音周補強編
20.
古来「針のむしろ」という諺がある。
居心地が悪い、ということを示す言葉なのであろうが、それはむしろ痛さのためにそういう状態になるというよりも、少し考えてみればわかるとおり、そもそも「針のむしろ」の上になんか座っていられない。
要するにさっさと逃げ出したい、痛い思いをするとわかっている場所に、どうしていなければいなければならないのか。
諺にはそんな意味があるに違いない。
だが願は今、ここから逃げ出すわけにはいかなかった。
何しろハイエースの運転席に座っているのだから。
助手席には若井。そして後部座席にしなだれかかるようにして猪野が座っている。
これから三人は練馬区へと向かうことになっていた。
藤原治重という男に音響監督をお願いするために。
藤原重治という男はアニメ監督である。
決して音響監督としてキャリアを重ねてきたわけではない。
しかも、そのキャリアは古い。若井がぺーぺーだった頃にはすでに監督として作品を手がけている。
その後も順調にキャリアを重ねてきたが、そこから監督業にこだわらず脚本も手がけたり、今から依頼する音響監督も経験しているから、若井が嫌がる前例のないお願い事をしに行くわけでは決してない。
しかも細川が手がけた作品で実際に音響監督として現場に入っている。
そういう気心の知れた相手と仕事をしたいという、判断は若井も支持するところだ。
それが作品のクオリティを上げることがままあることを知っているからだ。
だが、今回は条件が特殊に過ぎた。
言うまでもなく猪野の問題と、それに絡んでの作品自体の目的である。
端的に言うと、どんなにまずくとも猪野を降ろす方向に考えを進めて貰っては困る。
そこを確認しておかなければならない。
「猪野。卯河さんと話した感触では、音響監督を敵視している感じではなかったが……いきなり喧嘩売るんじゃないぞ」
腰の落ち着か無さを誤魔化すように願は猪野に話しかける。
「……そんな失礼な真似を誰がするか。しかも音監と言えば前線指揮官じゃないか。どうして戦士である俺がいきなり喧嘩を売る?」
その言葉に、助手席の若井のこめかみがピクリと蠢く。
実は、合流したときに若井はいきなり猪野に文句を言われたのだ。
もちろん、それはかつて願に話したような“浮かれ過ぎ”を戒める内容だった――人間世界の言葉に直すなら。
だが若井は猪野を避けてきたことも手伝って猪野言語が通じない。
最初は殊勝に、甘んじてその文句を受け付ける態度を見せていたが、それが維持できたのは恐らくは三分ほどだっただろう。
最後には往来の真ん中でつかみ合いの喧嘩に発展しそうになった。
今から藤原に、
「猪野にキレないでください」
とお願いしに行くというのに、その道程の最初からこの有様である。
願が逃げ出したくなるのも無理のないところだった。
上井草から練馬に直接向かうのであればさほどの難事ではないが、一度秋葉原に向かって猪野をピックアップしてからのルート選択は、おおよそ一時間ほどの時を消費することとなった。
余裕を持ってアポを取っていたので、予定されていた時間よりは幾分か早い。
街中の駐車場にハイエースを停めて、スマホの地図を頼りに藤原の家を目指す。
「お、ここやな」
土地勘がある――わけではなかったろうが、さすがにここは年の功、という感じで若井がいち早く目的の一軒家を発見した。
広さはおおよそ八十坪ぐらいだろうか。いくつかの立方体を互い違いに組み合わせたような外観に物干し竿が置かれた小さな庭。
「何か……キャリアのある人がこのぐらい?」
思わず願はそう呟いてしまう。
「その辺は個人の趣味やろ。そもそもが贅沢な暮らししてるわけやから」
「贅沢?」
「物を創っとるやろ。これ最高の贅沢やぞ」
ドヤ顔で言われたのなら、何かのギャグかと思ったかも知れないが、何か吐き捨てるように呟くその姿には、むしろ哀愁が漂っている。
そんな若井の姿を相変わらず敵意に満ちた視線で猪野が見つめているが、さすがにここで騒動を繰り返すつもりはないようだ。
そんな風に猪野を観察している間に、若井がさっさとインターフォンに向かって挨拶していた。
なるほど、大きさに関しては確かに趣味なのかも知れない。
果たして願のそんな失礼な感想は当たっていたようで、内装はなかなか品良くまとまっており、それを維持するためには、いわゆる高級品を購入しているのだろう。
