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職権大乱用編

11.


 まず猪野と会う段取りを考えなければならない。

 今日は、バイトのシフトは休みである事は確認している。

 だから通常であれば呼び出すなり、赴くなりすれば済む話なのだが、何しろ相手は猪野だ。

「今更ですけど、未生さん。お時間よろしかったですか?」

 雑居ビルを出て、上井草の駅前へと向かいながら、まず眼はそれをそれを確認しておく。

 未生は、うなずくだけで願の問いかけに応対した。

 警戒されているのか? とも思うが、警戒されて当たり前である事に気付く。

 何しろ、ほぼ初対面であるのだ。

「目的の相手は秋葉原にいますので……どうしましょうか?」

 出来すぎのような気もするが、猪野の住んでいる部屋は秋葉原にある。実際問題として、家賃が安めであるらしい。

 しかし、連絡手段がないと本気で不便だ。

 何とかして、携帯――ガラケーで構わない――を持たせるしかない。

 実際、大見得切って飛び出したのに、猪野に会えるかどうかは博打状態なのだ。

 一応その旨も、伝えてみるが事情を察してくれたのか、未生はおもむろにうなずいた。

 そして、初めて願の目を見ながら例の箇条書きで要求を伝えてきた。

「一つ、公共交通機関の方が時間が掛からない。

 二つ、タクシー代は厳しい。

 できれば、電車で」

 向かう相手が経済事情が芳しくない――猪野の場合、金の使い方がおかしい側面もあるが――事を受け入れての要求であるから、なるほど駆け引きも上手い。

 それに、自分で代金を出す事が前提となっているのも、何だか微笑ましい。

 いくら何でも、これが経費で落ちないはずもないと思うのだが、確かに電車を利用した方が早く秋葉原にはたどり着けそうだ。

「じゃあ、電車にしましょうか」

 再び、うなずくだけの応対に戻る未生。

 こうして並んで歩いていると、思った以上に身長差がある。

 果たして、この距離感を埋めるべきなのだろうか。

 願は、APアシスタントプロデューサーとして取るべき距離感がよくわからなかった。


 トントン拍子、というのもおかしいが上井草から西武新宿線、山手線と乗り継ぐ道すがら、引っかかるようなことは何もなかった。

 時刻としては、午後二時前後といったところだろうか。平日でもあるし普通の勤め人なら営業回り以外は、そうそう出歩く時間帯ではない。論理的帰結として、車内はさほど混んではおらず、そうなると人間的対応というものを迫られる気がしてくるから不思議だ。

