皮算用編
14.
ある日、僕は世界の真理に気付いてしまった。
普通にやれば悲鳴を上げられるような痴漢まがいな事をしても、それが正義のための行動に含まれていれば、むしろその行為は感謝されるのだ。
例えば、突然こけそうになった女の子を思わず抱えてしまっても、その行動は容認される。
階段から転げ落ちて来た女の子を助けようとして、その混乱の最中に胸とかお尻とか触ってしまっても、まったく問題ない――むしろ、それを乗り越えて感謝される。
こういう直接的な接触にこだわらなければ、突風が吹く場所に居合わせたり、浴場で不都合が起きて、あられもない姿の女の子が目の前に現れたりというような目の保養を、まったく非難される要素無く堪能することも出来る。
――そんなに上手くいくはずがない?
ところが僕にはそれを可能にする力がある。
----学院に通い始めて一年。
僕は突然に予知の力を手に入れたのだ。
いつ何処で女の子が転ぶのか?
階段から落ちてくる女の子を受け止めるチャンスが訪れるのは何時か?
風が吹く時は? 浴場にトラブルが起きるのは?
それらが何となく“わかって”しまうのだ。
僕――×××が、彼女と出会ったのも、やはりその能力がきっかけだった。
さすがに女の子が転んだり、階段から落ちたり、浴場が不具合を起こしたりはなかなか起こるもではない。しかし風なら――
風ならば毎日吹いていてもおかしくはない。
----学院は湖畔に建っているので、その水面を渡り学院に届けられる風はいつも爽やかであるが、時折それが集まって強い風になると、学院の中庭をサッと撫でていく。
その時折が、いつ起きるかを僕は知ることが出来る。
それが授業中であればその機会を見逃すことになるが、幸いにもそれは二講目と三講目の間に訪れることがわかった。
僕は中庭に急ぐ。
そこに女生徒がいなければ――いないことなど希であるのだが――ただの労力の無駄遣いだが、この日の僕は大当たりを引いた。
その日、中庭にいたのは□□□先輩。
そう、あの□□□先輩だった。
輝く金の髪を戴いた、スラリとした優美な姿。その存在だけで周囲を圧倒する、まさに学院の女王。
もちろんその美しさだけではなく、実際に□□□先輩は“剣奉主”として学院の頂点に君臨している。
そんな女神と呼んでも差し支えない先輩の!
あられもない!
白を希望する下着が――黒でも良いような気がする!
内窓から□□□先輩を確認した僕は、胸を高鳴らせて中庭へと急いだ。
もちろん、中庭まで全力疾走でたどり着くわけにはいかない。
僕はあくまで偶然に、何の他意もなく、中庭近くを通りかかっただけの一般生徒でなければならないのだ。
直前でスピードを緩めて、中庭に面した回廊へとさしかかる。
え~~~っと、何の用があって向こうに行くことにしようかな。
……などと考えながら、歩調を合わせ横目で先輩を見ながらその瞬間を待った。
奇跡の風が吹く、その一瞬を。
だが、ここで異変が起こった――いや起こることが見えてしまったと言うべきか。
中庭にいるのは先輩だけではない。他にも幾人かの生徒。
そして僕と同学年か、あるいは後輩か。華奢な男子生徒が明らかに過剰な荷物を抱えてうろうろしていたのだ。
鍛錬の時間に使う剣や槍もその中に含まれている。
僕が見ているこの瞬間であるならば、問題ない。
だが、今からここには強風が襲いかかってくる。ヘタをすれば――
「危ない!」
僕は反射的に叫んでいた。
そしてそのまま、荷物を抱えた男子生徒の元へと駆け寄る。
その瞬間に、来るべき風が吹いた。そこで視線を先輩へと向ければ、僕は当初の目的を達成できていたかも知れない。
そう考えると、首が横へと向きそうになるが、案の定と言うべきか男子生徒は強風に煽られて、すでにバランス崩していた。
「ふりゃあわーーーー!!」
自分でも意味不明の叫びを発して僕は、反対側から物騒な事になり掛かっていた荷物を抱え込む。
そして、そんな僕の背後から柔らかい何かが押しつけられた。
「慌てなくていい。まず降ろせ」
「は、はい!」
凛とした声に、幼さが残る声が応じた。
で、で、では、僕の背中に感じる柔らかいものは!
