何しろレギュラーでお仕事いただいたのは初めての子でして。そこにラジオですから」

 オーディションから、四日経過している。

 実は細川が一度白紙に戻しかけたのだが、藤原がそれを止めた。

「概ね、こういう事は一周回る物だ。最初の直感以上に正しさを確信することは出来ないよ。それにディレクションを放棄しちゃいけない」

 自分で指名した先達の意見である。

 それでも細川は抵抗をしたようだが、最後には覚悟を決めた。

 そして各事務所に伝達されたのが昨日。

 パーソナリティ候補にと考えられていた善常には追って宣伝プロデューサーである村瀬から連絡が飛び、今の状況が出来上がっている。

「善常さん、挨拶して」

「はい」

 かなり落ち着いた声音で返事が返ってきた。

 願と村瀬は声を聞くのは初めてだったが、なるほど魅力的な声質である。

「マジックアルファ所属、善常佳奈と申します」

 随分と物腰も柔らかだ。

 緊張――しているのだろうか?

 願は内心で首を捻る。何か予測される反応とは違うような気がする。それはつまり、相手に期待値ほどの常識がないということなのではないか?

 猪野に接してきた願は妙な嗅覚が働くようになっていた。

 しかし、だからといって自分から常識破りを行うことも出来ない。

 無難に挨拶を返しておく。

「初めまして。スタジオ蟷螂のAPの岸と申します。こちら『カニバリゼーション』の宣伝プロデューサーの村瀬さんです」

 紹介の手順としては村瀬から、の方が礼儀に適っていたかも知れないが事情が事情だ。

 それに、どうも善常はこちらにあまり関心がないようだった。

 願は自分のその感触に違和感を感じた。

 ……アニメ制作会社のAPと宣伝プロデューサー相手に関心がない?

 そんなことがあり得るのだろうか?

 願はその疑問を飲み込んで説明を続けた。

「すでにご承知のことと思いますが、我々は『カニバリゼーション』のラジオを計画していまして。広く可能性を模索しているわけなんですが善常さんにも、ご協力いただけないかと考えています」

「はい、伺っております」

「具体的な手順としては、私と善常さんで適当にお話しさせていただきます。その様子を見て村瀬さんが、他のパーソナリティ候補との相性はどうかを判断します。何しろ前例のないことですのでご不快に感じるかも知れませんが、それはご容赦ください」

 今度はうなずくだけで同意を示す善常。

 段々面倒くさくなっているのかも知れないが、これは半ば泊に説明しているような物であるから仕方がない。実際、泊の方が熱心に説明に耳を傾けていた。専属マネージャーではないようだが、仕事熱心な事で何よりである。

「では、掛けましょうか。我々も注文してきますので」

 それには女性陣二人が揃ってうなずいて、一端別行動となった。

 考えれば願は残って自然な会話の糸口などを掴んでおいた方が良いような気がするが、これも流れだ。代わりにこういう確認も出来る。

「村瀬さん、彼女どうですか?」

 横に並ぶ村瀬に尋ねてみる。

「……すでにちょっとおかしいね」

 さすがに素人の願が気付くようなことは、村瀬も気付いていたらしい。

「だけど、栃木さんとの相性はまだわからない……というか、今だとちょっと悪いかな、と感じてる」

「そうですね……」

 言葉尻を濁したが願もそういう感触だ。

「田島さんを代役扱いにしてしまうのが、何とも申し訳ないですが……」


 願と村瀬は特に考えもせずにブレンド。

 泊は紅茶。善常は抹茶スムージーにケーキまで注文していた。

「声優になったきっかけとおっしゃいましても、確率的に薄いところを引き続けたとした」

「はい?」

 新人にまず振られるであろう話題。

 それをきっかけにしてみたのだが、いきなり何か飛び出してきた。

「か、確率?」

「はい。中学時代に友人と読んで良い物かどうか確率的に五分五分の存在、大谷彩花という同級生がいました。彼女は声優志望で、マジックアルファが行っていた公開オーディションに参加する意志を示していました。そこにどういう理由が存在していたのか未だに不明ですが私にそれに付き合うように要求してきました。オーディションの参加人数を増やすことは確率的に不利になるようにしか思えませんでしたが、友情とは時に理不尽を受け入れることと母の教えもありましたので50%の確率で友人かも知れない大谷彩花の要請を受けるかどうかコイントスに委ねることにしました。結果“付き合う”という結果が出ましたのでオーディションに参加――」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って」