 少しはコミュニケイトを計らないと、まずいような気になってくる。

「え~……」

 そこかしこに空いている席はあるのだが、結局二人は扉近くに並んで立っていた。

「……これから会う男について、少し説明をしておきましょうか?」

 半ば義務感と共に、そう語りかけてみると未生は少し首をかしげ、そのまま頭を振った。

「……一つ、私は友達を紹介されるわけではない。

 二つ、そうであるならば、人伝ではなくて自分の目で最初に見てみたい。

 結論。気遣いだけは有り難く」

 若井とはまた違った意味で、難物であり、そして真摯でもある。

 そうなると未生の意思を尊重して、猪野との対面を新鮮なまま保存しておくしかないわけで、つまり話しかけて早々に話題を失ってしまったことになる。

 会話を初めて、秒針が一周する前に終了、というのは出来れば避けたい。

「わ、若井さんも随分キツい事、言ってましたね」

 そのために焦ったせいか、出てきた言葉はおおよそ最悪のものだった。

 陰口。上から目線の同情。建設的ではない繰り言。

 眼は思わず顔を覆いたくなる。

「じ、じ、じ、自分の考えたものを否定されるのは……悲しくなる」

「で、ですよね」

 だが、願の後悔に構わず未生がそれに乗ってきた。

 どうやってこの話を終わらせようかと願が一瞬の思考に気をそらした瞬間、未生が意外に思える言葉を発した。

「だ、だ、だ、だけど有り難い」

「有り難い?」

「い、い、い、今までの編集は『ダメ』としか言わなかった。あ、あ、あ、あのプロデューサーは作品に対して何が足りないのか、し、し、し、指摘してくれた」

「それは……」

 何とも返答のしようがない。

 結論だけで判断するなら、前向きで結構なことだ、とあっさりと流してしまえるがその前の説明に、苦労が偲ばれる。

「あの人は、確かに作品アニメを作ろうとはしてますからね」

 再びうなずきだけで答える未生。

 元より、始め方が間違っていた、この会話はこれでおしまいだろう。

 だが、願は無理に会話を再開させようとは思わなかった。

 少しだけだが、願は未生との距離の取り方が見えた気分になる。

 長い付き合いになるはずだから、無理はしなくて良いのだ。


 そして、次に願が相手にしなければならない相手に距離間は必要ない。

「必要なのは気合いだけ」

 というのは果たして偉人の言葉だったか、狂人の言葉だったか。

 なんにしろ、あらゆる局面に対応できる名言などないわけで、たまたま猪野と付き合うときに、何より必要なものが気合いだった、というだけの話だ。

 そして、それよりも前に、まずこの場で必要なのは猪野と無事に会えるかという“運”であることも間違いはない。

「お」

 願は、まずその賭けに勝った。

 華やかな電気街から、裏手、裏手に回ったところにある木造アパート。

 その玄関先ともいうべき細い路地で、願は無事に猪野と会うことが出来た。

 未生には、駅前のファーストフード店で待って貰っている。

 いるかどうかわからないのに、無駄足を踏ませるわけにはいかなかったからだ。

「猪野……」

 たっぷりと含みを持たせた、芝居がかった声で名を呼んだ。

 近場の買い物ぐらい――猪野はコンビニのビニール袋を右手に吊していた――気軽な格好で出かければいいのに、最初に会ったときと同じような出で立ちをしている。

 つまりは今にも、スーパーロボットに乗り込みそうな風情だ。

「なんだ、願ではないか」

 十年来の友人のような気安い挨拶に、一瞬で願の中の殺意に似たものが沸騰するが、それを無理矢理押さえ込む。

「用があるんだ。今日は休みだろ? 付き合ってくれ」

「休みだからこそ、訓練の予定が……」

「お前の元居た世界な」

 用意していた言葉を、願はぶつけることにした。

「敵が攻めてきた時に『今日は予定がある』と言ったら、引いてくれるような親切な敵ばっかりなのか?」

「む……」

 猪野の文法に乗っかって退路を断ってやる。

 その後の、猪野の返しを三通りほど考えているが、どの手で来るか。

「……さすがだ願よ」

 いきなり想定外だ。

「さすがは、この俺に道を示した男。常に戦場に心を置いた忠告、骨身に染みた」

「…………」

 今なら、どんな邪教にだって魂を売り渡せるかも知れない。

 だが、入信する前にやらねばならぬ事がある。未生を秋葉原まで引っ張ってきたのは、他ならぬ願自身なのだ。

 その責任だけは果たさなければ。

「確認するまでもないと思うが、昨日話した内容を覚えているな?」

 こんな当たり前の所から確認しなければならないとは情けなさも感じるが、猪野を動かすには面倒な手続きが必要だ。

「無論」

「お前の……その『聖悟洲連邦』への回帰を目指す上で、新しいアニメを利用できるかも知れないと昨日話したな。それを具体的に出来るかも知れない人を、近くまで連れてきている」