「どうして、ここで君が慌てるんだ。いいか、ゆっくりと降ろすぞ」
僕の耳元にささやきかけるような□□□先輩の声。
僕は蕩けるようにしてその場にへたり込んでしまう。
だが、それでとにかくこの場の危機は去った。
「まったく、一人で抱えすぎだ――おい!!」
突然の出来事に、渡り廊下で呆然とそれを眺めていた生徒達に、先輩は突然声をかけた。
「こっちに来て、こいつを手伝ってやれ」
一瞬、何を言われたのか理解できない様子だったが、何しろ命じた相手はあの□□□先輩である。
わらわらと、幾人かの生徒が駆け寄ってきた。
「君はこっちだ」
荷物を運ぶのを手伝おうとしていた僕の腕を、先輩が強い力で引っ張る。
「あ、あの……」
「人目のあるところで、出来る話ではない」
こ、これは……!?
今の僕の活躍に、先輩は一目惚れ?
そして、果断な性格の先輩は速攻で告白?
僕の返事は決まっているから、これからバラ色の学院生活が。
(いや……)
やっかみは当然あるだろうから、平穏無事な生活にはならないだろう。
だが、耐えてみせる。
僕と先輩の未来のために。
そんなことを考えながら、先輩に引っ張り込まれたのは空き教室だ。
なんだっけ? 地政学の教室だったと思うけど。
先輩は、それだけでは満足しないで、さらに僕を教室の隅へと追い詰めていく。
「君――」
あ、はい。告白ですね。
現実では、まだその段階だった。
「君――順番がおかしい」
先輩の青い瞳が、僕を見据える。
あれ?
何か、告白という雰囲気じゃ……
「風が吹いてから危機を察したわけではなく、風が吹く前に危機を察していたな」
「そ、それは……」
ま、まずい。
なんだか、思っていたのと違うぞ。
「実家が天候を読まなければならないような職種か? 漁師とか」
「あ、じ、実はですね……」
「言っておくが下手な嘘はつくなよ。調べればすぐにわかることだ」
「じ、実は漁師でも何でもありません」
僕の実家は、----で会計士をしています。
「では、何故風が吹くのがわかった? どうしてあの危機を察することが出来た?」
正確に言うと察したのは危機じゃない。
ただ、風が吹くことを察したのは――そんなこと、僕にだってわからない。
そうやって僕が黙り込んでいると、先輩はさらに僕との距離を詰めてきた。
「未来を知りたいと願え」
「え?」
「何でも良い。いや普段、君が見たいと思っているよう未来だ。私の推測が確かなら、君にはその未来が見えるはずだ」
いや、見えるなんて事は経験したことはないけれど。
だが反射的に、僕はいつも通りの未来を期待した。
転ぶ、階段、風、あるいは浴場。総括すると女体である。
その時、僕は校舎三階の廊下で誰かが転ぶのを“感じた”。
実際、僕の能力なんてその程度でしかない。
だが、先輩の反応は違った。
「星が……流れた」
いや、今は昼日中ですが。そもそも先輩は外を見ずにずっと僕を見てましたよね?
「……今更ながら、君の名前は?」
「は、はぁ。×××ですが」
本当に今更だな、と思いながらも僕はその質問に答えた。
すると先輩は僕から離れて、何だか複雑そうな表情で僕を見つめた。
「祝福すべきなのか、私にもわからんが――」
「な、なんですか?」
さすがに僕も、告白されるのではないらしいということぐらいは察している。
「――君が次の剣奉主だ」
固有名詞が無くても何とかなるものだなぁ、と真夜中にそれを読み終えた願はどこか他人事のような感想を抱いた。
願が読んでいるのは、もちろん未生が書いてきた第一話の冒頭部分だ。
固有名詞が入るべき場所が伏せ字になっているのは、そこがどうしても間に合わなかったからだろう。話はそのまま進んでいき、この学院の秘密と“先輩”がすでに剣奉主としての力を失っている事が明かされ、曲者キャラクターが畳みかけるように後半に集中して登場し、とりあえずの終わりを迎えた。
よくある第一話、と言ってしまうと酷なようだが、所詮は本当に一時間で用意されたものである。
叩き台として考えると、相当に優秀なのではないか? と願は好意的に捉えていた。
この評価は願だけに限ったことではなく若井も富山もほぼ一致しており、富山などはいきなり脚本に起こすように細川に無茶を突きつけられている。
だが、審査基準が甘くなったのは他にも原因がある。
言うまでもなく漫画家の選抜だ。
若井も富山も、そして願もある条件を完全に失念していた。
だが細川のハッパがかけられ、ある意味追い詰められたことで、その条件に気付くことになる。
選抜の選考基準としては、まったくもって質の向上に貢献するものではないが、話が早くなるという一点では、これ以上ない条件だった。