 善常の口からあふれ出てくる雪崩のような言葉を、願がさすがに押しとどめた。

「まだ、確率の薄いところを引いた説明に至っておりませんが」

 善常が首をかしげる。

 が、兎にも角にも言葉の雪崩は止まったようだ。

 願は救いを求めるように泊を見て、その表情を確認して絶望した。どうやらこの“個性”は知らなかったようだ。

 村瀬はというと、爛々と目を輝かせている。

 明らかに琴線に触れていた。それじゃあ、この面接もどき自体やめても良いんじゃないだろうか、とも思うが、ストップの合図は出ない。

 だからといって、これ以上この方面の話を広げたくもない。

「ず、随分確率を気にしておられるようですが……それは?」

 となれば、こちらに話題を振るしかない。

「そんなに珍しいことでしょうか? わざわざ不利な選択を選ぶ局面はそうはないでしょう。であるならば可能な限り数値化して、より確率の高い方を選択するのはもはや人生の義務だと考えます」

 この言葉にはさすがに引っかかった。

「では、この度オーディションに受かったのも確率の問題ですか?」

「もちろん」

「しかしそれは……」

「成り行きとはいえ、オーディションを受けてしまった以上、合格通知が来た以上は断れません。断れないということは真面目に声優を目指さなければなりません。そのためのレッスンは真面目に受けてきたつもりです。アドバイスも十分に頂きました。つまり確率を高める行動を私は行っていたと判断できます」

「な、なるほど……」

 何もかも運任せの確率論ではないようだ。

「その行動が報われるかどうかは、制作されるアニメ作品とそこに登場するキャラクターと私自身が出会えるかという、これもまた確率の問題になりますね」

「それは運任せ?」

「どうでしょうか? 多くのオーディションを受ければそれだけ確率は上がるような気がしますが、それも何か違うように感じています」

「どうしてですか?」

 単純な計算では、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、方式は確率を高めるはずだ。

 確率論者なら、その選択肢を否定するはずがない。

「……どうも、先輩方のお話を伺う限り一つの作品に対して確率を高めていく行動をした方が正しい選択なのではないかと」

「結局は確率論に収束するんですね」

 コミュニケーション能力は十分にあるようだ、と願は別のことを考えながらも少し突っ込んでみる。

「ええ、人生の義務ですから」

 にっこりと笑う、善常。

 その表情は、思った以上に可愛らしかった。

「それで今回お願いするかも知れないアニラジについてなんですが……これにも確率論が?」

「それが……」

 善常は申し訳なさそうに肩をすくめる。

「私、アニラジという物がどういう物かなのかよく知らなくて……」

「へぇ」

 その答えに、願は呆れるよりも感心してしまった。

「具体的に、どういう番組なんでしょう?」

 それならば、最初からこの話題にしておけば良かったと少し後ろ向きになりかけたが、今は質問されている状況だ。

「そうですね。まず実際のアニメを観てからの感想がファンから届きますからそれを紹介」

「はぁ」

「で、それに基づいて話を膨らませる」

 若井にも似たような説明した記憶がある。

「それ? いいんですか?」

 が若井とは違った反応が返ってきた。

「何か、良くない要素がありましたか?」

「だって、それはファンの方々の感想ですよね? それに対して何かコメントするのは作り手としてはルール違反だと思うのですが」

 意外な言葉――と言い切ってしまうのは何か申し訳ないような気分になってくる。

 善常の説明だけを抜き出すなら、それはその通りだ、とうなずかざるを得ない部分が確かにあるからだ。

 が、実のところそれで番組の半分が出来上がっているのが実状でもある。

「……安心してください。それについては、ある程度のノウハウが出来ています。スタンス的には少し裏話を知っているファン同士の語らい、というレベルに留まります」

 さすがに村瀬がフォローを入れてくれた。

 願は、それにホッと胸をなで下ろす。すかさず自分でもフォローを入れた。

「実際に出演しているスタッフが感想を読んでくれる。すこしディープな話をしてくれる。何となく距離が縮まったような気分になるんですよ、あれは」

「それでどうなります?」

「親近感を覚える作品をそうそう嫌うことも出来ませんから、結果として――ええっと、作品のファンになってくれる可能性が高い、ということで」

「なるほど、それは説得力がありますね」

 また笑顔をみせる善常。だが、まだアニラジに対しての好奇心は尽きていないようだった。

 さらに続けて質問が飛んでくる。

「それで感想読むだけですか?」

「その点は、実際に番組造りのアイデアを出してくれる作家さん次第になりますが、何か番組にちなんだミニゲームを行うことが多いですね」

 再び村瀬のフォローが飛んだ。

 こうなると実際にアニラジを聞いて貰った方が早いような気がするが、それを避けたいという、どちらかというと悪戯心に似た気持ちもある。先ほどと同じ流れで願もここでフォローを入れた。