「ふむ」

「いっそのこと、お前をモデルにしてしまえと提案した。何処まで話がうまく転がるかはわからないが、まさか目の前の可能性を捨てたりはしないよな?」

 常に挑発傾向で言葉をつなげるのが、猪野を誘導する上でのコツだ。

 ……そうとわかるまでに、随分な時間を無駄にしてしまったが。

「そこまで言われては、時間を置くことも惰弱に思えるな。すぐに会おう。どこだ?」

 見事なほどに食いついてきた。

「駅前で待って貰っている。ちょっと待て――とりあえず、お前に会えたことを伝えておかないと。それにお前を、ファーストフード店に連れて行くわけにはいかない」

「うむ。万が一の場合、迷惑を掛けることになるからな」

 この微妙にベクトルがずれた感じが殊更にイラッとする。

 だが、結論としては間違っていないので勇気を持ってスルーすることにした。

 願は先ほど聞いておいた未生の携帯へと掛けてみた。

「――はい。はい。ええ、無事に会うことは出来まして。それで、そのややこしい相手なので」

 かなり悪目立ちする、と言うことを何となくニュアンスで伝えようとする。

『一つ、騒ぐのが前提の店。

 二つ、騒いでも良心が痛まない店。

 この条件でどうか?』

 二つめの条件が、謎すぎる気がしたが猪野の存在自体が普通の店ではオーバーフロー引き起こしかねない。

 本当にあるとするなら、それぐらいの店の方が有り難いぐらいだ。

「じゃあ、その店をお願いできますか……どうすれば?」

『一つ、電気街にある。

 二つ、戻ってきて貰った方が効率が良い』

「……ですね」

 話し方は特徴的だが、未生の常識のある対応に心癒される願。

 だが、それも僅かの後には裏切られることとなる。

 そして、強制的に悟ることになるのだ。


 ――物書きに、まともな性格の人間など存在しないということを。


 淡いというよりは、単に薄いと表現したくなるパステルカラーの壁紙。

 いかにも安物で、しかも雑に貼られているので手作り感が溢れている。

 円形に配置されたビニール革のソファ。その中央に、これまた百円ショップで売っているんじゃないかと疑えるほどの、四角い箱にしか見えない、恐らくはテーブル。

 そのテーブルの上には、らしい容器に移しただけの炭酸飲料が、すでに存在意義である炭酸を失いつつあった。

 ――一杯、五千円もするのに。

「つまり、その段階で俺は二択を迫られていた。奴等――もちろんこの場合の奴等というのは、先ほどまで話していた波音離パネリの中の内部抗争――これは王党派と臣革派があり、俺が相手していたのは臣革派の……そうだな三番手といったところの鯱震宮主が当面の相手だったな。本来であれば、俺は奴等の内部抗争など知ったことではなかったが、聖悟洲連邦も一枚岩ではない。卑劣にも――」

「ふむふむ」

 応じる未生の声が清々しいほどに“棒”だった。

 それでいて、浮かべているのは笑顔。手元には当初の目的を忘れていないのか、ちゃんと猪野の話のキーワードを記した大きめのメモ帳。

 まさか、丸ごと猪野の妄想を採用するわけではないと信じたい。

 何しろ昨日の今日で、微妙に設定が変わっている。それを猪野に指摘したところで、

「“ズレ”の具合で、記憶も細かなところは変化する」

 ――などと言い出すのは、昨日経験済みだ。

 もちろん、今日に限って言えば願は猪野に正面から付き合う必要はない。話半分どころか、相手を未生に撒かせて、自分は気の抜けたコーラでも飲んで、グラップラー気分を味わっていれば良かった――はずだった。

 この店がただの飲食店であれば。

 今、願達の他に客はいない。猪野の大声に他の客が引き返してしまうからだ。先にいた客も猪野を言い訳にして、退出してしまっている。

 そして、本来の目的であれば願や猪野の横に腰掛けて、話し相手をつとめるはずの女の子と体も遠巻きにこちらを見つめていた。

 女の子達の出で立ちは、いわゆるメイド服。

 店に入ると、

「お帰りなさいませ」

 とか、挨拶してくれる“例のアレ”の亜種の店あることは間違いない。

 それに加えて店の個性として、女の子達が逆の意味で粒ぞろいで、料金設定が個性的に過ぎるだけだ。

 あと、女の子達にメイドに必須の“ご奉仕の心”はない感じ、と言ったところだろうか。

 遠巻きに見つつも、その険悪な視線からは、猪野への殺意に近いものがある。

(集客ノルマであるんだろうなぁ……)

 と他人事に考えてしまうのは、一種の現実逃避なのだろう。

 そして、未生がこの店を選んだのは……想像でしかないが、過去にここに引き込まれて酷い目にあったのではないだろうか。

 編集に連れてこられて、割り勘にされたとか。

 もちろん、この店の払いは経費で落とすつもりだが、そうであるならば未生が笑っている理由にはならない。

 猪野の特殊性を把握。その上で、普通の店には厄介な存在であることを期待して、一種の意趣返しのつもりでこの店へと誘導したのではないか?