『今、連載抱えてない漫画家を選ぼう』
昨日、若井に連絡を取った結果、選択された新たな選考基準。
これでかなり絞られる上に、相手の仕事のスケジュールにさほど気を遣わなくても良い。
それならばむしろ古本屋か、と願はすぐに検索して、江古田に大手古本チェーン店があることを確認。新古品レベルの最新刊が並ぶエリアを物色。それでいて最終刊であり――もちろん肌色多め。
そんな条件に合う漫画は一つしか無く、追い詰められていた願はほとんど条件反射で、その一冊を手にとって、中身を確認。
文句なく様々な種類の女の子が出ているが、二巻で終わってしまっていることもあって、非常に投げやりな終わり方だった。
だが、この際それは重要ではない。
むしろ、今確認すべきはこの漫画家が新しい連載を開始しているかだ。
名前をスマホで検索。
――恐らくは多分、連載を抱えていないようだ、この「青黄墨」という漫画家は。
ここでもう一度、若井に連絡。
そこから事務所に残った富山に回され、ゴーサインが出た。
「エラって、宇宙人!」
という願が古本屋で見つけた漫画は果たして事務所にもやって来ており、すぐに確認が取れたことも大きい。
この漫画がどんな内容かというと……
「続々と地球にやってくる宇宙人達(何故か全員可愛い女の子)。主人公はごく普通であることを見込まれて、宇宙人達の地球移住のための修正作業に従事することになったのだ」
という塩梅。
修正作業がマストでエロエロなのは言うまでもない。
展開に困ると、次から次へと宇宙人――事実上、女の子でしかない――を登場させるという、この手の漫画の宿痾はもちろん引き継いでいるが、それ以上に問題なのは作中で“修正”と言われている部分だ。
宇宙人を地球の普通へと修正していくはずが、何故か主人公はピーキーな状態へと導いていく。
それが、この作品の個性と言うよりも――
(作者が“普通”を理解していない……?)
奇しくも午前中に聞いた、富山の持論が伏線として機能してしまった形だ。
確かに、何もかもが異常という作品は存在している。
だが、この作品は“普通に直す”ことが作品のガジェットになっているため、その手段は使えない。
謂わば作品自体の“普通”が失われたために、早々に破綻を来した。
そう推測するのが自然なように思えた。
とすれば――
(劇薬過ぎるか?)
とも思うが、こちらは常識人であるはずの大の大人が寄って集っているのである。
いざとなれば、何とかなると思うしかない。
願は意を決すると、出版社に連絡を取り「スタジオ蟷螂」を名乗る。
すでにある程度の知名度を獲得していたのか、思っていたよりもあっさりと話が進んだ。
出版社に赴く手間はさすがに省くことは出来なかったが「エラって、宇宙人!」が掲載されていた雑誌の編集長に会ってからは、トントン拍子に話が進んだと言っても良いだろう。
そして残酷な話だが、どうもこちらの申し出は渡りに船――言い方を変えれば青黄という漫画家を体よく厄介払いしたい、という編集部の意図が透けて見えるような気が願にはした。
若井と編集長の話し合いが電話越しに行われ、青黄の担当編集に連絡が行き、明日の昼には青黄が事務所を訪れるという段取りが付いてしまう。
そして今日という日を迎えたわけだが――
目の前の席に座る若井からは、生気が感じられない。
監督の犬と化した“アシスタント”が付かないプロデューサーは、一晩中かけずり回されたらしい。
願も編集部から出た後に、ガラケーを事務所名義で契約。
バイト明けの猪野を捕まえて、強引にそれを渡したまでは良かったが、何だか興奮気味の猪野がそこから解放してくれず、結局終電を逃してしまう。
それを恨みに思いながらも、今度はさすがにタクシーを使うことに躊躇いはなかった。
もちろん、家に戻るのではなく事務所に戻るためである。
願は、そこで今日の自分の仕事を打ち切りにすることが出来なかったからだ。
だから帰り道の途中、見つけた24時間営業の書店に駆け込むと青黄の漫画を買い込んでおく。
仕事を依頼しようというのに、何も知らないでは済まされないと、願としては常識だと思われる行動をとったことになる。
富山と未生がカンヅメにされている事務所に帰り、全員が忘れていた食事をコンビニ弁当でモソモソと済ませた。
それから願は未生が持ってきた第一話の叩き台を読み、SAN値をガリガリと削りながら青黄の漫画を読んでいる内に、寝落ちしてしまったらしい。
――それが願の昨日の終わりであった。
そして、突っ伏していた机から顔を上げると、燃え尽きた様子の若井がいたという具合である。