通された部屋は客間、ではなくて何か書斎のような部屋だった。
様々な種類の本が詰め込まれた本棚に、パソコンラック。それに色々なアニメの設定資料があちこちの隙間からはみ出ている。
三人はあくまで仕事で訪れたわけであるから、これはこれで歓迎されているのかも知れない。
若井と願は名刺を差し出し、猪野の紹介は願が行った。
「ようこそいらっしゃいました。僕が藤原です」
満面の笑顔で自己紹介を行った藤原は随分と恰幅のいい男だった。
やたらに太い縁の四角い眼鏡。
それに熊髭を生やしており、何となく古式ゆかしい“木こり”を思い出させる風貌だ。
「わざわざ、足を運ばせてすいません」
「いや、それはこちらお願いする立場なんやから当然です。で、どうでしょう?」
若井は謝りつつも、いきなり話を切り出した。
すでに『カニバリゼーション』の資料はメールに添付して送付済みだ。
藤原もすでに目を通しているとの連絡も受け取っている。
理屈で言えば前置きは必要ないわけだが、あまりにも性急すぎる態度に何よりも願がビビってしまった。
だが藤原は若井のそんな態度に、ワッハッハ、と呵々大笑で応じて見せた。
「いや話が早い。確かにすでに“現場”に入っている人間の余裕の無さだ」
そう返されては、若井も曖昧な表情を浮かべるしかない。
実際、細川もこの場には同行する予定だったのだが、富山とモメてそれどころではなくなったで、こういう状況が出来上がっている。
藤原も、そこは理解してのことだろう。
そして依頼に対する返事も迅速だった。
「いいでしょう。お引き受けさせていただきます。一緒に頑張りましょう」
「そ、そうですか。ホンマ、助かりますわ――で……」
若井の視線が猪野へと向けられる。
「こちらの特殊な事情がありましてですね。先にお話しとった方がええかと」
突然、猪野が立ち上がった。
「猪野智大と申します!」
おおよそ許容されることのない音量で、いきなり申告する猪野。
ちょうどそのタイミングで、藤原の妻――この女性も名を成したアニメーターである――が茶を運んできた。
普通であれば驚いて、お盆ごとひっくり返すところであろうが、さすがに業界人。
ごく平然とお茶を置いて、にこやかに頭を下げるとそのまま退出してしまった。
その間、若井と願は脂汗を垂れ流していたが、猪野はひたすら直立不動のままだった。
「はい。お名前と共に事情、それから基本的なところは細川さんから伺っております。まぁ、そんなに固くならないで」
「はい!」
と返事をしつつも、直立不動は崩さない猪野。
藤原は相変わらず笑みを浮かべたまま、しばらく猪野を見つめていたが、ふと視線を願へと向けた。
「岸さんが……マネージャー的なことを担当するわけですか」
「はい」
遺憾ながら、とか、仕事上やむなく、という言葉を付け足したくなったがそれはぐっと我慢する。
「猪野さんは他に仕事はしていないんですよね」
「はい」
再び肯定の返事を返す願。
「これで猪野が忙しくて“事態”に対応できないとなると、本末転倒ですから」
「なるほど、そこは譲らないというわけですね」
「ぼ……私は“事態”に対応できているかどうかを見張るのも仕事のウチですので」
藤原の表情が変わった。
どうやら、若井はそこまで説明していなかったようだ。
だが、そもそも隠すような事情ではないし猪野にも説明してあることだ――当人が理解しているのかどうかは怪しいところだが。
願は、簡潔に自分の立場を説明する。
「……聞くだけで複雑怪奇ですね。よくもまぁ、それだけ短く説明できる物です」
聞き終えた藤原の第一声がそれだった。
何か感想としては間違っているような気がするが。
「しかし、そういうことであれば遠慮はいらないでしょう。猪野さん」
「は、はい!」
「猪野さんは、事情を全て承知しているとはいえ“声優”の仕事に手を抜くつもりはないわけですよね。いえ、そもそも引き受けた以上は手を抜かせるつもりはありませんが」
「もちろんです!」
グッと、身を乗り出してうなずいてみせる猪野。
「では、話は簡単だ。練習すればすれば良いんです。ルキングになるために――若井さん」
「は、はいィ」
突然話しかけられた若井が、妙に尻上がりな返事をする。
「聞けば資金は無尽蔵だとか」
「そこはまかせてください」
「スタジオ抑えましょう。アコバにしましょうか。あそこなら機材の癖もわかってます」