 で、それが上手くはまりすぎていて、笑いを抑えられない。

 この推測が一番、しっくり来るような気がする。

「――未生さん」

 ごく自然に猪野の妄言を無視して、願は未生に話しかけた。

「この店を選んだ理由は今は問いませんけど……このままだと、頭に“や”の付く自由業の方々が来そうなんですけど」

 現に、マネージャーらしき黒服が、これ見よがしにどこかに連絡を取っている姿を、願は目撃していた。

 猪野は、今まさに異世界からこちらに飛ばされる瞬間を描写していて、見事にトリップ中だ。二人のひそひそ話に気付く気配はない。

 そんな中、未生は例の箇条書きで答えを寄越した。

「一つ、私達の活動は世界平和のためである。

 二つ、特殊な職業に従事されている者は優遇されて然るべきである。

 結論。暴力には暴力で対応」

 思わず目を剥いて、マジマジと未生を見つめてしまう願。

 ただ単に、この店への意趣返しだけでなく、未生はこのプロジェクトの真偽のようなものを確かめようとしているのだ。

 その欲求は、ある意味自然かも知れないが、このやり方はいかにも危なすぎる。賭けに負けた場合のことを想定しているのだろうか?

 そして実際問題として、このままでは自分も巻き込まれてしまう。

 だが、それだけに願の決断も早かった。電波を遮断するなどという特殊な装置があるはずもない店内から、頼るべき上司に連絡を取る。

『――なんや、岸君。俺は絶対に合流せえへんぞ』

 連絡を取った瞬間に、いきなり拒否られた。

「合流はしなくても良いですが、一つ実験してみたくありませんか?」

『実験?』

 猪野には猪野の。

 若井には若井の。

 自らの望む成果を引き出すために、対応を変えるのは必然なのか?

 それとも卑怯なのか?

 そんな感情を抱いてしまうこと自体が願の若さの現れなのだが、それだけに自らの未来に期待する感情も強い。ここで安易にゲームオーバーを選ぶ選択肢すら、願の中には発生しなかった。

『――なるほど、俺達が唱えているお題目が何処まで本当なのか知りたいというわけやな』

 ざっと状況を説明すると、すぐにこちらの要求を察してくれた。

 そういう意味では頼れる上司だ。

 しかし、文句もある。

「……都合良く僕を混ぜないでください。僕だって、上から言われているだけで、このプロジェクトが“本物”かどうかの確証はないわけですし」

『おいおい、前に現場見せてやったやろ』

「あれは、実質こっちのプロジェクトとは関係なかったじゃないですか」

『言うたな~……まぁ、実際、俺も確かめてみたくはあるな』

 上手い具合に好奇心を刺激できたらしい。

『これから先、BPOやら、PTAと戦わなアカンのやから、ヤクザごときにびびってはられんな』

 逆に、若井の中の戦力評価に願の好奇心が刺激されたが、その気になってくれたことは有り難い。

「じゃあ、お任せしてますよ」

『やってみるか。時間の余裕はあるか?』

「多分、あんまり……」

『それも伝えるか』

「よろしくおねがいしますよ。それじゃ……」

 とにかくこれで、若井への連絡は済んだ。

 そうして未来の危機に対応してる間に、予想された今そこにある危機はどういう局面を迎えているのか。

「一つ、もう一度言って。

 二つ、もう一度言って。

 結論。そこを詳しく」

「お、おおう……」

 物書きが、中二病を圧倒していた。

 それにしても、未生はこちらの連絡結果如何では未来が大変なことになるはずなのに、若井への連絡結果を尋ねようともしてこない。

(やはり、この人もどこかおかしい)

 と願が諦観の境地に至っている一方、誠にしょーもない理由ながらも危機に陥っているのは猪野だった。

「一つ、“フェリュデュラーセ”なる単語の意味はズレと解釈して問題ないか?

 二つ、今まで漢字で表記できる単語で表現してきたのに、いきなりアルファベット圏内の言語に近づいたのは何故?

