序章 地球危機編
1.
JR中央線・西荻窪駅から北へしばらく。
荻窪警察署を左手に見ながらさらに北上すると、計算されて配置されたというよりは、自然のまま取り残されたと表現した方が的確な公園がある。およそ、多くの者はこの公園の名称を個別認識していないであろう。地元の人間であればなおのこと。
この公園の名は「杉並区桃井原っぱ公園」という。
覚えた先から忘れてしまいそうな、散文的で情緒の欠片もない名前であるが、とかく人の世にあるものは何かしらの名称があるのもまた事実。
しかし今――午前零時。
その公園に蠢く複数の人影に名前はない。
全身黒ずくめで、頭部に白い仮面のようなものを身につけており背の高さは小学生児童ほど。
出で立ちが同じであるので、明らかに同じ種類に分類される“何者か”であることは間違いようもないが、やはり呼ぶべき名前が能の何処を検索しても出てこない。
いや――
一部の女児、あるいは「大きなお友達」と呼称される一軍は素直に、あるいは恐る恐るこの人影をこう呼ぶだろう。
「ドロッキー」
と。
それは日曜朝に、女の子が変身して悪者と正面からガチで殴り合う、人気番組に登場する悪者の下っ端に与えられた名前だ。
だがしかし、その名前をそのままこの現実世界に適応して良いものかどうか。
特に、目の前にいる「ドロッキー」は二次元から飛び出し、生々しい質感を獲得している。
だが、今はあえてこれらの人影を「ドロッキー」と呼ぶことにしよう。
このドロッキー達が十重二十重に取り囲む中心に、実在の疑いようのない小柄な青年の姿があった。
青年の口元が、ニヒルに歪む。
「ケ、ケヒャハハハハハ!」
どこか躊躇いがちな、それでいて奇矯と呼ぶに相応しい笑い声を青年は奏でた。
そのまま、開いた右手をドロッキーの群れに叩きつける。
通常であれば、その動作が物理的な効果を及ぼす事はあり得ない。せいぜいが微風を感じる、といったぐらいの所だろう。
だが青年のその動作は大気に渦を形成して、一気に数体のドロッキーを薙ぎ払った。
いや正確に言うならば、渦は青年の働きかけによって生じた結果に過ぎない。彼が行った一連の動作はは“不可視の力場”をドロッキーに叩きつけるために必要なことだった。
この青年の名は「田島修平」
職業は――声優である。
「杉並区桃井原っぱ公園」――ここから先は、一般の例に倣ってただ「公園」とのみ呼称するが、その外縁にスーツ姿の男達が配置されている。
揃いも揃って、強面であり夜中だというのにサングラスを標準装備をしていた。
それこそマンガの中なら出てきた、政府関係者――それも裏の仕事を引き受ける――のように見えるが、実のところ大体は当たりである。
日本という国は危機に直面すると法治国家を謳いながら、軽々と法の外に適当な役職を作って宙ぶらりんのまま運営する癖があるが、この面々もそういった役目を背負っている。
今のところは「選抜組」と呼ばれている、各省庁から集められた人員だ。
目的は、この公園内で行われている現象の秘匿。
そして、この現象に巻き込まれた一定の職業に従事する人間のケア。
「――今日は田島くんが空いていて、助かったな」
公園の入り口――策がないので形骸的なものではあるが――を固める一人が傍らの同僚に話しかける。
「しかし、明らかにオーバーキルという感じですが」
「なかなか適材適所とはいかないだろう。田島くんのような例は、幸運に幸運が積み重なった結果だし、結果として便利使いをお願いすることも多くなる」
「そうですね。シュウリンは中二病を煩った過去があり、将棋はアマ三段という戦術眼もある。そして≪鎧袖一触≫を演じている。確かにこんなに都合の良い話は他にないでしょうね」
話しかけた方が、一瞬渋い顔をしてみせるが、会話をそこで打ち切るつもりもないようだ。
何しろ、忠実に職務を果たそうにもこの時刻ではそもそも最初から周囲に人がいないのである。
「思うんだが、沢野さんに出てきて貰えば、何事も片が付くんじゃないか?」
「マコさんにですか? あの方もう七十を過ぎてるんですよ。いくら何でも、こんな事させられませんよ」
「……さっきからちょいちょい、何であだ名で呼ぶんだ。痛々しいぞ」
「もう仕事仲間ですよ。それにそちらだって、誰が誰のあだ名なのかわかってるんじゃないですか」
予定調和とも言うべき沈黙が訪れた後、おずおずと先輩らしい男が口を開いた。
「……それこそ、仕事仲間になるかも知れないから調べたんだ。だからこそ、沢野さんが演じたキャラクターが……」
「それがですね」
突然、後輩が声を潜める。
「マコさんは、最初やる気だったらしいんですよ。ほら、すごくいい方ですから」