「そうですね、ちょっとしたクイズ、とかが多いですかね。あと、ある一定のテーマに沿ってリスナーの方にメールを送っていただいて、それについて……やはりコメントする」

「先ほどからお話を伺っていますと……」

 善常が再び小首をかしげた。

「何だかとても、ラジオを運営する方ですか? そういった存在が不必要に偉そうに思えるのですが」

「あ、はは……そうですね。何だか僕も今気付かされましたが」

 そのタイミングで村瀬がポンポンと願の肩を叩いた。

 視線を向けてみると、軽くうなずいている。

 善常佳奈という人物と栃木の相性を知る上では十な情報が集まったと言うことだろう。

 そして、その表情を見ると完全に彼女に声を掛けるつもりであることもわかる。

 その村瀬が、泊にうなずきながら立ち上がる。

「本日はありがとうございます。充分参考になりました」

「え? もう、よろしいんですか?」

 戸惑いの声を上げたのは泊の方だった。

「はい。充分です。後ほど事務所にご連絡さし上げますが……期待していただいてよろしいですよ」

 村瀬はそれにニッコリ笑って応じる。

「は、はい! ほら善常も挨拶」

「わかりました。それではさようなら、村瀬さん」

「違うわよ!」

「なぜですか? 今からお別れするわけですから“さようなら”という挨拶は確率的にもっとも適当な言葉の選択のはずですが」

「善常さん、僕もお暇させていただきます」

「あら、そうなんですか? それでは、さようなら」

 畳みかけるような展開に、泊はもう着いて来られないでいる。

「あ、伝票はこちらへ。ウチの事務所の都合で呼び出したわけですから」

 ついてこられない泊の側にあった伝票を、願は掴み取ると逃げるようにレジへと向かった。

 その後を村瀬が追いかけてくる。

「若井さんに連絡を取りましょう。逃がす手はありません」

 何故か村瀬が早足で追いかけてくる――ということは自分も早足なのか。

 何しろ、二人ともいい大人なのである。

 いくら何でも、公共の場で両手を突き上げて、走り回って「イヤッホーーーーー!」と叫ぶわけにも行かない。早足で少し日常から逸脱するぐらいでなんとか抑えなければ。

「あの人は凄い! 丁寧に栃木さんを追い詰めますよ。そして栃木さんは追い詰められた方が圧倒的に面白い。これは洞口さんと協議しなければ」

 学院側のラジオの構想はすでに聞いている。洞口、というのは栃木を上手く追い込める放送作家だと聞いている。ラジオのコンセプトとしてそれで良いのか、とも思うが実際、願が笑いをこらえながら――何しろいい大人なので――聞いていた栃木のラジオは洞口が作家だったらしい。

「加納さんと島村さんのラジオも、この勢いで一気に行きましょう。岸さん、若井さんからGOサインを貰ってください! 攻めの姿勢で行きましょう!」

「はい!」

 二人は、同時にスマホを取り出した。


 そこからは一気呵成の勢い、と言うべきだろう。

「栃木さんと島村さん事務所同じです。同時に連絡してしまいますから若井さんには事後報告で」

「いいですね。基本的にNOと言わない人ですから」

「加納さんのスケジュールは押さえられるかなぁ? いえ、何とかしますよ」

「突っ込み出来た方が楽しくなるのは……スマ動ですね。こちらを学院側に割り振りますか?」

「そうしましょう。一方は響泉です……どっちにしても、転載されるでしょうが」

「構いません。広く知れ渡るのが目的に適いますから。響泉にも転載に構わないように指示を出します……恐らくは、ラジオを聞いてい層が賑わって、それから本命の耳に入るというルートになりそうですが」

「わかりました、とにかく広く。そしてまずはラジオの人気を上げるでしたね。何とかなります! いえ、何とかしてみせましょう!」

 等というやりとりを、行いながら願は村瀬と共に東京23区を巡りに巡り、三日後には関係各所、および出演者のスケジュールを抑えてしまった。

 少しは資金力でごり押しした――サーバー増強の援助――部分もあるが、基本的には二人の熱意に押された、と解釈した方が前向きだろう。

 途中から若井への報告もおざなりになっていたので、何もかもが完全に事後報告になってしまい、実際、願が若井にちゃんと会って報告するスケジュールを組み込んだのは初収録日の前日という具合だった。