 結論、設定の詰めが甘い」

「せ、設定とか言わないで貰えるか。たとえ、こちらの人間には知覚できなくとも、これは現実に――」

「ず、ず、ず、ズレでいいの?」

 何とも、危なっかしい会話の姿がそこにあった。

 崖っぷちで、ハンドルが壊れた車を運転しているような危なっかしさだ。救いを求めるなら、願自身はそれを俯瞰しているような状態であることだろう。

 すでに、この店に迷惑を掛けることを大正義にしてしまった以上、願にこの会話を止める理由も修正する理由も存在しない。

 未生の再度の確認に猪野はイヤな顔をしながらも、なんとか返事を寄越した。

「……あえて平易な単語に置き換えるなら、確かにフェレデュラーセはズレと解釈しても仕方ないだろう」

「ま、ま、ま、またそのズレの呼び方が変わった」

 手元のメモ帳のキーワードを、未生は修正する。

 律儀に変わるたびに修正しているのか、二重線での訂正の跡は、すでにページ一つを塗りつぶしそうだ。

「それは仕方がない。元よりこちらの世界では発音することも難しい言葉だ。漢字での表記が出来ないのも、それが主な理由になる。これでも俺はすりあわせを行って、説明しているのだ」

 段々と、猪野の反応もけんか腰になってきた。

「……一つ、考えてみればどんな呼び方でも問題ない。

 二つ、どうせ採用しない。

 結論、話を先に進めて」

 本気の中二病きょうじんよりは未生ものかきの方が、ある程度は道筋が見えているようだ。

 道筋。

 確か、ここに来た目的は猪野のキャラクターがアテ振りとして使えるか――ではない。

 無敵だと思えるような能力者を設定することだ。

「うむ。確かに俺の話が巷間に広く流布することは避けた方が良いだろうな。無用の混乱を招きかねない」

 その割には、請われるたびに開陳しているけどな、願は一応心の中で突っ込んでおく。

「一つ、それであなたの元の人格は完全に無いの?

 二つ、一番しっくりきた人格で統一すれば?

 結論。わざわざ現実に不具合を起こしてまで、回帰を目指す理由は何?」

 未生は馬鹿にして聞いているわけではない。

 キャラクターの背景を固める――そういう傾向が強いらしい未生にしてみれば、あるいはこの質問こそが本命なのかもしれない。

 その本気具合を悟ったのか、猪野の表情も引き締まる。

「貴様……名をなんといったかな?」

 もちろん、自己紹介は互いに終えている。

(これは……)

 演出(自己陶酔)に入ってやがる。

 願は心の中で、苦虫を噛みつぶした。

「春。未生春」

 だが、未生はあっさりと返事をした。早くも猪野の流儀を把握し始めたらしい。

「では、春よ。感情とはそれほど簡単なものではない!」

 突っ込み待ちとしか思えない台詞と共に、猪野はお粗末なテーブルの上に立ち上がった。

 ギシギシとイヤな音を立てるが、とりあえず一人分の体重ぐらいは支えられるようだ。

 むしろ問題は、一気に緊張感を増した店員の表情の方だろう。

「懐かしき場所に戻りたいと思う、望郷の想い! 日頃抱えているもどかしさが、それによって消失するという快楽! 再び戦線に復帰し仲間のための戦えるという男子としての本懐! 我が身に向けられた想いに応えるという義務を果たさなければならぬという使命感!」

 他を圧する大音声。

 さすがは履歴書に、

「職業・声優」

 と書き込めるだけのことはある。

 だが、それをこういった店で行っては営業妨害と詰られても仕方ないだろう。

「それら複雑な感情をない交ぜにしたものが理由だ! そこには己の名誉欲を満たすものから、あるいは自犠牲的な奉仕の心もあるかも知れん――そんなもの、一言で説明できるものか!!」

 投げた。

 が、確かに猪野の中にはそういう心情があるのだろう。

 まとめてしまえば全部「自己陶酔」で済ませられるかも知れないが、さすがにそれも気の毒に思えてきた。

 たとえズレていても、猪野の真剣さは疑うべくもない。

 ――しかし、この話は無敵にヒントになっているのだろうか?