「……おはようございます」
「……感情が摩耗してるなぁ、岸君」
そういう若井の声にも感情がない。
「猪野に携帯を渡しました。青黄さんの漫画を買ってきて――これも経費で――勉強中に脳のヒューズが飛びました」
「淡々と恐ろしいことを……」
「プロデビューの最初の漫画からして、ここまで混沌だとは思いませんでしたので。それでそちらは?」
「俺? 俺の報告がいるか?」
若井の眼の下にはクマが張り付き、無精髭も伸び邦題だ。
恐らくは自分もそんな有様なのだろうと願は、半ば諦めと共にそんな若井を受け入れた。
青黄が来る前に、どこかでネジを巻き直す必要性はあるが、それは今ではない。
若井の仕事の経過を認識しておくことは、もう一つの職業意識の高さが要求している。
「いりますよ。監視役なんですから」
「その設定、無かったことにしようや」
「それ……僕じゃなくて、上に言ってください。とにかく、昨日どうなったんですか?」
「まぁ、俺もアホやないから将来に向けて人が集まって作業できるハコ? まぁ、仕事場は手配しとったんやけどな」
願は鷹揚に頷いてそれに応じた。
「……なんや、驚きがないな」
「若井さんに、そういう手抜かりがあるとは思えませんから」
これまた、感情がすり減った声で応じる願に、さすがの若井も複雑そうな表情を浮かべるが、とりあえず話を先に進めた。
「問題は何処の制作会社を中心に下請けに出すかや」
と、若井はまず切り出した。
「スタジオ蟷螂」専属にアニメーターを集めてしまえば、資金力の違いから人が集まりすぎてしまう。つまりは強制的にアニメ界の再編が行われることになってしまうのだ。
そこで「スタジオ蟷螂」経由の仕事は、あくまで他のアニメスタジオに在籍したままで、かなり割の良いアルバイトと捉えて貰って協力して貰う。
ほとんど、このやり方しかできないと言っても良い。
この方式で一社にまかせてしまえれば、色々とはかどるだろうが、そう上手く事は運ぶとは若井も細川も考え邸はいなかった。
各スタジオ間の連絡が重要になってくるが――“制作進行”は二度死ぬものだし、そこは業界の慣例に則って、目を瞑るしかない。
それでも、メインとなるスタジオは決めておくべきで、それは細川の希望を通した方が良いのだが――
「前にも言ったが、俺はアニメの命は“動き”やと思うとる。ここは細川君が何を言うても譲らん」
なるほど、そこで言い合いが起こっているらしい。
「……やけど、キャラデザも決まってない現状ではなぁ」
「しかし自ずから技術力のあるスタジオを選ぶということになるんですよね?」
「例えば?」
「え、えっと……シロッコとか先斗アニメとか」
あまりにもザックリしすぎている上に、雑誌の受け売りでしかない。技術力が高い、となるとまず名前が挙がってくるスタジオだ。あとは……カルタだろうか?
「シロッコはアカン」
だが日本最高峰とも言えるスタジオを、若井は即座に否定した。
「あそこの連中の腕は信用できん」
「え? でも文句なしに綺麗ですよ」
「技術力は確かにあるやろ。やけど、自分の腕を安売りするような連中、信用できるか」
「安売り、ですか?」
願は首をかしげる。
「だいたいやなぁ、あのスタジオ、頭おかしいねん。あんだけレベルの高い仕事しておいて、最後にダバーッと台無しにしよる。声優の演技でな」
「ああ……」
「俺やったら、あんなことされたら刺すわ。『俺の仕事、なんやと思うとるねん!!』ってな」
どうも極端に過ぎるような気がする。
だが、確かにあのスタジオの作る作品の声優の演技は到底肯定できるものではない。
「そもそもや。演劇の大元からして“大げさ”に演じるところからはじまっとるわけや。フィクションであれノンフィクションであれ濃密な一瞬を再現するわけやからな。意識せんと演じとったら、シナリオに飲み込まれて本読んでるのと変わらんくなるわ」
「それが、今のシロッコの問題とどう繋がるんです?」
「つまり、自然さを求めるにしてもそれは、研鑽の果てにたどり着いた“自然さ”を要求すべきで、そういう声優を選んで、監督がディレクションすればええねん。最高の仕事をしてくれたスタッフの苦労に報いるためにもな。最初から素人使うとけ、言うんはただの手抜きや――アレで世に出してしまう神経を疑うわ」
「――その点、細川さんは?」
熱くなる若井を見て願はあええ話題をそらした。
“ただの屍”の一歩手前だった若井に生気が戻っているのはわかる。
だが、それで外見まで元に戻るわけではない。結果として、それはどこか狂気を感じる有様だ。