 そうやって、かなり久しぶりにスタジオ蟷螂の事務所に顔を出せたのは、夜も随分更けてから。

 そう言えば、確かに家に帰った記憶がないな、と苦笑を浮かべながら事務所の扉を開けた。

 ここ数日の相方であった村瀬はアニメ誌への交渉に向かっている。

 久しぶりに会った若井は……いつも通り憔悴して椅子にもたれかかっていた。

 前に来た時よりも、事務所の中身が雑然としている。有里のデスク付近は除いて。

 経費の申告に有原の勤務時間中に事務所に顔を出さなければならないな、と考えている間に若井から声が掛けられた。

「よぁ、岸君。しばらくぶり。なんや何もかもが事後報告で驚いたけど、上手くやってくれてるようで何よりや」

 その声も随分疲れている。

「若井さん……猪野が何かしましたか?」

 事実上パイロットフィルム的な扱いとなる一話のアフレコはもう済んでいるはずだった。

 音は入っていないが、動画的には完成しているフィルムを願も見ている。

「猪野君のことを、君が忘れていなかったとは驚きやが……」

 軽いイヤミが入った。

「そこは、あんまり心配いらん。そもそも一話で猪野君の出番は顔出し程度やし何より稲葉さんがおったからな。猪野言葉にすれば古強者。見事に大人しくしとったわ」

 若井も猪野になれてきたようだ。

「じゃあ、そんなに消耗している理由は……一つじゃないんでしょうけど」

「まぁ、プロデューサーやってて面倒事が尽きると言うことはないからな。やけど今回はなぁ……」

「作画でトラブルでも?」

「いや……もったいぶる必要もないから言うてまうけどレンボル役が決まらん」

「え? もう随分経ちますよね? 二回目のオーディションは?」

「やった。けど、アカンかった。細川君が首を立てに振らん。藤原さんも、一度止めに入っている分、これは好きにさせるつもりなんか、あんまり強く出えへんよ決めてるみたいでな」

「でも……レンボルの出演自体はずっと先ですよね。そう慌てなくても……」

「そこで待ったを掛けたのが未生さんや。何人も出すつもりなら一話か、それは無理やとしても早い内から登場させておかないと、何より自分が納得しない、と来てな。正論だけに反論も出来ん」

「富山さんは?」

「未生さんに右に倣えやな。実際、彼はオリジナルが弱いし、キャラクターの登場でシーンを膨らませることが出来るなら、そっちの方がええし」

「つまり……若井さんは、なんとか細川さんのイメージに合う人を見つけ出さないといけないけど、もう当てがない、か、絨毯爆撃的にオーディションを行うにも時間的制約がある、という状況なんですね?」

「あっという間に、俺を追い詰めるの止めてくれ。出来るだけ気付かん振りしとったのに」

 その返事には、願も苦笑で応じるしかない。

 が、事態は笑っていられる状況でもなかった。APとしてはもう少し情報を引き出して助けられるなら、その手段を模索するべきだろう。

「……細川さんには『この人が良い』というような希望はないんですか?」

「無いな。そもそも細川君は声優あんまり知らんし」

「そうなんですか?」

「まぁ、知る必要が発生したときはオーディションすればいいわけやし、音響監督いう仕事があるんはそのせいやろ。監督の仕事やり続けて、他のアニメ観てる余裕はそんなにあらへんしな。しかもオフの時はオフの時でちょっと変わった就職活動しているようなもんやし」

 何とも、口の中がしょっぱくなってくる話だ。

「で、キャスト集めるんはプロデューサーの仕事でもある。が、俺には細川君の要望の添える声優に心当たりがない。というか、候補が尽きてもうた」

「要望……?」

 長らく日本を離れていた若井のそういった弱点には、今更驚くべき要素はない。

 だが、これには藤原も応えられていない、という現実があるからこその、状況なのだ。

 細川の要望が、かなり特異であることの証左であるから、願もその要望に関心を持った。

「レンボル役ですよね? ちょっと壊れた感じの笑い声とか、そういう演技が出来る人は結構いると思いますけど」

「細川君が言うにはその前段階が重要なんや」

「前段階?」

 オウム返しに聞き返すと、若井は席を立ってツカツカと願の側に近づいてきた。そして目を見開くと、

「『お尋ねしますが若井さん。そんな最初から危険信号放っているような人間を荒野側の連中が座視して構えていると思いますか? 荒野側にも能力者がいる。危険だとわかればレンボルの能力が及ばないところからの排除を行うでしょう』」