 さすがに、未生に確認したくなってきたが、そろそろ周囲の空気の剣呑さがマックスのような気がする。

 そんな空気を感じることもないのか、未生はただひたすらに猪野を見つめていた。

 そして、やおらメモ帳に視線を落とすと、後はひたすらに何か書き込んでは、ページを繰り続けている。

 何か、ヒントらしきものはつかめたようだ。

「……願、この女は結局なんだ?」

 さすがの猪野も、未生の興味が自分からそれたことには気付いたようだ。

「新しいアニメの原案を作ってくれている人だ。本採用になるかはわからないが、ウチのプロデューサーが推しているので、多分このままいくんじゃないか」

 疲れたように願が応じる。

 その前に、萌え記号の専門家との戦いと――何だか若井が見込んでいいるらしい未生の謎部分があると思うのだが、結局、今日はわからないままだろう。

 その時である。

「邪魔するでぇ」

 発音だけなら、若井に似た言葉が願の耳朶を打った。

 ナイスタイミングと言うべきか、ついに来るべきものが来たというべきか。

 店内に、明らかに堅気ではないド派手なスーツに身を包んだ男が乗り込んできた。

 衆を頼む、の戦術の基本には忠実なのか、その背後にはこれまた若井をリスペクトしたかのような出で立ちの、チンピラ風の男が三人。

 チビ、のっぽ、デブ、と昔のロボットアニメの脇役テイスト溢れる配役だ。

 となるとリーダーの男は何役になるのかな?

 と、願が馬鹿なことを考えている間に、男達は三人のテーブルに近づこうとする。

 だがそれよりも先に、猪野はテーブルから必要以上に勢いを付けて飛び降りると男達の進路に立ちふさがった。

「貴様ら、一体何だその様は!」

 そしてまさかの先手。

「いい年をした大人が、そんな馬鹿丸出し、社会の底辺で蠢いています、などと声高に主張するような格好をして! 恥というもの知んのか! 恥は!」

 ……などと、ヒーローコスをした男が喚いております。

 願は、半ば幽体離脱したような心持ちで、冷静な実況を頭の中で再生させる。

「ンだぁ! てめぇ!」

「そういうお前の格好はなんなんだ!」

「公共の場所で、大声を出すような奴に言われたくないですなぁ」

 デブ、のっぽ、チビから案外冷静な突っ込み。

(この脇役、やる!)

 などと、アニメの台詞で混ぜっ返している場合ではない。

 道理が向こうにあるような気がするのもまずい。悪質メイド喫茶のケツ持ちをしている自由業の方々なのに。

「いやぁ、この場合は話が早いんとちゃうか?」

 兄貴分の、ド派手スーツがニヤニヤ笑いを浮かべながら、猪野の肩に手を置いた。

「こっちも善良な兄さん方を相手にするとなると、ちょっとはな、心が引けるンやけど」

 兄貴分は猪野を睨め上げた。

「最初から、そういう態度やったらこっちも遠慮はいらんわなぁ。兄さん……」

 兄貴分は顎で子分達に合図をした。

 子分達が一斉に腰を落として散開する。

「筋もん、舐めたら高うつくでぇ!!」

 何処の組の者かわからないけど、これで暴対法違反は濃厚。

 問題は、法律は目の前の暴力から自分たちを守ってくれないと言うことだ。若井への連絡が効果を発揮するとしても、時間稼ぎぐらいはするべきだろう。

 男二人で抵抗すれば、幾ばくかの時間は――

 願が立ち上がりかけたその時、再び店内に侵入者が現れた。

 侵入者――普通なら新しい客と言うべきなのだろうが、その人物は異質すぎた。

 中身だけで言うなら、いわゆるロボットアニメのタンク担当。糸のような細い目に、がっしりとした体格。ここにいるデブが戦死した後に、補充要員としてやって来た、と想像をつなげるとどこかしっくり来るような気がする。