「い、いや、確かにそれは金のこと言うたら出来ますけども。あまり波風立てるようなことは……」
「何もスタジオ全部を抑えろと言うわけではないですよ。どこか一つをいつでも使えるようにしてもらいたい」
若井は渋い顔をしたものの、それを拒否する理由が見つからなかったようだ。
どのみち、やらねばならない仕事でもある。
「さっそく抑えられますか?」
「い、いや……」
「あ、あの、猪野はこのあとバイトがありまして……」
「それじゃ仕方ない。終わってからスタジオに来てください。監督がイメージしている演技でなければ意味はないので細川さんも寄越してください」
「あ、あのですね。細川君ももう随分追い込まれとってですね……」
「大丈夫」
藤原はそう言って、再びワッハッハと笑った。
「あの年だったら、半年ぐらい寝なくても死にはしません。僕もそうだったから」
経験者の言葉は――重い。
藤原の方針は猪野を力づけたようだ。
すっかり元気を回復して、帰りの車中ひたすら妄言を垂れ流していた。
願が獲得した猪野用フィルターを通してみると、
「藤原音監は指揮官として信用できる」
と言う具合になるのだが、フィルターを持っていない若井は……スタジオ抑えるのに四苦八苦していて、猪野の相手をするどころではないようだった。
助手席は猪野に譲り、後部座席で猪野に負けず劣らずの大声で拝み倒している。
お互いに協調するすることはやめたようだが、干渉することも同時にやめたらしい。
……と、願は納得してひたすらにハイエースを駆る。
願は、仕事仲間はみんな仲良く、などという幻想は抱かないタイプだったので、この状態はむしろ歓迎だった。
だから昼食を一緒に、などという要らぬ気遣いを回すことはなく、猪野を江古田で降ろして事務所に戻る。
最寄りのコンビニで適当な弁当を買って、事務所の扉を開けると――開ける前からだが細川の声が聞こえてきた。
「――ここは富山さんが書いたんですよね? 何でこういう事になるんです?」
「……」
「意図はわかります。落語の三段話みたいなことですよね? まったく関係ない話が最終的に一本の糸に繋がる。上手くはまればこれ以上ないエンターテイメント作品に仕上がるでしょう。ですが」
細川は、プリンターから出力されたままの紙の束をパンパンと叩く。
二人は事務所の中程で立ったまま、何やらやりあっていた。
「それが繋がるきっかけが、投げやりに過ぎるでしょ。この寝言で符牒を呟くというのは、自分で読み返してみて、首を捻りませんでしたか?」
「いや……そこは……」
「そこは?」
「この話は各キャラの能力の魅力を引き出すことが肝心なのであって……」
「では、この三段話は諦めましょう。知恵を使うところ間違ってます。リテイクです」
「ぐ……」
なぜ事務所でダメ出しが始まったのか、その経緯はわからないが富山がへこまされているところを願は久しぶりに見た。
考えてみれば、富山も初めてのシリーズ構成で色々壁に突き当たっているのだろう。
「細川君、藤原さん引き受けてくれたで」
若井がそういった事情には目もくれずに報告すると、細川は嬉しそうに振り向いた。
「そうですか。何か仰ってました?」
「何とかスタジオ抑える事が出来たから、19時にアコバに来るように、ということになるやろな」
「は?」
「半年ぐらい寝んでも、死なへんらしい」
今まで無茶振りを提供する側だった細川への、この無茶振り。
どうなるのかと、コンビニで買ってきたカツ丼を取り出しながら願が推移を見守っていると、
「それでは仕方ありません。富山さん、脚本の直しは三時間後で」
「は?」
まさかの無茶振りのスライド。
「もう少し時間があるかと思ったが残念です。段々良い感じになってきましたね」
ニヤリと笑う細川。
それはもはや抵抗を諦めるしかない、と悟らずにはいられない笑みだった。
富山はダメ出しを食らった紙束を抱えて、すごすごと事務所から出て行った。缶詰にされているホテルに戻ったのか、それとも英気を養うために昼食を摂りに行ったのか。
どちらにしても、その背中が随分小さくなっている。
ご愁傷様、と他人事のように見送れるのもいつまでなのか。
何かどんどん無茶振り要員が増えていっているような気がする。
「細川君、飯は? ……て、食べてるはず無いか。わかとったら何か買うてきたんやけど」
若井がその場の空気を変えることを意図してか、突如明るい声を出す。
そしてそれに反応したのは、珍しいことに有原だった。