「……」
先輩は何か言いたげであったが、口をへの字に結んでそれをこらえる。
「で、上の方も半信半疑で、こういう文化を理解してないでしょ。他にアテもないから一度お願いしたことがあるらしいんですが……」
「試したのか?」
「ええ。でも“ああいうこと”にはならなかったらしくて」
「そうなのか? そう言えば、巻き込まれる奴と巻き込まれない奴がいるとは聞いていたが……」
「その点でも、シュウリンは恵まれてますね――いや、当人にとっては恵まれてないのかな?」
二人の背後の公園では「学究都市シリーズ」でも最強とされる能力者≪鎧袖一触≫独特の笑い声と、その圧倒的な念動力による破壊音が響いている。
もちろん「学究都市シリーズ」は“フィクション”である。
だが、現在の公園内では現実フィクションの境が曖昧になり、ドロッキーが湧き、≪鎧袖一触≫の能力は、それを演じる田島修平を媒介にして世界に顕現していた。
「ヒャハハハハハ! ハ! ハ! はぁ~~~ん!!」
その笑い声が、突然別種のものに変わった。
それが合図だったかのように、二人の足下に田島が転げるように飛び出してくる。
「も、もう、無理だから!!」
そのまま田島が甘えるような声で訴えかけた。≪鎧袖一触≫独特のサディスティックな声ではない。
「僕は何度も言っているように、本来Mだから! こんなのもういやなんだよ! ……はぁはぁ、土下座の姿勢は落ち着くなぁ」
今まで、圧倒的な念動力を振るっていたとは思えない卑屈ッぷりである。確かに根っこの性質がこれでは、性格的には戦いに不向きなのだろう。
それ以上に、人間としての問題発言も含まれている。
「せ、声優って凄いな」
先輩が思わず漏らしてしまう中で、後輩は慌てず騒がずポケットからスマホを取り出すと、ある音声を再生させた。
『土下座して、謝りなよ』
その声は、大きなお友達を震撼させる声優「針生絵里」の声だった。
かねがね田島は針生に罵られたいと訴えており、ここ一番のカンフル剤として入手されたものだった。
ちなみにギャラも発生している針生にしてみれば立派な仕事の範疇であり、もちろん本気ボイスである。
その効果は覿面だった。
「はうぅぅん! ありがとうございます! ありがとうございます!」
見事に土下座の姿勢を維持したまま、歓喜の声を上げる田島。
『何をお礼言ってるのよ気持ちが悪いわね。謝罪の言葉はどうしたの』
まるで、この場面を予期していたかのように、録音された針生の声が畳みかけてくる。
田島はたちまち額をアスファルトにこすりつけながら、
「申し訳ありません! 申し訳ありません! ご主人様に罵倒されて、とっても幸せですぅぅ!」
と、確実に事案が発生しそうな言葉を並べ立て始める。
「……これは何かの役を演じているのか?」
「素でしょう」
田島の上空で先輩後輩が言葉を交わす中、スマホからとどめの声が流れ始めた。
『誰が休んで良いって言ったの? 私に逆らうつもり? そこまでしてご褒美が欲しいのこの駄犬』
「ほぇぁ!」
『でもダメよ。ここで逃げ出したら、もう何にもして上げない。でも、下僕のお仕事をちゃんとしたら、敵前逃亡のお仕置きをしてあげるわ。嬉しいでしょう?』
「はいぃぃぃぃ!」
『わかったら、さっさと行く!!』
「フヒヒヒヒ……ヒャーハハハハッハ、オラオラオラ、この泥人形共! 誰に刃向かったのか教えてやらあ!」
土下座の姿勢から跳ね上がり、再び公園内に突撃していく田島。
「……つくづく声優って凄いな」
「でも、シュウリンはもう限界ですね」
感心した、というよりは呆れが滲み出ている声でその背中を見送る先輩。
そこに後輩が言葉を添える。
先輩は後輩の言葉に大きくうなずいた。
「その点に関しては、そろそろ表に出てくるらしいぞ」
「例のアレですね。私は結構期待していますが」
「そのために動いたプロジェクトだ。対応できる人間と能力がちゃんと増えてくれれば良いんだが」
「そうですね。面白いアニメになれば良いんですけど」
思わず、後輩をマジマジと見つめる先輩。
後輩は無邪気な笑みで先輩を見返す。
――今が異常事態なのは確かなようだ。
色々アイデアを出しては自分で潰して、結局はこの趣味丸出しの作品で再びの投稿となりました。
前の作品のような縛りはないので、書けたら投稿、というゆるい感じになりそうです。
とは言っても、最初ぐらいちゃんとやろうとあるキャラクターの登場まで書きためていたら、予定より遅くなりました。なので最低でも九日間は連続で投稿となります。(それぞれさほどの分量があるわけじゃないですが)
では、気長にお付き合い下されば幸いです。