 だが、問題はその男の出で立ちだ。

 迷彩服。

 しかも――どうも本物臭い。

「失礼。岸願さんは、どちらにいらっしゃいますか?」

 見かけを裏切らない野太い声で、男は願の名を呼んだ。

 店内の剣呑な雰囲気をまるっきり無視している。男にとって、この程度雰囲気は児戯に等しい、と主張しているかのようだった。

「はい。私です」

 元々立ち上がりかけていた事もあって、願はその勢いのまま挙手して返事をする。

 そうすると男はニコと破願して、

「よかった。自分は陸上自衛隊第一師団第一偵察隊所属の古川三尉です」

 言いながら、古川は身分証を願とその横に並ぶ猪野に提示した。

 それを誰よりも確認したかったのは、ケツ持ちをしている連中だった。

 先を争うようにして、それを覗き込み本物らしいと気付いて、願と古川を交互に見る。

 何故自衛隊が出てくるのか、理解できないのであろう。

 そして、それは願も同じ事だ。

「じ、自衛隊の方? 一体どこから?」

 警察が乗り込んできてくれる以上の想像を働かせていなかった願は大いに焦る。

「連絡を受け、すぐに実働できるのが私の小隊でした。後はヘリで……」

「ヘリ?」

 確かにそうであれば、色々なことに理屈はくっつく。

 何処に降りたんだ? という疑問がつきまとうが、それは無視スルーすることにした。

「おいおいおい、横から出てきてしゃしゃり出てきて、何様ですかァ?」

 勇気と無謀をはき違えた兄貴分が、古川に突っかかる。

「あ、兄貴……」

「黙っとれ! この稼業はイモ引いたら仕舞いなんや!!」

 これも職業意識の高さと言うべきなのか。

 願は少しばかり兄貴分を尊敬しそうになった。

 だが古川は、当たり前に兄貴分の恫喝に怯えることもなく、手近のテーブルからメニュー表を取り上げた。

「……なかなか面白い値段を付けているじゃないか」

「そんなん、こっちの勝手やろうが!」

「君、所属は?」

「なんやわれ! アヤ付けとんのか?」

 兄貴分は、フラワーホールに輝く金バッチを見せつけた。

「ワシらは、麦野会一柳組のもんじゃ」

「ありがとう。素直に教えてくれて助かる」

 そういって古川は、ごつい軍用の無線機でどこかに連絡を取った。

「……われぇ」

 兄貴分の、額に冷や汗が浮かんだ。

 俗に言う「イヤな予感しかしない」という状態に陥っているのだろう。

「君には転職をお勧めする。いや、そうせざるを得ないだろう。何故なら――」

 古川は、細い目を見開いて兄貴分を真正面から睨み付けた。

「今から! 君の所属する組織は! 地上より消滅する!!」

 …………ああ“こちら”の方でしたか。

「本物の暴力を教えてあげよう」

 ………………しかも、コンボですか。そうですか。

 願が心底げんなりしている中で、自由業の方々にそういった素養はなかったらしい。

 本気で慌てている――いや、これ全部冗談なのか?

 願の背中にも冷たい汗が噴き出し始めた。

「な、な、な、な……」

 さすがに兄貴も虚勢を張っていいられなくなったらしい。

 そして、その瞬間、自由業三人の携帯が一斉に鳴り始め――すぐに鳴り止んだ。

「あ、マズいなこれ。死んでるかも知れん」

 心を戦場に置いてきているという猪野ばかが、その現象によってもたらされる無慈悲な予想を口にした。

「な、なんだと?」

「一瞬でも外部に連絡を許したのは不手際だがなぁ……お前達に対する警告のために、あえてそうしたのかも知れん。どうする? この親切を無視して突っ張るか?」

 なんの裏付けもないのに、上から目線で前に出る猪野。

「耳が痛い。だが、確かに警告かもしれないな」

 古川も一歩前に出た。

 二人に挟まれるようになったことで、居場所を無くした四人は、視線を様々に交錯させたあげく、結局一言も発せずに、店から出て行ってしまった。

「一つ、これでお前達の後ろ盾は消滅。

 二つ、今更の証拠隠滅は不可能」

「え?」

 いつの間にか、未生が哀れにも取り残された、逆の意味で粒ぞろいのメイド達とマネージャーに追い込みを掛けていた。

 さほど大きくもない、未生の前に六人もの人間が小さくなってしまっていた。

 今まで、自分を守っていた“虎の威”が、とんでもない形ではぎ取られてしまえば、そこに残るのは後ろ指を指される稼業を、曖昧な覚悟のままに続けていた半端者達ばかり。

 正しく、復讐者とその報いを受ける者達の構図であった。

 未生は、そんな彼らにとどめを刺した。

「――結論。滅びれろ」


 こうして一人の物書きは、己が巻き込まれた状況を利用して復讐を果たした。

 もちろん、これだけであれば非難されてもやむを得ないところではあるが、未生は日付が変わる前にもう一つの成果を示して見せた。

 無敵の“ひな形”を生み出したのである。

 時間都合などお構いなしに、若井に直接送りつけられたそのアイデアは、無事一次審査を突破することとなった。

これぐらいの長さが良いのかなぁ? と手探り状態ですが。

なんか、本気で一日ずつ描写しかねない。

どこかで加速させたいんですけどね。


多分、次も一週間以内を目指してます。

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