「私、今から昼食に出ますけど、その帰りでよろしければ何か買ってきましょうか?」
細川は嬉しそうに、その申し出にうなずいた。
「あ、じゃあお願いしようかな。おにぎり二個……いや三個。全部ツナマヨでいいです。無ければ鮭を混ぜて。お茶は十七茶を」
謙虚なのか我が儘なのか微妙な注文を出す細川。だが注文自体は得意の無茶振りではなかったので、有原も軽くうなずいた。
「それで藤田さんは、午後からの約束でしたよね」
楽曲を依頼しようとしている人物と午後から会う予定は願も聞いていた。
「せや。どうも、アニメに関わるの嫌がってたみたいやからな。細川君に期待しとるで」
「嫌がる?」
聞き咎めた願が思わず口を挟むと、
「一度、アニメに楽曲提供してくれたんやけどな、そのアニメが評判が悪ろうてなぁ」
「何ですか?」
「AEや」
「AE~?」
反射的に顔を歪めてしまう願。
AEというのは「アルキメデス・ワン」というアニメの続編として放映された「アルキメデス・AE」のことだ。
願は「アルキメデス・ワン」のファンである。
AEは、願にとってなんだか何もかも台無しにされたように感じたのだ。
「……岸君、その顔するんやったら出て行って貰うで」
「だ、だけどAEですよ!」
「何をそんなに嫌がってるのか知らんけど、AEは紛れもない傑作やったやないか。俺に言わせれば元のワンの方がよっぽど駄作や」
「……聞き捨てなりませんね」
「あんな元は2クールやったもん、4クールに伸ばして、それでまともな話になるか」
「僕の感動は嘘じゃないです」
「それは君、都合良く冗長な部分を忘れとるからや。好きなシーン挙げていったら、最初と最後しかないやろ」
それに咄嗟に反論できない願だったが、なんとかそれ以外のシーンを思い出す。
「中程の、再会のシーンは……」
「ああ、はいはい。クールの真ん中な。ほら結局そう言うことや。ポイントポイントで上手いこと締めてるけど、あとはもう必要のない話をだらだらだらだらと……」
若井は若井で「アルキメデス・ワン」に相当な不満があるようだ。
「その点、AEの隙のない構成。ため息が出る程や」
それで話はおしまいといわんばかりに、若井は買っていた幕の内弁当を開ける。
「ですけどねぇ!」
アルキメデス・ワンを愛する願はそれでは収まらない。
だが――
「いやいや岸さん。今回お願いするのはAEの監督やシリーズ構成の方と言うことではなく、音楽なんですから」
珍しく細川が仲裁に入った。
それで願も幾分か頭が冷めて、改めて細川に言われたことを考えてみる。
「AEの音楽……」
「ホラ見い。“イヤやイヤや”が先に立って、何も見てないんやないか」
弁当をつついていた、その箸先を願に突きつける若井。
「わかりますよ! でも、結局……ワンの亜流でしょ?」
「やからそれは、そういう風にせんと君みたいな頑迷固陋なやからがやなぁ」
「まぁまぁ」
再び細川が間に入る。
「岸さんもAE嫌いだからと言って、いきなりイヤな顔するほど子供でもないでしょう。僕と若井さんが藤田さん――AEの劇伴担当された方ですが藤田さん説得しますので。それで僕たちが彼に依頼したいと思った理由を改めて聞いてみてください」
やがて事務所に現れたのは、一目見ただけで不機嫌だと言うことがよくわかる男だった。
赤に染めた髪。革のジャケット。そしてシルバーのアクセサリーと、それらしいアイテムも一揃いしている。
無精に伸ばした髭が面長の顔に上手くマッチしているため、それでもあまりチャラい印象は受けない。もっともそれは、ただ不機嫌さを前面に出しているせいかもしれないが。
四人は挨拶もそこそこに事務所の片隅の応接区画に腰を下ろす。
「藤田です」
自己紹介も、実に簡単なものだった。
こちらも若井から順番に自己紹介を行って、
「いや、呼び出してもうてすまんなぁ。なんやったら今から気の利いた店にでも……」
若井が、実に愛想良く切り出した。
「別に……」
だがそれに対しても藤田は、変わらぬ態度だった。
「それで借りを作って、受ける事になるのもイヤだし。基本的には断るつもり出来てますよ、俺は」
「そんなつれない」
「僕は君の旋律が欲しい」
混ぜっ返す若井の言葉に被せるようにして、細川が突然訴えかけた。
「せ、旋律?」
「企画書は読んでくれたかい?」
「いや……断るつもりだったから……それならあんまり読まない方が良いかと思って」