「……あ、もしかして細川さんの真似ですか?」

「…………せや。もうほとほと参ったわ。しかも、言うこと筋が通っとるし」

「しかしそれはもう、脚本に対するリテイクなのでは?」

 しばらくアニメ制作の現場に関わらなかったせいか、願のこの発言は無情とも言えるし、的確だとも言える。

 若井は、再び椅子へと戻り背もたれに身体を預けて天を仰いだ。

「……実際、書き直しも俺は視野に入れたんやけどな。細川君話の流れ自体は気に入っているわけで、そこは演出プランで乗り越えられる、と考えているみたいやな」

「具体的には?」

「つまり最初から狂気全開になっている状態がマズイんであって、周囲から見ると『あれ? もしかして俺らの役に立つんじゃね?』と思わせる部分が必要いうことやな」

「……何で、そこだけ妙な言葉で話すんですか」

「そこ突っ込むなや。やけどレンボルは能力を手に入れた時か、あるいは能力を手に入れる前からもう正気を無くしとる。やから、向かう先は世界の破滅。これはこれでええんやけど、そこに行くまで冷静な計算も出来る、ちゅうかんじのキャラになるわけや」

 だが、その説明は願には納得しがたい物だった。

「計算ができている状態である以上、正気なんじゃないんですか?」

「世界の破滅はそのまま自分の破滅やからな。自分の破滅までの過程を計算するのは、正気の人間のやることか? というのが細川君の言い分」

「…………なるほど」

 うなずきはしたが、あっさりと否定は出来ないな、ぐらいが願の感想である。

 だが細川は監督であり、プロデューサーとしてはその無茶振りに応えなければならないところだ。

「つまり声を荒げたりせずに静かな声と口調だけで、狂気を表現できる人……しかも受け手にもそれがわかるように――そんな感じですか?」

「岸君の、そういう問題を簡略化してくれるところは実に有り難い時もあるけどな。それやったらもう、具体的な名前まで挙げて欲しいんやわ」

 追い込まれてるなぁ、とこれまた他人事のように考えてしまうがAPである以上、願にとっても他人事ではない。

「岸君、心当たりはないか?」

 実際、そのまま当然の展開に突入してしまった。

「…………」

 何人か候補が挙がる。だがそこで大きな壁があることに気付いてしまった。

「レンボル――レンボル役か」

「そうなんや」

 レンボルはまだ幼いといってもいい少年なのである。

 男性声優は最初から無理がある。そうなると女性声優――だがオーディションを行っているということは、そのあたりは全滅しているのだろう。

 それでも試しにと幾人かの名前を挙げてみたが、すでにオーディションを受けてもらったあとだった。

「多分、技術力云々と言うよりも適正の問題かもしれん。出来ない人は最初から出来ない、という感じの」

「じゃあ、新人の方に希望を託してみるとか」

「まぁ、最終的にはそうなるかもしれんけど……」

 真っ当な提案だと思ったのだが、若井はあまり乗り気ではないようだ。

 問題は――時間か。

「新人言うたら、善常さんはどないな人やったんや? 君らからはGOサイン出せ、言うだけの連絡しか来んから、結局どういう人なのかわからんままや」

 若井が話題を変えた。

 というか、これまた軽くイヤミである。確かに若井をかなりおざなりにしていたのは確かだが、若井だって今までそういった要求してこなかったのだから同罪と言っても良いだろう。