端的に言うと、そのまま話を続けるのは怖い。
「うん、そのあたりはちゃんとオーディションをしましょうということで、通常通りやな。まぁ、オーディション無しで何人かはオファーしよう、いう話にもなっとるが」
「オファーですか?」
「『豪華声優陣!』というのは強力なコピーになるからな。あと細川君が座長とは別に、年長者のレギュラーが欲しい言うとったから、これも間違いないところやろ」
「座長?」
「ああ、要するに主役やな」
未生の第一話だと、主役とその他の五人の能力者。
冒頭で死んでしまう暴炎役は外すとして……あの辺りかな? と願は何となく想像を巡らせてしまう。そしてその隙に、
「で、頼むスタジオな」
若井が元に戻してしまった。
「とにかく、シロッコの連中には頼まん。技術力は認めるが、仕事を頼めるメンタリティや無い」
「まぁ、そもそも外注を受けるのか、という疑問がありますが」
シロッコが、自分たちのところ以外の仕事をしているのは願の記憶の限りではない。
「そやな。俺も最初から頼もうとは思ってなかった。細川君も考えてなかったようやな」
では、あの強烈なシロッコdisは何のためだったのか……
しかし考えてみると、シロッコの名前を出したのは自分であったことに願は気付く。
それに気付いてしまうと、迂闊にあれこれと口を出すこともはばかれた。
幸いにも、若井の話はなおも続く。
「で、先斗も今は自社作品を回すのに専念したいとこやろうし――一つ、注目しているスタジオがある。で、これに関しては奇しくも細川君と意見が一致した」
それは……
「そこで決まりじゃないですか」
「やけど、問題がある」
「なんですか?」
「知ってる限りでは、がっつりとした戦闘シーンはやったことないんや。そこで迷うとる」
色々とままならないものだ。
だが、名前を……聞いてもきっとわからないだろうから、作っているアニメの名前だけを聞いてみると、
「『行き先知らずのGOING!』やな」
それは、いわゆる日常系にカテゴライズされるアニメで間違いなかった。
願の苦手としているジャンルのアニメで、熱心にチェックをしていたわけではなく、配信しているのに気付いていたら見ていたぐらいだ。
その印象だけで良いのなら、確かに戦うアニメを作っているようには思えない。
それに、それほど技術力が高そうにも思えなかった。
その疑問を素直に若井にぶつけてみると、若井は首を振りながら、それを否定する返事を返してきた。
「いや、あそこの仕事は先斗に匹敵するで。やけど、新しいスタジオやからとにかく体力無くてな。まぁ、ここに任せきりというわけにもいかんわな。それで、他にもあちこち声をかけなあかんくなって……」
「それが昨日の仕事ですか」
「いや、それに加えて演出から、それこそ制作進行までスタッフを細川君のコネを中心にして声をかけ……」
さすがに願も若井が気の毒になってきた。
そんなのを、一晩でやりきろうという発想がもう狂気だ。
「おはようです」
そして、まるで見計らったかのように細川が事務所にやってくる。
まだ九時前――で、間違いない。
スマホの時計を確認した願は、続いて確認した細川が至って元気そうなことに驚く。
細川も若井と同じスケジュールをこなしてきたはずなのだが。
「ホテルに閉じこめたお二人は、青黄さん――でしたか。その方が来られるまでには、こちらに顔を出すようにお願いしてます。若井さんは僕とキャラクターデザイン候補のスケジュールを確認しましょう。猪野さんに携帯は渡してますよね? あの人はもう合格で良いですから、スケジュールを抑えましょう。プレスコでやるつもりはないですが、早いに越したことはない」
そのまま矢継ぎ早に指示が出される。
「おはようございます」
そこに再びの挨拶。
細川の背後に現れたのは有原だった。
昨日から吹き荒れている、細川のもたらした嵐も有原を巻き込むことは出来なかったようだ。
細川の指示がピタリと止まる。
そして自分の席へと向かう、有原を三人の視線が追った。
それに何か応えなければならないと、有原が空気を読んだのかどうかはわからないが、自分の席に着くとこう告げた。
「……何をするにしても経費申請だけは、一日ごとにお願いします」
控えめながらも、もっともなその意見に三人は思わずうなずきあって、有原の机の前に並ぶところからその日の仕事を開始した。
展開が単調かなぁ、と思ったら作品内作品を書いていく姑息な手段。
ちなみに、今回名前だけ出てきた漫画家にモデルはいません。
ただのフィクションです。
まぁ、次の回でがっつり出ることになると思いますが、先にお断りを。