何ともいい人だった。
だが細川の追求は止まらない。
「じゃあ少しは読んだんだ?」
「まぁ、その最初の数ページぐらいは……」
段々、取調室の趣になってきた。
「それなら、どんな内容かはざっくりとはわかってるよね」
「ファンタジーだろ? 何か超能力みたいなのが使える」
「それだけわかってれば十分だ。このアニメには――確実に歌が必要だ」
この細川の言葉に、横で聞いていた願がまず意表を突かれた。
メインターゲットである、藤田の驚きはそれ以上だろう。
「歌? 依頼されてたのは、そういう内容じゃ……」
やはり動揺は隠せないらしい。
「そういうダイレクトな事じゃないんだよ。イメージとしてはミュージカルのような感じなんだが――歌が邪魔なんだよ! 意味のある言葉は要らないんだ!」
「お、おおう……」
完全に細川に圧倒されてしまっている藤田。
事務所に訪れた当初の不機嫌さはなりを潜め――よく言って、詐欺に巻き込まれた被害予定者というところだろうか。
「そこで君が作る曲だ。君の旋律は歌っている。間違いない!」
「そ……そうかな」
願はその様子を半目で見つめていた。
いや見届けていた、と言っても過言ではないだろう。
過去に、青黄をはめたことがあるので手段については、今更願にはどうこう言える権利はない。
せめて目を背けないことだけが誠意ある対応――と思いこむことにした。
「俺からもええかな?」
ここで若井が参戦した。
「細川君は、俺が見込んで監督をお願いしたんや。それは静かな場面での演出能力を見込んだからや。それに関しては圧倒的やと俺は思う――やけど」
若井が斜に構えつつ身を乗り出した。
こうなると若井はやけに雰囲気が出る――堅気ではない、という雰囲気が。
「戦闘シーンや盛り上がるシーンは無難にこなしとるがまだ未知数言うてもええやろや。もちろん上手くできるかもしれん。しかし、ここに強力な武器が欲しい。細川君もそこは同意見で、何よりも俺も君の曲のファンや」
そこで若井は一拍置く。
「AE観たときからな」
地雷とわかっていて、そこに突っ込んでいく行為を何と表現するべきか。
だが、若井は止まらない。
「AEの評価が悪いのは俺も苦々しく思っとる。さっきも、ここにいるワン信者とやりおうた」
「あ?」
藤田の剣呑な瞳が願に向けられた。
願にはそもそもの疑問として、何故自分がここにいるのかという疑問があったわけだが、その理由がようやくわかった。
――当て馬にするつもりだ。
「そもそもが、君の楽曲はワン信者によって歪められて見られとるわけや。ここは藤田君」
若井はさらに身を乗り出した。
「勝負やで~」
「しょ、勝負?」
物騒な言葉に、藤田がオウム返しに聞き返す。
「ここで、バチッと結果出してワン信者の目ぇ、覚まさしたったらええねん。おどれらに見る目がないいうんが、よぉわかったか? ちゅうてな」
「いやしかし、それは……」
「あと、もう一個勝負がある」
さすがに藤田が怯んだところに若井がさらに畳みかける。
「もう一個?」
「君の曲か、細川君の演出か」
若井が笑う。
「迫力がいるシーンだけに楽曲提供してもろうても困るンや。君には当然、静かな劇伴も発注する。その曲を使うかどうかは、細川君の裁量や。どや? 細川君の演出に食い込む自信はあるか?」
「…………」
今度は藤田の目が細川に向けられた。
だが、細川はそれに対して真っ正面から藤田を見つめ返す。
そうなると案の定というべきか、藤田の腰が引けた。
細川の瞳力に、そうそう敵うはずがない。
「ハッハッハ、ええか藤田君。ここにはワン信者と監督という敵が二つ揃ってるんやで」
「若井さん……」
さすがにそろそろ、何かしら言葉を添えておきたい。
例えば、
「藤田さんの楽曲まで否定したわけじゃないんです」
――あまり良い、言い訳には思えなかったが。
「わかりやすい敵がおるんは、男しての本懐やろが。ここはビシッと戦ってみんか?」
迷っている間に、若井がとどめを刺してしまった。
これでは藤田が断るという未来は、どうしたって想像できない。
やがて、藤田はどこか苦しそうな声でこう告げた。
「……わかった。やってみる」
――ほらみろ。
この役職はさらっと流すつもりでしたが、何となくこれだけの分量に。
まぁ、元々何となくで書くことを目的としていたので本懐です。
近いうちに、別の話を上げると思います。
こっちはちゃんと計画中。