「そうですね、話してすぐの印象は礼儀を弁えたお嬢様――というか箱入り娘?」

「ほう」

「それでいて色々な選択の際に確率を考えて行動し、それが人生の義務とまで言い切ってしまう強かさがあり」

「ほうほう」

「あまり、オタク的なお約束を知らないせいか、今までなぁなぁになっていた部分にも切り込んでいけ――」

 願の言葉が途中で止まった。

 適当に相槌を打ちかけていた若井もそれで止まってしまう。

 願はそれでも何も言わずに、ずっと一点を見つめて黙り込んだままだ。

「どした?」

「……レンボル役、ちょっと思いついたことが」

「今の流れでか? なんでや?」

「昔見ていたアニメに、確かそういう感じのキャラクターがいたんですよ。世界のタブーに触れることを恐れないで、自分の価値観で行動した少年……」

「なんのアニメや? 誰や?」

 それを聞いた若井が一気に食いついてきた。

「それを思い出そうとしてるんですよ。ええと、なんだったかな……」

「思い出せ! 思い出すんや岸君!」

「ちょっと黙っててください。え~と……若井さん、ノートは?」

「お、おうあるで。やけどなんもわからんのやったら検索もできんやろ?」

「そこは方法があります」

 願はノートを起動すると、ネット上の辞書へと飛んだ。

 そして年代別に放映されたアニメの一覧を表示させる。

「あの時に見ていた記憶があるのは…………う~ん……」

 首を捻りながら、アニメタイトルが大量に表示されたページをスライドさせていく願。

 若井も、もはや何も言わず祈るような面持ちでじっと願を見つめている。実際万策尽きていたのだろう。願もプレッシャーを感じながら、じっとタイトルを見つめ続ける。

 タイトルがわかれば、キャラクター名もわかるし、当然CVも判明するだろう。

 どんなアニメだったか。

 何か不思議な雰囲気のファンタジー。

 剣と魔法の世界ではなく、どこかおとぎ話めいた……

 それに該当しそうなタイトルは……

「あ、これか」

 と、ポインターが止まった場所に表示されているアニメは、


「西方のたかき魔女」


「岸君、間違いないか?」

 願の背中にのし掛かるようにしてタイトルを確認した若井が急かす。

「待ってください。内容を確認してみないと……」

 そのままクリックして、あらすじを確認する。

 そこには確かに記憶に合致する部分があった。それに作品独特の用語にも確かに覚えがある。

「うん、これで間違いないですね」

「で、そのキャラクターは? 誰がってたんや?」

「落ち着いてください。確認はすぐに出来ますから……ええとキャラ名がミールのはず」

 キャラクター説明と記憶を照らし合わせながら、確認作業を進める願。

 別ウィンドウを開いて、作品タイトルと名前とで画像検索を掛ける。すると出てきたのは黒髪黒目の何とも暗い眼差しの少年。

「な、なんやもう、この絵だけでも結構病んでるな」

 それを見た若井の第一声がこれである。

 その物言いだと、どうやら若井はこのアニメを知らないようだ。

 だからこそ、選に漏れてしまったのかもしれない。確かにあまり人気が出たとは言い難いアニメだったが、確か主役はシェラフラン役の新開さんだったはずなのだが。

 そこで再び辞書のページに戻り、CVを確認。

 もちろん主役ではなく、その相方とも呼べる少年のミールのCVは……

「この人だったのか……」

 その名前に意外さを感じた願は思わず呟いてしまった。

「知ってる人なんか?」

「ええ。有名なアイドルゲームでボーイッシュでさばさばした性格のキャラクターをしていたものですから、まったく繋がりませんでした」

 その説明に、若井が少し眉を曇らせた。

 確かに、望んでいた役所とは違いすぎる説明だ。不安になるのもわかる。

「……何とかして、このアニメ観てみたいな。配信されとるか? 大体の配信サービスには登録してあるで」

 当然の欲求だが、手回しの良いことだ。とにかく願はそのまま検索を開始。

 すると、あっさりと配信されていることが判明。

 数分後には「西の尊き魔女」のOPがノートから流れ始めた。

 そして――


「何でや! 何でオーディションに来てくれんかったんや!」

 若井が絶叫する。

「ええとですね……あ、これかな? 最近出産されてますね」

 その謎解きに若井は天を仰いだ。

「なんちゅう、巡り合わせの不幸や! こうなったら託児所作ってでもこの人呼ぶぞ!」

 ただの思いつきだったが、少なくとも若井の眼鏡には適ったらしい。

 次は細川、ということになるのだがその前に当然の手続きとして所属事務所に連絡と言うことになるだろう。

「ええ~っと、ああこの人もナインエンタープライズなのか。じゃあ明朝連絡しておきます。それとも若井さんが直接?」

「いや、いざとなったら脅してでも来て貰うからな。先に物腰の柔らかい岸君に頼むわ」

 柔らかいかな? と自分自身に疑問符を浮かべながら願はうなずいた。

「では、水戸真琴さんに出演要請を」

 願は厳かに、その名前を口にした。


善常さんにはモデルがいません。

水戸さんにはモデルがいます。

……という以上に書くことはないなぁ。

実際、水戸さんモデルの人無茶苦茶上手いと思うんですけどね。その欲望が出た形となりました。

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